還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

老いた父の捨て台詞。その破壊力は半端じゃなかった。

先週から実家の通い介護を続けています。

そのきっかけとなったのは、姉からのメール。

「お父さんの捨て台詞。私は、しばらく行けないかも」

相当にまいっているようでした。

 

常勤で勤めている姉は、この3月、年度末で多忙。

なかなか思ったように休みがとれず、独りで暮らす父親を施設入所中の母親の元に連れていく時間が取れないようでした。

母親に会いに行くのを唯一の楽しみにしている父親は、

「今日は母さんところへ行けるのか?」と連日姉に電話。

「今日はいけない」

「今日は、仕事を休めない」

「今日も忙しい」

そんなやりとりが数回続いた時、父の怒りが爆発しました。

電話の向こうから父の不機嫌そうな気配。

それを無視するように、「じゃあね」と電話切ろうとしたところ、

「仕事、仕事って、親をほったらかして、どんな大事な仕事をしとるが知らんが、よくもそうやって平気でおれるもんだな。オマエ、何さまのつもりだっ!!」と父が叫び、ブツンと電話を切ったそうです。

 

ちょっと、今はムリ。

お父さんの顔を見れない。

そんな姉からのメール。

父は、若い頃から、思い通りにならないと、母親に、聞くに堪えない捨て台詞を吐いて母親を追い詰めていました。

その場面がまざまざと思い出されて、とても嫌な気分になると姉。

数日経っても、いやむしろ日が経つにつれて、ボディブローのように言葉の毒が効いてきて、心底嫌になると話していました。

 

仕事をもちながら、両親の世話をしてきた姉。

歩けなくなった父を車に乗せ、重い車椅子をトランクに収め、母の元に連れていったり、外食に連れ出したり。

ここ1年以上、姉は、週2日の休み日は、ほとんど父親にかかりきり。

どれほどの時間と体力と気力を費やしてきたことか。

だというのに、10日ほど間が空くというだけで、こんな言われ方をされるとは。

「何より頑張ってきた自分が不憫でならないし、どれほど父親に尽くしたところで報われない」

そんな気持ちが、今回もまた姉を苦しめているようでした。

 

姉からの連絡を受け、予定を早めて、実家近くのアパートへ。

父の元に通ってから今日で5日目です。

高齢者向けサービス付き住宅に入居し、車椅子ながら、生活する分には不自由のない父親。

特に介護らしい介護はないのですが、デイサービスへ送りだしたり、デイサービスのない日は、午前中をともに過ごしたり。

父親と過ごすのは、たかだか2~3時間ですが、姉からの話しを聞いているせいか、共に過ごすだけで疲れます。

父親に対しては、どうしても受け入れがたい芯のようなものがあり、心を半ば閉ざしたまま、表面上はにこやかを装い、取り繕うことに消耗するのだと思います。

 

今や、本気でぶつかったとしても、相手は認知機能も怪しいよぼよぼの超高齢者。

本音をぶちまけてしょんぼりさせるのも心が痛いし、かといって際限のない父の甘えを受け入れる気持ちにもなれないし。

自分にできる範囲のことを、ひたすら淡々とやるだけ。

そう言い聞かせています。

 

いろいろな親子関係があり、どの人も親に対しては、多かれ少なかれ、愛おしさだけではない感情を抱えておられることでしょう。

親が元気な時は、言葉を呑み込んで何とか親子の問題に直面せずに過ごすことも可能でしょう。

ただ、介護が必要になった時に、親との間の未解決の問題や複雑な感情が再燃することは多いのではないでしょうか。

でも、もう時は、すでに遅し。

結局、言葉も感情も呑み込んで、娘や息子として振る舞うことになる。

介護の苦しさは、介護そのものの身体的負担はもちろんですが、それのみならず、こうした精神的なキツさが大きいのではないか。

姉、そして自分自身の体験から、そう感じています。

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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