還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

弱さを武器に周囲を都合の良いように振りまわす父。姉の戦略。

現在、有料老人ホームでお世話になっている母親。

その母親を見舞うことが唯一の生きがい、楽しみになっている父親

杖をついてようやく歩ける89歳の父親は、仕事を持つ姉が、週に2日間、母の妹(叔母)が週に1~2度、母親の元に連れていってくれるのを一日千秋の想いで楽しみにしています。

 

叔母からの早朝の電話

それは昨日のこと、早朝に叔母から電話がありました。

叔母は、週末の2日間、父親をホームに連れていったばかりですが、今朝も父親から「母さんの具合が悪いらしい。今日も連れていって欲しい」と電話があったとのこと。

昨日は、雨も降るあいにくの空模様。

足元のおぼつかない父親が、もしも転んだら大変だと見合わせるように話したところ、父親は、それならばタクシーで行くと言っているという電話でした。

叔母は、もしもタクシーで行って、転ぶようなことがあったら、「あの時に連れていけば良かった」と後悔するのも嫌だし、かといって、そうそう父のお供も疲れるし、思いあぐねているようでした。

 

父親に電話をすると・・

叔母からの電話を受け、それとなく父親の状況をさぐるため、父に電話をしました。

父は、夢でも見たのか、「母さんが、さめざめと泣いているらしい」と話し、かわいそうだから、何としても行ってやりたいと。

そして、昨日は行かなかったものの、ここ4日間は3日連続で母を見舞っていることもすっかり忘れているようでした。

「お父さん、昨日はいかなかっただけで、その前は3日間、続けて行ってるわけだし、今日は雨。お休みしてね」と伝えても、

「いや、雨はそのうち止むさ・・」と全く意に介さず。

「そんなに続けて行ったら、連れて行く人も疲れちゃうでしょう」ととりなすと、

「いや、さっき、はな子(叔母)に頼んだら、雨だから行けないってさ。アイツ、逃げたなっ!タクシーで行くからいいさ」と。

どれほど叔母にはお世話になっているか、その恩も顧みず、「アイツ、逃げたなっ!」と口走る父に唖然。

「そりゃ、おばちゃんだって生活があるし、良くしてもらってるんだから・・・」とたしなめ、

「タクシーで行って、またこの前のように転んだら、今度は骨折してお父さんが寝た切りになるって言われているよね」と脅しをかけても、

「そっか、まっ、大丈夫だろ・・」と。

結局父親は、何を言っても納得せず、タクシーで行くもよう。

結局、説得しきれずに電話を切ったのでした。

 

そして、その直後に叔母から再度の電話。

叔母は、「タクシーで行って、また転んだら困るから、それなら私が行ってくる」と雨のなか、父親をホームまで連れていってくれたのでした。

 

姉とのやりとり

夜になって、仕事から帰宅した姉に、叔母とのやりとり、父親の様子を報告。

姉は、どういうわけか、

「叔母ちゃんには、いつも、断ってねと言ってるのに、はっきり断らないからこういうことになるのよ!「用事がある」って言えばいいのに。曖昧な言い方だと、押しきられちゃうのよ」と苛立ち気味。

「お父さんは、心底我儘な人。気の毒だからとちょっと隙間を見せると、どんどん寄り切られちゃう。ダメなものはダメ。それでいいんだわ。だって、それしかないもん!」とハイテンション。

 

姉の言い分はこうです。

父親は、「もう90歳だから・・・」、「いつまで動けるかわからん」なんて、弱みを見せて甘えてくるけど、それに乗っちゃだめ。それは作戦なんだから。

・「アイツは逃げた」っておばちゃんのことを言うけど、それは、私だって何かあればそう言われると思う。そういう人なのよ。あの人は。

・やれることはやるけど、過剰なサービスはしない。私は、週に2回は連れていくけど、それ以上はしない。枠組みを壊さない。それが、あと何年続くかわからない介護をやり遂げるコツだと思う。

・週に2回。これが今の限界。でも、これもあと1年。それ以上続けば、回数を減らすことになると思う。

・どうしてもお母さんのところに行きたいのなら、タクシーで行けばいいと思う。それで転倒しても、致し方ない。それでも介護は週に2回。そこは崩さずにやるしかない。

 

母親が倒れてから9か月。

それまであまり見えてなかった父親という人間の本質的な部分がまざまざと露呈され、胸がざわつくことの多い日々。

そのなから姉が学んだことは、

相手に合わせるのではなく、こちら側の枠組みを崩さない

ということ。

 

介護は、相手のペースに合わせることが大切だと強調されていますが、記憶が積み重ならず、常に、こうしたいという「今」の欲求で動く人を長期間にわたって介護するためには、こちら側の強固な枠組みを固持するするしかない。

それが姉の結論のようでした。

 

「もう、いつまで生きるかわからん」「90歳では何にもできん」「頼れるのは身内だけ」と弱さを武器にして、結局のところは、その時自分がして欲しいことが叶えられるように周囲を動かし、その事実も、周囲の苦労もケロッと忘れてしまう。

 

そんな親へのストラテジー。とうとうと述べる姉のそのテンションの高さに、多少の娘としての申し訳なさがあるのを感じる私。

 

私にできること、それは、総司令官の姉を支えること。

姉の戦略を支持して、長くなりそうな介護を乗り切っていきたいと思います。

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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