還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

妻が寝たきりになって味わう幸せ

母が脳梗塞で倒れた当初の、88歳になる父の狼狽ぶりは、想像を超えるものでした。

ベッドサイドで母の手を握っては涙ぐむ父。

初めて見た父の涙でした。

一日に何度も娘たちのもとに電話をかけ、「母さんは大丈夫なんだろうか」「母さんは、どうなんだ?」とオロオロするばかりの父。

携帯に残る十数回にわたる父からの着信履歴。

急激に物忘れも進んでいきました。

あれから4か月余り。

父親もずいぶん落ち着いて、父なりの日常を取り戻しています。

 

「行かねばならない場所」「夫としての役割」「称賛される体験」

週2回、姉が父親を母親の元に連れていっていますが、それ以外の日、父親は、タクシーで面会を続けています。

交通費は片道5000円。

杖を頼りにヨチヨチとしか歩けない父。雨が降っても面会は欠かしません。

「お父さん、また来てね。寂しいから」

「お父さん、こんな身体になっちゃって、迷惑かけるね」

そんな母の言葉を聞くと、行かないではいられないと父。

リハビリ病院のスタッフも、歩行障害があり、いつ転倒するかわからない父の面会にハラハラ。

きっと、ご迷惑をかけているに違いありません。

でも、「〇子さんは、優しいご主人がいていいね」、「仲の良いご夫婦で羨ましい」と褒めてくださいます。

長年の父の母親に対する言葉の暴力を知っているわたしたち姉妹には、複雑ではありますが、そう褒められて、「イヤイヤ・・」とはにかむ父。

まんざらでもないようです。

それまで、足が不自由なこともあり、デイサービスに出かける以外は外に出ることがなかった父。

母が倒れてから、父には、「行かねばならない場所」「夫としての役割」が生まれ、称賛される体験が加わりました。

 

88歳のお姫さま

タクシーの運転手さんも優しくしてくださるようです。

タクシーに乗り込む時も、降りるときも、まるでお姫様のような扱い。

88歳のお姫様は、それだけで気分が良くなるようです。

 

食べたいものを買い、そして1杯

そして、帰りには、近くのスーパーに寄って買物もサポートしてくださいます。

父親の楽しみは、刺身を一盛りとワンカップを2つを買って、一杯やること。

母が倒れる以前は、スーパーに出かけることもなかった父。

母親が、父の好きそうなものを買って食卓に並べていました

今は、自分で品定めして好きなものを買うことができ、お酒も、自由に買うことができます。

お刺身をアテに、ワンカップで1杯やり眠りにつくのが、何よりの楽しみのようです。

 

母親が倒れてから、今は、以前よりも元気になったかのような父。

本当のところ、たった一人で高齢者マンションで過ごすことができない孤独に何より弱い父親です。

でも、父親の孤独を埋めることは、姉にも私にもできません。

ほぼ毎日面会に行っている父。いつか倒れるかも知れないし、交通費のことも気になってはいますが、今は、誰にも止めることはできません。

「まっ、あの二人、今けっこう幸せかもね」

そう姉と話しています。

 

 

 

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ねたきりになって掴んだ幸せ

昨年12月に脳梗塞で倒れた母。

その後2月に回復期リハビリ病院に転院し、胃瘻をつけて、現在も入院中です。

摂食訓練を受け、調子の良いときで7割ほど食べられるようになりました。

身体機能の回復はほとんどみられずませんが、意識レベルはかなり改善。

まだまだ波はありますが、調子の良いときには、日常的な会話には支障がないほど。

そして、表情がとても柔らかくなりました。

 

お父さんと二人でいても寂しい

入院前の高齢者マンションでは、父と二人きり。

日に何度か、同じ住宅に住む友人やマンションのスタッフとの交流はありましたが、それもあいさつ程度。

父親は人付き合いが苦手なため、母親も友人を部屋に招いたり、自分が出かけるということもなく、ひっそりと二人だけの暮らしが続いていました。

電話口で、「お父さんと二人でいても寂しい」「つまらない」よくそんなことを訴えていた母親。

老いの孤独が、母親をブルーにさせていました。

 

若いスタッフに大事にされて

現在入院している回復期リハビリ病院のスタッフは、皆さん若く、病棟に活気があります。

理学療法士作業療法士言語療法士、看護師の皆さんが、訓練やケアに取り組んでくださっています。

「〇子さん!」

母は、苗字ではなく下の名前で呼ばれ、訓練に取り組みつつ、時々、孫のようなスタッフに甘えてもいるようです。

閉ざされた父親との二人の生活から、自分を大事にしてくれる若いエネルギーが満ちた空間へ。

母親の肌艶が良くなった秘訣は、こんなところにもあるのではないかと思うほどです。

 

父親から受けるストレスから解放された母

父親は、若いころから大の癇癪持ちで、晩年になってもなお、何か気に入らないことがあると辺りかまわず怒鳴りつける人です。

いつも、ビクビクしていた母。

入院してから、その父に怒鳴られることもなくなりました。

逆に父は、ずいぶんと母親に当たり散らしてきた贖罪からか、ほぼ毎日のように面会に行っては、「母さん、頑張ってくれよ」と母親の手を握ってそばを離れません。

父親の言葉の暴力から解放された母親。

60年の忍耐の末に掴んだ安らぎのなかにいるような気がします。

 

ずっと父親の陰に隠れるように生きて来た母。

それが、寝たきりになった今は、自分が主役です。

自分のために力を尽くしてくれるスタッフがいて、夫も娘も妹も面会に来てくれる。

寂しく心満たされなかった日々があったことを思うと、私も姉も、

「今、お母さん幸せだね」とつくづく。

病気になったこと、寝たきりになったことは残念だけど、それでもなお、人は幸せになれるのだと母に教えられています。

 

 

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人それぞれの価値、ヨレヨレこそが上質だという夫

人にはそれぞれ、「お気に入り」の品々がありますね。

着るものだったり、食べるものだったり。

その人が、何を好み、何を遠ざけるのかによって、その人らしさがわかってくるような気がします。

 

ヨレヨレの服を好む夫

夫は、身に着けるものに、彼なりのこだわりがあります。

例えばパジャマ。

7~8年、毎日着て、毎日洗っています。

綿素材の生地は限りなく薄くなり、ペラペラ。

光にかざしてみると、向こう側が透けて見えそうです。

ハンカチも、もう8年ほど使っています。

今にも破けてしまいそう。柄も薄くなっています。

下着も、ゴムが伸びて、ヨレヨレ。

綿のズボンは、5年ほど着て、ついに膝が破れてしまいました。

 

夫のこだわり

肌に直に接するものは、「皮膚と同化するほどクタクタ、ヨレヨレになったものがいい」というのが彼のこだわりです。

新しい衣類は、シャンとし過ぎて、どこかよそよそしくて落ち着かないと言います。

糊のきいたパリッとしたものはNG。

リタイアしてから、冠婚葬祭用の黒以外のスーツは、処分しました。

着古した綿のズボンとTシャツ、そして履きつぶす寸前のスニーカーが夫のお決まりのスタイルです。

 

愛情をもって長く使い、断腸のお別れ

ほかの人が見れば、もうゴミ寸前のヨレヨレの衣類も、夫にとっては大事な財産。

「ここまで着こむのは大変なんだ」とご満悦。

愛情をもって長く使い、そして、もうどうにもならなというところまで見届けて、それこそ断腸の思いでお別れする。

「今日、思い切ってあのズボン、捨てたんだ。長く履いてきたからなぁ」と夫。

「ズボンもきっと喜んでいると思うよ」

そんな会話を真剣に交わす私たち夫婦です。

 

アンバランンスも、それぞれに楽しめれば・・

私は、夫ほど身に着けるものにこだわりがありません。

古くなれば、処分し、新しいものを買い足しもします。

糊のついたものもOKですし、それぞれの風合い楽しめばよいと思っています。

少し改まったレストランなどの出かけるとき、夫は、「この格好でいい?」「いつものスタイルでいい?」と尋ねます。

夫が、一番リラックスできることが大切なので、ストップをかけることはありません。

私は、少しオシャレをしてパンプスを履き、夫はいつものズボン・Tシャツ、スニーカースタイル。

アンバランンスではありますが、それぞれに楽しむこと、それが一番大切だと思っています。

 

夫の生きざま

思えば、この夫の好み。

夫の生きざまそのものような気がしています。

縁あって自分の元にやってきたものに対しては、とことんつき合って愛情をかける。

もう、今さらそれは変わらないし、変えられもしないと思っています。

その人が何を上質だと思うかは、その人の生きざまが現れる。夫をみていて、そんな気がしています。

 

 

 

 

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骨密度、部位によってこんなに差があるなんて

女性は男性に比べ、加齢に伴って骨密度が低下しやすく、40歳以上になったら定期的に骨密度を図ることが推奨されているそうです。

私も、遅まきながら57歳の時に、初めて市の検診で骨密度を測定しました。

 

えっ!骨年齢90歳?!

市の検診は、かかとに超音波を当てて測定するというものでした。

検査結果を見てびっくり!

「あなたの骨年齢は90歳」という結果。

あわてて、近くの整形外科を受診。

そのクリニックでは、手首の骨をDXA法と呼ばれる方法で測っていただきました。

 

手首での結果は

半年ごとに4回、測定していただきましたが、

骨密度は、若い人の平均値の81~79%で現状維持。

食事と運動に気を付けてはいましたが、ほとんど変化はありませんでした。

もしも、明らかに下降し始めたら、内服治療を開始する必要があると言われていました。

 

腰椎、大腿骨の骨密度を測定する

そして、今回の入院中に、手首だけではなく、腰椎、大腿骨の骨密度も測定していただきました。

結果は、

腰椎 94%(若い人の平均値比)

大腿骨 83%

手首 78%

腰椎は、同年齢の平均値よりも高い値でした。

 

検査方法、部位によってバラつきがある骨密度

腰椎の骨密度は、比較的良好に保たれていて、「いつのまにか骨折」のリスクはさほどでもないようですが、大腿骨や手首は骨密度が低いので、転倒には注意しなければと再認識。

それにしても、検査方法によって、そして同じDXA法でも、骨密度は部位によってかなりバラつきがあることを知ったのは、新たな発見でした。

あのままクリニックで手首の計測のみを続けていたらわからなかったこと。

骨粗鬆症は全身病。やはり全身のチェックが必要だと感じました。

 

 

 

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手術後のリカバリールーム滞在、もう一度体験するとしたら・・。

全身麻酔下での手術を受けた私。

術後は、その日手術を受けた4名の患者さんとともにリカバリールームで翌朝まで過ごしました。

甲状腺の手術を受けた方のブログを拝見すると、皆さん、手術直後から当日の朝までが一番辛かったと書いておられます。

中には、「地獄のような時間」だという方も。

幸いなことに、私の場合、手術した傷そのものの痛みはほとんどなく、麻酔による吐き気も起こりませんでした。

麻酔後の覚醒も良好で、正直、もっと眠っていたいと思ったほど。

それでも、「できればもうやりたくない」というのが正直な感想。

それでは、この一晩、何が辛かったかというと、

 

①動きを抑制されること

術後は、首には2本の管が入り、酸素マスクを当て、右手、左手はそれぞれ医療機器がつながり、心電図も装着。尿管を入れた状態でリカバリールームに戻ってきます。

この状態で、基本3時間の安静。

腰の痛みはなかったものの、背中、肩甲骨のあたりに鈍い痛みが。

「動かしてはいけない」と思うだけで、全身緊張状態になり、無意識に力が入ってしまいます。

時々、深呼吸をして、意識的に全身の力を抜くようにしていました。

動けなくても、何か自分でできることがあるというのは、ずいぶん気分的に違うような気がします。

 

②気を紛らわすことができないこと

術後3時間でお水が飲め、横を向くこともできるようになりました。

ただ、身体を起こすことはできません。

ベッド周囲は、キッチリとカーテンが閉められ、視界に映るのは天井とカーテンだけ。

何か、閉所に閉じ込められたような閉塞感があり、気を紛らわそうにも、紛らわす何物ものないという長い時間が続きました。

途中から、ベッド横のカーテンを半分ほど開けたままにしていただきました。

ナースステーションのなかで人が動く様子が見え、それだけでも気分が楽になりました。

 

➂時間がよめないこと

リカバリールームに時計はありましたが、ベッドに寝た位置からは見えなかったため、今何時なのか、どれほど時間が経ったのか、自分ではわかりませんでした。

夜、面会時間終了を告げるアナウンスが流れた時に、「ああ、8時か」と思った程度。

ベッド周囲のカーテンを少し開けていただいたら、時計が見え、安心。

「あと2時間」とわかってからは、不思議と元気がでてきたのを覚えています。

 

たった1晩のリカバリールーのム滞在体験でしたが、人は、動きや、空間、時間の感覚に制約を受けると弱いものだと実感。

そのなかでも、何か自分にできることを見つけ、次第に制約がとれていくのは大きな励みになりました。

もし万が一、また手術を受けることになったとしたら、今回の体験を生かし、

①深呼吸して全身の力を抜くこと

②どうも閉所恐怖症の傾向があるようなので、カーテンはきっちり閉めないようにお願いすること

➂時計が見えるように配慮していただきたいとお願いすること

こんな3つのことを考えています。

もちろん、そんな日が来ないようにと願いながら。

 

 

 

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病院、そして主治医を選択した3つのわけ

退院して3日目。おかげさまで、体調良好。

以前の生活にほぼ戻りつつあります。

振り返ってみて、つくずく思うのは、「あの病院、あの先生で良かった」ということ。

私が、どのような経緯で病院、そして主治医を選択したのかというと・・・。

 

専門病院を選択したのは

手術を受けた専門病院は、公共交通機関を乗り継げば2時間以上かかります。

より近い距離には、公立病院、そして乳癌の手術を受けた大学病院もあります。

当初は、乳癌でお世話になったのだから、同じ大学病院の方が良いような気がしていましたが、結局は大学病院を選択しませんでした。

それは、距離やこれまでのつながりよりも、以下のことを重視したからです。

①病理医の存在

甲状腺のしこりを35年間抱えていた私。何度か細胞診も受けてきましたが、検体が十分に採取できなかったこと数回。

甲状腺の検体採取には技術を要すること、そして、甲状腺疾患の病理診断は、医師によって診断が異なることが少なくないと聞いていました。

治療は、正しい診断から始まります。

甲状腺疾患に豊富な経験をもった病理医を、医学関連の学会ホームページ等から調べ、今回お世話になった専門病院に行きつきました。

 

②豊富な手術件数

甲状腺は、血流豊富で、さまざさな神経が周囲を走行し、裏側には副甲状腺も存在するなどデリケートな臓器。

安全な手術には、医師の高い技術が必要だと聞いていました。

高い技術を保障するのは、豊富な手術実績。

ここでもやはり、専門病院に行きつきました。

なお、病院選びの際に意識していたわけではありませんが、実際に手術を受けてみて思うのは、専門病院では、看護師、薬剤師、検査技師、栄養士などのコメディカルスタッフのすべてが「甲状腺の専門家」ということ。

入院中に、看護師さんや薬剤師さんに何を訪ねても、的確なお答えをいただき、「さすが・・」という感想を持ちました。

 

➂主治医との相性

私がお世話になった病院では、患者側が医師を選択することができるシステムになっています。

私も、最初にお世話になった先生と、手術を受けた今の主治医は別の先生です。

何か問題があったわけではありませんが、最初にかかっていた医師は、たまたま学会その他で不在の時期があり、検査結果を早く聞きたかったため、今の主治医の予約を取りました。

そして、最初に会った時に、「先生に執刀していただきたい」と手術日を決めてしまいました。

「相性が良かった」、「ご縁があった」ということなのでしょうけれど、なぜこの先生だと「ピンと来た」のかを考えてみると

・わかりやすい説明

まずは、病気や手術の説明がとてもわかりやすく、ストンと胸に落ちる感覚がありました。全摘だと言われて、内心抱えていた「半分残せないか」と思いも、説明を受けて、スッキリ納得できました。

手術の説明も、ipadを使い、3Dで甲状腺周囲の組織を示しながら、合併症のことも細かく話していただきました。わずか4×4.5センチ、16g程度の甲状腺ではあっても、安全な手術のために、どれほど高い手技が必要になるのかも理解できました。

・プロフェッショナルな姿勢

傷が残ること、術後の体力低下が気がかりで、「内視鏡手術はどう思われますか?」と尋ねたところ、「この病院ではやっていませんが、しているところもあります」と。そして、なぜ内視鏡による切除をしないのかの説明を受けました。その説明のなかに、甲状腺専門医としてのこだわり、術後も(内視鏡手術と同等、それ以上に)問題なく回復していけるよう治療するという医師としての自信、プロフェショナルな姿勢を感じました。

・人としての誠実さ

全身から滲み出る雰囲気というのでしょうか、こちらも緊張せずに、何でも尋ねることができました。

病院というところは、それでなくても緊張するところ。自分もリラックスして診察に臨めるというのは、それだけでありがたくもありました。

 

 

 わかりやすい説明と医師としてのこだわり、プロフェッショナルな姿勢、誠実なお人柄を感じるにつけ、

「この先生で万が一失敗してもそれはきっと誰がやっても同じこと。この先生の手術を受けて何かあっても、それはそれで仕方がない」

そう心底思えるようになりました。

主治医、病院を100%信頼して手術に臨める・・これ以上ラッキーなことはない。

さまざまなご縁に恵まれた幸運に感謝しています。

 

 

  

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患者が主治医にできること

私がお世話になった病院は、甲状腺疾患の専門病院。全国から患者さんがいらっしゃるそうです。

年間の手術件数は、約1800件。

一日の平均外来患者数は、630人だとか。

私がお世話になった主治医の先生も、外来診療と手術で本当にお忙しそうでした。

 

先生とゆっくり話しができない

入院中に知り合った他の患者さんも、遠くから来られていました。

「ここは、専門病院だから、いつも混んでいてなかなか先生とゆっくり話ができない」とおっしゃっていました。

ネットの口コミでも、そんな内容のコメントが少数ではありますがチラホラ。

十分な説明を心がけてはいても、すべての患者さんの満足を得るには難しい現状があり、医療者の方も、きっとジレンマを感じているのではないか。

そんなことを漠然と感じていました。

 

先生に手術していただいて、本当に良かった

その日は、とても気温が高く、日の当たる西側の病室では皆さん、ドアを開け、廊下側のカーテンを引いて、お部屋に風を通しておられました。

廊下を歩いていたら、ある患者さんと主治医の会話が聞こえてきました。

どうやら、翌日に退院が決まったようです。

患者さんは、喉の手術で少しかすれ声。

それでもはっきりと、

「先生、私は、先生に手術していただいて、本当に良かったと思っています」

そうおっしゃいました。

「そう言っていただけると、ボクも嬉しいですわ~」と先生の嬉しそうな声。

お部屋を出てこられた先生のお顔は、こころなしかほころんでいて、足取りも軽く見えました。

そして、後ろ姿を見送る私も、ちょっぴり幸せな気分に。

「患者さんから、ああ言われたら、やっぱり先生もうれしいだろうな」率直にそう思いました。

 

何をどう伝えれば、気持ちが通い合う会話が成り立つのか

1分にも満たないこの会話。

私の主治医がそうだったように、きっとこの先生も、手術や外来の合間を縫ってベッドサイドを訪れたのでしょう。

「よろしくお願いします」「ありがとうございました」

そんなありきたりの言葉ではなく、「(他の先生ではなく)先生、あなたに手術してもらって良かった」と伝えたこの患者さんの言葉の力。

その短い時間に、何をどう伝えれば、気持ちが通い合う会話が成り立つのか、考えさせられた瞬間でした。

 

患者が主治医にできること

「話しを聞いてもらいたい」「わかりやすく説明して欲しい」「疑問には丁寧に答えてほしい」「気持ちをわかってほしい、察して欲しい」

もちろん私も含めて、患者は医療者に多くを求めます。

ただ、自分が医療者に何ができるかは忘れがちかも知れません。

何をどう伝えれば、相手のモチベーションアップにつながるのか。

患者だからできること、患者にしかできないことがあることを教えられたような気がしました。

 

 

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