還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

「過去と他人は変えられない」というけれど

過去と他人は変えられない

過ぎ去った過去に囚われることなく、他人を自分好みの人に変えようと無駄なエネルギーをつかうこともせず、淡々と飄々と自分の人生を生きていく。

私の、生き方の芯のひとつになっているこの言葉。

特に、「他人は変えられない」、それは、たとえ親子の間柄であってもそうであり、年を重ねるにつけますます頑固になっていく父親を、変えることなどできなのだと思っていました。

 

人嫌いで社交性ゼロ

父親には、友人というものがいません。

会社勤めしていた頃は、仕事を通じての人間関係はありましたが、定年退職後は、誰ともお付き合いしないまま過ごしてきました。

自宅で、PCの前に陣取り、ひたすら読書。

そんな父親との生活に、母親は孤独感を強め鬱状態に。

その頃から認知症を発症していたのだと思いますが、次第に家事ができなくなっていきました。

そして持ちあがったのが、週2回のデイサービス。

週2回、昼食をいただき、オフロにも入れる。

母親には、「誰かと話しをすること」それが必要でした。

 

デイサービスでの父は、「取り扱い注意人物」

ところが、父親は難色を示しました。

「幼稚園じゃあるまいし、年よりが集まってチーチーパッパチーパッパなんて、歌うたったり踊ったり、そんなバカらしいことやってられるかっ!」

そう怒鳴ること数回。

それでも、美味しい昼食を楽しみに、デイサービスに通うようになりました。

ところが、ホッとひと安心したところで、またちょっとしたトラブルが。

それは、デイサービスのスタッフの方が、その日、お料理に父親を誘ったときのこと。

積極的に参加してもらおう、自主性を促そうという意図で、「〇〇さんもやってみましょうよ」「玉葱の皮をむいてもらってもいいですか?」という何度かの声かけの後、父親の感情が爆発しました。

「ここには金を払って来ているのに、なんで玉葱の皮を剥かなきゃいかんのだ!どだい、あれやれ、これやれって無礼千万だ!」鬼のような形相でそう怒鳴る父。

デイサービスでも、父は「取り扱い注意」を要する利用者でした。

 

あったかくて、安心するんだよ

何年デイサービスに通っても、誰かと親しくなるわけでもなく、知り合いはたくさんいても、父には、特段友人と呼ぶような人はいませんでした。

ところが、昨日、

「やっぱり仲間っていうのはいいもんだなぁ。あったかくて、安心するんだよ。この年になってつくづく感じたよ。人のありがたさを」

そう、父から電話がありました。

転倒して車イス生活になって約10日、昨日、デイサービスに2週間ぶりに行ってみると、利用者、スタッフの方が、「〇〇さん、お帰りなさい!」と次々に声をかけてくれ、なかには、握手やハグをしてくれた方も。

「待っていてくれた人がいる」「招き入れられる場所がある」ありがたさ。

それが、父の心にすーっと染み渡ったようでした。

思えば、母が入院してから約半年。一人暮らしを余儀なくされたうえに、今度は車いす生活に。

孤独と不自由が隣り合わせの生活が、「偏屈で人嫌いの父親」を変えたのかも知れません。

 

最後の一息まで

もう、高齢の父は、あの偏屈なまま逝くものと思っていました。あの性格は、娘も誰にも変えられない。

ところが、それはどうやら思いこみだったかも知れません。

デイサービスのお仲間やスタッフの方々によって、父のなかで変化が起きたように思います。

人は、最後の一息まで、変わり続ける可能性がある。そう思った出来事でした。

 

 

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今年の「母の日」には、母の絵を描いて贈ろうと思います。

もうすぐ「母の日」ですね。

ブロガーの皆さんが、「母の日」ギフトに最適な品物をたくさんご紹介くださっていて、ついつい見入ってしまいます。

「これいいな」「これ欲しい」と自分がいただく側になってにんまり。

でも、私の母は、ベッドで寝た切り。

エプロンも、バッグも、使えなくなってしまいました。

花束も、病室には持ち込み禁止。

悩ましいところです。

 

毎年のプレゼントは現金

ここ数十年以上、心ばかりのお金を送っていました。

それが一番喜ぶと知っていたから。

特に年金生活に入ってからは、「ありがたい・・」と素直に喜んでくれました。

父と旅行に行く、ささやかな足しにしたり、美味しいものを食べに行ったり。

「これで何をしようかな」と笑顔の母。

こちらも、ちょっと幸せな気持ちになったものです。

 

小学校低学年の頃以来

旅行にも外食にも行けなくなってしまった母。

そんな母が喜んでくれるものは何だろう・・。

ここ数日考えていました。

そして、思いついたのは、母の絵を描いて贈ること。

「お母さんの絵」を描くなんて、小学生のそれも低学年の頃以来です。

あの時の絵は、首から両手が出て、目も鼻も、口も歪んだユニークな代物。

それでも母は、「上手に描けたね」と褒めてくれ、そして喜んでくれたような記憶があります。

あの時は、どんな気持ちを込めて描いたのか、もう覚えてはいませんが、今なら思い出を積み重ねた分、あの時よりも思いを深くして描けるような気がします。

 

きっと今なら

姉が、「この表情がいいんじゃない」と母の写真を送ってくれました。

25年ほど前。ちょうど母が私くらいの年齢の時の写真です。

写真が苦手。緊張してどの写真もひきつったよう表情で写っている写真が多いなか、母らしい自然な笑顔の貴重な一枚。

鉛筆デッサンで仕上げようと思います。

最近、笑顔が減ってしまった母。

でも、きっと今なら、「娘が描いた若いころの自分」と再会し、にっこり笑ってくれるような気がしています。

 

 

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さらに迫る来る老い。父が自分の「死」を意識する。

バランスを崩して転倒

脳梗塞で回復期リハビリ病院に入院中の母を、毎日のように見舞っていた88歳の父。

変形性膝関節症で両足が不自由ながら、杖を頼りに病院と高齢者マンションをタクシーで往復していました。

体力の弱った父。連日出かけていたら、きっと「いつか、何かが起こる」。

姉も私もそんな予感がしていました。

そして、その予感が的中。

タクシーから降りる際に、バランスを崩して転倒してしまいました。

 

車いす生活に

かなりの痛みを訴え、これは高齢者に多い大腿骨頸部骨折かもとヒヤリとしましたが、受診の結果は、骨に異常はなし。

「痛くても歩いてください。そうでないと、歩けなくなりますよ」と言われ、痛み止めとシップをもらって帰ってきました。

痛くても歩けと言われても、かなりの激痛があるもよう。その日から、車いす生活となりました。

 

初めての「死」を意識した発言

遠く離れて暮らしている私は、電話で日々の様子を確認しています。

「まぁ、ワタシも生きてせいぜいあと10年だからなぁ」と口癖のように言っていた父。

足は弱っても、食欲は娘よりも断然旺盛。

ジャンボカツを平らげ、生ビールを飲み干す父を前に、

「これ、ひょっとしたら、そうなるかも知れないよ」と顔を見合わせていた姉と私。

ただ、転倒して車いす生活になってからは、様相が変わってきました。

「もう、そうは生きられんなぁ」

「最期のときは、どんな感じになるんだ?」

父から聞く、初めての「死」を意識した発言でした。

考えてみれば、60数年間、常に傍にいた妻が長期に入院し、自宅も売却。その間、インフルエンザで高熱を出してしばらく寝つき、そして今回の転倒。

ここ半年の間に、人生の相棒との生活、家、自分の健康、次々に大切なものを失ってきた父。

老いていくことの現実、そして、そう遠くはない「死」を受け止めざるを得ないところに立たされてきました。

 

「死」の話題を避ける人

それにしても、父は、戦前、戦後にかけて思春期、青年期を過ごしていた人です。

多くの人を戦争で亡くし、数多くの「死」に出会ってきたはずです。

「死」が今よりももっと身近かな時代を生きてきたというのに、いやだからこそなのか、「死」の話題を避ける人でした。

「お父さん、最期はどこでどんなふうに過ごしたい?」

そんな問いかけにも、「まぁ、その時になってみなくちゃわからんなぁ」

「アラエッサッサーって、あの世にいくさー」

そんなふうに話しをはぐらかし、話題を変える人でした。

その父が、自ら「死」を口にしたことは、父の心境がかなり変化してきた証拠。

これから父は、自分の死とどう向き合っていくのか、あるいは最後まで向き合わずに逝くのか、娘として、父の生き方を見届けなければとも思っています。

 

とはいえ、昨日は、姉が車いすでランチに連れ出し、うな重の大を平らげたとのこと。まだまだ食欲は健在のようです💦

 

 

 

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炊飯器の内蓋って、毎日洗うものなの?恥ずかしながらこの年になって知りました。

先日、アラフォーの友人2人と一緒にお料理。

食べ盛りのお子さんのいる家庭ゆえ、メニューのひとつに炊き込みご飯を加え、ご飯もたくさん炊きました。

出来上がったお料理を食べながら、ひたすらおしゃべり。

昼間から禁断のビールもいただき、「さてさて片づけますか」となりました。

 

一緒に台所に立って気づくあれこれ

気心の知れた友人とは、一緒にお料理をして、一緒に片づけもしてもらっています。

よそのお宅の台所に立つと、いろいろ気づくところもあるようで、

フキンひとつ、スポンジひとつでも、「これいいね-」「これ、便利やね」とちょっとほめてもらったり、

逆に、「こしたらいいんちゃう?」「この方がやりやすいと思うわ」とアドバイスをもらったり。

普段、自分のやり方にはまってるとわからないあれこれに、気づかせてもらっています。

 

炊飯器の内蓋を洗う頻度あれこれ

そんなことのひとつとして、炊飯器の内蓋についてちょっとした発見がありました。

「炊飯器の内蓋、洗うよー」とAさん。

炊飯器の内蓋は、毎回洗うものだという認識がなかった私は、

「洗わなくても大丈夫。昨日洗ったところだから」と応えました。

これに友人二人が顔を見合わせました。

「えっ?炊飯器の内蓋って、使ったらその都度洗うものじゃないの?」とAさん。

「毎回は洗わないけど、1日1回は洗うよ」とBさん。

「えっ?毎回、さっと吹くけど、洗うのは1週間に1回くらいだよ。忘れちゃうときは、もっと洗わない」と平然と私。

 

「炊飯器の内蓋問題」が妙に新鮮

そもそも、炊飯器の内蓋の取り扱いについて、説明書を読んだこともなく、深く考えたこともありませんでした。

少なくとも実家の母も姑も、洗っているのを見たことがなく・・。

他の人と、炊飯器の内蓋を洗う頻度について話したこともありませんでした。

年の離れた友人と、一緒に台所に立ったことがきっかけで、成人してからこの40年、気にかけることもなかった「炊飯器の内蓋問題」を考えるチャンスが到来。

本当に些細なことですが、妙に新鮮に感じられました。

 

炊飯器の内蓋は、どの程度の頻度で洗うのがよいのか

さてさて、炊飯器の内蓋は、どの程度の頻度で洗うのはよいのでしょうか。

週に1度、あるいはそれ以下でも、私も夫も、食中毒等で今まで体調を崩したこともないことから、さして大きな問題にはならないような気もしています。

ただ、内蓋についた、炊飯時に発生するさまざまな成分から、微生物が発生。細菌やカビの原因になることもあるようです。

そして、炊き上がったご飯の風味が落ちることも。

 

そんなこんなで、我が家では、炊飯器を使ったら、その日のうちに内蓋を全部取って洗うようになりました。

ただ、ちょっと内蓋が外しにくい。

還暦になって初めて知った内蓋問題でした(^^♪

 

 

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台所に他の人が入ることに抵抗はありますか?

昭和ヒトケタ生まれの姑は、家事万端になみなみならぬこだわりをもった人でした。

特に台所は姑の聖域。

夫とともに帰省した折、台所仕事を手伝おうとすると、

「いいから、いいから、〇子さんはいいの。休んでいて」と追い返されるような勢いで強く制止されたものです。

私への気遣いももちろんあったと思いますが、

「ここは私の聖域。入ってこないで」という強いメッセージを感じ、どうしたら良いのか、戸惑ったものです。

一応家族ではあるけれど、どこかお客さんのような中途半端な立ち位置。

帰省するたびに、居心地の悪さを感じていました。

そしてもちろん舅は、「お茶くれ」と叫ぶだけで、台所には一切立ち入らない人でした。

 

友人の場合

夫婦で親しくお付き合いさせていただいている友人は、セミリタイアしたご主人が、「家にいてもテレビを観てゴロゴロ。ホント、イライラする」とお悩み中。

そんな友人も、家事には並々ならぬこだわり派。

特に台所は、長年積み重ねたこだわりの詰まった場所です。

「ご主人に、お皿洗いとか、もっとやってもらったらいいのに」と勧めても、「やってもうのはいいけど、後始末が大変なのよ」と。

たかがお皿洗い。

どんな後始末が発生するのか、不思議な感じもしましたが、皿洗いの後には、スポンジをキュッと絞り、シンクにも水切りカゴにも1滴の水滴も残さずピカピカに磨き上げる友人のやり方を見ていて、妙に納得しました。

 

長年の単身赴任後、同居した友人は

「家にはいるけど、なんにもしないのよ」と友人が嘆くご主人は20年近くも海外赴任。

別居が長かった友人の場合は、かなり深刻です。

単身赴任中、家事、子育て、介護をほぼ一人でやり切った友人は、ご主人に対して複雑な感情を隠しきれません。

ある時、台所でご飯が炊きあがったことを知らせる炊飯器の音が鳴った直後に、ご主人が「飯が焚けたな」と蓋を開けしゃもじで混ぜ始めた時、友人の感情が爆発しました。

「今まで何でも私に押し付けておいて、何もしなかったくせに。今になってご飯が焚けたからって、ズカズカと台所に入って来ないで!」

友人にとって、台所は、ある意味仕事場でもあり、気持ちを整理する場であり、ホッとできる癒しの場。

そこへ、複雑な感情を抱いているご主人が入ってくることで、それまで何とか平静を保っていた気持ちが揺らぎ始めてしまったようでした。

 

リタイア後に必要なこと

私の周りでも、「夫は、なんにもしない」「家事を手伝わない、手伝おうともしない」そんな妻の嘆きを聞くことが少なくありません。

ただ、家事能力がはなから低く、家事にこだわりのない私からすると、そうは言っても、台所にご主人を入れたがらない妻が、ハードルを高くしているのではないかと思うことも。

特に台所は、特別な場所のように思います。

ただ、これから年を重ね、人の支援を受ける側に立つ準備期間でもあるリタイア後。

それまでのさまざまなこだわりを手放して、夫に限らず、他の人が出入りする台所に変えていくのも、悪くはないと思っています。

 

 

 

 

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使いきれずに捨ててしまうことってありますか?ーリタイア後の夫婦の家事分担

冷蔵庫にある食品、食べきれずについつい捨ててしまうことってありますか?

夫も私も仕事をしていた頃は、冷蔵庫にお肉や魚があることがわかっていても、疲れているからとついつい外食したり、お惣菜を買ったり。

もったいないことに、食品を捨ててしまうことがよくありました。

今は、二人ともリタイア。

「気持ちよく暮らす」そのこと自体に、時間とエネルギーをかけることができるようになりました。

どうしたら、買い求めた食品を、新鮮なうちに効率よく、食卓に並べて美味しく食べきることができるか、そんなささやかなことにチャレンジするのが、楽しみにもなっています。

 

物の管理が苦手な私

昔から、私はそもそも物の管理が苦手です。

安いからと買いこんで、狭いスペースに押しこんでみたものの、消費期限が切れてしまって結局捨てるハメになったり。

反対に、「今なきゃ困る」という時に、ストックを切らしてしまったり。

何度も同じ失敗をしてきました。

 

そこで夫の登場

そこでリタイア後、私たちは選手交代をしました。

夫が、食品と、洗剤・石鹸類など日常生活用品の管理全般を引き受けてくれるようになりました。

夫は、必要な時に欠品?していること、物が余って廃棄すること、この二つを回避することに真剣に取り組んでいます。

夫のやり方はこうです。

お醤油などの調味料、トイレットペーパー等の日常生活用品は、おおよそストックしておく量を決めているようです。

そして、ストックすべき量がなくなったら補充する。

調味料や飲料水など賞味期限のあるものは、古いものから順に並べて、常に古いものから使えるようにしておく。

1日1回は、冷蔵庫内をチェックし、今日中に使い切る必要のあるものをリストアップする。

そんなやり方で、ほとんど食品を廃棄することはなくなりました。

 

朝の会議

朝、私たちは、ちょっとした会議のようなことをします。

「卵が3個、古くなってきたので、今日中に使い切ってください」

「青梗菜も、このままではしなびてしまうので、よろしくお願いします」

「豚肉の薄切りよりも、挽肉の方を先に使ってください」などなど。

そして、私がキッチンに立つときには、それらの材料を冷蔵庫から出して並べてくれているので、忘れることがありません。

目の前の材料でメニューを考え、お料理するのは私の役目です。

 

相手の得意とするところにうまく頼って

私は、目の前の材料をどうしたら美味しくお料理できるかを考えることは好きですが、どうも視野が限定されてしまって、広く全体像を把握するが苦手です。

一方夫は、「我が家に何があって何が足らないか」など、全体像を把握するのが得意です。

リタイア後は、お互いに相手の得意とするところにうまく頼って、暮らしを楽しむ。

そんな暮らし方のコツがわかってきたように思います。

 

 

 

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外食したけど食べきれない。「食べ残しのテイクアウト」はありかなしか?

私たち夫婦は、週に1度程度、ランチで外食をすることが、今の暮らしのささやかな楽しみになっています。

ただ、年を重ねるごとに、私は食が細くなり、一度にたくさん食べられなくなってきました。

少しボリュームのあるメニューは、必ず残ってしまいます。

一方夫は、かなりの健啖家。

何でも美味しく、残さず食べるのが彼のモットー

これまでは、私が残すと、夫が平らげてくれていましたが、その積み重なりか、体重はどんどん増加傾向。

さすがに、コントロールが必要になってきました。

ただ、せっかくお店の方が作ってくれたものを残すことに、やはり罪悪感が。

「これ、ゴミになっちゃうんだよね。もったいないねぇ」

せっかく美味しいものを食べにいったのに、残したことに後ろ髪を引かれる、貧乏性の夫婦です。

 

お持ち帰りもアリなんだ!

インドカレーは私の好物。

スパイシーなあの風味は、自宅ではなかなか再現できず、やはりお店で食べるカレーは、別物です。

でも、あの巨大なナンは、どうにも荷が重い。

スープにサラダ、タンドリーチキンのついたランチコースを注文すると、ナンは2人で1枚が丁度いい感じです。

ある時、デザートのタイミングになっても、ナンが1枚まるごと残っていたのをみかけたスタッフの方が、「包みましょうか?」と声をかけてくださいました。

夫は、中国や東南アジアでは、食べきれなかった分のお持ち帰りは当たり前だと言います。

でも、ここ日本で定食を注文した人が、残りの分を持ちかえるのをあまり見たことはありませんし、お店の方から声をかけられたこともありません。

残したお料理を持ち帰るのは何だか気が引けるような、ちょっと恥かしいことのような気がしていました。

ただ、その後、このお店では、タンドリーチキンもその他のサイドメニューも、食べきれなかったものは包んでいただき、持ち帰るようになりました。

テイクアウトができるとわかってから、以前なら、「どうせ残してしまうから」とブレーキをかけて注文しなかったメニューも気楽に頼むことができ、よりランチを楽しむことができています。

 

みんな詰めて帰ってよ~

ある時、中華のお店でランチをしたときのこと。

そのお店は、メニューにボリュームがあることで定評のお店です。

わかってはいましたが、やはり食べきれずに残ってしまいました。

手がつけられずにいた餃子のお皿をさして、

「これ、包んでもらえますか?持って帰りたいので」と思い切って声をかけてみました。

すると、「餃子だけ?この、唐揚げとご飯と漬物はどうする?」とたどたどしい日本語が返ってきたのです。

もちろん答えは、「全部お願いします」

それから、何度か通ううちに、毎回、お店の方の手を煩わせるのも気が引けて、今ではなんと、お弁当箱持参でランチに通うようになりました。

お店の方は、「もったいないね~、みんな持って帰ってよ~」とおおらか。

こうしてインドカレーのお店で味をしめた、食べ残しのテイクアウトは、中華のお店にも広がりました。

 

何か悪いことをしているような恥ずかしいような・・

私たちにはありがたい、「食べ残しのテイクアウト」。

ただ、お店を選び、他のお客様で混雑する時間帯は避けるようにしています。

でも、先の中華のお店でも、容器に詰めるときは、ちょっとコソコソと、他のお客さんになるべく見られないように手早く済ませます。

何か悪いことをしているような、ちょっと恥ずかしいような感覚も少しだけ。

「あらあら、あの人、残したものを持ちかえるなんて、ずいぶんケチくさい。よほど生活に困っているんだね」と思われるのではないか。

こんなことをして、お店の品位を落としているのではないかという気持ちもチラホラ。

「ボリュームのあるものを少しだけ食べたい。いろいろなメニューをちょっとずつ食べたい。でも、残すのはもったいないし、気が引ける。」

こんなわがままな悩みを解決する策を模索中の私たちです。

 

 

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