絵を描くということ
ずっと絵を描くことが苦手でした。
学校の図画工作の時間は、溜息の連続。
隣の友達の画用紙をチラチラのぞいては、自分の絵の不甲斐なさに人知れず落ち込む日々。
「あんたは、何をやらせても、ほんと不器用だねぇ・・・」
そんな母の一言も胸に突き刺さり、教室の後ろに貼りだされる自分の絵を、こっそり外して丸めて捨ててしまいたいような気持ちにもなったものです。
子どもが生まれてから、「犬を描いて」「猫を描いて」とせがまれ、たどたどしく描いてはみるものの、どうしても犬に見えない、猫に見えない。
期待をこめて見つめる子供の瞳が、次第に落胆の色へと変わっていくのがわかり、
「ごめんね、お母さん、絵が苦手なの・・」
お友達のお母さんは、アニメのキャラクターなんてお茶の子さいさい。
なのにねぇ・・。
それ以来、絵を描くことを封印。
「きっと、絵を描くという脳の機能が一部欠損しているんだろうなぁ」と真剣に思っていました。
不思議と転機が現れた
ところが3年前、あるテレビ番組で、絵本作家の方がスケッチしながら旅をするという番組があり、目が釘づけ。
細いサインペンと色鉛筆で、風景を切り取り、サラサラと描いていくさまに、「私もやりたい!」「あんなふうになりたい!」と子どものように心が動きました。
いともたやすくペンを動かす様子に、何だか自分でもできるような気がしたのです。その時は・・。
そして、さまざまなご縁に恵まれ、絵画教室に通い始めました。
教室にかよって3年
月2回の教室。3年が経ちました。
最初は、球や立方体を描くところから教えていただきました。
対象をひたすら観察すること、陰のつけ方。
知らなかったことばかり。
最初は、葉っぱ1枚描くのも大苦戦。
この世に生まれて60年近く、いかに周りのものをしっかり見ていなかったかを痛感する日々。
勝手に、「きっとこうだろう」と思いこんでいて、実は目の前のものを見ていない。
それに気づかされることの連続でした。
最初は鉛筆デッサン。そして水彩やパステル。版画も少し。
年に2度、地元で開催される文化展でお披露目。
自分の絵が何だかみすぼらしく見えて、許されるならそっと外してクチャクチャに丸めて捨ててしまいたい。
そんなふうに思っていた小学生時代のちょっとしたリベンジをはかっています。
今、描いているのは・・
それで、今、描いているのは、マネの「フォーリー・ベルジェールのバー」の模写。
画像は、wikipediaからお借りしています
水彩で描く人、油彩の人、いろいろですが、今のところ、鉛筆デッサンで仕上げようと思っています。
画面上部はこれから。まだまだ未完成。
芸術などとは程遠く、まだまだ目で見たものを脳で画像化し、それを腕と指に伝えてかたちにする訓練の真っ最中。
デッサンは、筋トレと同じで、とにかく積み重ねることが大切とのこと
老化抑制、認知症予防にもなるような気がしています。
自分で自分を楽しませる術を持っていたい
サービス付き高齢者住宅で一人暮らし。
足腰の弱ってきた89歳の父は、
「死んでしまいたいほど退屈なんだよ」と電話をかけてきます。
有り余る時間があっても、何ひとつ楽しめないと嘆く父をみて、独りになって足腰が不自由になったとしても、自分で自分を楽しませる術を持っていたいと痛感。
指が震え、「昔はこんなじゃなかった」と嘆きつつも、目の前の葉っぱ一枚と真剣に向き合う自分でありたいと思っています。
目を通していただきありがとうございました。
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