入院生活。方言の優しさに癒されました。
たった1つのポリープを切除するだけなのに、恐縮するほどの手厚いケアを受け、昨日、無事に退院しました。
運よく、4人部屋の山側。窓側のベッドとなり、居ながらにして、お花見ができるというまたとない幸運に恵まれ、もったいないような入院生活でした。
満開の桜に癒され、そして、医師や看護師さんたちスタッフの方々の対応にも、心和むひとときでした。
何といっても、とにかく、言葉が柔らかくて優しい!
車で1時間ほど離れた病院ですが、当地とは、かなり言葉のニュアンスが違っているのに驚きました。
当地は、漁師さんの多い海沿いの街。
波音に消されないよう、皆さん声が大きく、何事もストレート。いっさいの装飾なしです。
例えば、「雨、雨が来んぞ!」といった具合。
丁寧に言えば、
「雲行きがおかしくなってきましたね。これからきっと雨になると思います」というフレーズですが、いっさいの余計な装飾はなし。
フレンドリーと言えばフレンドリーですが、
「これ、どないしたん?」といきなり聞かれて戸惑うことも。
「これ、ご自分でお作りになったんですか?それとも、どこかでお買い求めになられたのですか?」という問いかけが、「これ、どないしたん?」の一言に集約されるというわけです。
東京から移住して6年。そんな当地のストレートな表現にも、ずいぶん慣れてきました。
ところが、それほど距離的には離れてはいないというのに、今回入院した大学病院のスタッフや入院患者さんが話す言葉は、大きく異なっていました。
まずは最初に対応してくださったスタッフの方。
「今日からご入院ですねぇ。少しお話し聞かせてもろてもよろしいかぁ?」といった具合。せかせかとした感じがなく、万事ゆったり。
トラブル発生の時にも、誰も慌てずゆったり。
「なんや、点滴のところが、ちょっと腫れてきたんやけど、これでいけますか?」と患者さん。
「ちょっと見せてもらいますねぇ。ああ、点滴が漏れてもうたんやね。これは痛いでしょう。ほんなら、ちょっとお休みしてから、後で刺し直しましょうかぁ。」
「やっぱり漏れてたんやね。いやぁ、私もおかしいとは思いよったんよ。なかなか点滴も減らんけんねぇ。ほんなら、もう一回やね。よろしくお願いします」
「今度は、違う手にしよったらいけると思うんやけど。ほなまた、10分ぐらいしたら来ますね。」
「おねがいしますぅ」
これが当地ならば、多分、こんな展開になると思われ・・。
「なんや、点滴刺したところが、腫れとんで。これでいける?」
「ちょっと見せて。ああ、漏れたなぁ。これは痛いなぁ。ちょっと休んどこか。後で刺し直すわ」
「なんや、やっぱ、漏れとったんかいな。いやぁ、おかしいと思っててん。なかなか点滴も減らんしな。もう一回かいな。ほな頼むわ。」
「今度は、違う手にしよか。ほしたらいけると思うで。10分したら、また来るわな。」
「よろしく頼むわな」
文字にすると、細かいニュアンスが伝わりにくいかも知れませんが、当地は、基本あまり敬語というものを使わない土地柄でもあり、きっとこんなやりとりになると思われます。
方言には、それぞれの良さがありますが、時に違う土地の方言に触れると、その良さを身に沁みて感じるものですね。
優しい言葉のシャワーをいっぱい浴びて、気持ちも満たされた入院生活でした。
目を通していただきありがとうございました。
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何だか気持ちが落ち着かない。そんな時にはお絵描きがいい。
今年も、もう4分の1が過ぎようとしていますね。
毎年この時期は、桜の開花で、うきうきする反面、冬の間に、少し時間を無駄使いしてしまったような焦りも感じます。
「あれもしたい、これもしなくちゃ」と思うものの、いまひとつエンジンがかからない。
さぁ!と掛け声をかけてみたものの、なかなか集中できずに、気持ちは過去に未来へと、さながら迷子。
そんな時は、瞑想が良いのかも知れませんね。
ただ、瞑想の方法が自分に合っていないのか、どうもいまひとつ効果が感じられません。
「呼吸に集中」と自分に命じるものの、フト気づくと、雑念ばかりが浮かんできて、「あらら・・」ということの繰り返し。
「呼吸に集中しなければ」と頑張ってしまい、逆に疲れてしまいます。
何か、「心の迷子」を「今、この時」に連れ戻せる方法があれば良いのだけれどと思いつつ、お絵かきに励んでいたら、あらあら不思議。自然に「今、この時」に集中できて、エネルギーが満ちてくるのを感じました。
私が取り組んだのは、模写。
草木や花、風景など、現実に自分の目で見て描いた方が、画力は確実につくのでしょう。
ただ、画力をつけることより、今、とにかく描くことに没頭してみたい気持ちが強く、手元にあった素材を模写してみました。
完成にはほど遠いのですが、今日、描いたのはこちら。
どなたの何という作品なのかもわからぬまま、若い女性の瑞々しさに惹かれて鉛筆で描いてみました。
こうやって並べてみると、頭に巻いたスカーフの厚さ、顔や目の角度、鼻の下の長さ、フリルの襟の開き具合、左右の髪のバランスなどなど、修正箇所がいっぱい。
見ているようで見ていない。
もっと集中力、観察力を養わなければと教えられます。
とにかく、一生懸命見ること、観察すること、そして手を動かすこと。
100枚描けば、必ず何かが変わる。
「筋トレのように、とにかく描き続ける。話しはそれから」
そんなことをよく耳にしてきました。
迷子になりがちな心を落ち着かせるためにも、今年残された4分の3の時間を、もっともっと描いてみたいと思っています。
さてさて、本日から2泊3日の入院。
与えられた時間を有効に過ごすために、スケッチブックと鉛筆を持って、行ってきます!
目を通していただきありがとうございました。
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今や、大学病院「4月問題」は存在しない。昨日の記事の訂正とお詫び
昨日の記事、大学病院「4月問題」をご存知かに、通りすがりのナースさんからコメントをいただきました。
ここ数年は、4月から臨床にでる新人ナースはまれですよ。研修だらけで、病棟にはあまり来ません。
5月は先輩看護師の後ろひたすらついて回り、6月過ぎから先輩フォローの元、数人の担当が開始になります。
ミスが増え始めるのは9月~1月頃。ある程度業務に慣れてきてからです。逆に言うと8月頃までは、手際は悪いですが、フォローも手厚いので、ミスを起こすことは少ないです。わからないことには不用意に答えるなと口酸っぱく指導することがほとんどですので、わからないことに”わからない”と答えるのはマニュアル通りに動けている証拠でもあります。
つまり、大学病院は教育機関という性質上、いつ入院しても危ないですよ。
どうやら、新人ナースの教育体制が手厚く整備され、4月は「現場」に出ることもなく、研修の日々を送っておられるようです。
5月に入って、先輩ナースと行動を共にし、先輩の指導のもとに数人の患者さんを担当するのは6月に入ってから。
医療が高度化し、医療事故も相次ぐなか、大学病院の新人看護師の教育体制は、ここ数年で大きく様変わりしているようです。
特に「4月」が特別というわけではなく、教育機関である限り、大学病院に入院することのリスクはマイナスではないと教えてくださいました。
昨日の記事は、こと看護師さんに関しては、現在の大学病院の実情とかけ離れているものであり、「大学病院の4月は危ない」というマイナスのイメージを煽るような記事を書いてしまったことに、お詫びと訂正をさせていただきたいと思います。申し訳けありませんでした。
思えば、夫が4月初旬に入院したのは、7年前のこと。
友人から、「4月はバタバタしていて大変!」と聞いたのも、その頃のこと。
そんな昔のイメージを引きずって、疑いもせず、記事にしてしまったことを反省するとともに、コメントをいただいたことに感謝しています。
もしかしたら、4月の大学病院への入院を予定されている方の目に触れて、不安な気持ちを抱かせてしまったかも。
現在、大学病院で働いておられる方を、不快な気持ちにさせてしまったかも。
不確かな自分の記事が、見知らぬ誰かを不安にさせてしまうかも知れないという想像力に欠け、軽率だったと振り返っています。
これからブログを書き続けるとしたら、情報を扱うことにもっと慎重でなければいけませんね。
ネットの情報はあてにならないと耳にし、それなりに受け止めてはいましたが、そのあてにならない情報を自分が発信しているとは。
これを機会に、十分に自重しなければと思っています。
さてさて、当地では今朝、やっといっせいに桜が開花。
この季節を、せいぜい満喫したいと思っています。
目を通していただきありがとうございました。
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大学病院、「4月問題」をご存知か?
2年前に、8ミリの大腸ポリープが発見されました。
組織検査では良性。
1センチに満たないポリープゆえ、切除の必要はないものの、経過観察を申し渡されておりました。
そして、今年、内視鏡検査を受けたところ、当たり前ですが、やはり変わらず鎮座しておりました。
で、この2年間に、学会のガイドラインが変わり、現在では、8ミリであっても、「切除」が推奨されているとのこと。
この程度のポリープなら、外来での処置がむしろ一般的なようですが、乳癌でお世話になった大学病院に紹介していただいたところ、なんと、「2泊3日」の入院決定!
安全の上にも安全を期して切除するとのことです。
ここまできて、心変わりするのもかえって面倒。
素直にお世話になることにしました。
「3月の下旬か、4月の上旬、どちらにしますか?」
外来の医師の言葉にしばし考え込み、「3月でお願いします」と答えた私。
「4月の初めに大学病院に入院するのはできれば避けた方がいいよ」という友人の言葉が浮かんだからです。
その友人は、長らく大学病院に勤めていた医療者。
友人曰く、「4月初旬の大学病院は最悪。スタッフの移動と新人の受け入れで現場はシッチャカメッチャカ。ミスも起きやすいし、みんな疲れてカリカリしている」というのです。
そう言えば、数年前に4月初旬に大学病院に入院した夫。
新しい研修医は、実に頼りなさそう。
新人ナースは、先輩ナースについてゾロゾロ。
何を尋ねても、「すみません。ちょっと確認してきますんで、お待ちください」と要領を得ず、時に厳しい先輩の指導を受け、オロオロ。
「ああ、こりゃ、マズい時に入院しちゃったなぁ」と呟いていました。
同じ部屋だった入院患者さんは、後日外来でお会いしたときに、
「傷が何たってガタガタ。もうこの年だからいいんだけど、縫合したのは新人の先生。まっ、今更しょうがないんだけどね」と話していました。
どんなエキスパートも最初は初心者。
失敗を繰り返し、成長していくものですね。
ただ、やはり、こと、病気の治療に関しては、習熟したスタッフにお世話になりたいと思うのが正直なところ。
多くの場合病気は待ったなしですが、もし選択できるのなら、大学病院の4月はそれなりの事情を抱えていることを頭に置いておいても良いような気がします。
こんなハズじゃなかったと思わないためにも。
目を通していただきありがとうございました。
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オーバー60は全身土砂崩れ?平凡な毎日を面白がって過ごす知恵
昨日は、ダンスのレッスン。
メンバーは、オーバー60の円熟したマダムたち。
ステップを踏みつつ、振り付けの練習に取り組みました。
ところが、何といっても難しいお年頃。
「あかん!足が上手にいったとおもったら、今度は手がお留守になる」
「ほんまよ~。曲がかかったら、もうパニックよぉ」
時々ボヤキも入りつつ、練習中は笑いが絶えない教室。
休憩中には、
「やっぱ年やな。覚えたと思った先から忘れていくわ」
「そうそう、ひとつ覚えたと思ったら、2つ忘れんねん」
「一緒や、一緒。私も一緒。あはは・・・」
そんな会話が交わされます。
昨日は、Aさんが、
「年とってくると、覚えも悪なるけど、顔もすごいよな。昨日、鏡で久しぶりに自分の顔みて、ビックリしたわ。すべてが下にたるんでんねん。」としみじみと言い始めました。
「そやろ。そうそう。私も、鏡見るのイヤんなるわ。もう、最近は、顔と首の境目がわからんようになってきてん。ちょっと前までは、もうちょっとマシやったと思うねんけどな」とBさん。
そこへCさんが、
「いやいや、顔だけと思ったら甘いで。胸もお腹も、お尻も、みんな下に下がってくんねんで。」と辛口コメント。
Aさんは、
「いや~、ホンマに、私、顔面雪なだれやわぁ」と思わずボヤくと、
Cさんが、ニヤニヤしながらいたずらっぽく、
「ほやから、顔面じゃのうて、全身。全身やで。雪なだれというより、私の場合は、土砂崩れやな。頭の先から全部、ドーッって落ちてきてるねん」と。
「いや~、土砂崩れやって!どうしよ!そりゃ、サイアクやなぁ」とAさん。
それを聞いていた一同、もう、笑いが止まりませんでした。
それぞれに、山あり谷ありで迎えたオーバー60。
今現在も、自分自身の病気や年老いた親、サポートの必要な子供や孫のお世話など、それぞれに心配事を抱えて今を生きている仲間です。
「くよくよしたって始まらん!」
「こころの貯金通帳を、黒字にせなあかん」
そんなことをよく言い合います。
特別なハッピーなことはなくても、平凡な毎日のほんのヒトコマを、せいぜい面白がって過ごしたい。
それが、オーバー60を生き生きと過ごす知恵なのかも知れません。
「やるときはやる!」
冗談を言い合いつつ、レッスンに集中するマダムたち。
私も、彼女たちからたくさんの元気をいただいています。
目を通していただきありがとうございました。
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アルマーニ制服問題と田舎のマダムたち
昨日は、近くの温泉へ。
温泉もさることながら、併設されたサウナで汗をかくのがお気に入りです。
昨日は、先客の顔見知りのおばちゃんたちとたわいもないおしゃべり。
サウナで過ごす静かな時間はなかなかオツなものですが、先客さまがいらっしゃるとそうもいかず。
裸の付き合いの気軽さからか、常連のおばちゃんたちの爆弾トークはかなりのもの。
話題は政局から各種時事問題に至るまで。
鋭いつっこみが冴えわたり、密かにそんなおばちゃんたちのトークを楽しみにしています。
さてさて、昨日は、ちょうどTVのワイドショーでは、かのアルマーニ制服問題でわいた件の小学校の話題が流れていました。
その時、一人のおばちゃんが、
「なんで1年生に、アルマーニの制服が必要なんよ。子どもは泥んこになって遊ぶのが仕事やのに、そんな高級な服なんか着て、遊ばれへんやん!」と。
「ほんまそうやわ!そんなん着てたら、金持ちの家の子やって思われて、誘拐されるでー。危ないやんか。なぁ」
「だって、制服代に55万円払えるってことは、金持ちってことやろ。55万いうたら、うちのおばあさんの国民年金と同じやで。年金だけで頑張ってる人もいてるのに、もう考えられへんわ」と、ここで年金に話題は大飛躍。
さらに、
「そうよ、55万円出したら、中古の軽トラ買えるやん。〇〇自動車屋さんにいうたら、すぐに探して持ってきてくれるで」と、なぜか、中古の軽トラへと発展。
「それに、子どもはすぐに大きくなるやん。次から次へと買い替えなならんのに、何考えてるんやろ」
「世の中には、ご飯が腹いっぱい食べられん子供もぎょうさんいてるのに、それ思ったら、ほんま腹立ってくるわ!」と狭いサウナ室は中高年女性の非難ごうごう。
その時、TV画面に校長先生が。
「この校長先生が一人で決めはったんやってなぁ。たとえ保護者から、アルマーニの制服を作りたいって要望があったとしても、いやいやそれはできん。子どもの家庭の事情はそれぞれだから、買えない子どもがかわいそうやって阻止するのが教育者というもんちゃうん?きょうび、教育もホンマ、地に落ちたもんやわ」と滴る汗を拭いもせずに、おばちゃん怒り心頭。
「いや・・。それは思うで。アルマーニの制服着せるやなんて、自己満足やんか。見栄やな」
「そんなん、保護者の人も困ってはると思うで。うちは、そうなん、買うてやれんもん」
おばちゃんたちは、一同、力強く、同意の頷きのサイン。
その時です。
「えっ!ちょっと待って。入学予定者の全員が制服買うたって言ってるでぇ」と一人のおばちゃんが。
「ええっ!みんな買うたん??」とTV画面に釘づけ。
よくよくTVを見ると、入学予定の1年生。数名の入学辞退者以外は全員が標準服をすでに購入したと報じていたのです。
「ほぉ・・・。入学予定の子の全員が・・。」
しばし絶句するおばちゃんたち。
しばらくして、ふと我に返ったおばちゃんたちは、
「東京の銀座の子は、泥んこになって遊んだりせえへんのやな」
「そうやな。みんな外車で送り迎えやから、誘拐の心配もないのかも知れへんなぁ」
「中古の軽トラもいらんし、国民年金なんて知らんしな、あはは・・」
「そりゃそうや、ウチらの基準で物事考えたらアカンちゅうこっちゃなぁ」
あれだけ盛り上がっていたのに、こころなしか声のトーンもしめりがち。
「何やアホらしなってきたわ。さっ!そろそろ汗流して来るわな」
そう言って、一人、また一人で去っていきました。
私も含め、どうも、アルマーニの制服問題。
田舎のマダムには到底理解不能な難問のようです。
目を通していただきありがとうございました。
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プチプラファッションのセール品。身に着けるのに抵抗はありますか?
昨日、久しぶりにばったり会った同世代の友人と、少しの間お茶をすることになりました。
昨日は寒かったせいか、友人は少し厚めの白いニットに大き目のペンダント。
白がお顔によく映え、いつもより顔色も良く、元気そうでした。
「その白いニット、いいね。とってもよく似合ってる。顔色が良く見えるね」
そう言うと、友人は「そう?」と嬉しそう。
そして、「意識高い系のメンドクサイ娘に怒られるんだけど、これ、なんぼしたと思う?」と。
「これねぇ、ビックリするでぇ~。390円!3900円とちゃうよ~、390円。ネットで買うたんよ。セール品」
聞けば、プチプラファッションのサイトで偶然見つけ、思わず「これ、買い!」と叫んでしまったとのこと。
「このニット、縫製もしっかりしてるし、あったかいんよ。シンプルなデザインやから、年齢に関係なくイケるし、こんな春先の寒い日にはぴったり。もう、毎日のように着てんねん。汚れたら、何の未練もなく、処分できるし。なんたって、390円やもん」
そう、嬉しそうに話していました。
ところが、娘さんは眉をひそめているのだとか。
「娘は、『お母さん、そのニット、開発国の人たちからの労働搾取によってできてんねんで』ってこうよ。『知らない誰かの犠牲によってこの一枚のニットができているっていう想像力、お母さんにはないの?』って。」
「そんなん知らんわなぁ」と友人。
友人の言い分はこうです。
「もう、私らの年齢になってくると、好きなものを好きなように着たい。開発国がどうとか、そんなややこしいこと言われても困るわ。だって、私らが買うことによって、その国の人も生活も成り立ってるんと違うの?ほな、不買運動したら、結局困るのは、その国の人やんか。なぁ。」
そう言って友人は同意を求めました。
「う・・ん。難しいね・・」と曖昧に頷く私。
「もう、本当に頭に来るねん。うちの娘。どうしてあんなに頭が固いんやろ。」溜息をつきながら、さらに友人は続けました。
「娘は、『まだ若い人なら許される。でも、分別のついた60過ぎのおばさんが、390円のプチプラに飛びついて、嬉しそうに着るのはやめてくれる?品格を疑うわ』ってこうよ。」
「そこまで言われると、カチンとくるでぇ」と友人。
「品格の問題にまで発展しちゃったんだ」と私。
「まっ、しゃくにさわるから、最近、意地になってこればっかり着てるんよ。もちろん、気に入ってはいるんやけどね。『買ったのに、結局は着なかった』なんて言われたないし、着倒せば、開発国の人も喜んでくれはるやろと思ってね」
「なるほどね・・」
そんな会話がしばらく続きました。
私も、プチプラファッションをよく利用します。
デパートはなく、商店街もシャッター通りと化している当地には、実質的にユ〇ク〇かイ〇ンしか選択肢がない状況。
ワゴンセールでお気に入りの品を手に入れたこともあり、友人の話しはごく身近か。
正直、開発国の方のご事情にまで思いを馳せることはありませんでした。
「買わなければ済むこと」そんな単純な問題でもなさそうですね。
せめて、自分にとって本当に必要なものだけを購入し、買った以上は大切に扱い、タンスの肥やしにするようなことはせず、とことん着る。
ただ、それだけは心がけようと思います。
目を通していただきありがとうございました。
あしあとを残していただけると励みになります。