「鬼嫁」発言の真意、どなたかお教えいただけないでしょうか?「男らしさ」と「鬼嫁発言」を考える。
学生時代から長く関東で生活を送ってきた私が、関西に移住して約6年。
関東と関西の文化の違いを肌で感じることもしばしば。
そんななかで、男性がご自分の奥様のことを、「うちの鬼嫁が・・」と呼ぶのに何度も出会ってきました。
具体的な「鬼嫁」の使い方はこうです。
「うちの鬼嫁に叱られるさかいに・・・」
「そんなことしたら、うちの鬼嫁に何って言われるか・・・」
「うちの鬼嫁は、キツイでっせー。そりゃもう、鬼嫁には頭が上がりまへんわ」
というように、自分と妻との関係性における自らの劣勢を誇張するように使われたりします。
また、何気ない会話のなかでも。
例えば、
「ああ、うちの鬼嫁でっか、いてますよ・・・」というように。
そして、第三者も、「鬼嫁」という表現を使います。
「おたくの鬼嫁さん、元気にしてんの?」
「おたくの嫁さん、鬼嫁やからな・・・」などなど。
関東から移住した直後は、かなり戸惑いました。
「奥様、いらっしゃいますか?」
「ああ、うちの鬼嫁でっか、いてますよー」と言われた時に、
「いや、鬼嫁なんて、そんな、あの、えっと、鬼嫁じゃなくて・・・」というように。
関西の男性、特に中高年以降の男性は、「鬼嫁」という言葉を使って、「頭が上がらない」というように妻に対する自らの劣勢を強調することが多いように感じています。
「男らしさ」という概念
そんなことを漠然と感じていたら、愛読させていただいている美奈子さんのブログで、今朝、こんなエントリーを拝読しました。(断りもなく勝手に言及させていただき、すみません。)
このなかで、美奈子さんは、お子さんが生まれたことで、ご自分のなかの「男らしさ」が揺らぎ、その不全感からうつになったと分析されていました。
「男らしさ」「男らしくあらねばならない」という信念が、自分をどんどん追い込んでいく苦しさは、女性の私にもわかるような気がしています。
そこで、どうにも解せないのが、「鬼嫁」発言。
妻が上位で、自分は劣勢。
「嫁には頭が上がらない」と公言して憚らない男性は、「男らしさ」から完全に解放されていらっしゃるのでしょうか?
それとも、「嫁に頭が上がらない」と公言して憚らないほど度量が広い・・・ということをおっしゃりたいのか。
ひょっとしたら、そう言えるほど、夫婦仲は良好だということなのか。
何か、地域の文化の差があるのか。
はたまた、それも含めて愛情表現なのか、
「鬼」という言葉に反応しすぎているだけで、それほどの深い意味はないのか・・。
ひょっとして、「鬼嫁」に少々の違和感を抱くのは、自分のなかに、「妻は、女性は、夫を、男性を立てるべき」という考えがあるせいなのかも知れません。
「ウチの鬼嫁がな・・」と明るく言い放つおっちゃんの傍らで、未だ、少々モジモジする私です。
目を通していただきありがとうございました。
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