自分のいまの仕事に誇りを持てない若者。でもそれは、宝物なんだよ、実は。
先日、久しぶりに、息子の古くからの友人と再会。
33歳、独身。小麦色に焼けた、マッチョな姿。
精悍な顔立ちからは、一皮剥けた彼の成長が感じられました。
「今、どんな仕事してんの?」
何気ない問いかけに、逡巡する彼。
そして、「あまり他の人には言って欲しくないけど、警備の仕事をしてます」と。
営業の仕事に燃え尽きて
彼は、大学卒業後、就職活動に難航。
やっと掴んだ正社員は、小さな自動車関連の会社の営業。
以前からやりたかった営業の仕事に、夢中になったものの、会社は倒産。
その後、これも小規模な医療機器メーカーの営業職に就き、担当地域をひたすら駆け回る日々。
人と関わることが大好きで、お得意様を次々に掴み、営業成績を上げてサラリーもアップ。
ところが、一時は順風満帆かと思いきや、出る杭は打たれるのが世の常か。
社内の人間関係に悩み、ひどい円形脱毛症に。そして、退職。
次なる職場も、営業畑。
常に目標が課せられ、達成のためには、詐欺まがい?の戦略に次第に加担していくことに良心が痛み、結局退職。
この10年間に3度の転職をした彼。
営業は面白いし、自分に合っているとは思うけれど、ずっと営業の最前線にいることに心身ともに疲れ、そして彼が選んだのは、「警備」という仕事でした。
警備の仕事はどう?
そんな問いかけに、「ストレスはフリーです」と。
時間が区切られ、決まった仕事を手順通りにこなしていけば、確実にお金になる仕事。
人間関係の煩雑さもなく、ノルマもなく、目標もなければ、成績を気にすることもない。
夜勤をこなせば、確実にお金を稼げるのも魅力だと。
ただ、「社会の底辺の仕事ですね・・・」と一言。
ともに働く仲間は、それぞれに事情を抱えた人ばかり。
もちろん、定年後の再就職組もいるけれど、若い年齢層の人は、それぞれ借金を抱えていたり、養育費の支払いに追われていたり。
若いころのやんちゃが過ぎて、他の仕事に就くのが困難だったり。
若いころの夢のような日々と現実
そんな話しのなかで、彼はある仕事仲間のことを話してくれました。
その人は62歳。
舞台の裏方の仕事をしていたその人は、バブルの頃の好景気に支えられ、ヨーロッパでの海外公演にも頻繁に同行。
舞台ははけた後、有名どころのレストランで出演者、スタッフ全員で打ち上げをするのが常だったとか。
「ヨーロッパはよく回ったよ」と遠いまなざしで話すその人も、今は「1日でも早く借金を返して、老後の資金貯めなくっちゃな」と煙草をくゆらせ、白髪まじりで呟くのだそうです。
そして、こんな若いときのこと話したのは、「キミが初めてだよ」と言ってくれたとか。
人生を学び、度量を広げる彼
警備の仕事に就いた彼。
「まるで、小説のなかに出てくるような人生がいっぱい。」と話していました。
そして、「営業に長くいたから、オレ、人の話しを聞くのが好きなんですよ。ついつい話しこんじゃって」と。
直接サラリーには結びつかなくても、たくさんの人生に触れ、相手の話しを引き出し、人生そのものに共感する人間力をつけた彼。
「今の仕事に就いて、人生を学んでいるんだね。人としての度量を広げているんだね」と話しました。
私は、営業の最前線を走り抜けてきた彼が、少し羽を休めることも大切だと思っています。
警備の仕事に就いて、身体を使ってお金を稼ぐことを学んだ彼。
食費を3万円以内におさえるべく、すべて自炊。家計簿をつけて節約に努める姿はほほえましいものがあります。
営業で毎晩接待。金使いが荒く飲み歩いていた日々からも卒業。
かえって良かったような気もしています。
警備は誇れるに値しない仕事だという意識
ただ、「他の人には言わないで」という言葉がやはり気になります。
「どうして隠す必要があるのかな。警備は大切な仕事だと思うけどな」
そう伝えましたが、彼は曖昧に笑うばかり。
営業は誇れるけれど、警備は誇れない、むしろ恥ずかしい。
そんな意識が彼の中に根強くあるのが残念です。
自分の仕事に誇りを持てず、隠しておかなければならないなんて・・。
まだ33歳。営業でバリバリ成績を残す自分をどこかで追い求めているのでしょう。
このままでは「負け犬」そんな意識があるようにも感じます。
時間の経過とともに、きっと彼自身のなかで少しづつ変化していくのかも知れません。
思うように生きること、
それは、それほどたやすことではないと知り始めた彼が、
これまで出会うことがなかった人々と警備の仕事を通じて出会い、
人生の味わいを深めている。
それだけでも、今の仕事は多くの宝物を彼に与えてれているような気がしてなりません。
彼の健闘を祈るのみです。
目を通していただきありがとうございました。
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