還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

人は最後まで「生きたい」と本能的に願い続ける存在だと教えられています

各地で桜の開花が伝えられています。

毎年のことながら、何だかワクワクしますね。

我が母親も、有料老人ホームの居室の窓から、桜が咲くのを楽しみにしています。

「桜が咲いたら、外に出てお花見をしたい」というのが、目下の母親の願い。

ほとんど口からは食べられない母親ゆえ、楽しめることがめっきり少なくなってしまいました。

その、せめてもの母親の願いを叶えたいとソワソワしているのが、父親。

「もう、私も生きて10年だ。あと何回花見できるかわからん。花見がすんだら、どっかで1杯やろう」

それが、ここ数日の決まり文句になっています。

 

「もう、私も生きて10年・・」

このフレーズ。もう、何年も前からの決まり文句。そう言い続けて、かれこれ10年は経つように思います。

老い先短いのだから、あれも食べたい、これもしたい」そんな父親に、少々げんなりしている娘たち。

父が70代のころには、

「もう歩けなくなって、車椅子で生活するようになったんじゃぁ人生も終わり。トイレに行けなくなってオムツなんかするんだったら、生きていたってしょうがないよ」

そんなことをよく話していました。

ところが、車椅子生活になり、リハビリパンツを愛用するようになった父は、むしろますます生きる意欲がほとばしり、最高潮に達してきているようです。

人は、「ああなったら生きていたくない」と観念的なレベルではあれこれ感じるものの、本能的なレベルでは、生きることを最後まで貪欲に求める存在なのですね。

 

そんなことを思いつつ、ふと浮かんだのは、もう30年も前のこと。祖父が入院している病室での出来事でした。

ナースステーションにほど近い4人部屋。そのなかに、50代くらいの男性患者さんがいらっしゃいました。

祖父のお見舞いに行った午後、その男性患者さんはひどく落ち込んでおられました。

どうやら、手術が決まったもよう。

看護師さんとのやりとりから漏れてきたのは、

「もう、手術をしたら今の仕事はできなくなるし、職人として生きて行けないならもう死にたい」というような会話でした。

「人生のどん詰まり」「生きていたってしょうがない」「死んだほうがまし」

そんな涙声で語られる言葉の数々。

私はその男性が気になって気もそぞろ。

祖父との会話も、途切れがちになっていました。

 

そして、あれは私がトイレから戻ろうと廊下を歩いていた時のこと。

あの男性患者さんの、怒鳴り声が聞こえてきました。

「何でオレのところだけ献立表が来ないんだよっ!」

男性は、そう怒りをぶちまけていました。

 

さっきまで、死んでしまいたい。死んだほうがマシと涙して落ち込んでいた人が、今日の夕食のメニューがわからないからといって、あれほどエネルギーを爆発させるとは。

「はっ?なんだ、生きる気まんまんじゃないの」そう思った私は、何だか笑いが込み上げてしまいました。

 

あれから30年。

「ああなったら生きていたくない」

「死んだほうがマシかも」

ふとそんなふうに思う時もあるけれど、人間は、本能的に、原始的なレベルで、何があっても生きることを志向する存在なんだと、今度は両親から教えられています。

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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