「実家の売却」に思うこと。誰かの切なさは、次の人の希望を生みだす
50代、60代。
それは、両親の老化や介護と向き合わざるを得ない年代でもあります。
今朝、ご実家の返還手続きをされたTsukky Moonさんが、切なく寂しい気持ちを綴っておられました。(Tsukky Moonさん、断りもなく言及してごめんなさい)
かくいう私も、両親ともに施設入所することになり、数か月前に実家を売却したばかり。
お気持ちに共感するとともに、この記事によって、今まであえて深く考えようとしなかった「実家がなくなる」ということについて、考える機会をいただきました。
「気が重い」場所
このブログに書いてきたように、特に結婚して独立してからの私は、両親との関係はかなり希薄。
お産の時にも里帰りするわけでもなく、結婚してから実家に泊まったのは、わずか数回です。
実家は、私にとって決して居心地の良いところではなく、帰るとなると「気が重い」、そんな場所でした。
希望に満ちていた新築
そんな場所ではありましたが、それでも実家を新築するときは、希望に満ちていました。
それまで、両親と姉と私の4人が住んでいたは会社の社宅。
長屋仕立ての社宅には、私たち姉妹と同年代の子供をもつ家族がぎっしり肩を寄せ合うように暮らしていました。
そして、ひと家族、またひと家族と次々に自分の家を建てて引っ越し。
「今度は誰が家を建てて引っ越すのだろう・・」
引っ越しの当日は、周囲からの羨望と嫉妬のまなざし。
まるで、新築レースにでも参加しているような状況だったように思います。
そして、我が両親も、自分の家を建てることを考え始めました。
専業主婦だった母親が、わずか1年だけ、パートに出たのもこの時期でした。
新築資金の足しにするためだったと思います。
そして、ついに土地を購入。父親が41歳の時でした。
土地を購入した時の母親の嬉しそうな顔が目に浮かんできます。
「もうすぐ、自分たちの家が建つんだよー」
「〇子の部屋も、〇子の部屋もできるんだよ。応接間もあって、お風呂も今よりずっと広いんだよ。」
「えっ!ほんと!」「2階立てなの?」
「もちろん、バルコニーもあるし、庭もあるんだよ!」
「バンザーイ!!」「お姉ちゃん、すごいよ~2階立てのお家なんだって!」
おぼろげながら、そんなたわいもない会話を交わしたような記憶があります。
それからというもの、母親は、システムキッチンや飾り棚に胸をときめかせ、父親は、自分でバルコニーの床を張り、家族全員が念願のマイホーム新築に向けて、希望を膨らませていたように思います。
喜怒哀楽を包みこんだ「家」
喜びに満ちた新居への引っ越し。
そして、新生活が始まり、さまざまなことがありました。
父親が仕事上のストレスを抱え、毎晩のように怒りが爆発。毎度毎度母親に投げつけられる罵声を、泣きながら襖の隅で聞いていたこともありました。
父親が急に部下を連れてきて、あわてて散乱したあれこれを押し入れに突っ込んだことも。
姉がボーイフレンドを連れてきて、居間が明るい笑い声に包まれたこともありました。
大学の合格を知らせる電報を受け取って小躍りしたのも、実家の玄関でした。
嬉しかったこと、切なかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと、家族それぞれの喜怒哀楽を見つめ、包みこんできたのが、「家」でした。
実家は「心の基地」だったのかも
実家が建ってから47年。
そして今年の3月、家は解体され、土地は他の方の手に渡りました。
父親の唯一の財産。両親が生きているうちに現金に換え、自分たちのために使って欲しい・・・売却したことに対して、全く悔いはありません。
ただ、売却後に、実家のあった場所に、誰も足を向ける気にはならないようです。
寝た切りの母は別にしても、父親も、姉も、私も、誰も更地になったその場所を見には行っていません。
「お父さん、見にいきたければ連れていくよ」そう姉が声をかけたそうですが、
「いや、もういいよ」と言ったきり、父親は黙り込んでしまったそうです。
実家には愛着の薄い私ですが、それでも見に行こうという気持ちにはなれません。
なんだかんだ言っても、実家は「心の基地」だったのかも。
その基地がなくなってしまったことを追認することは、理屈ではわかっていても、やはり辛いのだと思います。
いつか子供の声が
実家の土地を買ってくださったのは、お子さんのいらっしゃる30代後半の方だと聞いています。
ローンを組んで購入してくださったとか。
ご自宅を早く建てたいというご意向だとも伺っています。
両親が47年前に、希望に満ちて実家を建てた時のように、このご家族は今、まさに希望に包まれていらっしゃる。
そして、年老いた両親が、老いと格闘していたこの土地に、子どもの笑い声が響く日も近い。
そう考えてみると、しみじみと心の底から温かなものが込み上げてきます。
私と夫が暮らすこの地も、私たちが年を重ねて行けば、いつか他の方の手に渡り、新しい暮らしが繰り広げられていくでしょう。
そして、この地は、私たちが暮らす以前には、誰かが懸命に生きた場所でもあるのです。
こうしてバトンを受け、そして渡しながら、時は流れていくのだと、それが、人間の営みなのだと考えさせられた実家の売却。
誰かの切なさは、次の人の希望を生みだしているのだと知りました。
目を通していただきありがとうございました。
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