還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

正真正銘「しくじり先生」に密かにエールを送る

昨日、友人とおしゃべりしていたら、

もう、「ずいぶん昔のことなんだけどね」と前置きし、

「その時、中学校の先生がね、エライことになってたのよ」と話し出しました。

赤の他人の「エライことになったばなし」は、やっぱり蜜の味。

思わず食いつく私。

それは、まことに感慨深い、哀切に満ちたお話しでした。

 

財布から1万円を抜いて警察沙汰に

ある時その先生は、コンビニの駐車場でお財布を拾ったそうです。

中をあけて見た瞬間、魔がさしたのでしょう。

周囲を見回し(たぶん)誰もいないことを確かめて、そこから1万円だけを抜いて自分のポケットに入れ、ご丁寧にその財布を交番に届けたとのこと。

先生らしく、交番に届けたのはご立派?

ところが後日、落とし主が現れ、1万円を無断で借用してしまったことが、なぜかバレてしまい、教育委員会の知るところとなって、学校あげて大騒動になったそうです。

その日から謹慎処分。そして、懲戒免職。

地元の新聞にも名前入りで掲載されたとのことでした。

 

40代、部活にも熱心、パチンコ好き、そして実は・・

その先生は、40代後半。

部活にも熱心で、弱小チームを優勝にも導いたことのある熱血先生。

趣味はパチンコ。忙しい時間を何とかやりくりして、パチンコでストレス解消していたそうです。

そして、今回の事件、周囲には、「やっぱり」といった反応もあったようです。

というのは、職員室での盗難が度重なり、職員の間では、以前から、「どうも〇〇先生、怪しいよね」という話しが飛び交っていたとのこと。

ただ、同じ教員仲間ゆえ、誰もあからさまにする人はいなかったそうです。

友人は、「きっと、出来心で1回やってみたら、バレなかった。それで、ついつい何回か手を出して。パチンコにも、どんどんのめり込んでいったんだと思うわ」

フムフムと頷く私。そう言えば私にも心当たりが・・・

 

バレなきゃいいや、きっとバレないだろうと思ったこと、何回もある!

幸いなことに、万引きや窃盗などの刑事事件を起こしたことはございませんが、私にも心当たりが・・。

子供の頃、姉が大事にして「絶対に食べないでねっ!」と念を押されていたのに、そっとドロップの缶を開けて、3粒ほどいただいてしまったこと。

高校時代、定期券の期限が切れていたあのを承知で、うまくごまかしたら、バレなかったのに味をしめて、3~4日、そのまま乗っていたこと。

そうそう、キセルしたことも。

テストのとき、隣の優等生の答案をチラッと横目で見て、答えを書き替えてしまったこと(つまりカンニング

大人になって、上司にバレないようにミスを誤魔化したこと。

この年になって、レジのお姉さんの目を盗んで、レジ袋を1枚失敬したこと。(すみません)

ひとつひとつ思い返してみると、イヤというほど出てくる出てくる。

「バレないだろう」「バレなきゃいい」のオンパレード!

 

思えば私も、いろいろありました。「バレなきゃいい」のあれこれが。

しかし、何ともお気の毒のような気もしてくるこの先生。

40代で家庭もち。信頼と仕事を一気に失い、それからどう生きていかれたのか。

今、どこで何をしておられるのか、

「先生、頑張れ!人生は長い!」と密かにエールを送らずにはいられない私です。

 

 

 

 

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胃瘻をめぐり揺らぐ家族、胃瘻を決断する

胃瘻をつくって、ほぼ寝たきりのまま長期間、命を長らえさせることが果たして母親の幸せにつながるのか、

かといって、胃瘻をつくらず在宅ケアに切り替えることは困難。

そんな状況のなかで、気持ちが二転三転する私たち家族。

結局は、「胃瘻をお願いしよう」という決断に至りました。

 

消極的な姿勢で、このまま前に進んでもよいものか

胃瘻をつくらず在宅ケアに切り替えることは困難だとわかった時点で、私たち家族は、「胃瘻をするしかないね」と、消極的に胃瘻を是認する方向に意見が傾いていきました。

ただ、「やるしかない」という消極的な姿勢で、このまま前に進んでもよいものなのか、気持ちのなかにスッキリしないものが残っていました。

私たちは、もう一度、母親にとって胃瘻がどのような意味をもつものなのかを考えてみることにしました。

 

できなくなったことではなく、今、残されている力、将来ではなく、今現在をみる

「在宅ケアは難しい」、「病院の事情もある」といった他要因ではなく、母親にとって、胃瘻がプラスに働くと判断できるのか、もう一度考えてみました。

母親は、一人では寝返りもできず、長時間車イスに座っていることもできません。

排泄はオムツ。便意、尿意もはっきりしません。

高次脳機能障害のため、簡単な意思疎通はできますが、会話の8割は意味不明。発語も不明瞭です。

このまま、胃瘻をつけて命を長らえさせることには正直、疑問もありました。

ただ、母親は、家族の顔は認識でき、挨拶も手を握ることもできます。

少量でも、食べ物を味わうこともできます。

外の風を感じることもできれば、好きなCDを聞くこともできます。

「あのままの状態で長くなるっていうのはかわいそうな気がするけど、でも、今、お母さんができることはたくさんあるわけだし、その可能性を閉じていくっていうのは、やっぱりできないよね」

「そうね、そうだね・・・」

私たちは、「病気によってできなくなった部分ではなく、今、残されている力」、「状況が長引いた先の将来ではなく、今現在の母親」に視点を移すことによって、「胃瘻は母親にとって必要な治療」だと心の底から思えるようになりました。

この先、母親の病状がどのように変化するのかは、誰にもわかりません。

胃瘻をつけて回復していくことを願ってはいますが、83歳、しかも広範囲な脳梗塞だといういうことを考えると、回復は難しいかも知れません。

ただ、たとえ将来回復しなかったとしても、あの時、胃瘻選択をめぐって自分たち家族が何を考え判断したのか、それを振り返ることができれば、納得して現実を受け止められるような気がしています。

「あの時はあの時で、最善の選択だった」と。 

 

 

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「胃瘻はしない」という選択はあるのか

胃瘻をするか否か、私たち家族に重大な決定が迫られました。

胃瘻をすれば、命を長引かせることはできるけれど、それは母親の幸せに本当につながるのか。

胃瘻をした後の母親の未来に明るい将来の姿を見出せないと感じた私たちは、「胃瘻はしない」という方向に傾いていきました。

 

胃瘻をしないということは

「胃瘻はしない」と決断するためには、胃瘻をしなかった場合、母親と自分たち家族に何が起こるのかをハッキリさせておかなければなりません。

胃瘻をしなかった場合に起こる事柄、必要となることを具体的に考えてみました。

①付きっきりで介護する覚悟

 胃瘻をしなければ、受け入れてくれる病院や施設はほとんど皆無。

それは、必然的に在宅ケアの方向にシフトすることを意味します。

嚥下の機能としては保たれていても、高次脳機能障害により一連の摂食機能が落ちている母親。

脱水や低栄養に陥ることは承知のうえで連れて帰ってくるのであれば、誰かがつきっきりで介護をし、さまざまな工夫をこらして何とか「食べられる状態」をつくりだし、それをキープさせなければなりません。

連れて帰ってきたはいいけれど、後はヘルパーさんにお願い・・それは、あまりにも無責任。

姉か私が、泊まり込みで母親を介護するだけの覚悟が必要です。

 

②次第に弱っていったとしても、それを見守り見届ける覚悟

 必要な栄養が生き渡らなければ、徐々に母親は弱っていくでしょう。

口数が減り、反応が乏しくなり、体はおろか首も支えることができなくなり、全くの寝たきりに。

低栄養状態になれば、床ずれができるかも知れません。

もちろん、やせ細っていくことでしょう。

そうした過程を、つぶさに、母親に寄り添いながら見守る覚悟がなければ、やはり胃瘻をせずに連れ帰ってくるのは無謀なこと。

連れて帰ってきて、どうしてもダメなら救急車を呼んで入院させることも可能ではありますが、入院先でやはり胃瘻を勧められるでしょう。

そのようなことになれば、最初から胃瘻をすればよかったと後悔することは明らかです。

 

③在宅療養を支える盤石な医療・福祉の体制

 必要な水分、栄養がとれない母親を退院させて在宅ケアを行うには、家族だけでは到底困難です。

さまざまなトラブルに対応してくれる医師や看護師、そしてヘルパー、ケアマネージャーの皆さんの強い後ろ盾なしには、到底乗り切ることはできません。

 

こうして考えてみると、それぞれに家庭や仕事をもつ姉と私には、付きっ切りの介護は難しく、次第に衰えていく母親を、父親が真近かに見続け、見届けることは、到底無理だと言わざるを得ません。

そんなことをしたら、父親が壊れてしまう。姉とは、そんな会話を交わしました。 

 

 

 

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胃瘻を造った後の母親の未来

胃瘻を造ることを強く勧められた母。

「もろ手を上げて賛成!」とはならなかった私たち家族。

それは、胃瘻を造った後の母親の未来に、母の幸せ、希望があまり見えないと感じたからです。

 

胃瘻を造ったらお母さんどうなるの?

胃瘻を造った後の母親の将来を具体的に想像してみました。浮かんできたのは、

①胃瘻から栄養が確保できても、広範囲に脳が障害されているため、V字回復は難しい。

②高齢者マンションに戻って父親と暮らすことは困難。

➂オムツをして寝たきりの状態で、長期間、場合によっては年単位で病院、または施設で暮らすことになる。

そこには、あまり明るい未来は、見えてはきません。

「人さまに迷惑をかけてはいけない」「惨めな姿を見せたくない」と常々口にしていた母。

外見や世間体を極端に気にする母だっただけに、正直なところ、あのまま何年も生き続けるのはかわいそうで忍びない・・。

もう、これ以上、頑張らせるのは酷ではないか、そんな気持ちが先立ちました。

 

ベルトコンベアーに乗せられて運ばれて行く母

もちろん、母親のために胃瘻を勧めてくれた医師ですが、こういう場合は、Aコース、こういう人はBコース、こちらはCコースと、何か病院、あるいは医療行政が決めた巨大なベルトコンベアーに仕分けされて運ばれていくような多少の違和感も感じていました。

「胃瘻を造らないと、この先受けてくれる病院や施設はほとんどないですよ」

患者主体の医療とは言われますが、実際に医療を選択する立場になれば、そのベルトコンベアーからこぼれ落ちることなど到底できない。

それが現実なのだと思わざるを得ませんでした。

 

 

 

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胃瘻を再度勧められる。医師の説明、家族の直観

回復期リハビリ病院へ転院後、インフルエンザ感染などトラブルが続き、嚥下機能がむしろ後退した感のあった母親。

その後、体調が持ち直し、嚥下機能を確認する検査を受けました。

バリウムを飲んだところ、気管への流入はなく、嚥下機能は保たれていることがわかり2ヶ月半ぶりに鼻の管を抜くことができました。

これで食べられるようになると期待もしていましたが、食べ物を口にいれても眠ってしまい、十分に咀嚼して飲みこむことができません。

口からの食事は、お昼のみの1回。夜には鼻から管を入れて流動食を入れ、翌朝の朝も経管栄養で過ごすという日々が続いていました。

そんななか、病院でカンファレンスが開かれ、姉と父が同席しました。

 

胃瘻を強く勧められたんだけど・・・

すぐに姉から電話がありました。

母親は、お昼の食事も半量ほどしか食べられていないとのこと。医師は、胃瘻をお勧めしますと話し、その理由として、以下のことをあげたそうです。

①胃瘻を造れば、栄養状態と意識レベルの改善も見込め、摂食訓練の回数も増やすことができ、毎日鼻から管を入れる苦痛からも解放してあげられる。

②一度胃瘻を入れても、食べられるようになれば抜くこともできるし、手術も簡単。

③胃瘻を造らなければ、転院するにしても、施設に入所するにしても、受け入れてくれる場所は極端に少なくなる。

 

この場ではなく、いったん持ち帰って、家族でよく相談させて欲しいと保留にしてきたそうです。

 

姉の直感は?

その場にいた姉は、これは直感的に思ったことだけどと前置きしてこう話しました。

「胃瘻は抜けるというけれど、本当に抜けるんだろうか?お母さん、ジリジリと状況は悪くなっているように感じるし、頭がボケちゃってるから、普通にご飯が食べれるようになるとは考えにくいのよ」

「何だかね、次のところに早く行ってもらわなきゃ困るから、さっさと胃瘻をして欲しい、そんな病院側の事情も感じちゃったのよ。あくまでこれは直感だけどね。」

姉の話しを聞きながら、寝たきりでもう数年にわたり胃瘻からの栄養を頼りに入院生活を送っている知り合いのことが頭をよぎりました。

胃瘻が果たして抜けるかどうかは、今の時点では誰にもわからないこと。ただ、母親の場合、それほど高い確率ではないことは、確かなような気がしていました。

回復期リハビリ病院は、母親が入院予約した時もそうだったように、希望する患者さんの予約でいっぱい。

なるべく途中でつっかかることなく、次の場所に送り出さなければ、次の患者さんが受けられないという病院の事情があっても不思議ではないな。

そんなことを感じつつ、姉の話しを聞いていました。

返事は一両日中に。

そう念を押されて帰ってきたとのことことでした。

 

 

 

 

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確執のあった父親と母親の看取りの話をする

 

どうなんだい?胃瘻っていうのは

母親が経管栄養をしたまま、在宅に戻って来ることは現実的には難しいと判断した父親は、「管を抜いて帰って来るのが一番なんだけどな」と呟くように言いました。

そして、「胃瘻があるっていうけど、どうなんだい?胃瘻ってのは」と私に意見を求め、「ボクは、賛成せんのだけど」と。

父親の友人や身近な人のなかには、胃瘻をつけて長期療養中の人も何人か。

「医者は、食べられるようになったら抜けばいいって言うけど、若い人ならともかく、母さんのような年齢で、意識もハッキリせんのに、抜けるんだろうか。そういうの、聞いたことないけどなぁ」そう言いながら、押し入れから平穏死に関する本を出して、読み始めました。

 

もしも、お母さんが元気になれなかったら

「ここに書いてあるんだけど、年を取って終わりに向かっている身体に胃瘻から無理に栄養を流したって、苦しいだけで、かえって害があるそうじゃないか。」本から目を話した父親は、私にそう言い、読んでいた本を手渡しました。

父親から手渡された本を受け取り、ざっと目を通してみると、そこには「治す医療」ではなく、「看取る医療」の大切さが書かれていました。

「母さんはいつ帰って来られるんだい」と母親の退院を待ちわびる父親が、一方で母親の看取りを考え始めていることに内心驚きました。

父親は、母親の死を受け入れられないのではないかと感じていましたが、「大丈夫そう」と感じた私は、腹を据えて父親と母親の死について話し合ってみようと思いました。

「もしも、お母さんが元気になれなかったら、お父さんはどうやってお母さんを見送りたい?」

「不自然なことはしないで、そのまま安らかに逝かせてやりたいなぁ」涙ぐみながら、声を絞りだすようにそう言う父親

「そうだね、それがいいね。私もそうしたい」

静かな時間が流れたように思います。

 

すっかり老け込んだ父親がいじらしくもあり

思えば、長い間、父親との間には確執がありました。

母親を怒鳴りちらしてばかりの父親に、嫌悪感さえ抱いた時期もありました。

「我がままで、勝手で、感情のコントロールができない未熟な人」

そんなレッテルが、どうにも剥がせなかった私。

ただこの時ばかりは、一回りも二回りも小さくなってすっかり老け込み、母親の死を思い、涙する父親がいじらしくもあり、切なくもあり。

いろいろなことはあったけれど、これから先、父親と母親らしい夫婦の終焉を迎えさせてあげたい、心からそう思うようになりました。

 

 

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経管栄養が必要な母、在宅に戻ってこられるの?

さてさて、にわかに胃瘻の可能性が浮上した母親。

「食べられるようになれば、抜くことも簡単にできますから」とのことでしたが、しかし、これから命ある限り、胃瘻による経管栄養が必要になるかも知れません。

母親の帰りを一日千秋の思いで待ちわびる父親は、寝込むほど激しく動揺しました。

「大丈夫、胃瘻になっても、お母さん帰ってこられるから」

そう父親を励まして良いものやら、少し現実的に検討する必要が出てきました。

 

大丈夫ですよ!寝た切りになっても、ウチでみますからとは言ってくれたものの・・

母親が入院して間もなく、いつもお世話になっている高齢者マンションのケアアマネさんが、「大丈夫ですよ!寝たきりになっても、ウチでみますから」と言ってくれたことがありました。

姉も私も、この一言に支えられていました。「寝たきりになっても何とかなる!」と。

ただ、1日3回の経管栄養。

もちろん、父親にそれをすることは不可能。姉も、フルタイムでは働いていますし、次女の私は遠方です。

経管栄養は、看護師さんか、特別な資格をもったヘルパーさんしかできないと聞いていました。

1回、準備から事後の後始末まで、1時間ほどかかる経管栄養を一日3回。外部の訪問看護師さんかヘルパーさんにお願いすることはできるんだろうか。

ケアマネさんに相談したところ、

「う~ん、受けてくれる訪問看護ステーションがあるかどうか、探してみないと何とも言えないけど、ちょっと難しいかも知れませんね」とトーンダウン。

1日3回、365日、土日祝日も、お盆もお正月も、何があってもサービスが途切れないように考えなければなりません。

そうすると訪問看護ステーション1カ所では厳しいかも。要介護度5がついても、経済的にも大変になるとのお話しでした。

 

お父さんは、病室と化すこの部屋で暮らしていける?

経管栄養のためのサービス確保することが難しいことは薄々わかってきましたが、母親が高齢者マンションに戻ってくるためには、もうひとつ確認しておかなければならないことがありました。

それは、父親が別人にようになった母親と一緒に暮らしていけるかということです。

特に、経管栄養を継続したまま退院ということになれば、1日3回、看護師さんが報室し、処置をしてくれることになります。そのほか、1日数回のオムツ交換や体位変換。夜間も、誰かが見回り、場合によっては何か処置が必要になるかも知れません。

88歳の父親は、これから生涯にわたって母親の病室に同居することになるのです。

「あのね、毎日、朝、昼、晩と看護師さんが来てくれて・・・、夜も見回ってもらうことになるし、トイレもね・・・」

そう具体的に説明すると、父親は、次第に遠くを見つめるような視線になり、「そりゃ、ムリだな」と呟きました。

「それは、無理だな。ここは二間しかないし、逃げ場所がないもん。」

あれほど母親の退院を待ちわびていた父親でしたが、経管栄養を継続しなければならないとしたらその時には、父親は、生涯母親と別れて暮らす決断を下さざるを得なくなりました。

 

 

 

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