さらに迫る来る老い。父が自分の「死」を意識する。
バランスを崩して転倒
脳梗塞で回復期リハビリ病院に入院中の母を、毎日のように見舞っていた88歳の父。
変形性膝関節症で両足が不自由ながら、杖を頼りに病院と高齢者マンションをタクシーで往復していました。
体力の弱った父。連日出かけていたら、きっと「いつか、何かが起こる」。
姉も私もそんな予感がしていました。
そして、その予感が的中。
タクシーから降りる際に、バランスを崩して転倒してしまいました。
車いす生活に
かなりの痛みを訴え、これは高齢者に多い大腿骨頸部骨折かもとヒヤリとしましたが、受診の結果は、骨に異常はなし。
「痛くても歩いてください。そうでないと、歩けなくなりますよ」と言われ、痛み止めとシップをもらって帰ってきました。
痛くても歩けと言われても、かなりの激痛があるもよう。その日から、車いす生活となりました。
初めての「死」を意識した発言
遠く離れて暮らしている私は、電話で日々の様子を確認しています。
「まぁ、ワタシも生きてせいぜいあと10年だからなぁ」と口癖のように言っていた父。
足は弱っても、食欲は娘よりも断然旺盛。
ジャンボカツを平らげ、生ビールを飲み干す父を前に、
「これ、ひょっとしたら、そうなるかも知れないよ」と顔を見合わせていた姉と私。
ただ、転倒して車いす生活になってからは、様相が変わってきました。
「もう、そうは生きられんなぁ」
「最期のときは、どんな感じになるんだ?」
父から聞く、初めての「死」を意識した発言でした。
考えてみれば、60数年間、常に傍にいた妻が長期に入院し、自宅も売却。その間、インフルエンザで高熱を出してしばらく寝つき、そして今回の転倒。
ここ半年の間に、人生の相棒との生活、家、自分の健康、次々に大切なものを失ってきた父。
老いていくことの現実、そして、そう遠くはない「死」を受け止めざるを得ないところに立たされてきました。
「死」の話題を避ける人
それにしても、父は、戦前、戦後にかけて思春期、青年期を過ごしていた人です。
多くの人を戦争で亡くし、数多くの「死」に出会ってきたはずです。
「死」が今よりももっと身近かな時代を生きてきたというのに、いやだからこそなのか、「死」の話題を避ける人でした。
「お父さん、最期はどこでどんなふうに過ごしたい?」
そんな問いかけにも、「まぁ、その時になってみなくちゃわからんなぁ」
「アラエッサッサーって、あの世にいくさー」
そんなふうに話しをはぐらかし、話題を変える人でした。
その父が、自ら「死」を口にしたことは、父の心境がかなり変化してきた証拠。
これから父は、自分の死とどう向き合っていくのか、あるいは最後まで向き合わずに逝くのか、娘として、父の生き方を見届けなければとも思っています。
とはいえ、昨日は、姉が車いすでランチに連れ出し、うな重の大を平らげたとのこと。まだまだ食欲は健在のようです💦
目を通していただきありがとうございました。
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