辛すぎる結愛ちゃんの死を無駄にしないためにできること
児童虐待のニュースは、どうしても正視することができずに、テレビやネットも「見ない、読まない」弱虫です。
ただ、今回の結愛ちゃんが亡くなった痛ましい事件は、どうしても目を背けてはいけないような気がして、勇気を振り絞ってネットで読んでいます。
5歳のお子さんが書いたという文章。
世の中にこれ以上切ない手紙があるでしょうか。
切なさ、怒り、悲しさなどいろいろな感情がこみ上げ、心の羅針盤の針は振り切れそうです。
それにしても、なぜこのような悲惨極まりないことが起こるのか。
父親は、どこか心を病んでいて、父親も被虐待児だったのかも?
母親も父親からハラスメントを受けていたのかも。
虐待が常態化するにつれて、感覚が麻痺した?
父親、母親の実家のサポートはなかった?
いろいろ思うことはありますが、なぜ両親は結愛ちゃんを虐待したのかを考えてみても、仕方がないことですね。
これほど児童虐待が増えてくると、どんな家族にも虐待は起きることを前提に、対策を考えなければならないのではないでしょうか。
結愛ちゃんと母親に公的機関が関り始めたのは、結愛ちゃんがまだ生まれる前からのこと。
若年妊婦だったことから、保健師が母親に関わりをもち始めました。
その後、近隣から虐待の通報があったのが2016年8月。
香川県善通寺市から東京都に転居するまでは、時に切れそうになりながらも結愛ちゃんと両親は、行政サービスとつながっていました。
ところが、転居後、状況が変わってしまったようです。
香川県と東京都の連携の在り方、都側の緊急性や深刻度の受け止め方の問題、縦割り行政による児童相談所と警察との連携のなさ、もう一歩家庭に踏み込めない法律の不備など、いくつかの問題点があげられています。
結愛ちゃんが虐待を受けていたこと、虐待死のリスクを負っていることは行政も知っていたのに、救えなかった命。
どうして救えなかったのかを徹底的に検証して、法律やシステムを改めねばならないような気がしてなりません。
結愛ちゃんと4年間関わってきた香川県の児相の職員や病院、保健センターのスタッフ、香川県の要請を受けて関りを開始した東京都の児相のスタッフは今、どのような気持ちでおられるのでしょう。
悔しくて、悔しくて。
そして救えなかったことで自分を責めておられるのかも知れません。
救いたかったけれど、救えなかった法律やシステムの限界があった。
それを越えなければ、同じ悲劇が繰り返されるでしょう。
諸外国に比べ、日本は、児童虐待に関する法的な整備が遅れていると聞いています。
児相へ児童虐待への相談件数は、ここ13年間増加の一途をたどり、職員は疲弊しきっているとも聞きます。
「児相はなにをやっている!」と批判することは容易いですが、充分に機能出来るだけの人や予算が与えられているかどうかはなかなか伝わってきませんね。
少子高齢、人口急減社会に突入した日本。
日本に生まれた大切な命が、かくも粗末に葬られることが辛いです。
私も夫も年金をいただける年齢に達しています。
これから年金が減ることは、もちろん不安でありますが、それよりなにより、子どもにもっと手厚い世の中になることを切望してやみません。
子どもの虐待ほど、この国の歪みを感じるニュースはありません。
結愛ちゃんのご冥福を心よりお祈りいたします。
目を通していただきありがとうございました。
あしあとを残していただけると励みになります。