還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

自分の考え方のクセに気づかされ、ブログの価値を考える

昨日のエントリーに、皆さんからコメントをいただき、ありがとうございました。

ある、高齢者施設で働くスタッフの悪意のない小さなウソ。

少しづつ、ウソがウソを呼びこんでいく様子に、ハラハラ。

これから、そのスタッフにとって職場が、居心地の悪い場所にならなければと先読みをして心配する気持ちを記事にしました。

 

この拙い記事に、いただいた皆さんからのコメント。

その悲しさや切なさに共感して下さった方、ご自分の経験と重ねてくださった方、そして、その体験を成長の機会にというご意見もいただきました。

 

ブログの記事によって、ひとつのエピソードを共有しても、感じ方は人それぞれ。

皆さんからのコメントを読んで、自分には、勝手に先読みをしてネガティブに考える思考のクセがあることに気づきました。

いずれ、小さな見栄から出た彼女のウソが職場の皆さんの知るところとなり、彼女は居心地が悪くなって職場を去るのではないだろうか。

彼女と職場のスタッフの方との関係がどことなくギクシャクするのではないだろうか。

彼女も、自分がウソをついたことを恥じて、ひどく落ち込む時が来るのではないだろうか。

そんなことを真剣に思っていました。

今後どう推移するか、全く何もわかっていないというのに。

 

私にはそのように、勝手に「ネガティブな妄想状態」に陥り、いつしかそれが、「そうなるに違いない」という確信めいたものに変わっていく、そんな考え方のクセがあるようです。

 

よくよく考えてみれば、この体験を糧に、彼女も周りのスタッフも成長していくチャンスはいくらでもありますね。

若さは、未熟を意味するばかりではなく、柔軟性や逞しさの象徴でもあるはずです。

小さな見栄は、認められたいという気持ちの表れ。

そんな気持ちさえ持てないスタッフもきっと働いておられるでしょう。

そう考えれば、今回は、少々背のびをしてしまったけれど、「もっと成長したい」「より有能な自分でありたい」という気持ちを表す出来事だととらえることもできるでしょう。

 

ある出来事をどう意味づけするかはその人次第。

そしてその意味づけによって、その出来事がストレスになったりならなかったり。

置かれている環境や出来事は変えることができないけれど、受け止め方は変えられる。

何度か聞いてきたこの考え方に、これまでその都度納得してきたつもりです。

でも、本質的な考え方のクセは、気づくチャンスをいただかないとなかなか変えられないものですね。

 

ブログの記事を書くことによって、自分が感じたこと考えたことを整理して表現する機会が与えられています。

ブログを書いているその時間は、今日というこの日、今というこの時の自分の表現でもあります。

漠然としている感情や考えを整理して表現し、それに対してコメントをいただき、今の自分に気づく。

ブログを通じて、常に自分を修正し続けていくことができたなら、それは私にとって、ブログを継続していくことの最高の価値のような気がしています。

 

 

 

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スタッフの切ない小さな嘘と甘酸っぱい思い出

スタッフといっても、友人の部下のお話しです。

高齢者施設で管理者を務める友人は、お茶をしながら、あるスタッフのことを話し始めました。

 

そのスタッフは、昨年高校卒業し、福祉の世界に飛び込んできました。

若さゆえに、今はまだ気が効かない。

だけど、黙々と仕事に取り組み、利用者さんには優しく接する期待のホープです。

 

その彼女、施設のクリスマス会の時に、アイシングクッキーを持参したそうです。

色とりどりのクッキー、あしらわれた文字もまるで売りもののように美しく、「これ、すごい!」と歓声が上がったようです。

「これ、〇〇さんの手作り?」そんな問いかけに、はにかむようにこっくり頷いた彼女。

「ええっ!こんな特技があったんやね~。若い人はやっぱり凄いね・・」

年配のスタッフは、娘をみるように目を細めていたそうです。

 

「〇〇さん、あんなクッキー、焼けるんやったら、今度は、利用者さんと一緒に作ってみたらどうかな。クッキーの型抜きなら、一緒にできると思うよ。そうや!バレンタインデーの日にやってみたらいいんじゃない?」

そんな友人の問いかけに、これまた頷いた彼女。

その彼女、バレンタインデー当日は、通常の業務から外れ、黙々とキッチンにこもり、何やら作業を続けていたものの、いつまでたっても利用者さんと一緒に作業するそぶりはなく、タイムアウト

結局、「今日、家に帰って焼いてきます」とその日は帰っていったそうです。

そして翌日、まるで売りもののような見事なクッキーを抱えて彼女は出勤してきました。

 

「自分で焼いたんじゃないんだ・・・ウソなんだ・・」その時友人はそう確信したそうです。

その若いスタッフ、兄も姉も、いわゆる「優秀」。

自分は、出来の悪い末っ子で、小さいころから劣等感の固まりだったと友人に打ち明けたことがあったそう。

「ついつい、背のびしちゃったんやろなぁ・・」そう呟いていました。

ところが、そんな友人の思いをよそに、他のスタッフは、

「あれから家に帰って焼いてきたん?やっぱり、慣れてる道具があると違うんだね」と気づかない様子。

職場では、すっかり「お菓子づくりはプロ級の〇〇さん」というイメージが定着したようです。

本人も、「自分で作った」といい切る手前、「買ってきたんと違う?無理せんでもいいんよ」と言葉もかけられず・・。

 

そんな時に、またまたやってきたホワイトデー。

今度は、「チーズケーキを焼いてきました」とニコニコ顔で彼女は出勤。

見れば、もう、これは買ってきたとしか言いようのない完成度。

わずかな給料から無理をして皆の分を調達したのかと思うと、かわいそうでたまらなくなるとか。

 

「皆に褒められたい、認められたい」

「喜んでもらいたい、喜ばせたい」

そんな気持ちからついた小さな嘘が、次第に積み重なりつつあるのだとか。

 

何だか本当に切ないお話し。

友人とおしゃべりしながら、遠い昔がフトよみがえってきました。

「これ、編んでくれたの?」

差し出したマフラーを前に、満面の笑みで尋ねる彼。

「えっ?まぁね・・。上手じゃないけど」

咄嗟についた嘘でした。

少しでもよくみられたい。手作りだと期待しているその気持ちを裏切りたくない。

そんな気持ちから咄嗟についてしまった嘘。

結局、お付き合いは長続きしませんでした。

 

さてさて、今後どう友人は彼女に接していくのでしょう。

福祉の道を志した彼女が、こんなつまらないことで躓かないように、こんな切ないことで職場を去ることがないようにと、心から願うばかりです。

 

 

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人は最後まで「生きたい」と本能的に願い続ける存在だと教えられています

各地で桜の開花が伝えられています。

毎年のことながら、何だかワクワクしますね。

我が母親も、有料老人ホームの居室の窓から、桜が咲くのを楽しみにしています。

「桜が咲いたら、外に出てお花見をしたい」というのが、目下の母親の願い。

ほとんど口からは食べられない母親ゆえ、楽しめることがめっきり少なくなってしまいました。

その、せめてもの母親の願いを叶えたいとソワソワしているのが、父親。

「もう、私も生きて10年だ。あと何回花見できるかわからん。花見がすんだら、どっかで1杯やろう」

それが、ここ数日の決まり文句になっています。

 

「もう、私も生きて10年・・」

このフレーズ。もう、何年も前からの決まり文句。そう言い続けて、かれこれ10年は経つように思います。

老い先短いのだから、あれも食べたい、これもしたい」そんな父親に、少々げんなりしている娘たち。

父が70代のころには、

「もう歩けなくなって、車椅子で生活するようになったんじゃぁ人生も終わり。トイレに行けなくなってオムツなんかするんだったら、生きていたってしょうがないよ」

そんなことをよく話していました。

ところが、車椅子生活になり、リハビリパンツを愛用するようになった父は、むしろますます生きる意欲がほとばしり、最高潮に達してきているようです。

人は、「ああなったら生きていたくない」と観念的なレベルではあれこれ感じるものの、本能的なレベルでは、生きることを最後まで貪欲に求める存在なのですね。

 

そんなことを思いつつ、ふと浮かんだのは、もう30年も前のこと。祖父が入院している病室での出来事でした。

ナースステーションにほど近い4人部屋。そのなかに、50代くらいの男性患者さんがいらっしゃいました。

祖父のお見舞いに行った午後、その男性患者さんはひどく落ち込んでおられました。

どうやら、手術が決まったもよう。

看護師さんとのやりとりから漏れてきたのは、

「もう、手術をしたら今の仕事はできなくなるし、職人として生きて行けないならもう死にたい」というような会話でした。

「人生のどん詰まり」「生きていたってしょうがない」「死んだほうがまし」

そんな涙声で語られる言葉の数々。

私はその男性が気になって気もそぞろ。

祖父との会話も、途切れがちになっていました。

 

そして、あれは私がトイレから戻ろうと廊下を歩いていた時のこと。

あの男性患者さんの、怒鳴り声が聞こえてきました。

「何でオレのところだけ献立表が来ないんだよっ!」

男性は、そう怒りをぶちまけていました。

 

さっきまで、死んでしまいたい。死んだほうがマシと涙して落ち込んでいた人が、今日の夕食のメニューがわからないからといって、あれほどエネルギーを爆発させるとは。

「はっ?なんだ、生きる気まんまんじゃないの」そう思った私は、何だか笑いが込み上げてしまいました。

 

あれから30年。

「ああなったら生きていたくない」

「死んだほうがマシかも」

ふとそんなふうに思う時もあるけれど、人間は、本能的に、原始的なレベルで、何があっても生きることを志向する存在なんだと、今度は両親から教えられています。

 

 

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還暦女子。唐突にパンプスを履くことを決意する

突然ですが、先日、7センチヒールのパンプスを2足買いました。

最近、めっきりと物欲が後退し、欲しいものなどないと思っていたハズなのに、突然、明るい色のパンプスが欲しくなりました。

本当に唐突に。

 

パンプスと言えば、リタイア後は、せいぜい履いても年に3~4回。それも、冠婚葬祭用の黒ばかり。

50代の半ばまでは、毎日朝から晩まで履いていたパンプスも、だんだんしんどくなり、最も近いコンビニまでの距離は何と10キロという堂々たる田舎に移住した後は、すっかりご無沙汰でした。

農業と漁業を主産業とする当地のご婦人の靴事情は、何といってもスニーカーが全盛。その他、若い女性は、ぺったんこのバレーシューズ、年配の方は、皆さんコンフォートシューズ。パンプスを履いた方は、セレモニーホール付近のみでおみかけするという感じ。

「誰も履いていない」ことで、何となく自分だけが履いていては、田舎では妙に目だって場にそぐわない・・そんなふうにも思っていました。

 

ところが、本当に唐突にパンプスをごく日常的に履くことを決意した私。

なぜ今、パンプスなのか。(大袈裟

それは、介護に直面するようになっことが影響していると思います。

表情はどこかうつろ。すぐに、コックリ、コックリと眠りの世界に吸い込まれてしまう我が母。

母をみていると、母が自分の年齢だったころは、どう過ごしていたのだろうと思うことがよくあります。

24年前、母親が還暦を迎えていた頃は、テニスに夢中。連日テニスコート通いをしていました。ウエアのコーディネートも楽しんでいたような。

オシャレが好きだった母は、その頃はまだ背筋を伸ばしてパンプスを履き、出かけていた記憶があります。

ところが、70歳でテニスをやめた後に、老いが急速にやってきました。

今思えば、ゆっくりと認知症の段階を進んでいたように思います。

今となっては、パンプスどころか、リハビリ用のシューズを履くのも大騒動。

母をみていると、自分の足で歩ける時間は限られているし、ましてパンプスを履ける期間はそう長くはないことをしみじみと思い知らされます。

 

そして、両親に限らず、高齢者住宅や有料老人ホームに入所しておられる先輩諸氏と接していると、正直なところ、気分が下向きになってしまう自分を感じています。

高齢者の方々の生きる姿に、励まされたり優しい気持ちになったりすることはもちろんありますが、一方で、やっぱりどこか切なく悲しい。

この気分を何とか払拭したい!

で、その手段として、少しオシャレをしてパンプスを履くことになったわけです。

春色の7センチのヒールでしっかり背筋を伸ばし、颯爽と歩きたい。

春の風を身体に感じて、還暦の春を満喫したい。

そんな止むに止まれぬ事情が、私を突き動かしたのでした(ここ大袈裟)。

 

それにしても、私は母から何を与えられ、今、何を与えてもらっているのだろうと考えることがあります。

過去に与えられたものは数々あれど、今の母から与えられているのは、何といっても、「今、この一瞬を楽しむ」ことの大切さ。

自分には、後ろを振り返ったりよそ見をしたり、下を向いていられるほどの時間は、もう残されてはいないことを実感しています。

 

人が何を履いていようとお構いなく、近所のスーパーにもジムにも、習い事にもパンプスで出かけています。

でも、心配は全く的中せず!

自分が思うほど、誰も人の靴など見ていない!

このまま、80歳になっても90歳になっても、気分を上げてくれるパンプスで背筋を伸ばして颯爽と歩きたい。

今、そんなことを思っています。

 

 

 

 

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「大人世代」。人生を着こなすことと、ファッションを着こなすこと。

通い介護を終え、さぁ明日は自宅へと眠りについた夜半の突然の体調の変化。

夫と私、二人同時に、なんと、ノロウイルス感染症を発症。

そういえば、具合が悪くなる30時間前に、生牡蠣と帆立のお刺身をいただいたことを思い出しましたが「後の祭り」。

幸いにも、3日間でほぼ完治しましたが、これまで牡蠣にあたったことがない私は、生牡蠣を完全に軽く見ておりました。反省です。

というわけで、何となく気勢の上がらぬ数日間を過ごしていましたが、やっと復調しました。

 

さて、今日は、「人生を着こなす」というお話し。

実は、ここ最近、「ファッション」に関心を向けることの多い日々。

ファッション情報でよく目にするのは、「こなれ感のある着こなし」「こうするとこなれた感じになる」というワーディング。

ファッションについては、「浦島太郎」というよりも、全くの初心者に近い私は、そもそも「こなれ感」とは何ぞやというところから?マークがぼんやりと点灯しています。

何となくわかる感じもするのですが、どうもイメージが漠然としているではありませんか。

グーグル先生にお尋ねしてみると、「こなれ感」というのは、着慣れている雰囲気のことを指すらしい。

 

ははぁ・・、着慣れている雰囲気ねぇ。。

「今日は、娘のスーツを急遽、借りてきました」感ていうのはNGですね。

「ワタクシ、今日は、ハイブランドのスーツでまいりました。服に着られております」っていうのもNGですね。

あくまでもその人の雰囲気に馴染み、ごく自然に服がその人の一部と化し、服がそっと主役である人を光らせる。そんな装いを、「こなれた着こなし」というのかも知れません。

 

ということは、服のパワーに負けずに、着こなす人間側の力も必要かも。

何かに怯えていたり、不安に苛まれていたり、しんどい気持ちを抱えていたら、服をステキに着こなすことはできないような気がします。

「なるほどね・・。だからファッションは、生き方そのものなんだ」と勝手に納得。

 

それで、具体的な誰かをイメージしてみたくなり、思い浮かんだのが、ナント!1941年生まれの島田順子さん。

「すっかり大人世代」の彼女です。

世界に名だたる服飾デザイナーとしてご活躍の方ですから、参考にするにはチト、ハードルが高いような気がしますが、とにかく何といってもあの大迫力のヘアスタイル、チノパンもミニスカートも、ショートパンツも、光る服も透ける服も、ミンクも爬虫類も、すべて自分流に着こなし、何を着てもサマになる。

特別、モデルさんのような体格に恵まれているわけではないけれど、何を着ても本当に魅力的。

 

彼女をみていると、服を着こなすのに必要なのは、ファッションのテクニックを超えた、着る側の人間の、どしっとした安定感と自信のようにもみえてきます。

ということは、大人世代のファッションは、着る側の人間が、人生そのものにこなれていないと、本当の着こなしはできないのかも。

肌の張りや艶に助けられていた若いころとは違ったファッションとの付き合い方を、つらつらと考えています。

 

 

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介護にまつわる感情。「愛情と義務感」、「負担感と罪悪感」の絶妙なバランス

今日は、どんよりとした曇り空の下、歩いて父の元に行ってきました。

父の暮らす高齢者住宅まで、運動不足の解消もかねて、できるだけ歩いて行くようにしています。

時間にして片道約30分。3500歩。

スニーカーを履いてガンガン歩きます。

道すがら、行き交う人に、いろいろと思いを馳せてみたり、自分のことを思ったり。

「私はなぜこうして父の元に行くのだろう」

今日は、そんなことを思いながら歩きました。

 

なぜ親の介護をするのか。

「そんなの当たり前」「人として当たり前のこと」

そうおっしゃる方も多いと思いますが、その当たり前のことを改めて考えてみました。

介護のモチベーションは、きっと人さまざま。

「大事な親だから」、「理屈ぬきに放ってはおけないから」という愛情に裏打ちされた介護。

きっと、これがあるべき姿なのかも知れません。

ただ、私の場合は、愛情よりも「義務感」が多分に勝っています。

「自分の親だから子として看ざるを得ない」という親に対する子としての義務感。

そして、「姉に押し付けてはおけない」、「姉に申し訳が立たない」という姉に対する妹としての義務感。

愛情がないとは言えないけれど、その数倍、義務感が勝っています。

 

そして、義務感に裏打ちされた介護には、負担感が伴い、父の元に行く道すがら、気の重さを感じる自分がいます。

そして帰りに「じゃあね」と部屋のドアを閉めた直後の、あの何とも言えない解放感。

愛情が介護のモチベーションであったなら、「少しでも長く一緒にいたい」「もっといろいろしてあげたい」と、気の重さなど感じることはないのかも知れません。

 

ただ、負担感が負担感だけで済まないのが親の介護のやっかいなところ。

負担に思う自分に、「親なのになぜにもっと優しくしてあげられないのか・・」という罪悪感が追い打ちをかけます。

そして、負担感が強くならないように親と距離をとれば、「親に寂しい思いをさせて良いのか」という罪悪感が込み上げ、罪悪感が軽減するように親に尽くせば負担感が増強するという具合。

両親のことを思うとき、負担感と罪悪感の二つの感情の狭間で揺れ動いている自分がいます。

 

還暦を迎えた友人たちも、次々介護に直面しています。

心から尊敬し、気持ちの大きな支えだった大好きなお母さんが認知症を患い、同居して介護をしている友人は、毎日、「えっ?ちょっと待って。ホントにこれがお母さん?」ということの連続だとのこと。

「あのお母さんはどこに行っちゃったの?」という大事なものをもぎ取られるような喪失感と悲しみに苛まれる日々。

悲しみはやがて「しっかりして!」という怒りに変わり、語気を強めて叱ってしまったことへの罪悪感に変わるのだとか。

 

とにもかくにも、気持ちが揺さぶられることの多い親の介護。

あくまでも私の場合、

できる範囲のことを淡々と続けていくためには、「愛情と義務感」、「負担感と罪悪感」の絶妙なバランスをとることが課題のようです。

 

 

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老いた父の捨て台詞。その破壊力は半端じゃなかった。

先週から実家の通い介護を続けています。

そのきっかけとなったのは、姉からのメール。

「お父さんの捨て台詞。私は、しばらく行けないかも」

相当にまいっているようでした。

 

常勤で勤めている姉は、この3月、年度末で多忙。

なかなか思ったように休みがとれず、独りで暮らす父親を施設入所中の母親の元に連れていく時間が取れないようでした。

母親に会いに行くのを唯一の楽しみにしている父親は、

「今日は母さんところへ行けるのか?」と連日姉に電話。

「今日はいけない」

「今日は、仕事を休めない」

「今日も忙しい」

そんなやりとりが数回続いた時、父の怒りが爆発しました。

電話の向こうから父の不機嫌そうな気配。

それを無視するように、「じゃあね」と電話切ろうとしたところ、

「仕事、仕事って、親をほったらかして、どんな大事な仕事をしとるが知らんが、よくもそうやって平気でおれるもんだな。オマエ、何さまのつもりだっ!!」と父が叫び、ブツンと電話を切ったそうです。

 

ちょっと、今はムリ。

お父さんの顔を見れない。

そんな姉からのメール。

父は、若い頃から、思い通りにならないと、母親に、聞くに堪えない捨て台詞を吐いて母親を追い詰めていました。

その場面がまざまざと思い出されて、とても嫌な気分になると姉。

数日経っても、いやむしろ日が経つにつれて、ボディブローのように言葉の毒が効いてきて、心底嫌になると話していました。

 

仕事をもちながら、両親の世話をしてきた姉。

歩けなくなった父を車に乗せ、重い車椅子をトランクに収め、母の元に連れていったり、外食に連れ出したり。

ここ1年以上、姉は、週2日の休み日は、ほとんど父親にかかりきり。

どれほどの時間と体力と気力を費やしてきたことか。

だというのに、10日ほど間が空くというだけで、こんな言われ方をされるとは。

「何より頑張ってきた自分が不憫でならないし、どれほど父親に尽くしたところで報われない」

そんな気持ちが、今回もまた姉を苦しめているようでした。

 

姉からの連絡を受け、予定を早めて、実家近くのアパートへ。

父の元に通ってから今日で5日目です。

高齢者向けサービス付き住宅に入居し、車椅子ながら、生活する分には不自由のない父親。

特に介護らしい介護はないのですが、デイサービスへ送りだしたり、デイサービスのない日は、午前中をともに過ごしたり。

父親と過ごすのは、たかだか2~3時間ですが、姉からの話しを聞いているせいか、共に過ごすだけで疲れます。

父親に対しては、どうしても受け入れがたい芯のようなものがあり、心を半ば閉ざしたまま、表面上はにこやかを装い、取り繕うことに消耗するのだと思います。

 

今や、本気でぶつかったとしても、相手は認知機能も怪しいよぼよぼの超高齢者。

本音をぶちまけてしょんぼりさせるのも心が痛いし、かといって際限のない父の甘えを受け入れる気持ちにもなれないし。

自分にできる範囲のことを、ひたすら淡々とやるだけ。

そう言い聞かせています。

 

いろいろな親子関係があり、どの人も親に対しては、多かれ少なかれ、愛おしさだけではない感情を抱えておられることでしょう。

親が元気な時は、言葉を呑み込んで何とか親子の問題に直面せずに過ごすことも可能でしょう。

ただ、介護が必要になった時に、親との間の未解決の問題や複雑な感情が再燃することは多いのではないでしょうか。

でも、もう時は、すでに遅し。

結局、言葉も感情も呑み込んで、娘や息子として振る舞うことになる。

介護の苦しさは、介護そのものの身体的負担はもちろんですが、それのみならず、こうした精神的なキツさが大きいのではないか。

姉、そして自分自身の体験から、そう感じています。

 

 

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