確執のあった父親と母親の看取りの話をする
どうなんだい?胃瘻っていうのは
母親が経管栄養をしたまま、在宅に戻って来ることは現実的には難しいと判断した父親は、「管を抜いて帰って来るのが一番なんだけどな」と呟くように言いました。
そして、「胃瘻があるっていうけど、どうなんだい?胃瘻ってのは」と私に意見を求め、「ボクは、賛成せんのだけど」と。
父親の友人や身近な人のなかには、胃瘻をつけて長期療養中の人も何人か。
「医者は、食べられるようになったら抜けばいいって言うけど、若い人ならともかく、母さんのような年齢で、意識もハッキリせんのに、抜けるんだろうか。そういうの、聞いたことないけどなぁ」そう言いながら、押し入れから平穏死に関する本を出して、読み始めました。
もしも、お母さんが元気になれなかったら
「ここに書いてあるんだけど、年を取って終わりに向かっている身体に胃瘻から無理に栄養を流したって、苦しいだけで、かえって害があるそうじゃないか。」本から目を話した父親は、私にそう言い、読んでいた本を手渡しました。
父親から手渡された本を受け取り、ざっと目を通してみると、そこには「治す医療」ではなく、「看取る医療」の大切さが書かれていました。
「母さんはいつ帰って来られるんだい」と母親の退院を待ちわびる父親が、一方で母親の看取りを考え始めていることに内心驚きました。
父親は、母親の死を受け入れられないのではないかと感じていましたが、「大丈夫そう」と感じた私は、腹を据えて父親と母親の死について話し合ってみようと思いました。
「もしも、お母さんが元気になれなかったら、お父さんはどうやってお母さんを見送りたい?」
「不自然なことはしないで、そのまま安らかに逝かせてやりたいなぁ」涙ぐみながら、声を絞りだすようにそう言う父親。
「そうだね、それがいいね。私もそうしたい」
静かな時間が流れたように思います。
すっかり老け込んだ父親がいじらしくもあり
思えば、長い間、父親との間には確執がありました。
母親を怒鳴りちらしてばかりの父親に、嫌悪感さえ抱いた時期もありました。
「我がままで、勝手で、感情のコントロールができない未熟な人」
そんなレッテルが、どうにも剥がせなかった私。
ただこの時ばかりは、一回りも二回りも小さくなってすっかり老け込み、母親の死を思い、涙する父親がいじらしくもあり、切なくもあり。
いろいろなことはあったけれど、これから先、父親と母親らしい夫婦の終焉を迎えさせてあげたい、心からそう思うようになりました。
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