還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

老いた親に、子どもの死を知らせるのは酷ですか?

高齢社会を迎え、平均寿命は毎年のように伸び続けているように思います。

私の身近かにも、100歳を超えた方もチラホラとお見受けするようになりました。

 

親が100歳だとすると、子どもは概ね70代。

70代といえば、まだまだ若いけれど、それなりの年齢であることは確かです。

脳卒中やがん、心筋梗塞などで亡くなってもおかしくはありません。

 

知り合いのAさんは、昨年の暮れに70歳でご主人を亡くしました。

そのご主人のお父様は20年ほど前に亡くなり、今は94歳のお母様が、高齢者施設に入居しています。

寝たきりで、認知機能の衰えはあるものの、重度の認知症というわけではなく、簡単な会話は何とか可能。

Aさんは、ご主人を亡くされた後しばらくは呆然自失の毎日。

義母の元に面会に行くこともできずにいましたが桜が咲く頃を迎え、最近になって、また義母の元に通うようになりました。

 

ところが、「やっぱり辛くて・・」と昨日は、Aさんの声もしめりがち。

実は、ご主人が亡くなったことをお義母さんには伝えていないのだそうです。

面会に行けば、ご主人の話しになり、「〇男が来ない・・」「どうして来ないの?」と尋ねられ、胸が張り裂けそうになるそうです。

 

ご主人の死を伝えないと決めたのは、ご主人の兄と弟。

ちょうどその頃、お義母さんが軽い肺炎で体調を崩していたこともあり、

「そんなことを伝えたら、気落ちしてポックリ逝ってしまうかも知れない」

「寝たきりの94歳にもなる年寄りを悲しませてはかわいそう。」

そんな理由から、伝えないことにしたのだそうです。

友人は、ご主人を亡くした悲しみの渦中にあってそれどころではなく、実の子供が決めたことなのだから、従うしかないと感じていたそうです。

 ところが、伝えていないことが心のしこりになって、面会に行くことが辛くて仕方がないとAさんは言います。

 

「結局、年寄りをわざわざ悲しませることはないって言ってはいるけど、そういう辛いことを面と向かって話したくない、できれば逃げたいっていう子供側の理屈なのよ」

「逃げなの、逃げ」

そう言い切るAさん。

確かに、94歳の老母に子どもの死を伝えるのは、誰もが気が進まない。できれば伝えたくない。それも十分にわかる気がします。

 

もう20年近く前に亡くなった祖母のことを思い出しました。

祖母も、長らくケアハウスに入所し、最期を病院で迎えました。

99歳という、当時は驚くべき長寿。

実は、祖母が亡くなる2年前に、息子(叔父)が60代で亡くなりましたが、祖母には伝えませんでした。

やはり、亡くなった叔父の名を呼び、「あれが来ないんだよ」「あれはどうしたんだろうねぇ」と気にしていたという祖母。

面会に行った家族は、亡くなった叔父の話題が出ないよう、うまくとりなすので精一杯だったようです。

 

大切なことを伝えないことで、本人と家族の間に秘密ができ、最期の大切な時間がギクシャクしたものになってしまうのは哀しいことですね。

ただ、伝えた方がよかったのかどうかは、誰も、そして永遠にわからないこと。

今となっては、誰もそのことに触れる人もいません。

 

寿命が長くなれば、誰もが子供を先に亡くすという「逆縁」の悲しみに直面する可能性をはらんでいます。

さてさて、自分が寝たきりとなって誰かにお世話をされるようになっても、大切な人の死を必ず伝えてほしい、何もできなくても、その人の死を悼んで涙を流し、せめて手を合わせたいと願うのか、それとも、もう悲しいことは知りたくない、できれば知らせないで欲しいと思うのか、自分でもよくわからないでいます。

それにしても、長く生きるということは、つくづく大変。

そんなことを今さらながら思いつつ、せめて今日という日を精一杯生きなければと思っています。

 

 

 

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オシャレに必要なのは、体力と気力、決断力。試着室を出たら、1歳老けた?

ネットでの洋服のお買い物には、サイズの失敗がつきものですね。

その点、ユニクロやGUは、店頭で試着して買えるのが魅力です。

両親の元への通い介護。そのささやかな楽しみは、近くのユニクロ・GUでのお買い物。

先日も、行ってまいりました。

 

お目当ては、ジーンズ。

ここ数年のシーンズの進化は目覚ましいものがあり、ジーンズにこそ、オシャレのセンスが最も現れるとか。

そんなファッション誌からの情報を得て、「神ジーンズ」とまで噂されているハイウエストなストレートジーンズに会いに行ってきました。

 

問題は、サイズでございます。

ある、ファッションコーディネーターさん曰く、オシャレであることの必須条件は、自分の身体にジャストフィットする服を身に着けること。

そして、もちろん試着は必須。普段のサイズがMだとしたら、できればSとLの計3点は試着してみるべきだと力説。

さすがに、どう見てもLは大き過ぎるとしても、お教えに従い、ネイビーのSとMサイズを手に、イザ、試着室へ。

 

日曜日ながら、開店直後のこの時間帯は、まだ比較的お客さんは少なく、試着室もガラガラ。

狭いスペースのカーテンを閉め、まずは鏡で自分の全身を映してみて、もうビックリ。

試着室の白い壁が反射板となって、見えなくても良いところまで、バッチリ、スッキリ怖いほどに丸見え。

顔のくすみ、シワ、シミ、たるみがつぶさに映し出され、一瞬たじろぎ、息をのみつつ、いざ試着。

 

Sサイズは、脱ぎ着するときに、少々腰がひっかかるものの、エイ!と上げてしまえば、ウエストはジャスト。

Mは、脱ぎ着は楽だけれど、わずかに大きめ。

 

さてさて、sかMか。

決断を迫られた私。

試着は、「入る、入らないというサイズの問題だけではなく、きれいにラインが出ているかを見るんだった!」と思いだし、狭い試着室で、腰をひねってヒップを見る私。

身体が固いのか、腰のあたりがもはや攣りそうなのに、よく見えない!

もう一度Sを着ては身体をねじり、Mを着ては身体をねじり、狭い試着室で悪戦苦闘。

「フーッ」

慣れないことをしているせいか、この時点で、なんだかうっすら汗ばんできました。

 

「う~ん、悪くはないけど、ちょっとピッタリ来ないな」

そう思っていたところ、閃いたのは、「色違いを試してみたら?」とのアイデア

このジーンズは、同じ色・サイズでも、そのジーンズごとの個体差があるとの口コミ多数。

それで、ブルーを試してみることにしました。

一度試着室を出て、ブルーのSとMを手に、再度チャレンジ。

ブルーのSは、ネイビ-のSに比べ腰のひっかかりもなくスムーズ。

「あらら、同じSでも違うんだ・・」と一人呟きつつ、またまた身体を捻る私。

せっかくだからとMも試着。

この時点で、うっすら汗ばむから、明らかな火照りを実感。

 

「あー、こりゃ、ブルーのSだな・・・」

疲れた私は、ここで手を打つつもりではありました。

ところが、「でもねぇ、ネイビーの方が手持ちのトップスには合わせやすいんだけど」と呟くもう一人の私。

結局、もう一度、自分が納得するために、再度、ネイビーを試着した私。

なんと、この日、7回目の試着でございました。

 

結局、ブルーのジーンズ、Sサイズ一本を購入するために要した時間は1時間。試着室に籠城すること30分以上。

狭い試着室では圧迫感もあり、待っているほかのお客様がいらっしゃらないかも気になるところ。

体力だけではなく、さまざまな気づかいをしながらの全工程で、どっと疲れが。

 

店の外で待ち合わせた夫は、顔を合わすなり、

「どうしたん?何だか疲れた顔になってるよ~」と。

そして、

「1本のジーンズを買うために、そんなにまでするなんて考えられないなぁ」とあきれ顔。

 

それにしても、オシャレに必要なのは、体力と気力、そして決断力。

試着室は、思っているよりもずっとエネルギーを必要とする場所でした。

 

ただ、自分の身体に合わないものを着続けるほどの時間はなく、これも自分を大切にするひとつの手段。

今度試着室に入るときには、もっと気合いを込めねばならないと実感しています。

 

 

 

 

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尻ごみしないで仕事を引き受ける。今の自分のベストを尽くせばそれでよしとしよう。

本日、実家への通い介護から自宅へと戻りました。

1週間あまり不在にしていた郵便受けをのぞくと、そこに、仕事の依頼状が。

リタイアしてから、何度かお仕事の依頼をいただいていましたが、毎回、「もうリタイアした身なので」とお断り。

いつもなら、早速、断りのお返事を差し上げていたところでしたが、今回は、「やってみようかな」と気持ちが動きました。

 

「もっとアクティブに、攻めの姿勢で過ごしたい」

そんなエントリーを上げたのが昨日。

私のなかでは、本当にグッドタイミング。

こんなことってあるんですねぇ。

自分でも、あまりのタイミングの良さに驚くとともに、運命と言えば大袈裟に過ぎますが、何か、背後に不思議な力が働いているようにも思えてきます。

 

これまで、何度かお誘いをいただいていたのに、お断りしてきたのは、自分がもはや旬を過ぎた人間であることを自覚していたから。

老害

その「老害」に自分がなることに、嫌悪感さえ感じていました。

「人間、去り際が大切」そう思っていました。

「華のあるうちに、スパッと辞める」。そんな生き方に憧れていたのです。

 

というのも、これまで、いろいろな分野の「引退記念講演」の類に多く出てきましたが、そこで感じたのは、「老練の域に達したいぶし銀のような魅力」というよりも、「旬をはるかに過ぎた衰え」。

若いころに一世を風靡したアイデアからほとんど発展もなく、未だに当時の業績を唱える諸先輩に、内心がっかりしたこともありました。

衰えの目立つ上司のサポートに、疲れ果てている友人も数多く、「あのようにはなりたくない」と、若輩者の私は、生意気にもそんな印象をもったものです。

 

その気持ちは、今も変わってはいません。

ただ、60歳の今、もう一度、かつての仕事に向き合ってみようという気持ちが起こっています。

以前のように、がむしゃらに仕事に邁進するのではなく、ひとつひとつの仕事を丁寧に。

きっと、力の衰えを痛感することになると思いますが、それでも、今の自分のベストを尽くせばそれでいい。そう思っています。

そして、もう一度、駆け出しのあの頃のように、謙虚に他者から自分の仕事の評価を受け、「もはや通用しない」、その時には、きっぱり辞めるつもりでいます。

 

どの組織にも属さず、ポストにも就かず、フリーで仕事をしている限り、「老害」になるなんていう心配もありませんね。

仕事から遠ざかっていた6年間は、きっと異なった視点、視野を自分に与えてくれたと信じて、ボチボチと取り組みたいと思います。

 

 

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ここからもっとアグレッシブに、攻めの姿勢で!

高齢者住宅で一人暮らす父、そして、有料老人ホームでほぼ寝たきりのまま過ごす母。

両親の元に通う日々のなかで、よく、自分のこれからの人生について、考えます。

きっと、両親に、将来の自分の姿を重ねてしまうからなのでしょうね。

 

両親の「老い」をつくづくと感じます。

誰にでも平等に訪れる「老い」。

かくいう私も、還暦を迎え、フトした瞬間に、「ああ、年だなぁ・・」と老いを自覚する瞬間が増えてきました。

40代、50代前半の頃も、「ああ、老けたな」、「もう若くはない」と思うことはありましたが、それは、30代、40代のころの自分と比較してのこと。

今の老いの自覚は、人生の残り時間を確実に意識したうえでの感覚です。

こうして、一年、また一年と年を重ね、20余年が経てば、私も両親の年齢を迎えます。

 

「今日という日が、一番若い」。

本当にそうですね。

残り時間が有限であることをハッキリと自覚するにつれ、その大切な時間をどのように使うのかを真剣に考えなくてはと思う日々。

リタイアした直後は、「もう、頑張るのはやめよう!これからは、ゆったり、のんびり、丁寧に」と思っていましたが、このままギアを低速モードで歩き続けることに、ちょっとした迷いも感じています。

 

そして、自分自身の残り時間がみえてきたこと以外に、長期戦の様相を呈してきた両親の介護問題も、これまでの「ゆったり、のんびり」のライフスタイルに警告を発しているように思います。

介護は、辛く苦しい面ばかりではなく、やりがいや達成感など、プラスの側面があることは十分に承知しています。

ただ私の場合今現在のところ、老いた両親との付き合いは、エネルギーをひたすら放出することが多く、そこからエネルギーを得るといった感覚はありません。

自分自身で自分自身の内面にエネルギーをどんどんと溜めていかないと、苦しくなるような気がしてなりません。

 

ここ数年、人生初の、「ゆったり、のんびり」「成り行きに任せる」「頑張らない」そんな日々を満喫してきました。

それはそれは、貴重な日々ではありましたが、回転数を落としたコマは、次第に軸がブレ、風を受けた途端にとたんに止まってしまうような危うさも感じています。

60歳を迎えた今、ここで、少々ギアをアップして、よりアグレッシブで攻めのモードに入りたいと思っています。

こうして考えてみると、人生とは、緩急の波を繰り返しながら過ぎていくものなのかも知れませんね。

 

 

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何を言われようと生きていく父。自分の30年後を考える。

先日から始まった父の元への通い介護。

「社友会はどうだった?」

そんな挨拶から始まりました。

 

やはり今年の社友会も、父が最高齢だったとのこと。

「もう、来年は、引退だな」

そんな予期せぬ一言を呟いた父。

「そう?元気でいたら、行ってきたらいいのに・・」

そう言うと、「いやいや・・」と父は言葉を濁し、少し間を置いて、久しぶりに顔をあわせた人のことなどを、ポツリポツリと話し始めました。

 

そのなかの一人。父と同じ部署で働いていた、今は70代の女性。

「いや~、お久しぶりですね。〇〇さん、おいくつになられるの?」と。

「あと4か月で、90だよ。90歳」と応じた父。するとその女性は、

「90歳!そりゃあ、周囲の人は迷惑だわねぇ~」と言い放ったそうです。

それを、笑いながら私に話す父。

 

「そう言われちゃってさぁ。いや、本音が出たんだろうなぁ。きっと、年寄りの世話で苦労したんだろう・・」と父。

両親との心理的な距離が近い娘なら、

「ちょっと、その言い方、なんぼなんでも失礼よね!」と怒りが込み上げたり、そう言われた親が不憫で、

「お父さん、迷惑だなんて、そんなことないからね」ととりなしたりもするのでしょうが、そのどちらの反応でもなく、私と言えば、

「そう、そりゃ、ずいぶんストレートな方なのねえ」と曖昧な反応。

父親は私に向かって、「まぁ、年とっちゃって、オマエにも迷惑かけるけど、しばらくは頼むぞ」と。

「イヤです」とも言えず、これまた曖昧に頷く私。

 

そして、ほんの5分後。

近くのお城で開催されている「桜まつり」を伝えるテレビをみて、

「これから行くか!桜まつり」と。

「お父さん、来場者1万人だって。人、人、人で、車椅子ではとても辿りつけないような気がするけど・・」と話して、ようやく、「そうか、ちょっと無理だな」と納得した父。

迷惑をかけると言いながら、「あそこへ行きたい」「あれが食べたい」「一杯やりたい」と次々希望を口にする父。

 

それにしても、長生するのは、ある意味肩身が狭い時代になりました。

90歳まで生きたのでは、周囲が迷惑だと、はっきり言われるそんな世の中になりつつあるのですね。

もう、世の中の何かの役に立つ存在ではなく、経済的な何ものも生みださず、生活の糧は、年金のみ。そして、介護保険サービスと娘たちのサポートを頼りに、日々を生きる父。

とはいえ、たとえ歩けなくなるとも、今日を生きて、美味しいものを食べたい、母に会いたいと願う父。

「周囲は迷惑だ」と言われても、命がある以上、望むことを成し遂げずにいられないのでしょう。

 

いつか、自分にも、「生きていることが、周囲にとっては迷惑だ」と言われても可笑しくないような日が訪れるかも知れません。

そんな、「生きていても仕方がない・・」と悲嘆に暮れる日々のなかで、ひょっとしたら父親のことを思い出すことがあるかも知れません。

そのとき、自分は何を思うのか。

「お父さん、あのときのお父さんの気持ちはよくわからなかったけれど、生き続けることを周囲から望まれていないと思わざるを得ない状況のなかで、それでもお父さんは、自分の気持ちに正直に生きようとしましたね。周囲に何と言われようとも、生きることにあくまで貪欲で、諦めようとしなかったお父さんは、立派でした」

そう思うときが来るのでしょうか。

それとも、「ああはなりたくない。ああいう生き方、死に方はしたくない」と思うのか。

父の元に通いながら、あと30年後の、存在さえも不確かな自分の在り方を考えています。

 

 

 

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年寄りはメンドクサイ。そう思われない人とのつながり方

そろそろ桜も散り始めました。

昨日は、友人たちとお花見をかねて桜のスケッチ。

その後、ランチをご一緒しました。

 

ほぼ同年配の友人は、やはりお母様が有料老人ホームに入居されています。

「どう?お母さん・・」そんな問いかけに、

「母親は落ち着いてるんだけど、いろいろメンドクサイんよ。周りが」と。

そして、そのメンドクサイことのひとつとして、「おばさんがね・・」と話し始めました。

 

友人のお父様の弟はすでに亡くなられ、その配偶者である叔母さんは、86歳。

いろいろと病気をもちながらも、もともと子どものいない叔母さんは、一人暮らしを続けておられるそうです。

その叔母さんから、久しぶりに電話があり、「老人ホームにお見舞いに行きたい」とのこと。

「まぁ!それは母も父も喜ぶと思います」と伝え、そこまでは良かったものの、「でも、私は足がない」と始まったそうです。

 

「足がないって言われてもねぇ・・」困惑気味の友人は、事情を話し始めました。

その叔母さんが住むのは、隣県。車で2時間はたっぷりかかるそうです。

公共交通機関では乗り換えが多く、杖歩行で体力も物覚えも悪くなった叔母さんでは、所詮無理な話し。

誰かが車で新幹線の最寄りの駅まで送り迎えをすれば、何とか大丈夫。

そんな状況のようです。

 

「ぜひぜひお見舞いに行きたいけど、何しろ足がないもんで・・」と言われたら、「そうですよねぇ、ちょっとこちらで考えてみますね」って言わざるを得んでしょう。「足がなきゃ、無理ですよ。お気持ちだけでけっこうですから」とは言えないよねぇ。何しろ、これで会えるのは最後かもっていう年なんだから。

そう友人は続けて、溜息をつきました。

友人が送り迎えをするといっても、高速を使っても2時間はかかる距離。

いつも、スーパーに買い物に行くときしか車の運転をしない友人には、ハードル高し。

ご主人には、事情があって頼めず。

結局、娘さんに打診してみると・・。

 

「えっ!年寄りって、ホント、メンドクサイ!」とつれない返事。

そもそも、車で2時間もの距離を送り迎えをしてくれることを前提に、「見舞いに行きたい」と言っているとしたら、それはかなり図々しい。

「もうこの年ですから」「会えるうちに会っておきたい」というのは気持ちはわかるけれど、そう言われれば断りにくい。

高齢であることを盾にして、人を動かそうとする意図がみえて、素直に応じられない。

そう娘さんは、そう言うのだそうです。

 

友人は、「冷たい娘で、びっくりする」と嘆きながらも、「お見舞いは、母が喜ぶから嬉しいんだけど、気が重い」と呟いていました。

娘さんは、「私ももう、長距離の運転はできないので叔母さんの送り迎えはできない」とハッキリ断るべきだと話しているとのこと。

友人は、「でも、あの時会わせてやればよかったと後悔するのも嫌で」とまだ思案している様子でした。

 

それにしても、「年寄りはメンドサイ」というのは、言い得て妙かも知れません。

もう、長くは生きられないと思うと、視野が狭くなり、思いついたら周囲のことなどおかまいなしに、何かに駆られるように、思い通りに実行したくなるものなのかも。

 

「どこかに行く」、「誰かに会いに行く」そんな元気な頃はなんでもないことが、自分でできなくなった時、さて、自分はどうするか。

「メンドクサイ」と思われずに、「喜んで」と応じてくれる人間関係の貯金を、できるなら増やしておきたいものです。

それには、「喜んでいただけたらそれでいい」という精神で、まずは自分からですね。

 

 

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退職して30年。気持ちを会社に置いたまま老いた父。娘は「今」を生きたいと思います。

「社友会」、ご存知でしょうか?

一言で言うと、会社のOB、OG会です。

父は、とある会社に40年弱勤務し、定年を迎えて30年が経とうとしています。

その父の年に一度の楽しみは、社友会の集まり。

社屋で、会社の卒業生たちが集い、懇親パーティーが開かれます。

 

その社友会に、今年も行きたいという父。

喜ばしいことではあるけれど、車椅子の父を連れていくのは大変。

数日前からの床屋さんに始まって、昔の古いスーツを引っ張り出し、ネクタイもお好みのものにコーディネート。

「茶色いネクタイがあっただろう。これじゃなくて・・・」と始まったら、もう大変!

徹底的に探さないことには納得しない父。

替えのリハビリパンツをもって出かけるまでに、付き添いはクタクタです。

 

その社友会。付き添った姉によれば、

昨年は、当時88歳の父が、最高齢だったとのこと。

「まぁ、〇〇さん、今年もお元気で来てくださったんですね」

「〇〇さんにお会いできて、今日、来た甲斐がありました」などと面映い言葉の数々をいただき、すっかり上機嫌の父。

サンドイッチやオードブル程度の軽食とビールなどアルコールもいただき、満面笑み。

昨年は、かつて定年間際だった父が所属していた部署に、新人で配属になった方とばったり再会。「いや~、せっちゃんもばあさんになったなあ・・。驚いたよ」などと、帰りに呟く父に、「いやいや、あなたの方こそ、正真正銘のじいさんですよ」と内心、姉はしみじみと思ったと話していました。

 

それにしても、退職して30年も経つというのに、未だ会社への「永遠の片思い」を貫く父。

現役のころは、我儘な父ゆえ、上司や部下との衝突は数知れず。

キリキリ、カリカリと神経を尖らせ、家で母親に辛く当たっていたものです。

現役時代の思い出は、それほどバラ色ではなく、思いだしても心痛む辛いエピソードもたくさんあっただろうに。

90歳となっては、すべてを忘れてしまい、「栄光の過去」だけが残っているようです。

 

忘れると言えば、話しかけてくれた方のほとんどの方のお名前も、すでに記憶のかなた。「誰だったかわすれちゃったよ」と呟く父ですが、それでも社友会には行きたがる。

自分を歓迎して、声をかけてくださる方。

世代交代をして、お顔も知らない「社長さん」が、「今、わが社があるのも、皆さまの現役世代の偉大なる貢献があればこそ。引き続き、どうぞご指導を」といった賛辞のスピーチ。

それらに包まれて、テンションアップの父親です。

 

そんな父親をみていると、何だか滑稽でもあり、少し切なくもあり。

父親の気持ちがわからないわけではないけれど、その場所に帰属していたのはもう30年も昔のこと。

退職してからの30年間、豊かな人間関係を築くチャンスはいくらでもあったでしょうに、父は、気持ちを会社に置いたまま。

積極的に人と関わるでもなく、今を生きることがないまま年を重ねてきたようで、本人のはしゃぎようとは裏腹に、周囲は気持ちが少し複雑です。

「会社人間」を地でいくような父。

そんな父をみながら、「私は過去に区切りをつけて、今を精一杯生きたい」と切に思います。

 

 

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