還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

盛らないで生きる。

昨日のエントリー.。

yuuhinooka.hatenadiary.com

いだいたコメントのなかに、人生のある時期を過ぎたら、「手に入れることより手放すことが重要」という主旨のコメントをいただきました。

そうだそうだと深く納得。

しかし、人間だれしも、そしていくつになっても、人よりも大きく見せたいという気持ちが働き、「これもあります」「あれもあります」「それもできます」「これもやれます」と見栄を張りたい、とかく自分を盛り過ぎる。

これが、手放すことを難しくさせているのではないでしょうか・・。

 

この、「盛る」ということ。

「ちょっと話し、盛ってない?」「話し、盛ってるでしょ」

そんな使われ方をしていますね。

相手の関心を惹こうとして、出来事を事実以上に大げさに表現したり、ある部分だけをことさら強調してデフォルメする。

そんな意味合いであると理解しています。

 

話しを面白くする範囲ならばまだいいのですが、これがエスカレートして、自分の生活、能力、人生までも、常に「盛る」習慣ができると、それは苦しいことになりますね。

自分をことさら大きく見せたい、他者の印象を良くしたい。

そんな気持ちから、背伸びをしてついつい自分を盛ってしまう。

背伸びをしている自分と、本当の自分とのギャップに、いつか自分で自分の首を絞めることになる。

若いころの自分を思い出すと、まさに「盛り過ぎ」。冷や汗ものです。

 

ただ、この「盛りたい」気持ちが、向上心を生み出していたのも事実です。

そしてこの「盛る」ということ。どこからが「盛り」で、どこまでが「ありのまま」なのかも難しい。

例えば、女性のお化粧ひとつとってみても、どこまでが「身だしなみ」で、どこからが「盛り」なのか。

 

そして、このSNS

インスタグラムが大流行り。インスタ映えする写真をアップして、皆さん「盛る」ことに余念がないとか。

かくいう私も、こうしてブログをアップすることで、「盛りたい」気持ちを満たしているのかもしれません。

 

そう考えてみると、自分を飾らず、盛らずに「あるがままを生きる」ということは、それほど単純なことではないかもしれません。

これからは、「物」にも「人」にも執着せず、自分軸で淡々と生きたいと願っている私。

さてさて、本当にあるがままを生きられるのか、自分のなかの「盛りたい」気持ちとの付き合い方を、考え続けていかなければと思っています。

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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