大切な人を亡くした人にかける言葉の難しさ:乗り越えるものではなく乗り切るもの?
昨日、こんな記事が目に留まりました。
18トリソミーという先天性染色体異常のお子さんを出産されたお母さまとそのご主人のお話しです。
娘さんは、残念ながら68日間の命を閉じられたとのこと。
悲しみにともに生きる、その渦中にかけられた言葉の数々。
「早く悲しみを乗り越えて元気になって」
「仕方がない。運命だった」
こんな言葉に、とても傷ついたとありました。
そして、
「悲しみを乗り越える」
この言葉は、とてもリスキーだとの指摘。
後から振り返って、
「あの時はつらかったけれど、なんとか悲しみを乗り越えた気がする」と当事者が表現することであって、
周囲がそう伝えることは、
「もう、早くなかったことにして前を向きましょう」と無理なことを強いることにもつながりかねないというお話しでした。
大切な人を亡くし、悲しみのなかにある人に、
「頑張って」という言葉も禁句であると聞いたことがあります。
「頑張れない」状態なのに、それでも頑張ることを強いられるのかと辛さが募る。
「あなたはあなたで頑張って」と突き放されたような気がする。
そんな理由であったと記憶しています。
そういえば、もうずいぶん前に、お子さんを亡くされたとお母さんとお話ししたことがありました。
「息子が亡くなって10年になります。やっとつらい日々を何とか乗り切ることができたかなぁ。そんな気持ち。」
そうおっしゃっていました。
「乗り越えることはできないけれど、それでも何とか乗り切ってはきたのよ」と。
悲しみの上に乗って、それを越えることはできないけれど、悲しみつつも、乗り切ることはできる。
そんなお話しをしたことがあります。
大切な人を亡くした瞬間から、止まる時間。
周囲はどんどん自分を追い越していき、動けない自分も情けない。
そんなときに、「グズグズしていないで早くこっちへ来なさいよ」と言われても、気持ちは沈む一方なのでしょう。
「そこにいていいのよ。少しづつ動き出せるようになるから。」そんなメッセージが、気持ちを溶かしていくのかもしれません。
それにしても、言葉は難しいものですね。
夫は、「乗り越えると乗り切るの違い、わかるようでわあからんなぁ」と。
「頑張ってください」っていっちゃいかんのかぁ・・。
それじゃぁ、どうしたらいいんだ??
と困惑気味。
「よう、声をかけんわぁ。何も言わんほうがいいってなっちゃう」と率直なご発言。
よかれと思ってかける言葉が相手を深く傷つけ、
無言でいれば、それもまたいたたまれず。
いくつになっても、言葉は難しい。
そんなことを改めて感じたひとときでした。
目を通していただきありがとうございました。
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