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還暦からの再起動

リタイア後に田舎暮らしを始めた還暦女子。それなりの「人生の旬」を綴ります。

介護者の心が折れるとき

昨日、父と姉との間で、ちょっとした事件が勃発しました。

決して楽しい話題ではないので、介護に関心をお持ちでない方は、どうぞスルーしてくださいね。

 

大声で父から怒鳴られた姉

さて、昨晩、姉から電話がありました。

「もしもし・・・」第一声の声のトーンで、「あっ、何かあったな」と感じた私。

「どうかした?」と聞き返すと、

「いきなりお父さんに、『家なんか売るんじゃなかった!おまえのせいで、全財産、なくなっちゃっただろうがっ!』と大声で怒鳴られた」と姉。

事の仔細はこうです。

一昨日、母が入所予定の有料老人ホームに父親も一緒に入所する話しが持ちあがりました。

そこは、個室ゆえ、もしも父親が入所したら、荷物は最小限のものに限られる・・・そんなことを姉が父に話したそうです。

その時は、「それは仕方ないなぁ・・」という反応だったようです。

ところが、夜、独りになって考えて見ると、ここ半年で家を失い、そして有料老人ホームへの入所によって、最終的にはスーツケース1個程度の荷物になると考えた時に、急に心細くなったのだと思います。

半年前には、自宅を持ち、賃貸ながらそこそこの広さのある高齢者マンションに住んで、悠々自適の生活を送っていた自分が、どうしてこんなことに・・。

そう考えると、情けなさが怒りに変わり、「〇子が家を売れといったからこんなことになったんだ!」という図式になったと推測されます。

 

家を売却した経緯

自宅を売却した大きな要因は、転居して3年が経過する日の属する12月末までに売却すれば、税の優遇が受けられる「マイホーム特例制度」にありました。

今年の年末がその期限。いずれ売却するのならば、特例制度の恩恵が受けられるうちの方が節税になります。

母親が倒れ、医療費や介護費用がかかることが見込まれるため、このタイミングで売却するのが最良の方法だと父親と話し合いました。

「お父さんが稼いだものは、使えるかたち(現金)にして、お父さんとお母さんのために使って欲しい」

「年金が目減りしても、お金のことは心配しない生活を送って欲しい」

そう伝え、父親も、「それじゃ、売っぱらっちまうか!」と言って、当たり前のことですが、自ら書類にも署名捺印しました。

そして、不動産屋さんを見つけ、荷物の片付け、解体と、更地にするまでの膨大な作業をすべて担ってきたのは姉です。

そんな苦労があったというのに、父は、まるで姉にそそのかされて家を売らされたような言い方。

電話口で興奮し、叫ぶ父。ただ黙り込む姉。

「黙ってないで何か言えよ!!」と父。

「何も言いたくないです」と姉。

すると父親は、電話をブチンと切ってしまいました。

 

私たちはお母さんじゃない!

若いころから気に入らないことは人のせいにし、怒りが瞬間的に沸点に達して、抑制が効かない父親

起伏の激しい父親の感情はこれまで主に母親に向けられてきました。

私たち娘たちが父親の意に沿わない行動をすると、その怒りは母親に向き、母親は、「オマエの育て方が悪いからこうなったんだ!バカモン!」と怒鳴られてきました。

私たち家族のなかには、「父親の機嫌をそこねてはいけない」という不文律があり、「お父さんには言ってもムダ」「お父さんを怒らせないで」と目配せし合って表面上の家庭内の平和を保ってきました。

しかし、母親が倒れ、長期に入院。

怒りを向ける相手を失った父親の対象になるのは、姉と私しかいません。

ただ、姉も私も、母親ではありません。

父親を「よしよし」することもなだめることもできないし、また、しようとも思えません。

姉はここ半年余り、仕事のない日は、すべて両親に捧げてきました。

自宅の売却についても、どれほど大変だったことか。

その努力を台無しにするような発言に、「父親と言えども許せない」「育ててもらった恩は、十分に返した気がする」「親だから、年よりだからといってすべてを受け入れ、許さなければならないというのは納得がいかない」と話す姉。

私も、全くその通りだと思います。

 

介護者の心が折れるとき

介護は、いつ終わるかもわからない不確かな道のり。

そして、子育てと異なり、相手が若返って元気になることは期待できません。

ゴールの見えない下り坂を、ハラハラしながらひたすら下っているような営みです。

それでも、そして、どんなに身体的にキツくても、相手の笑顔や「ありがとう」の一言に、深い達成感を感じ、それをエネルギーにしてまた頑張っていけるのだと思います。

介護者にとっての一番の痛手は、介護している相手からの心ない言葉。(認知症によるものは除きます)

 

いつか自分にも

介護を必要とする日がやって来ます。

その時に、身体が不自由になり、多くのものを手放さなければならなくなった心細さの中にあっても、それでもなお、寄り添ってくれている人の心に温もりを与え続ける人でありたいと切に願っています。

 

 

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最後はスーツケース1つ分の荷物:両親の最晩年

脳梗塞で寝たきりになった母。

介護付き有料老人ホームへの入所が決まりました。

主に胃瘻などの医療処置が必要な方を対象とした施設で、全室個室。

部屋の広さは、約6畳。ビジネスホテルのシングルルーム程度です。

ベッドの他は、小さな作り付けの整理棚と引き出しがあるだけで、家具らしきものを置くスペースはありません。

現在、入院している回復期リハビリ病院からの転院となる母親。

有料老人ホームには、現在病院で使っているパジャマや下着、普段着、洗面用具などの最小の日常生活用品以外のもは持ち込めないようです。

 

父親も母親と同じ有料老人ホームに入所を検討

父親は、病院から自分が暮らしているサービス付き高齢者住宅に帰ってくることを待ちわびていました。

しかし、母親の病状や父親自身の健康状態からそれは困難となりました。

父親も車椅子生活となり、認知能力も衰えて介護を必要とする状態。

そこで、父親が母親と同じ老人ホームに入所する話しが急浮上しています。

ラッキーなことに、母親が入所する施設は、今月開所したばかりで、まだ空きがあるとのこと。

「母さんの側にいたい」という父には、またとないチャンス到来。

父親もとても乗り気になっています。

 

気がかりは部屋の狭さ

現在父親の暮らすサービス付き高齢者住宅は、夫婦部屋の1LDK。

10畳あまりの寝室の他に小さなキッチンと8畳のリビングがついていて、老夫婦が暮らすには十分な広さでした。

バルコニーもあり、日当たり、風通しも良好。

収納スペースもあり、もちろん家具の持ち込みもOK。

しかし、母親の入所する有料老人ホームは、夫婦部屋はすでに満床。

父親は、母親とは別の部屋に入ることになります。

個室にはキッチンはなく、病室のような雰囲気。バルコニーもありません。

現在の高齢者住宅から、6畳と限られたスペースで家具も置けない息が詰まるような個室に、父親が入居して適応できるだろうか。

それが気がかりです。

 

最後は、スーツケース1つ分だけの荷物に

ただ、今回は、母親の施設への入所を見送ったとしても、父親の介護度や家賃などの経済的な問題から、現在の夫婦部屋を引き払っていずれ父親も介護型の老人ホームに移る時がやってくる可能性は大です。

そうなった時に、父親もまた、日常生活に必要なものだけを持っての入所になるでしょう。

そうなれば、両親ともに、最後は、スーツケース1つ分だけの荷物ということになりそうです。

 

老いとともに、荷物を手放してきた両親

先月、約50年間住処としていた家を手放しました。

家は解体され、更地に。

その際、家具も衣服も、思い出の品もゴミとなり、何トンもの廃棄物となりました。

手元に残ったのは、小さな仏壇と父親が大切にしていた古書数冊。

そして、また今回、父親が母親の施設に入所することになれば、現在の高齢者住宅にある荷物も、断捨離する必要がありそうです。

父親の古いスーツも、母親のジャケットも、ワイングラスも、そして毎日使っていたお揃いのコーヒーカップも、もう必要ではなくなります。

仏壇と数枚の写真、その日生きるために必要な最小限のモノ、そしてそれでも手元に置いておきたいささやかな何か。

それが、両親の全財産。そんな日も近づいているような気がします。

 

最後は、一抱えの荷物になる・・。

今、大切にしているものも、いつかは手放すときが来る。

そう思うと、これ以上、モノを増やすことには慎重でありたいし、モノとの付き合い方を、真剣に考えなければならないなぁとつくづく。

両親の老いは、これから自分が辿る道を示してくれているのだと痛感する日々です。

 

 

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父からの1本の電話-振りまわされているのか、踊っているのか

もともと変形性膝関節症で歩行が不自由だった父。

3週間ほど前に転倒し、それ以来、車いすでの生活となりました。

幸いなことに骨折はなく、「痛くても頑張って歩いてください。そうでないと、歩けなくなりますよ」と医師に釘をさされ、処方された消炎鎮痛剤、胃薬とシップで何とかしのいできました。

痛みは、父曰く、「薄皮を剥ぐようにマシになってきた」とのこと。

来週から、そろそろ本腰を入れて歩行練習をする予定でいました。

 

姉からの1本の電話

金曜日の夕方6過ぎのこと。

姉から1本の電話がありました。

辺りを気にしている様子でくぐもった声。

「もしもし、あのね、お父さん、問題発生なんだわ」と。

この時点で、ドキッとする私。

姉によれば、今しがた、「足がものすごく痛い。もう、痛み止めがなくなったからこれからタクシーを呼んで病院に行く」という電話があったとのこと。

姉は間が悪く、美容院で白髪染めが始まったばかり。

「そんなこと言われたって、私は白髪染めベタベタですぐには動けんし、独りでタクシーに乗って行けるワケがないでしょう!この時間、どこの病院が空いてるっていうのよぉ!」

電話口の姉は、だんだんと気分が激しているもよう。

「もう、薬のことは、薬剤師さんにお願いして、毎月、指導管理料だか何だか払ってるのに、今、お父さんにとって一番大事な痛み止めが切れるってどういうこと!これは、クレームせんといかん!!」

「とにかく、今はどうしようもないから、ちょっと考えて折り返し電話するから待っててっていったんだけど、〇子からも、一度お父さんに電話して様子を聞いてみてくれる?」

そして、電話を切る間際に、「もう、金曜日の夕方なんて時に限って、何か起こるんだからっ!」と小さく叫んでその電話は切れました。

 

父との会話は要領を得ず

姉からの連絡を受け、とにかくすぐに父親に電話。

「お父さん、足が痛いんだって?」と尋ねると、

「そうなんだ。足が痛いんだよ」と。

「ズキズキするの?」

「ズキズキ?ズキズキって何だ?」

「いや、足がズキズキ痛むのかなって思って。ジーンとして熱っぽい感じ?」

「いや、熱はないぞー。咳も出ないし、大丈夫だ」

「じゃなくて、足。足のこと。足が腫れて熱っぽい感じ?」

「そうそう、問題は足なんだよ。歩けないんだよなー」

「やだ、お父さん、歩けないのも困るけど、今、痛いんでしょ?我慢できない感じ?」

「いや、そんなこと言ったって、我慢するしかないだろ・・。」

「ハァ??・・・何だかなぁ・・・」の父。全く要領を得ず。

「今、痛み止めの薬はないから、軟膏、わかる?軟膏、それを塗って、乾いたらシップを貼ってね。そうすれば、楽になるから」

そんなこんなの会話の途中に、部屋のチャイムの音。

姉からの電話で、ケアマネさんとスタッフの方が様子を見にきてくださったようでした。

 

もう、こっちがかなわんわぁ

折り返し姉に電話をして父の状態を報告。

痛みはあるものの、さほど差し迫った状況とも思えず、さして心配はいらないみたいだと伝えました。

姉が電話を受けた時には、どういうわけか、「すごく痛くてかなわん!今からタクシーで行く!」と大声で怒鳴っていたとのこと。

「ここ4日ばかりお父さんのところへ行ってないから、寂しくなっちゃたのかなぁ?」と姉。

そして、「もう、こっちがかなわんわぁ・・・」と大きな溜息。

結局、姉が美容院を出てからドラッグストアへ寄り、消炎鎮痛剤を買って父の元へ。

9時前に部屋に入ると、父親はすでに大鼾をかいていたとのこと。

翌朝、私が電話をかけ、「お父さん、昨日は足が痛くて大変だったね」というと、

「いやいや、大したことはない。心配しなさんな。足が痛いくらいで、ビクともせん。ハハハ」

ですって!

 

今回の1件で、姉は、白髪染めをつけた頭でオロオロし、私も電話口で溜息をつき、ケアマネジャーさんは帰ろうとする足を止められ、スタッフの方にもご心配をかけました。

「お父さんはね、周りを振り回すからやっかいなのよ」という姉の言葉が、まさに当を得ている感じ。

でも、考えて見れば、振り回されているのではなく、勝手に踊っているのかも知れないなぁと。

「お父さん、足が痛くても命を取られるようなことはないから大丈夫。軟膏とシップを貼って様子をみてね。薬は買って寝る前には届けますから」

そう、冷静に淡々と、そして粛々と伝えばいいのかも。

でも、それじゃぁ、ちょっとかわいそうな気もするし・・・、でも、メンドクサイ。

はぁ・・・。

それにしても、まだまだ道半ばでございます。

 

 

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思春期男子の子育て相談に撃沈の還暦夫婦

今日は、先週の小学校の運動会に引き続き、中学校の運動会。

昨日、中学校1年生の男の子をもつまりちゃんが、「お弁当お願いします」の依頼に自宅に寄ってくれました。

まりちゃんは、事情があってご主人とは現在別居中。

中学校1年生のひろし君と小学生の二人の子育てに励むワークングマザーです。

そのまりちゃん、どうも元気がない。

いろいろと子育てのお悩みを抱えているようでした。

 

ひろし君のLINEにビックリ仰天

まりちゃんはひろし君が中学校に上がったのをきっかけにスマホを持たせました。

そしてひろし君は、LINEを使うようになり・・。

そこからまりちゃんの悩みが始まりました。

というのも、どうも最近のひろし君の様子が気になるまりちゃん。

どうもソワソワして落ち着かない。

そこで、まりちゃんは、後ろめたさを感じつつも、意を決してひろし君のLINEを見たところ、そこには次のようなやりとりが・・。

 

ひろし君:今、何してるの?

女の子:お風呂から出たところ

ひろし君:フーン、どんな格好してるの?

女の子:今から写真、送るね

 

まりちゃんは、びっくり仰天!

どんな写真が送られてきたのかは、既読マークがついてからでないとひろし君にわかってしまうため見ることができなかったそうですが、まりちゃんには、あれこれ勝手に妄想が広がってしまい、そのことが頭から離れないとのこと。

私が最初にひろし君に会った時は、小学校2年生。

お母さんの陰に隠れるようにして恥ずかしがっていたというのに、今は、お母さんの背をはるかに追い越し、170センチの堂々たる体格。

そして、このLINE。

「えっ!ひろし君が・・」私も、正直、ビックリ!

「そうなんよ、ウチは、お父さんも頼りにならんさかい、どーしていいかわからんわ」とまりちゃんは悩んでいました。

 

子供のLINE見たらあかん

その時、「まりちゃん、なんぼなんでも、息子のLINE、見たらまずいんちゃう?息子いうても、プライバシーもあるし。母ちゃんにそんなん見られたら、家出したくなるで~。そりゃ、アカンよぉ~」と夫が。

「中学校1年生やもん。そんなん、フツーのことやで。女の子に全く興味を示さんっていうのも、それはそれで親としては別の心配も出てくるしなぁ」

「なるほどなるど・・」と内心頷く私。

なぜか突然、作家の佐藤愛子さんの顔が浮かび、彼女も、「そんなことで親がオタオタすることはない!やらせておきなさい!」というに違いない・・。

そんなお気楽な気持ちで、事の成り行きを見守っていたところ、まりちゃんが胸の内を話し始めました。

 

いじめや事件に巻き込まれたら・・・

「そうなんよ~、アカンとは思ってるんやけど、もし何かあって、親が気づいとったら防げたのにってなったら、それも辛いし・・」

まりちゃんは、当地の中学校でも、ここ数年いじめの問題が表面化し、荒れているクラスもあること、

保護者のなかには、子供の携帯をチェックしている人もいること、

そういうお母さんから聞かされる情報はかなり衝撃的で、なにかの事件に巻き込まれるのではないかという心配が浮かぶことを話してくれました。

そしてどうやら、まりちゃんにとって学校の先生は、信頼して話ができる対象ではなさそうです。

 

役立たずの私たち

この時点で、「子供のLINEを見たらアカン」と息巻いていた夫のトーンは急降下。

「そうか、そういう問題があるかぁ・・」

「それはそうやな・・」

「難しい問題やなぁ」と溜息をつくばかり。

事情があって夫に相談できないまりちゃん。その彼女が頼りにしてくれているというのに、全く役立たずの私たち。

 

時代は変わる

男の子を育てたことがあるとはいえ、もうずいぶん昔のこと。

携帯やスマホはもちろんなく、居間の家電が唯一の通話手段。

電話の声は筒抜けでプライバシーなんてあったもんじゃないという時代の子育てです。

それに、育てたと言えるかどうか、寝る間も惜しむ超多忙な毎日で、子供たちに食べさせて「安否確認」することだけで精一杯。

甚だしく手抜きの育児でした。

自分たちの経験なんてほとんど役に立たない・・・。

 

そんなこんなで小一時間。

まりちゃんの悩みをただ聞くばかり。

「じゃ、明日の運動会。お弁当、美味しいの作るね!」

かろうじて最後に出た言葉がこれとは、我ながら情けなく、今という時代の子育ての複雑さを嘆く還暦夫婦でした。 

 

 

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シニアが描く自画像の味わい

移住して始めた趣味。

それは、ベリーダンスと絵を描くこと。

月2回の絵画教室に、かれこれ3年、通っています。

メンバーは、その8割が、60代と70代。

総勢12~13人。先生も、リタイア後の60代女性。

教室は、毎回、シニアパワー全開です。

 

ある日のお題は「自画像」

「皆さん、今日は、この鏡で自分をよーく見て、自画像を描いてもらいます」と先生。

「えー、自分を描くのん?そんな小汚いもん、描けますかいな」とAさん。

笑いが渦巻くなか、

「ホンマや、どうせ描くならもっと美しいもんがいいわ」とBさん。

すかさず、

「なんでぇ、人生の山と谷、ずっと連れ添ってきた自分の顔やないの、今日は、感謝の気持ちをこめて、よーく見たってよー!」と先生。

結局、「いや・・、どないしましょ・・・」と言いつつも、鉛筆を走らせ始める生徒たち。

「まいったなぁ、よう見たら、おでこと髪の毛の境目、あらしませんがな・・」と呟きがもれ、笑いが広がります。

本題に入る前には、必ず、ひと笑いもふた笑いもある、そんな楽しい教室です。

 

シニアが描く自画像それぞれ

60代後半のCさんは、実年齢よりも10歳は若く見えるオシャレな女性。

彼女の可愛らしいネールに、いつも目を引かれます。

そんなCさんの肩越しから、先生が声をかけました。

「まぁ、Cさん!なんぼなんでも、若すぎちゃう?こりゃ、30代の顔やなぁ。30代の顔やのうて、今の顔を描いてよ~。今の、鏡に映った顔を描くねんでぇ」

そんな先生の声に、隣にいたDさんがCさんの自画像を覗きこみ、

「ホンマや!こりゃ、若い!。Cさん、ウソ描いたらあきませんよ~、ウソはドロボーの始まりでっせ~」と。

大笑いしながら、「あれ?いつもの私とちゃいますか?これ、どう見ても、今の私でしょう。私のなかではこうなってんけどなぁ、おかしいなぁ。目の錯覚かなぁ」とCさん。

いつもお茶目なCさんです。

 

同じく60代後半のEさん。

10年前に夫を亡くし、この4年間に両親、義父母の4人を次々に看取り、やっと手に入れた自由な時間を、以前から好きだった絵を描くことに使いたいと教室にやってきました。

現実をクールに見つめるしっかり者です。

そんなEさんが自画像を描く肩越しから先生が声をかけました。

「あらぁ~、ちょっとなんぼなんでもやりすぎちゃう?そこまで皺の1本1本描かんでもええねんで。これは、80代のお婆さんの顔やなぁ。もうちょっと自分に優しゅうしたってよ~」

「やり過ぎかいなぁ。ほんでも、もう私、見れば見るほどお婆さんやからなぁ。」とEさん。

そこへ、お隣の生徒さん。

「ホンマよ~、Eさん、ちょっとこれはかわいそうやで。Eさんは、こんなんちゃうで-。もっと若いで-。そないに自分に厳しゅうせんでも、いいんちゃう?」とすかさずフォロー。

 

そんなこんなで出来上がった自画像を並べてみると、同じ60代の生徒が描いたというのに、30代から80代までの顔がずらっと並びました。

忠実に自分の顔を描いたというよりも、自分のなかにある「自己イメージ」が描かれているといった方が近いのかも知れません。

闘病中の方あり、介護中の方あり。

人生のあれこれを乗り越え、そして今も、そのあれやこれやは進行形。

そんなシニアの描く自画像は、格別に味わい深いものでした。

 

 

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マダムたちのベリーダンスー辛い現実も笑って話せる老後を目指して体験を重ねる

両親の介護を通じて、自らの老い方についても思いを馳せることの多い今日この頃。

昨日、読ませていただいたおとなんさんのこちらの記事。

年を重ねるにつれ、「生き方や考え方が丸裸になる」というご指摘。

だからこそ、「辛い現実も明るく話せる人でいたい」という話。

胸に沁みるものがありました。

 

www.otonan.com

 

そして今朝、かりんかさんが、「モノより体験を蓄積することの大切さ」について書いておられました。

納得でございます。還暦女子としては、限られた時間とお金をどのように使えば、「辛い現実も笑って話せる」シニアになれるのか、考えなければいけないなぁー。

そんな時、頭を過ったのが、週1回参加している「マダムたちのベリーダンスレッスンです」

 

ベリーダンスにハマった私

実は、移住して3年目に、ふとしたきっかけで最初に私がベリーダンスにハマりました。

ベリーダンス・・そう、主に、お腹を出したセクシーな衣装で、アラブの音楽に合わせて腕、胸、腰などをしなやかに動かし、女性らしさを表現するあの踊りです。(男性のベリーダンスダンサーもいらっしゃいますが)

バレーはもちろんのこと、ジャズダンスなどは、脚を高く上げて鼻につけるような動きが必要となることがあり、関節の可動域が狭く筋力にも難のある還暦女子にとって、「ハードルは高し!」

その点、ベリーダンスは、年齢に関係なく取り組みやすい踊りです。

今年で3年目。もともと、極端な運動音痴。踊りなんてトンデモナイ派だった私ですが、気づいてみれば、小さなステージにも!

自分の人生に、人前で踊る日が来るなんて、全く思ってもみませんでした。

 

仲間が増えて「マダムたちのベリーダンス

楽しそうにベリーダンスのことを話す私に、最初呆れていた友人でしたが、次第に、「私もやってみよかー」ということに。

それで現在、全員60代の「マダムグループ」ができました。

お一人は、兼業農家の主婦。長年の農作業で腰痛もち。脊柱管狭窄症の持病をお持ち

です。

もうお一人は、元酒屋さんの奥さん。重いビールケ-スを持ちあげて運んできたせいか、長年ヘルニアで悩んでおられます。

もうお一人は、人形作家さん。ひどい肩こりに悩んでこられました。

そして、この1年間に2度の手術を受けた私。

それぞれが、どこかに故障をかかえ、痛みと同居。それでも、レッスンでは、みんな弾けます(^^♪

 

悲鳴とボヤキ

レッスンは、準備体操から。

この時点で、すでに小さな悲鳴が。

「イヤ~、身体、固いわ・・・。動けへん。」

「あかんなぁ・・。だいぶサビついとるわ」

レッスンが進むにつれ、ボヤキもMAX

「そんなことできるかいな。ムリムリムリ。ゼッタイ無理」

「キャーッ、ここでにっこり笑うやなんて、そんな恥ずかしいことでけへんわ!」

「お父さんにも、もう、にっこり笑うやなんて、何年もしたことないでー」

てな調子。

誰かが何かを言うたびに、笑いの渦。

 

真剣なマダムたち

それでも、「〇〇さん、いいですよ~、大分身体が動いてきたじゃないですか」

との優しい先生の声かけに、

「ちょっとは動いてきたかな。少しは進歩しとんやな・・」とニンマリ。

最初は、鏡に映る自分を見られず、下ばかり向いてたマダムたちも、1年半たってようやく鏡を直視できるようになってきました。

そして皆さん、真剣。

「もうちょっと腰が動くようにならんとアカンな」

「腕と腰のタイミングが何回やってもズレてるねん。」自己分析のもとに、練習に励みます。

 

「生きてるうちに覚えればええねん」

半年前から、いよいよ曲の振り付けが始まりました。

「なかなか振り付けが覚えられへんわ。何でもどんどん忘れていくばっかやのに、新しいこと、よう覚えん・・」

そうボヤく仲間を、他のマダムが慰めます。

「ええねん、ええねん、生きとるうちに1曲覚えればええんやから、ゆっくりやろな-」

「そうよー、まだまだ時間はたっぷりあるでー」と笑いの渦。

 

そんなこんなで1年半。ここ4か月ほど、先生が産休に入られてお休みですが、マダムたちは、自主練でこの間をつないでいます。

「センセが来た時、ごっつ上手になって、ビックリさせたろな!」とまるで子どものよう。

「畑で毎日毎日草抜きばっかりしよったのに、まさかベリーダンスするとは思わなんだわ」

「ホンマよ。ずっと下向いて人形さん作ってなぁ、自分が人形さんになって踊るとは思いもよらなんだわ、ハハハ」

「踊りなんて、盆踊りもやったことなかったのに、信じられへんわ」

「でも、ホンマ楽しいなぁ、何でこないに楽しいんやろなぁ」

「わからん!わからんけど、楽しいんよなぁー」

そんな会話が毎回交わされます。

 

60代のマダムたち。

それぞれに、介護や大切な人との別れ、離婚、家業の失敗、もっと遡れば、長期間の不妊治療や子どもの不登校や非行。

辛いこと、悲しいことをやまほど体験した方々ばかり。

でも、今、言葉に出るのは、「楽しいな-、シアワセやな-」ということばかり。

「死ぬまでベリーダンスやろな」

「上手じゃなくてええねん。自分たちが楽しければええねん。」

そんな言葉に、深く頷くマダム一同でございます。

 

 

 

 

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1枚の写真の価値ー失った時に、涙にくれるほど大切な写真がありますか?

昨日、姉からメールが届きました。

「あの写真、諦めきれずに施設の人に探してもらったけど、やっぱりなかった。涙が止まりません」と。

いつも冷静に判断を下す姉。

その姉が、1枚の写真のことで涙が止まらないとは、何事が起こったのか。

驚いて電話。そこには、「あの写真が一番気に入っていたのに、あれがなくなっちゃったのかと思うと、情けなくて・・」と泣いている姉がいました。

 

その写真は、私が里帰りした時の写真。

両親と私が写っており、「こっちを向いて」と声をかけられて振り向いた時の一瞬が切り取られていました。

母親は写真が苦手。どれを見ても、こわばっていたり、不自然なすまし顔が多いなかで、あの一枚だけは、ごく自然で母親らしい表情に写っていました。

夫婦関係も、親子関係も、いろいろなことがあったなか、あの1枚だけには、何のわだかまりもない素の3人が。

今年の母の日には、姉から送ってもらったその写真をもとに母を描き、写真とともに父に送りました。

「母の日には行けないから、お父さんからお母さんに見せてね」と。

大切な写真ゆえ、封筒に入れてその写真も同封。

ところが、絵に気を取られた父親は、空き箱の中に写真を押しこみ、それを施設の方が捨ててしまったようです。

 

写真というものに、関心が向かない私

姉が涙する気配を電話から感じとりながら、どう声をかけて良いのか戸惑っていました。

もちろん、貴重な一枚だったことは確か。

ただ、私にはそれほどの喪失感はなく、「へぇ~、なくなっちゃったんだ・・、いい写真だったのに残念だね」という程度。

そもそも私は、自分や家族の写真というものに、あまり関心がありません。

失った時に、涙するであろう写真も、今のところ見当たりません。

夫もそれは同じようで、よく過去の思い出話はしますが、かといって幼いころの写真も亡くなった両親の写真も見たがりません。

「イヤというほど焼きついているから、見なくてもいいんだ・・」と夫は言います。

写真は、過去の1ページ。懐かしさや思い出に浸る瞬間は、ほのぼのと暖かくていいものですが、「ああ、あの時は良かったな」「ああ、あの時は辛かったな」と回想しても、今を生きる力はそこからは得られないような気がするからです。

リタイアして、過去のささいな業績や仕事にまつわる人間関係、職業人生で身に染みついた考え方や価値観を、できるだけ断捨離したいと思っている私。

最近、むしろ大量の写真を捨てました。

 

きっと姉には、あの写真に込めた特別な思いがあったのだと思います。

あの写真は、「仲の良い家族」、「幸せそうな母親」を象徴するものだったのかも。

こんなふうに言葉にする自体、不遜なことなのかも知れません。

「失くなったものは、ご縁がなかった」

ついついそんなふうに考えてしまう私とウエットな姉。

姉にかける言葉を探しています。

 

 

 

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