還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

人生の最晩年に訪れた大恋愛。娘の戸惑い、夫婦のあり方

このブログにも綴ってきましたが、昨年末に84歳の母親が脳梗塞で倒れ、現在、有料老人ホームでお世話になっています。

左半身の自由を失い、ほぼ寝たきり。要介護度は5。食事も、一日に2回は胃瘻からの経管栄養に頼っています。

身体面でのダメージが大きく、回復は困難なもようですが、意識レベルは、一時の混乱状態から脱し、普段の会話はほぼ可能な程度にまで回復しています。

母親の発病によって89歳にして一人暮らしを強いられた父親は、気分の落ち込みと物忘れが急速に進み、歩行も困難となり、一時は車いす生活を送っていましたが、最近になって、少しづつ歩けるようにもなってきました。

父親の唯一の支えは、母親の面会。

週に2度、姉や叔母が面会に連れて行ってくれるのを一日千秋の想いで待っています。

 

 

ヨチヨチと必死で歩く父親が、ベッサイドで母の手を握り続ける光景は、ホームでも評判になっているもよう。

「こんな仲の良いご夫婦はいないですよ~」とスタッフの方はいつも声をかけてくださいます。

ただ、この両親。母が倒れる直前まで、父は立派なDV夫。

気に入らないことがあると母親に当たり散らし、暴言を吐き、人前だろうと何だろうと大声で母を怒鳴りつけてきました。

私が幼い頃から、やれ母が家を出るだの、離婚だのと、いろいろなことがあった夫婦です。

そんなこの二人。母が倒れてから、かなり様相が変わってきました。

 

お父さんは私を絶対、捨てないから大丈夫

それは昨日の姉との電話で知ったこと。

姉が父を連れて面会に行ったところ、これから母親は入浴とのこと。

「今日、入浴を担当します〇〇です」と男性の介護士さんが、声をかけてくれました。

そして傍らの父をみて、

「ボクが担当だと、お父さんヤキモチやいちゃうかな・・」と茶化した様子で呟いたところ、母親は、

「いえいえ、お父さんは私を絶対捨てたりしないから大丈夫」とハッキリ言い切ったとのこと。

日にちや曜日、人の名前などはすぐに忘れてしまう母が、まさかそのような夫婦における本質的な問題を、それもハッキリ言い切るとは・・。

驚いていると、父親は、

「もちろんだよ、母さん。どんなことがあっても見捨てやしないよ」と、今まで聞いたこともない優しい声で囁いたそうです。

「アホクサ!!、やっとれん!」姉は、呆れた様子でそう、言い捨てました。

 

手を握り合って話さない二人

面会は、いつもたっぷり3時間。

昼食にはお決まりの「うな丼」を食べ、午後1時にホームに到着。

それから4時までの間、父は母親と過ごします。

「母さんや、来たよ。元気か?」とヨロヨロと歩きながらベッドサイドから母親の顔を覗き込み、母親の手を握ります。

そして、

「今日も、手があったかいな。元気な証拠だな」

「母さんは、色が白くて美人だな」(そりゃそうでしょう、ベッドから動けないんだから)

「今日もキレイだよ」(はい?)

などと、母が元気な頃に聞いたこともないような歯が浮くようなセリフの数々。

母親も、

「お父さん、来てくれてありがとう」と顔をクシャクシャにして喜びます。

「お父さんが今日も来てくれた。優しいね、お父さんは」とこれまた涙を浮かべて感激の面持ち。

そしてしばらく見つめ合っていると、お年もお年ゆえ、どちらともなくコックリコックリ夢のなかへと落ちていき、

母親は、目が覚めると「お父さん、起きてる?」と必ず確認。

父親は、「起きてるよ、ずっとそばにいたんだよ。安心してね~」とこれまた猫なで声で応えるということの繰り返しを延々3時間!

叔母も、「あの二人、もう見とれんわ~、何?あれ?」と困惑ぎみでございました。

 

セクシャルなものを感じるのは、考えすぎか?

そんな両親のやりとりを側で見ていて、時々、ドキッとすることが。

母親が父親の手を握り、自分の頬を押し付けたり何やら胸の方向にモゾモゾ。

いやいや、考えすぎ、感じすぎなのかも知れませんが、直感的にセクシャルなものを連想することがあります。

脳梗塞で脳にダメージを受けた母親は、多少抑制がきかなくなっているのかも。そんなことを考えもしますが、やはり娘としてはちょっと複雑。

高齢者施設では、入所者の方同士で性的な問題が起こることは比較的よく聞いてはいますが、それは遠い世間様のお話で、

もう、80歳も半ば、90歳に手が届くようになれば、そこは「卒業」。

ましてや、自分の両親については、全く考えもしませんでした。

自分の誕生のルーツを辿ればそこに行きつくのですから、本当に可笑しなことですが、これまで「両親の性」については、全く意識の外でした。

というのに、何だか、ここへ来てちょっとおかしな雲行きに。

とはいっても、もしも父親がもう少し元気で、母親が父親が待つ高齢者住宅に戻ったら、きっと二人は、自宅という空間で、誰に遠慮することもなく添い寝をして過ごすに違いない。

そう考えれば、自然のことのようにも思えてきます。

 

最晩年に訪れた大恋愛

そんな両親をみていると、いろいろなことがあった60数年の時を経て、出会った頃のような恋愛時代が再び蘇ってきたように思います。

社会的な役割も、地位も、経済力も、体力も、身体の自由も、すべて失ったあとに、最後の残ったのは妻であり夫。

妻を守ること、夫を思うことだけに命を傾ける二人。

究極の姿なのかも知れません。

 

もしも、年を重ねた私たち夫婦のどちらからが、病に倒れ、寝たきりになったとして、どんな最晩年を過ごすのか。

私は、やせ細り、手足も拘縮した夫に添い寝して、身体をさすり温める妻であるのか、夫は頬ずりして、私を温めてくれるのか・・。

そんなことをフト思っていたら、

「そりゃ、なかなか逝きそうにないなぁ~、お母さんも、お父さんも」と夫の声。

体重80キロ台。堂々たる夫の体格を今更ながらながめ、はっと現実に戻った私でした。

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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