還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

老いることは大変だけど、娘は初めてハグできました。母のほっぺは柔らかく、骨ばっていた父の背中

1か月半ぶりに実家に帰省してきました。

今回のミッションは、

1.寝たきりで有料老人ホーム入所中の母の状態を確認し、励ますこと

2.足が不自由となり認知症も心配な父の状況を把握すること

3.叔母たちに会って、日ごろの感謝を伝えること

4.姉の話しをひたすら聞き、日ごろの労を労うこと

の4つ。

 

特に、先日、姉と父親との間に事件が勃発から初めての帰省。

父は、そのことについて私には何も言いませんが、その後どうしているのか、また本当のところ姉はどんな気持ちでいるのか、会って話さなければと出かけました。

 

初めて座れた母親

母親は、相変わらず寝たきりで、嚥下機能の進展もさほどありませんでしたが、昨日は、叔母たちの面会もあり、上機嫌。

よく話しができ、意識レベルは少しづつ良くなっているようにも思えました。

皆に促され、ベッドサイドに脚を下し座ってみた母親。

ほんの1分程度でしたが、支えなしで座っていることもできました。

まるで赤ちゃんが1歩、歩いた時のような湧きあがる拍手のなか、嬉しい時に見せる泣き笑いの表情が。

「すごい、すごい!出来た、出来た!」

もちろん一番喜び、感激していたのは、自分自身も歩けなくなり、車いすに座っている父親でした。

 

頼りないほどの柔らかさ

「じゃ、そろそろ横になろうか、疲れちゃうから・・」

そう声をかけ母親をベッドに寝かせた時のこと、

母親は、「〇子ちゃん」と私に呼びかけ、

「ほっぺとほっぺ、近づけよぅ」と少し甘えた声で言いました。

「はーい!お母さん、今まで育ててくれてありがとう!」

そういいながら、何十年かぶりに頬を寄せ、触れた母親のほっぺ。

それは、本当に儚げで、頼りないほどの柔らさでした。

 

すぐに忘れちゃうんだ、ごめんなさい

「もう、お父さんのところへは、しばらく来ないから」と宣言したものの、結局は、その5日後には、何事もなかったように父の元へ行き、父を母のところへ連れて行った姉。

何があったんだろう?

「この間は、ずいぶんお父さんに怒ってたけど、気持ちが変わったの?」そう問いかけてみました。

姉は、「それがね、お父さんが、謝ってきたのよ」と。

杖で歩くのも危うく、車いすに頼ることの多くなってきた父親

叔母が父を母の元に送り迎えするのは週に1度が限界。

姉が来ないとなれば、タクシーで母親の元に行く他はないものの、それも不安で踏み出せず、父は悶々としていたのでしょう。

父親は電話で、姉にこう言ったそうです。

「すまん。〇子、ここは何とかひとつ許してもらえんか。最近、いろんなことをすぐに忘れちゃうんだ。ごめんなさい・・」

 

「ごめんなさい、そう言ったんだよ、あの父さんが」と姉。

「すまんな」「悪いな」と言うことはっても、父の口から「ごめんなさい」という言葉が出ようとは。

「へー!ごめんなさいって、お父さんが言ったの?」私も正直、驚きました。

そして、最近、いろいろなことを忘れてしまうと詫びた父親が急に小さく見えてきて、「ふーん」と言ったきり、沈黙する姉と私。

「気の毒でね・・。」と姉。

頷く私。

「年を取るのは大変なことだね・・・」

そこには、深く溜息をつく初老の姉妹がいました。

 

帰り際に

そんな会話を交わしたせいか、昨日の父親は、いつもに増して老いが感じられ、ますます小さく、頼りなくなってしまったよう。

帰り際、

「それじゃ、お父さん、帰るからね」と声をかけ、顔を見ると、深い皺に老人性のシミの数々。

歯のない顔をクシャクシャにして、淋しさを振り切るように、なんとか笑顔で見送ろうとするその表情が突然、胸に迫ってきました。

そして、なんと、自分でも信じられないほど自然に、父に近寄り思わずハグ。

横暴で癇癪もち。

母親を泣かせたことは数知れず。

いつもビクビクさせられていた大嫌いだった父親

生理的なレベルでの拒否反応を感じていたのに、なんのわだかまりもなく肩から背中に腕を回し、背中をポンポンしていた私。

それにしても、父親は思っていたよりもずっと痩せていて、骨ばっていました。

 

こんな身体でお父さんも頑張ってるんだ・・・。

「お父さん、老いることは大変だけど、お父さんが老いて初めて娘はハグできました。」

そう思うと、少し泣けてきました。

それは、胸に刺さっていった大きなトゲが、流れていったと感じた一瞬でした。

 

 

 

 目を通していただきありがとうございました。

あしあとを残していただけると励みになります。 


にほんブログ村