還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

インスパイアされました!「いい歳して・・」は封印ね(^^♪

こちら昨日の、ココッチィさんの記事。

www.cheer-up.info

 

ミニスカートでチアリーダーを務める滝野文子さんを紹介してくださっていました。

滝野文子さんは、85歳。

1996年、63歳でジャパンポンポンを結成し、以来、21年間チアリーダーとしてご活躍です。

その姿勢の良さ、身体のキレとハリ、そして豊かな表情。

とても80代半ばとは思えない・・。

80代半ばといえば、母親と同年代。

誰もに「介護」が降りかかる、最晩年といってもいい時期です。

 

誰もが滝野さんのように歳を重ねられるわけではないけれど、

そういう生き方もあることを知ったことで、明日、60歳、還暦を迎える私はとてもインスパイアされました。

 

仕事に、育児に、とにかく、がむしゃらだった若い頃。

職業人としても、母親としても、ある程度の役割を果たしてきました。

そして、還暦を迎えた今、これから迎える「60代」は、自分へのご褒美。

ゆったりまったり穏やかに過ごすことを考えていました。

それは、何となく「リタイア後は、そうするのが当たり前」だと思っていたからです。

 

でも、きっと、それ以外の、こころを惹きつけられる強烈なモデルを見つけられなかったんですね。

生きていくなかで、「あの人のようになりたい」「あんなビジネスがしたい」という、ひとつのモデルが存在することは、道案内の役目を果たしてくれるように思います。

私も、これまで、「上手な年の重ね方」といった意味でのモデルにはお目にかかってきました。

キーワーズは、「自然体」「無理をしない」「加齢を受け入れる」。

そうそう、そのすべてが大切。

でも、何かが少し足りない。

その足らないと感じていたものが、少し見えてきました。

「周囲の目を気にせず、『楽しい』をとことん追及する」

とことん追求しているその姿こそが、周囲に大きなパワーを与えるのだと知りました。

 

ご紹介くださった動画を観て驚いたのは、チアダンスのレベルが高いこと。

平均年齢70歳以上。さすがに、鼻の位置まで脚を高く上げるような振り付けはありませんが、ここまで揃えてくるには、相当量の練習があってこそ。

ただ、「楽しければいい」というのではなく、「楽しいをとことん追求」したその結果は、思わず唸りたくなるような見事なものでした。

「いい歳をして・・」という周囲の目を恐れず、「楽しいをとことん追求」すれば、70歳代、80歳代になっても人の心を動かすダンスパフフォーマンスが可能だと知りました。

 

実は私も、ベリーダンスが大好き。

ベリーダンスは、お腹を見せて踊る露出の多いダンスです。

さすがに、「還暦を迎えたらもう無理かな」そんな気持ちもあって、「健康維持のため程度でいいか」と、かなり消極的になっていました。

でもね、もう少し、「楽しい」を追及したい。

「いい歳をして・・・」と自分で自分にブレーキをかけるのは、私らしくない。

今、そんな気持ちになっています。

 

 

 

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大切な人を亡くした人にかける言葉の難しさ:乗り越えるものではなく乗り切るもの?

昨日、こんな記事が目に留まりました。

headlines.yahoo.co.jp

 

18トリソミーという先天性染色体異常のお子さんを出産されたお母さまとそのご主人のお話しです。

娘さんは、残念ながら68日間の命を閉じられたとのこと。

悲しみにともに生きる、その渦中にかけられた言葉の数々。

「早く悲しみを乗り越えて元気になって」

「仕方がない。運命だった」

こんな言葉に、とても傷ついたとありました。

 

そして、

「悲しみを乗り越える」

この言葉は、とてもリスキーだとの指摘。

後から振り返って、

「あの時はつらかったけれど、なんとか悲しみを乗り越えた気がする」と当事者が表現することであって、

周囲がそう伝えることは、

「もう、早くなかったことにして前を向きましょう」と無理なことを強いることにもつながりかねないというお話しでした。

 

大切な人を亡くし、悲しみのなかにある人に、

「頑張って」という言葉も禁句であると聞いたことがあります。

「頑張れない」状態なのに、それでも頑張ることを強いられるのかと辛さが募る。

「あなたはあなたで頑張って」と突き放されたような気がする。

そんな理由であったと記憶しています。

 

そういえば、もうずいぶん前に、お子さんを亡くされたとお母さんとお話ししたことがありました。

「息子が亡くなって10年になります。やっとつらい日々を何とか乗り切ることができたかなぁ。そんな気持ち。」

そうおっしゃっていました。

「乗り越えることはできないけれど、それでも何とか乗り切ってはきたのよ」と。

悲しみの上に乗って、それを越えることはできないけれど、悲しみつつも、乗り切ることはできる。

そんなお話しをしたことがあります。

 

大切な人を亡くした瞬間から、止まる時間。

周囲はどんどん自分を追い越していき、動けない自分も情けない。

そんなときに、「グズグズしていないで早くこっちへ来なさいよ」と言われても、気持ちは沈む一方なのでしょう。

「そこにいていいのよ。少しづつ動き出せるようになるから。」そんなメッセージが、気持ちを溶かしていくのかもしれません。

 

それにしても、言葉は難しいものですね。

夫は、「乗り越えると乗り切るの違い、わかるようでわあからんなぁ」と。

「頑張ってください」っていっちゃいかんのかぁ・・。

それじゃぁ、どうしたらいいんだ??

と困惑気味。

「よう、声をかけんわぁ。何も言わんほうがいいってなっちゃう」と率直なご発言。

 

よかれと思ってかける言葉が相手を深く傷つけ、

無言でいれば、それもまたいたたまれず。

いくつになっても、言葉は難しい。

そんなことを改めて感じたひとときでした。

 

 

 

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夫に介護されたい?それともされたくない?:妻に介護してもらいたい夫、夫にされたくない妻

昨日の朝刊を読んでいたら、全国で有料老人ホームや高齢者住宅を運営する、「オリックス・リビング」が、全国の40歳以上の中高年を対象とした意識調査をしたという調査結果が目に止まりました。

1200人余りが回答したその結果は、

女性の6割は「夫に介護されたくない」と回答し、

男性の7割が、「妻がいい」と答えたそうです。

 

ちょうど、昨日は数人の友人とのランチの日。

あれこれおしゃべりに花が咲いたなかで、

「ねぇ、もし介護が必要になった時、旦那さんに介護してもらいたいと思う?」と問いかけてみました。

そして、4人が4人ともNO!

激しくNO!

 

「そんなん、いややわぁ~。何されるやわからへん。」

「ダンナに下の世話してもらうやなんて、ゼッタイイヤ!」

という過激発言から、

「いや~、無理やと思うわ。腰が悪いねん。うちの人。とてもとても・・。」という現実発言までさまざま。

ただ、皆さん、「できればプロの上手な人にやってもらいたい」というのが共通意見。

「でも、お金かかるよな・・」というところで全員溜息。

意気消沈したのでありました。

 

そこで話題を変えて、「じゃ、旦那さんが介護が必要になったら、どうする?」と尋ねてみたところ、

夫から介護されるなんてゼッタイイヤ!と叫んだ友人も、

「そりゃ、ある程度は看たらなしゃーないやん」と。

「まぁ、放っておくわけにもいかんしなぁ。できるうちは介護すると思うわ」

と、皆さん穏健派に早変わり。

自分は夫の世話にはなりたくない、なれないけれど、夫の世話はせざるを得ないというのが共通意見でした。

 

以前は、母親の役割とされていた子育ても、両親で取り組む時代となりました。

男性介護士さんもますます増え、活躍されています。

「世話をすること」は、女性の仕事ではなくなっているのに、いざ自分のこととなると、やはり夫には介護されたくないという女性。

男性だからというだけではなく、それまでの夫婦関係の影響も大きいのでしょうね。

 

そして我が家の場合。

夫に、「ねぇ、もし介護が必要になったら、私に介護してもらいたい?」と尋ねてみました。

そしたらなんと!

「いや、プロの人がいい」と。それも即座に。

「えっ?何で?」と問い返す私に、

夫は、「だって、プロが上手だもん。上手に介護してもらいたい」と。

「はぁ・・なるほどね・・」

世の男性の7割が「妻がいい」というのに、何となくちょっと寂しい気持ちも・・。

まっ、この際、お金のことは置いておいて、

夫の希望は希望として、しかと承っておきたいと思います。

 

 

 

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最善の「人生の締めくくり」を送るためのアドバンス・ケア・プランニング

昨日のエントリーに、皆さんからのブクマ、コメント、ありがとうございました。

 

yuuhinooka.hatenadiary.com

 

誰もが望む幸せな最期。

それを実現させるためには、

どこまで治療を受けるのか、

最期の時をどこでどのように過ごすのか、

自分の意思をはっきりさせて、家族や医療者と合意を得ておかなければならないことを痛感しました。

 

友人と会い、少し重苦しい気分で帰りの飛行機を待つ間、偶然目にした新聞記事。

見出しに、「迫る多死社会、最善の最期を目指す 国自治体 事前意思表示を啓発」

とありました。(毎日新聞 朝刊、2017年11月15日 11面)

 

思わず視線が吸いつけられ、目を追ってみると、

①国や自治体は、人生の最終段階(終末期)に、本人の希望に応じた治療や療養ができるよう、環境整備のための啓発活動に着手していること

②医療現場では、患者本人と家族やかかりつけ医ら医療・介護の関係者が、何度も話し合いを重ねて患者の思いを共有する「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」の取り組みが広がりつつあること。

厚労省では、ACPの体制を構築すべく、医師や看護師、多職種の育成研修を全国で展開していること。

が報道されていました。

 

本人の意思が明確ならばそれで良いようにも思えますが、その意思について家族が納得していないと、結局は、本人の意思が覆されてしまったり、たとえ本人の意思通りに事が進んでも、家族に「本当にあれでよかったのだろうか」という不全感が残ってしまうことがよくあるようです。

また、本人と家族の意思が合致していても、それが医学的にみて、社会通念上医療者も納得できるものでなければ、実際には実行されないことになります。

本人、家族、医療者の三者が、話し合いを重ね、「それじゃあこれでいきましょう!」と合意のうえで、終末期の治療やケアについてのプランを立てる。

それがACPのようです。

 

ここ数年のうちに、

「ACPの話し合いをお願いします」

「そろそろACPを考えましょうか」

という会話が医療機関で交わされる日が来るようです。

 

このACP、高齢者や余命に限りのある方が対象ではありますが、いつ何があるのかわからないのが人の命。

事故に遭い、救急車で運びこまれ目が覚めないままに、人工呼吸器につながれ、何年もそのまま生き続けることがあるかも知れません。

若年性認知症という病いを背負うかも知れません。

そう考えると、思いついた「今」、終末期の医療やケアについて勉強しておかなければと思うのです。

 

60歳を迎えた節目の年。

どう人生の幕を閉じることが自分らしい生涯を貫くことになるのか、じっくり考え、夫との話し合いを続けていきたいと思います。

最期の日々の過ごし方を考えることは、残された今を生きることにもつながる。

そんな気もしています。

 

 

 

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あれだけ嫌がっていた人工呼吸器がついてしまった:終末期医療の意思決定

先日の上京では、何人かの友人と久しぶりの再会を果たしました。

親も見送った人、介護の真っ最中の人。

そんな友人のひとりが、

「えぇって感じ!、翌日病院に行ったら、ICUで人工呼吸器がついちゃってたのよ!」と。

 

その友人のお父様は、87歳。

かれこれ7~8年前から、呼吸器の病気で治療を続けており、今年に入ってこれが2度目の入院。

自宅で在宅酸素療法を続けながら、デイサービスにも行き、好きな将棋を楽しみ、穏やかな時間を過ごしていたとのこと。

ところが、今月に入って体調を崩し、熱と息苦しさが強くなり、その日の午後に病院を受診したところ、今回も肺炎を起こしていることがわかり、その場で入院となったそうです。

 

脱水もみられたため、点滴が開始されました。そして、抗生物質の投与も。

夕方の5時頃主治医から病状説明がありました。

「肺炎を起こしているので、炎症を抑える治療をして、早くお家に帰れるようにしましょう」

という内容だったそうです。

この時には、翌日、人工呼吸器が装着されるほどの重症になるとは、全く予想もしていなかったとのこと。

 

友人は、こう話しました。

「もう、高齢だから、いつ何があっても驚かないんだけど、人工呼吸器だけは勘弁して欲しかったのに・・」と。

お父様ご自身も、何度か入院を繰り返しており、人工呼吸器をつけて治療を続けておられる患者さんを見てきたとのこと。

そして、「アレだけは勘弁して欲しい。もう、ずいぶんと長いこと生きてきたから、もう十分。息苦しいのは辛いから、苦しくないように楽に逝かせて欲しい」と話しておられたとのこと。

 

にもかかわらず、お父様は、人工呼吸器が装着され、管が何本も入り、機械に囲まれて意識を落とす薬で眠ったままだとのこと。

「こんなハズじゃなかったのにね・・」と涙ぐむ友人。

「入院した時に、もしもの時は、機械をつけないでと話しておけば良かった」と後悔しているようでした。

 

その時、ひとりの友人が、

「うちは、入院するときに聞かれたのよ。延命治療はどうしますかって」

 

どうやら、その場で尋ねられるかどうかは、病院やその場でたまたま当たった医師によって違うようです。

入院治療が決まり、「さあ!頑張って治しますよ!」っていう時に、「それで、呼吸や心臓が止まったときにはどうしますか?」とは医師も尋ねにくいのかも知れません。

当事者の友人も、今回も10日程度の入院で、また元気に自宅に戻ってくるものとばかり思っており、「もしもの時」のことまで頭が回らなかったといいます。

 

お父様についている人工呼吸器。

「これは、もう、抜けないのでしょうか?」と恐る恐る尋ねたところ、自力で十分な呼吸が回復すれば抜ける可能性はあるものの、実際のところ、それはかなり難しい現状にあるという答え。

「もう、覚悟はできているのよ。80を越えてから病気ばかり。母親も先に逝ったことだし、むしろ、もう楽にさせてあげたい。十分、頑張ってきたからね。楽にさせてあげたいのに、こんなことになっちゃって・・」と涙ぐむ友人。

かける言葉も失ってしまいました。

 

つける前なら、選択が可能。

でも、いったんついてしまったら、中止することができない人工呼吸器。

たとえ、本人が日ごろから家族にそのことを伝えていたとしても、中止はそのまま息の根を止めてしまうことにつながるからでしょう。

 

散々、自分を責める友人を

「誰もそこまで気が回らないよ。家族は、もしもの時のことなんて、その場では思いもしないもの」

と慰めつつ、

「どうすれば良かったんだろうねぇ・・」という疑問が。

 

自分が望まない苦痛を伴う治療が長期間施され、機械に囲まれて迎える最期。

それを回避したいなら、させたいのなら、自分や家族の意思を文章にして、医療者に提示する準備をしておかなければならないのかも知れません。

臓器提供の意思を免許証の裏に書き込むように、

・もしもの時には、人工呼吸器をつけるのかつけないのか

・胃瘻を望むのか望まないのか。

 

もちろん、その時の病状、回復可能性によっても気持ちは変わるでしょう。

ただ、こうしたことを常に話し合い、その時が来たら「本人の気持ちはこうなんです」と示すことのできる用意はしておきたい。

 

その後、夫とこのことについて話しました。

夫は、延命のための人工呼吸器は断固拒否。

ただ、胃瘻については、「その時が近づいて来ないと決められない」そうです。

これから何度も何度も折りあるごとに話し合い、文章など、かたちにしておきたいと思っています。

 

思いがけないお父様の展開に戸惑う友人。どうかもう、自分を責めないでと願うばかりです。

 

 

 

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誰かがやらねばならない隙間を埋める:地域で若い癌末期の方を支える

これは、ある親しい方から伺ったお話しです。

 

Aさんは、独身の40歳の男性。

癌の末期で、余命半年と厳しい状況にあります。

 

気づいた時には、すでに転移があり、症状を緩和するためのさまざまな治療のため2か月、専門病院に入院していました。

そして、内服による抗がん剤の投与を続けながら、症状も収まり、退院できるところまで回復。

ところが、Aさんは、独身で両親はすでに他界。

きょうだいとの縁も薄く、ほぼ身寄りのない状態。

運送会社で働いていましたが、病気がわかってから自暴自棄になってしまい、借金を背負って自己破産。

現在の所持金は、1万5千円。

病院のケースワーカーが手続きをして、生活保護を受けていました。

入院前に住んでいたアパートは、家賃滞納で退去せざるを得ず、Aさんは退院先を失ってしまいました。

 

40歳で余命数か月。

そんなAさんが転院できる先がなかなかみつかりません。

療養型の病院は、Aさんの高額な抗がん剤がネックになり、経営的に受けられないとのこと。

とはいえ、このまま専門病院に入院し続けることはできない。

刻々と近づく退院の予定日。

 

 

そこで、白羽の矢が立ったのが、ある介護施設

そこは、利用者さんの平均年齢が85歳という高齢者向けの施設です。

若い、しかも終末期にある方を受け入れるのは初めての体験。

高齢の利用者さんのなかで、Aさんが疎外感を感じることはないだろうか?

同世代のスタッフがキビキビ働く姿をみて、Aさんが何を思うだろうか?

何より、身体も心も、極限近く弱っているAさんを、看ていけるだろうか?

急変したら、どう対処したらいいのだろうか?

しかし、Aさんの窮状を聞くにつけ、「放ってはおけない」気持ちになった施設の管理者。

一度、会ってから決めよう。

そう考え、退院カンファレンスに赴きました。

 

車イスに座り、顔色もすぐれず弱弱しくうなだれるAさん。

以前暮らしていたアパートは、退去が迫られ、生活保護担当のケースワーカーさんが業者さんを手配して、保証人不要の激安アパートに荷物だけは運びこんであるものの、足の踏み場もない状況だとか。

このままその場に帰っても、寝るベッドさえない状況。

Aさんが生きられる時間は限られているというのに、生きていくための環境が何ひとつ整えられてはいませんでした。

 

カンファレンスで、最期は、病院で迎えること、訪問看護サービスで経過をみていくことなどが決まりました。

そして、肝心な、日々の食事や買い物、排泄の介助、洗濯、掃除、そして、心休まる温かな環境をどう提供していくか・・・。

結局、Aさんご本人と会い、高齢者施設の管理者は「受ける」ことを決断しました。

アパートから、Aさんに通っていただき、昼間、食事を提供して施設で過ごしていただくか、アパートにいたければ、ヘルパーを派遣して生活を支えていく。

 

それからです。

退院が成立しなければ、高齢者施設でのサービスの契約には至りません。

まだ、Aさんがお客さんになるかどうかもはっきりしない段階ではありますが、退院したらすぐに、ベッドで休めるよう、トイレが使えるよう、そして、2か月間、電源が切られたまま放置された中身の入った冷蔵庫の悪臭を何とかしなければAさんは暮らせない。

市のケースワーカーも、病院のケースワーカーも、「その日は会議でダメ」「面接でダメ」「出張でダメ」というぐあい。

結局、高齢者施設の管理者が、Aさんの了解を得てスタッフ3人がかりで荷物を整理し、ゴミを出し、ベッドを入れて冷蔵庫も消毒、消臭。

何とか暮らせる手筈が整いました。

 

連絡を受けてやってきたお姉さんは、Aさんと視線を合わせることもなく、「亡くなった時の身元引受人になること」を約束して帰っていかれたそうです。

 

もともと家族のいらっしゃらない方、いても縁の薄い方はこれからどんどんと増えていくでしょう。

癌の治療も進歩し、以前ならば助からなかった方も、症状をコントロールしながら生きる時間が与えられる世の中になりました。

ただ、こうした手厚いサポートが必要な方が、安心して過ごせる場所が当地にはほとんどありません。

病院を退院したその日から、Aさんが困らないように支援していくためには、「これはできない」「あれはできない」なんて言ってられない。

その時、その場にいてできそうな人がちょっと無理をしてでもやっていくしかない。

そう、高齢者施設の管理者は話していました。

 

 

若くして人生の終末期を迎えられた方を、高齢者施設でケアしていくのは新しいチャレンジ。

まだ、システムが整えられていないなかでは、誰かがその隙間を埋めなければ、物事は進んでいかないことを教えられました。

これから「多死」時代。

もはや人の死は、病院のなかでのみの出来事ではなくなりつつあることを感じました。

こうしたチャレンジによって、病気になって命に限りがあろうとも、家族との縁が薄くとも、経済的に困窮していようとも、残された日々の命が輝き続けることのできる地域であって欲しいと願うばかりです。

 

どうぞ、スタッフの方にとって、これが自信になり、将来の糧となりますように!

 

 

 

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「若いスタッフの、人と関わる力が弱くなっちゃって・・」という管理職の呟き

東京を訪れた4日間で、久しぶりに何人かの友人との再会を果たしました。

今は、都内の大病院で数百人のスタッフをまとめる立場にある友人。

「最近、病院の方はどう?」そんな問いかけに、

「忙しいのは相変わらずだけど、時代なんでしょうね、若いスタッフがなかなか育たないのよ・・。悩みは尽きないわぁ」と話し始めました。

 

「若い人の何が問題なの?」能天気な私の問いかけに、

「何がって、何だろう。そもそも、『人と関わる』っていう基本的なことが難しいのよ、今の若い人は」と、なかなか手厳しい。

検査データを読んだり、医療機器を使いこなしたり、電子カルテにパソコンで打ち込んだり、そういうことは得意なのよ。

ただ、患者さんやご家族と関係を築いて、話し合いながら今後のことを決めたりっていうことが難しい。

まずは、会話を続けること、相手の話しを引きだすこと、何気ない世間話しをすることもなかなかうまくいかないのだそうです。

「一言で言うと、「コミュニケーション能力」ってことになるんだけど、それ以前の、相手に対する関心が薄いような気がするのよね。目の前の患者さんよりも、PC画面をのぞいて自分の業務が優先。とりあえず、目の前の業務を終わらせる。で、クレーム・・」

そう呟いて、友人は小さく溜息をつきました。

現場で先輩がモデルになれればいいのだけれど、それもできていない現状があるのだそうです。

 

昨日のタクシー運転手さんの呟きといい、この友人の話しといい、考えさせられることの多い東京滞在でした。

一面では、劣化しているようにも思うけれど、IT技術がどんどん発達し、世界中の人がその恩恵を被る世の中になり、市場規模も拡大。

新しい価値が創造され、それまで考えられなかったような新しいビジネスが展開されています。

店頭まで赴かなくても、ネットで欲しいものが手に入り、銀行窓口まで行かなくても振込もできるようになりました。

 

ただ、人と人とが関わる機会は、急激に減少しているように思います。

そして、他者向ける関心も確かに低くなっているのかも知れません。

人と人とが出会って挨拶を交わし、話し合う。

そんなかつては当たり前だったことが、今はとても難しいことになっているようです。

友人の嘆きは、こうした社会全体の変化を如実に表しているようにも思えました。

 

それでも、必ず人は育つ。育てなければ育たない。

来年度から、新たな研修プロジェクトも始動するとか。

その試みが実を結ぶようにと願いつつ、また来年の再会を約束して別れました。

 

冷たい風を頬に受けながら見上げた増上寺と東京タワーです。

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