還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

もし、中学校の同窓会のお知らせが届いたら、出席、それとも欠席?

昨日、郵便受けに一通の往復はがきがありました。

それは、中学校の還暦同窓会のお知らせ。

「今年で中学を卒業してから45年が経ち、私たちもいよいよ60代に突入しましたね。つきましては・・」と始まる文章。

中学を卒業してから45年!

「もう、そんなに経つんだ・・。」という感慨とともに、さてどうしたものか、少し考えてしまいました。

 

高校を卒業してから実家を離れ、そのまま地元に戻ることなく過ごしてきた私。

中学校時代の友人とは、誰一人として連絡を取り合ってきた人はなく、45年間、ご縁が切れたまま。

一度だけ、30代の後半で中学校の同窓会に出席したことはありましたが、それ以降もご縁がつながることはなく、今まできました。

幹事の方のお名前を拝見しても、ぼんやりとしかお顔が浮かんできません。

実家を売却した今となっては、中学校の卒業アルバムもすでにありません。

どなたがいらっしゃったのか、クラスメイトのお名前さえほとんど浮かびません。

 

そんな不義理を重ねている私の元にも届いた案内の葉書。

連絡先を確かめるだけで大変な手間だったでしょうに、幹事の方のご苦労を思うと頭が下がります。

今年から、両親への通い介護を始めたのですから、どうしても行けない理由はありません。

ただ、「行く!行きたい、会いたい!」という感情があまり浮かんでこないのが正直なところです。

 

皆さんは、学校の同窓会、出席されていますか?

年齢によって異なるとは思いますが、同窓会について、どんなお気持ちをもっておられるのでしょう。

 

2年前に還暦を迎えた夫は、同窓会通知の「欠席」欄を〇で囲んで返送しました。

シャイなところのある夫は、

「今さら、会ってどないするん?お互い、頭が薄くなっただの、腹が出ただの老けただの、そんなこと言い合ってもなぁ・・・」

「だいたい、顔もよく覚えとらんのに、わかってるフリして話すのもくたびれる・・」

「懐かしいけど、昔を懐かしがってもしょうがないような気もするし」

そんなことを話していたような気がします。

 

一方、年上の友人は、

「行ってきたらええやん」と積極派。

「この年になると、気分が華やぐような場に出ることも少なくなるのだから、少しオシャレをして楽しんでおいで!」と肩を押してくれます。

彼女曰く、「もう亡くなっている人もいるし、だいたい45年も前のことはすべて時効、時効!」

「酸いも甘いも噛み分けてみんなここまで来たんだから、昔のことはどうでもいいやん。ちょっと大騒ぎして盛り上がって、楽しく過ごしたら儲けものと違う?」

そんな話しをしていました。

 

 

往復はがきの返信。

もう少し考えて、投函しようと思います。

 

 

 

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定食って単品の合算よりお安い。それが思いこみだったとわかった日。

昨日は、わんこのトリミングデイ。

待ち時間に、買い物とランチを済ませるのがいつもの過ごし方です。

温かいものが食べたくて、うどんのチェーン店に入りました。

 

 

私たちが入ったのは、開店後5分ほど。

驚いたことに、もう、10人ほどの方が列をつくっておられました。

注文の窓口の側には、かつ丼、親子丼などの丼物とうどんを組み合わせた定食のポスター。

「ああ、こんな定食もあるのね」そんな話しをしながら、注文の順番を待ちました。

 

 

そして、いつものとおり、かけうどんを注文し、これまたいつものとおり、鶏天をひとつ。

いつもなら、すぐに会計の順番が来て、テーブルに着き、食べ始めるというのに、昨日はなかなか列が進みません。

そのうち、60代後半の男性客と50代女性のスタッフの会話が聞こえてきました。

 

男性客のもつトレーのお皿を確認しながら、かつ丼〇〇円、かけうどん〇〇円とレジ打ちするスタッフ。

そのあと、スタッフが合計金額を告げると、

「僕は、これ定食で頼んだんやで。そないな値段すんの?」と男性。

「定食ゆうても、お値段はひとつづつなんです。ふたつでいくらとか、そうのではないんですよ」とここで丁寧な説明。

「フーン」と不満げな男性。そして、

「ほなら、かつ丼やめて親子丼にしとくわ」

このタイミングで男性客は、オーダーを変更しました。

困ったスタッフは、「かつ丼の注文、今から変更できますかぁ」と丼物担当のスタッフの声をかけました。

しばらくして、かえってきた返事は、

「もう、作ってもうたでぇ」というもの。

「いや・・、どうしましょ・・・」

「ほなら、もうええわ・・。」男性客は、少し納得がいかないような素振りでした。

 

そんなやりとりが、数珠つなぎのお客さんの前で繰り広げられ、会計はしばらくストップしたまま。

皆さん、空腹をかかえ、うどんがのびたり冷めたりするのを気にしながら、じっと我慢。

お客さんの行列をまえにした女性スタッフの焦りと緊張が伝わってきて、結局、それからすぐに選手交代。店長と思しき方が、レジを変わり、行列はほどなく解消されました。

 

「定食っていっても、単品の組み合わせと値段は違わないのね」と私。

「定食っていうからには、漬物か小鉢ぐらいはつけなきゃいかんだろう」と夫。

 でも、このお店では、

かつ丼 490円

かけうどん 並 290円

そして定食は、780円。

値引きはなく、そのまま合算した値段でした。

 

何となく、「定食はいろいろついてお得」というイメージがありましたが、そうでもない場合があるのだと知りました。

定食というより、「組み合わせ」といった方がピッタリくる感じですが、これも「定食」なんですね。

勘違いするお客さんの感覚もわかるような気がしました。

 

それにしても、会計でゴタゴタするのは、満足度を下げますね。

食券方式ならばそんなリスクはないのかも。

でも、食券は味気ない。

これからAIが入って、世の中どう変わるんだろう。

そんなことをつらつら思ったランチでした。

 

 

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生きるためにどうしても描かざるを得ない。そんな人の絵をみて、生きることと芸術を考えた。

「芸術ってなぁに?」

そう子供に問いかけられたら、何て応えればいいんだろう?

自分のなかで、「芸術って何だろう?」という漠然とした問いが、ずっと昔からありました。

 

さて、「アール・ビュレット」という芸術のジャンルをご存知でしょうか?

既存の美術や流行、教育などに左右されず、内なる衝動のままに表現した作品を、そう呼ぶのだとか。

「人知れず表現し続ける者たち」というタイトルに惹かれ、ETV特集で放映された番組を観ました。 

 

www.nhk-ondemand.jp

 

フランスで開催されたアール・ブリュットの作品展に出品した日本人は42人。

そのなかの3人の方に焦点を当てて番組は進みました。

 

なかでも一番印象的だったのは、30代後半の女性。

中学生の頃から、学校や家庭で生きにくさを感じておられたとのこと。

中学生の頃に描いた自画像からは、何か爆発しそうな怒りが感じとれます。

二十歳の頃、大量の薬をのみ、一命を取り止めたこともあったようです。

「悩みや辛さを感じないで生きていたことがない」という彼女。

今でも、ふいに街角で出会った音に気持ちをかき乱され、うずくまって時をやり過ごします。

 

そんな彼女の描く作品が映し出された時、最初はそれを注視することができませんでした。

大胆な色使いの構図のなかに、女性の生殖器、乳房、乳汁、胎児などを模したパーツが蠢くように配置された彼女の絵。

今まで観たどの絵よりも迫力があり、観てる自分が負けそうになる、そんな強烈な絵。

口ごもりながら朴訥と語り、街の音に怯えてうずくまるその人が描いたとは思えない、生命力に溢れた作品でした。

 

彼女は、「絵を描いていなかったら、自分がどうなっていたかわからない」、「今は、できれば、明日死なないほうがいいとは思う」と話していました。

「何ために描くのですか?」そんな問いかけに、長い沈黙の後で、「秘密です」と答えた彼女。

決して雄弁には語らない人。すべては作品のなかに凝縮されているということなのかも知れません。

 

芸術とは何か・・。

ずっと自分のなかに漠然とあったひとつの問い。

この番組を観て、「ああ、こういうのを芸術というんだろうな。こういうのを、自分は芸術と呼びたいな」

そんな気持ちになりました。

 

その人が自分であるために、自分として生き続けるために、その人の魂によって生み出される創造物。

魂によって生み出されたものは、観るものの魂に訴えかけてくるものがあることを実感しました。

 

「描き続けなければ死んでしまう」

そんななかから生まれた作品には、小手先の技術も手法も飛び越えた唯一無二の圧倒的な存在感、パワーがありました。

 

 

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今ごろ気づいた!大人のアイメイク、拡大鏡は必携だった。

やっと最近になって、「これはまずいでしょ!」と真面目に取り組み始めた大人のメイク。

始めたはいいけれど、そこが何しろマダム世代の辛いところ。

問題は「視力」にもありました。

 

小学生の頃から、視力だけは優秀だった私。

両眼ともに、1.5は下らず、眼鏡をかけた同級生が羨ましく、若いころはずっとメガネに憧れておりました。

 「いいな、眼鏡・・」そんな思いが通じたのか、40代前半から、何と!老眼一直線。

今や、何をするにも眼鏡が外せなくなりました。

眼鏡さえかけていれば、ほとんどのことは何不自由なく暮らしていますが、さてメイクをしましょうという段になって、慌てました。

老眼鏡をかけていたのでは、アイラインが引けない!

 

今の私の視力では、眼鏡なしでは、睫毛の生え際なんて、到底見えない!

ただでさえ、瞼に張りがなく、たるんだ瞼にアイラインを引くのはかなりの難度。

そこへもってきて、見えない・・。

仕方なく、だいたいの辺りをつけて「エイッ!」と引いてはみたものの、

夫曰く、「目の黒い線、何だかヘンだよ~」という残念極まる仕上がりに。

 

「ねぇ、どうやってアイラン引いてるの?やっぱり慣れかな?」

いつも目元がキリリと美しい同世代の友人に尋ねてみると、

「ちょっと、拡大鏡使ってへんのぉ??」

とそれはそれは驚いた顔。

「拡大鏡なしでは無理、ゼッタイ無理!」というのが彼女のお答えでした。

 

ああ、拡大鏡ねぇ・・。

夫が髭剃りの時に使っている拡大鏡

それなら家にもあるけれどと早速試してみると、

全く見えなかった睫毛の1本1本が、ハッキリ、スッキリ、クッキリと見えるではありませんか。

アイラインも、何の問題もなく引けました。

 

ただこの拡大鏡

見えすぎて、びっくり!

皺やシミ、皮膚のたるんだ様子はもちろんのこと、毛穴ひとつひとつが鮮やかにその姿を現し、なかなかにショッキング。

鏡に映るもろもろは、注視には耐えないシロモノではありますが、きっとだんだん慣れてはいくでしょう。

 

それにしても、なぜ今まで気づかなかったのかと、悪戦苦闘していたわが身が情けない。

大鏡を味方につけて、せいぜいあれやこれやと楽しみたいと思います。

 

 

我が家の拡大鏡はこんな感じでございます。

 

 10倍拡大鏡付 両面スタンドミラー ホワイト YL-1500

 

 

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男子フィギュア。選手の活躍を見た夫。20代前半にピークを迎える人生ってどうなんだろうと呟いた。

オリンピックの男子フィギュアスケート、選手の皆様の演技は、本当に圧巻でございました。

普段、フィギュアスケートをほとんどみない夫と私も、今日ばかりは、テレビの前で神妙な面持ち。

羽生、宇野両選手の演技は、息をするのも忘れそうになるほど、手に汗握って拝見しました。

「おめでとう、そしてありがとう」

そう、声をかけておりました。

 

それにしても、このリンクに立つまで、どれほどの困難があったことか。

羽生選手の右足は、未だ悲鳴を上げて続けているようですね。

いったい、選手たちは、何度身体を氷に打ち付け、どれほどの痛みを味わってきたことでしょう。

身体の痛みばかりではなく、不安や苛立ち、焦り、恐怖、逃げだしたいほどの重圧、そして孤独。

心の痛みとも、日々を共にしてきたに違いありません。

 

それなのに、羽生選手が語ることは、ほとんどが周囲への感謝や気遣いの言葉で、謙虚というほかはありません。

筆舌に尽くせないほどの努力、そして内面での闘いがあったはずなのに、

「応援してくださった方のおかげです。応援してくださった方のおかげで良い演技ができました」

「ただただ感謝です」

そう語る23歳の彼。

人間としても、何かすでに成熟しきっているような発言でした。

 

年齢ばかり重ねて、少しも成熟の域に達しない私たち還暦夫婦は、

「すごいねぇ。何だか、すごすぎない?」と顔を見合わせるばかり。

衣装といい、華奢な身体つきといい、お顔立ちといい、アニメの世界から現れたフィギュアのような羽生選手。

「凄すぎて、ひょっとしたら、人間じゃないかもよ~」

冗談半分に、そんな言葉も飛び出しました。

 

さてさて、歓喜に包まれた中継が終わり、安堵とともにコーヒータイム。

「まぁ、でも、20代の前半にピークを迎える人生ってどうなんだろうね」と夫。

あんなに「アドレナリンが出まくり」の強烈な体験をしてしまうと、その後の人生、何をしても物足らなく感じてしまうんじゃないかというのです。

「もちろん、金メダルは素晴らしいけれど、これから彼の人生は長いからなぁ」とまるで、息子をみるように呟いていました。

 

なにをもって人生のピークを測るのか、自分に向けられた世界中の人々からの歓喜と祝福を指標にすれば、ピークは、短い競技者人生に限られるかも。

でも、アスリートとしてのピーク、仕事上のピーク、プライベイトのピークなど、いくつかのピークが山のように連なって、人生は続いていくのでしょう。

人生100年時代とも言われる今、本当にこの先の人生は長くなっています。

オリンピック中継を観ながら、いま、活躍する選手たちがどんな人生を送っていくのか、そんなことにも思いを馳せています。

 

 

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84歳の母。この1年で「老婆」から、お肌はツヤツヤ、ピカピカ!栄養とストレスフリーによるものか?

脳梗塞の後遺症で有料老人ホームのお世話になっている母。

嚥下がうまくいかないため、栄養は胃瘻からの経管栄養。

そんな生活が1年以上続いています。

 

若いころの母親は、お化粧が好きで、マッサージに励んでいた・・そんな記憶もありますが、ただ、晩年は、認知症を患っていたこともあり、ほとんどお肌のお手入れはしないまま。

80歳を超えてからは、さらに顔には深いしわが刻まれ、表情も暗く、顔色も冴えない「老女」の様相でした。

そして、母親が若いころから気にしていたのが、手の甲の皺。

「手は年齢が隠せないからいやなのよ」

よくそんなことを呟いていました。

 

ところが、脳梗塞で倒れ、老人ホームに移ってからというもの、みるみる母親の肌が変化してきました。

ほうれい線などのシワがほとんど目立たなくなり、すっかり色白に。

艶もよく、ピカピカです。

あれほど気にしていたしわくちゃだった手の甲も、シワが目に見えて少なくなり、白くてほっそりとした指になりました。

見舞客の皆さんが驚かれます。

 

「どうしてこんなに肌がキレイになっちゃったんだろうね」

母の姉、そして妹である叔母たちは、来るたびに、少々不思議そう。

スタッフの方が、ケアをしてくださっているのかも知れませんが、それにしてもこの変化!

 

・一番は、栄養がいいからよね。毎日、ビタミンもなにも、必要な栄養素が過不足なく、決まった時間に入ってるから、それでお肌も最高なのよ。

 

・ここにいれば、暑くも寒くもなく、湿度も管理されてるし、紫外線が当たることもないしね。

 

・ほとんどベッドで寝ているから、重力がかかることもないし、顔も垂れさがったせず、ほうれい線も消えたんじゃない。

 

・手は、家事も何もしないから、これだけキレイなんだね。

 

スースーと寝息を立てる母の傍らで、話は盛り上がり・・。

結局、栄養と、紫外線や重力、物理的な刺激を含めたストレスが肌に影響するという結論に至りました。

 

不安も苦悩もなく、日々を過ごしているかに見える母。

父親のDVによるストレスからも卒業。

そんな精神的なストレスから解放されたことで、肌も蘇ってきたのかも知れません。

脳は病気によって大きなダメージを受けましたが、皮膚は日々再生が繰り返され、母にはまだ、いろいろな力が残されているようです。

 

暖かくなったら、色白になった母に薄化粧。

ちょっとオシャレをして、桜並木の下を車椅子で散歩できたらと思います。

 

 

 

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大腸内視鏡検査の結果は、大学病院への紹介。こうして国民総医療費はどんどん増えていくんだな。

本日、かかりつけの消化器内科クリニックで、大腸の内視鏡検査(カメラ)を受けてきました。

実は、2年前に受けた時に、7ミリのポリープがみつかっています。

組織検査を受けたところ、過形成の良性ポリープと判明。

2年後の経過観察となりました。

 

今回医師は、そのポリープの経過を注意深く観察。

大きさは、全く変わっていなかったとのこと。

ただ、医師によれば、最近になって、6ミリ以下のポリープは良性といえども、摘出するよう、学会のガイドラインが変更されたようです。

 

今は悪性のものではないけれど、絶対に将来にわたって悪性化しないとは言い切れないので、今の内に摘出したほうが良いそうです。

今回の検査時に取ることも不可能ではなかったようですが、粘膜に張りついているタイプゆえ、切除面が大きくなり、出血する可能性もあるため、大きな病院で取った方がよいそうです。

「どこか、希望の病院はありますか?」と問われ、思いついたのは、乳癌でお世話になった近くの大学病院。

大学病院では、1泊2日の入院になる可能性が大きいようですが、そこにお願いすることにしました。

 

10年、20年後に悪性化するかも知れないことを考え、大学病院に入院してたったひとつの7ミリのポリープを切除する。

きっと、このような医療が、保険適応で受けられるのは、日本だけかも知れません。

アメリカであれば、数十万円、いやもっと医療費がかかることでしょう。

 

そこまでする必要がある?

そんな気持ちにもなりますが、腫瘤を形成する前の細胞レベルの乳癌を見つけていただいた体験をもつ私。

このような非浸潤性乳管がんの診断後20年以内の乳癌死亡率は、一般集団とほぼ同じであり、積極的な治療は、むしろ過剰医療となりデメリットも大きいとの見方もあるようです。

ただ、がん細胞がそこに確かに存在する以上、私はそのままにしておくことができませんでした。

 

今回のポリープは、ほぼ100%良性。ただ、将来の癌化に備えて、摘出した方がよいというのが、学会のガイドラインであり、主治医の意見です。

乳癌の治療のように、身体の一部を切除したり、術後に放射線をかけるということもないポリープの摘出は、身体に負担のないマイルドな治療。

「リスクは、できるだけ未然に防ぐ」という考え方なのでしょうね。

 

我が国の総医療費は、毎年1兆円以上増えている。

そんなフレーズをよく耳にします。

人口の高齢化や、医療の高度化によるものが大きいとのこと。

今現在、重病に苦しんでいるわけではないけれど、将来の予防の意味合いから、大学病院という高度医療機関のお世話になる私のようなケースも増えていくのでしょうか。

こうして国民の総医療費はどんどん増えていくのだと実感しています。

 

国民の健康保険税で成り立っている健康保険。

国全体を俯瞰してみれば、「そこまでやるの?」と疑問にも思いますが、患者個人となると、見方も変わり、「できるなら早く取ってしまいたい」という気持ちにもなります。

何と勝手なんだろうと思いつつも。

 

それにしても検診を受けるとは、自分には目に見えない胃腸のなかの、わずか数ミリの軽微な変化まで、生涯にわたって逐一マネジメントし続けることなんだと、認識を新たにしています。

やれやれ・・・。

 

 

 

 

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