還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

死んだら横断幕を持って迎えにいくね。私たちの終活。

9月18日は敬老の日

新聞を開くと、「市長が市内の最高齢者宅を訪問」といった記事が。

現在、100歳以上の高齢者は、全国に6万5千人余りいらっしゃるとか。

「すごい世の中になったもんやね~」というため息交じりの会話から、70歳を目前に控えた友人との話題は、自然に、「終活」、「お葬式」、「お墓」へと。

私もそろそろ、「幸せな人生の終わり方」を考えるお年頃に突入です。

 

死んだら無やで

たわいもないお喋りのなかで、Aさんから、「ねぇ、戒名って何?」「あの世にいっても、名前がいるのん?」

そんな素朴な疑問が投げかけられました。

「どうやろなぁ・・。あの世から帰って来た人はいないよってに、本当のところはわからんなぁ」と真面目なBさん。

その時、Cさんがにわかに言い捨てました。

「ないない、死んだら無やで。あの世なんて、ない、ない!無、無!」

あまりにすっきり、さっぱり言い切るCさんに、一同沈黙。

その沈黙を突くように、「だって考えてみてよ。あの世にどんだけおんねん。両親、その兄弟、そのまた親に遠い親戚、もっというたら、ご先祖さんからみんなおんねんで。そんなぎょうさん収容できるところなんてあらへんやん!」

はぁ?

それはそうかも知れないけれど、それにしても人口密度?が高すぎて、物理的に不可能なんて、そりゃまたずいぶん現実的なご意見。

そこへAさんが、

「でも、あの世の人は足がないって聞くやん。みんな空を飛んどんのと違う?」

うっ・・・、と一瞬言葉を詰まらせるCさん。

 

懐かしい人と会えるような気がする

そこへBさんが話し始めました。

「ホンマのところ、あの世がどうなってるかはわからへんのやけど、私は、あの世にいったら、懐かしい人と会えるような気がしてんねん。理由はないねんけど、なんとなくそんな気がしてなぁ。そんな気せえへん?」

「ええっ、そんなこと考えたこともないわ」とCさん。

「考えたことはないけど、もしそうだったらええなぁ」とAさん。

「ほんでBさん、誰に会いたいの?」そんな問いかけに、

「そりゃ、早くに亡くなってしもた母親、おかあちゃんやわなぁ。苦労して苦労して若いときに死んでしもうたさかいにな。ありがとうとか、いろいろ言えてないこと、ぎょうさんあんねん」Bさんは、そう言いながら、ふいに涙ぐんでいました。

声もなくうなずく一同。

そこへ、場をとりなすように、「お父ちゃんはどうなん?」といたずらっぽく声をかけたCさん。

Bさんは、「あれはええ!もうええわ。好きなことして死んでいったさかいに、もう、何にも言うことはないねん。」と。

きっぱり言い切るBさんに、「ハハハ、そか、そっか、もうお父ちゃんはええねんなぁ」とCさん。

いつのまにか、Bさんも「もう、ええねん。もう十分や、もう上等や」と笑顔。

それから、「会いたい人」「そうではない人」について、それぞれがポツリポツリと話し始めたのでした。

 

あの世は、楽しみにして待つ場

みなさんは、死後の世界について、どんなイメージをお持ちでしょうか。

実は私も、Bさん同様、あの世に行ったら、懐かしい人と会えるような気がしています。

なにかの宗教に触れたわけでもなく、誰かに教え込まれたわけでもなく、ごく自然にそんな気がしてならないのです。

この年齢まで生きてくると、身内や親しい友人、知人、職場の上司や時には部下など、数多くの人の「死」に出逢ってきました。

それぞれにお別れは悲しく辛く、胸の痛む出来事ですが、その度に私は、「〇〇さん、また会えるよね。少し早いけど、向こうに行って待っててね。またお会いしましょうね」、「〇〇さん、私も後から来た電車に乗っていくからね。」そんな声をかけて、見送ってきました。

「別れ=会えない」という現実に直面せずに、実は辛さを誤魔化してきたのかも知れません。

それが良いことなのか、悪いことなのかはわかりません。

ただ、そうしてお別れしてきたことによって、あの世は、懐かしいたくさんの人たちと再会を果たせる場、楽しみにして待つ場のようなイメージが出来上がりつつあります。

だからといって、もちろん急いで行きたい場所ではないけれど、だからといって決して恐れるような場ではないことだけは確かです。

 

私にとっての死のイメージとはこうです。

この世でお借りしていた「身体」という入れ物を明け渡す時が来たら、まどろみのなかでスーッと息が止まり、再び目覚めたら、懐かしいひとたちが自分を覗きこみ、「あら!やっと来たのね。待ってたのよ~」と声をかけてくれ、またあの世での日常が始まる。

そんな都合の良いことを考えています。

 

横断幕を持ってお迎えに来てね。

さてさて、Aさんの何気ない問いかけから始まった「あの世談義」。

「無」だと言い張っていたCさんも、「そりゃ、もしそうやったらええけどなー」と少々トーンも下がり気味。

そこへBさんが言いました。

「わかった、もしも私が先に行って、あの世があったら、『歓迎〇〇さん 天国へようこそ!』って大きく書いた横断幕持って、天国の入り口まで迎えに行ってあげるわ!」

「きゃーっ!それええなぁ~!」

「なっ?ええやろ?あの世がどないなってんのかわからへんのやから、まっ、たのしく考えて過ごさんか」

「そやな、まっ、そういうこっちゃな」

そんなこんなで、落ち着きどころが定まったようでした。

 

これからどう生きて、どう幸せに死ぬのか。

それを真剣に考える年頃になりました。

終活と言えば、断捨離、遺産相続、延命治療、介護や葬儀、そしてお墓などが話題になりますが、一番大切なことは、各人が「死ぬ」ということをどう受け止めるのか。

そこから本当の終活は始まるような気もしています。

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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