還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

同居介護はしないという選択

車いす生活となった88歳の父と、脳梗塞で寝たきりとなった母。

現在、父は、サービス付き高齢者住宅に入所、母親は、回復期リハビリ病院に入院しています。

両親は、突然、現在のような介護度になったわけではなく、7~8年前から、少しづつ手助けが必要になってきました。

最初は、近くに住む姉が、週末に両親が当時住んでいた実家に行き、買物に連れて行ったり、外食に連れだしたり、掃除をしたり。

そして、週2回のデイサービスもこの頃から利用しています。

それが次第に限界を迎え、現在の暮らしに行きつくまで、2つのターニングポイントがありました。

 

母親の鬱状態と家事能力の衰え、父親の入院

5年ほど前、すでに認知症を発症していたと思われる母は、食事を作ることができなくなりつつありました。

食事とお掃除をヘルパーさんに助けていただきましたが、「何を作ってもらったらいいかわからない」「ヘルパーさんが来ると思うと落ち着かない」「断ったら悪いと思うと、どうしていいかわからない。泣けてくる」と自分を追い込んでパニックになることも。

そんな母を、父は、「何をしとるんだ、しっかりしろ!」と叱咤激励するばかり。

そんな折り、父が肺炎で入院。

「もう、二人の生活は限界だね」

そう姉と話し合い、サービス付き高齢者住宅への入居を勧めました。

 

双方共にストレスですぐに生活は破たんする

この時、考えて見れば、姉が両親と同居するという選択肢もあったでしょうが、私たちは全く考えませんでした。

特に父は、たとえ娘一家であろうと、人と同居できるような人ではない。我がままいっぱい、母を半ば召使いのように使い、好きなように自宅で生きて来た人が、娘一家と同居すれば、双方共にストレスですぐに生活は破たんする。それが見えていたからです。

お目当てのサービス付き高齢者住宅は、建って2年目の新しい物件。母は、「こんな新婚さんが入るようなところで暮らせるなんて夢みたい」と喜び、父も、病み上がりで自宅に戻る体力はないと判断したのか、すんなりと応じてくれました。

会社勤めの長かった父親の年金でまかなえる程度の賃貸料だったことも幸いしました。

 

物理的な距離があるから、父さんと付き合える

「飯がまずい」「こんなところに閉じ込められた」といろいろ不満もあったようですが、両親は、サービス付き高齢者住宅で5年ほど、安定した日々を過ごしました。

そして昨年末、母親が脳梗塞で倒れ、入院。

父親は独りで過ごすことになりました。

ここでも、姉が父親を引きとって同居するという選択肢もありましたが、姉も私も、今回もそれは考えませんでした。

「物理的な距離があるから、父さんと付き合える」「同じ屋根の下ではいられない」

それが私たちの出した結論でした。

もちろん、サービス付き高齢者住宅でのケアが安心してお任せできるものであったことも、大きな支えになりました。

特に、父親の性格、夫婦の関係性をよくわかってくれる信頼できるケアマネさんに出会えたことが、大きかったように思います。

 

これからも同居はせずに

そろそろ、母親が回復期リハビリ病院を退院する時期を迎えます。

父親の待つサービス付き高齢者住宅に戻ってこれるかは微妙なところ。

帰ってこられなければ、特養の入所を検討しています。

そして、私たちは、両親ともに、できれば二人の終の棲家であるサービス付き高齢者住宅で看取りたいと思っています。

 

同居はしないと決めた理由

「自分たちの生活、人生を犠牲にすることはやめよう」

これは、姉と私の合言葉です。

「お父さんのせいでこうなった」「お母さんのせいでこれができなくなった」そんな思いを抱きつつの介護は、自分も苦しいし、負の感情が言動に現れて結局は両親も傷つけることになる。

無理をしなければならない時もあるけれど、無理をし過ぎるのは禁物。

「同居をしないからこそ、いろいろと複雑な感情を抱きつつも、そこそこ優しくできているのかもね・・・」

そんなことを姉妹で話し合っています。

 

 

 

 

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