本日、退院。案ずるより産むが易し
本日、甲状腺の全摘、リンパ節の郭清術を終え、自宅に戻りました。
病院に向かう車の窓からは、ハラハラと散る桜を眺めていたのに、今日見た景色は、目にも鮮やかな新緑。
たった6日間で、季節は確実に移ろっていること、木々も草花も、逞しく生き抜いていることを実感しました。
全身麻酔下で受けた手術。
入院前は、手術の合併症の可能性を説明されていました。
同じ手術を受けられた方々のブログも拝見して、傷の痛みや違和感、嗄声などの声の出ずらさ、しびれなど、高い確率で起こることを覚悟して臨んだ手術でした。
結果は、「案ずるより産むが易し」。
傷の痛みも違和感もほとんど感じません。
声も、術前とほとんど変わらず、食事も美味しくいただいています。
しびれはありますが、これも術後2週間程度すれば解消する一時的なものだそうです。
体力低下もさほど感じることなく、退院後の生活をスタートできることに、心から感謝しています。
ただ、鏡を見れば、首に真一文字の10センチにわたる傷。
気にならないと言えば嘘になりますが、これは、主治医や看護師など多くの方がベストを尽くしてくださった証です。
この首の傷も、自分の一部として愛おしみながら、これから大事にケアしていきたいと思っています。
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生きられる時間は短いのに一日が長いという友:絵を始めたわけ
もう、1年前のことです。
親しかった友人が、緩和ケア病棟に入院したと聞いて、お見舞いに行ってきました。
入院前は、痛みと呼吸苦で生きているのも大儀だったと話していましたが、
実際に会った友人は、思ったよりも顔色も良く、元気そうに、見えました。
今、一番辛いことはなに?
緩和治療が奏効し、ずいぶん楽になったと笑顔の友人。
食事も、まずます食べられるようになって、近く退院できるかも知れないと話していました。
すっかり安心した私。
「今、一番辛いことはなに?」と尋ねてみました。
「う・・ん」と考え込んだ後、
「(残された時間は)あと月単位だと言われていて・・。生きられる時間は短いのに、1日が長くて、それが一番辛いかな」と友人は答えました。
そして、「今日は、貴女が来てくれて、とっても嬉しいの」と。
もう、こんな時間?といって過ごしたい
その時はピンと来なかった私。
その後、何度か面会に行き、帰り際にたびたび彼女の口から出るのは、
「もう、こんな時間?今日は時間が経つのが早くてうれしいわ」という言葉。
限りある時間ならば、「あっと言う間」に過ぎるほど、充実した日々を送りたい。
「まだこんな時間なんだ」と時間を持て余すようなことはしたくない。
そんな彼女の気持ちがだんだんとわかってきました。
ベッドで続けられる趣味を
そしてある時友人は、「病気になっても、ベッドで続けられる趣味を持ちなさいよ」と勧めてくれました。
辛い時に、自分を救ってくれるのは、「夢中になれるなにか」だと。
夢中になれる何か、それも、病気になっても続けられること・・。
楽器や歌は音が出るし、手芸は道具が必要です。
でも絵ならば、紙と鉛筆があれば、何とかなる。
すべてを忘れて集中して過ごす感覚
そこで、半年前に絵を習い始めました。
絵を描くなんて、中学生の時以来。
ヘタクソを通り越して、自分でも自分が気の毒でなりません。
でも、やってみるとこれが楽しい!
まだ、鉛筆で物のカタチをとらえる段階。とても「絵」にはならない落書きです。
それでも、しばらく忘れていた「すべてを忘れて集中して過ごす」感覚を久しぶりに味わっています。
これから私も、病気とうまくつき合いながら過ごす人生となりそうです。
さまざまな身体と心の不調に、重苦しい時間を過ごすかも知れません。
そんな時でも、「絵を描くこと」を杖にして、「もうこんな時間?」といって過ごしたい。
友人は、私にかけがえのないものを遺してくれました。
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懐石ランチで聞こえてきた病気とお葬式の話:逃げ場がない、どうする!
昨日は、冬に逆戻りしたかのような花冷えの一日。
夫と出かけたのは、懐石ランチ。
今年は、年明けから遠距離介護が始まりましたが、それも今は小休止。
「いろいろあったけれどお疲れ様」と、来週の私の手術に向けて「頑張りましょう」の意味合いをこめて、お店を数日前に予約。
お花見をかねての楽しいひとときを過ごす・・・つもりでした。
60歳代と思われる2人の女性が入店
通されたのは、開店直後の静かなお店、その明るい窓際の一番奥の席でした。
窓際には、4人がけのテーブルが4つ。
テーブルごとにパーテーションが置かれ、視界が遮られ、他のお客様からは見えないつくりになっています。
食事が始まって間もなく、60歳代と思われる2人の女性が入店され、私たちの席のひとつ置いた奥の席に着席されました。
夫の背中の向こう側にお二人が向かい合う、そんなかっこうでした。
夫の箸が進まない
いつもながら、お店のお料理は、職人さんの細かな技が光り感動もの。
盛り付け、器、そのどれをとっても、大満足。
「すごいね~」「いやっ、美味しいね」「これ、どうやって作るんだろう」
そんなことを言い合いながらしばらく食べ始めたところで、夫の箸が何だか進まなくなってしまいました。
話題は病気とお葬式
「賑やかだなぁ」とポツリと夫。
気にしないようにはしていましたが、背中越しのご婦人お二人の声は、かなりのボリューム。
「〇〇さん、長いこと入院したんやで」
「管をぎょーさんつけて、オムツもしてな、かわいそうやったわ」
「床ずれができて、ぐちゃぐちゃやったそうな」
「ほんま、もう、そないなったら生きててもしゃーないやんか」
といった調子。
話題は主に、どなかたかの病気のお話し。
お料理が運ばれ、食べているときは、おしゃべりも止んでいましたが、食べ終わるとまたその続き。
今度はお葬式のお話し。
結局私たちは、早々に引きあげ席を後にしました。
逃げ場がないなぁ
車に戻った夫は、「ああいうのって、耳栓するわけにもいかないし、逃げ場がないなぁ」と呟きました。
お店の人に注意していただくようなことでもないし、同じ話しを聞いても、さほど苦痛に思わない人もいれば、食欲を失くす人もいます。
感じ方は人それぞれです。
ただ、声というのはやっかいで、自分の意思とは関係なく、耳に届いてしまうのが困るところ。
私も、久しぶりに友人と会って食事をしたときなど、嬉しさと気安さからついつい声も大きくなり、周囲の人に不快な思いをさせてしまっていたかも知れません。
特に女性のおしゃべりは要注意!もちろん私自身も含め、自戒しました。
次回は個室も
訪れたお店は、私たちのお気に入りの場所です。
これからも、節目節目で利用したいと思っています。
「これからは、事情を話して個室でお願いしようか。」そう夫と話しました。
私たちが気にし過ぎるのかも知れません。一般的な感覚の持ち主ではないのかも知れません。
ただ、せっかくの機会。できるだけ快適に過ごしたいし、職人さんが丹精込めてこしらえたお料理をしっかりと味わいたい。
「偏屈な客で困った」と受け取られるかも知れませんが、よくお話しすれば、お店の方も多分わかってくださるような気がしています。
少し残念なランチとなりましたが、日ごろの自分自身への自戒と、これからのお店との関係がより発展していくチャンスをいただいたようで、それはそれで有意義な機会となりました。
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二人の上司に仕える夫:定年後に大切なこと
私には、幼少期、共に暮らした従姉妹がいます。
彼女とは、姉妹同様の間柄。何でも言い合える関係が続いています。
その従姉妹は、長年高校の教員として勤め、校長を最後に一昨年、職を退きました。
現在、再就職2年目。
彼女の夫は、4歳年下のやはり教員。職場結婚でした。
そんな従姉妹夫婦が、先日、春休みを利用して遊びに来てくれました。
上から目線で断定的
私には、従姉妹に対して、日ごろ気になっていることがありました。
それは、どうも何事に対しても、「上から目線」で物を言う傾向が強まっていること。
声は、常にビックリするくらい大きく、もの言いは、いつも断定的。
「だから、それじゃ、ダメなんだって」
「違う、違う、違うの」といった調子です。
「これじゃあ、従姉妹のご主人は、たまったものじゃない」、そんないらぬ心配がチラッと過ってもいました。
そこで、従姉妹が席を立ったとき、思い切って尋ねてみました。
オレは、あなたの部下じゃない!
「〇〇さん、職場にも校長先生がいて、家にも校長先生、大変じゃない?」
何気なく聞いた言葉に、従姉妹のご主人は、「よく言ってくれた」とばかり。
「もう、何でボクがそういう言われ方しなくちゃいけないのかと思って、カチンとくることばっかりですよ」と話し始めました。
従姉妹は、無意識に腕を組むクセがあるようで、車の助手席に乗っても、腕組みしてあれこれ指示を出すとのこと。
従姉妹がご主人に頼んでおいた家事ができなかった時にも、「いいよ、いいよ」と言いつつ、「ちょっと座って」とご主人に椅子を勧め、「えっと、どうしてできなかったのかな?」とまるで部下に面接をするように問いただすのだとか。
「オレは、あなたの部下じゃない!」と怒鳴りたくもなると話していました。
長年のクセがなかなか抜けない
そんなことを話していたとき、従姉妹が戻ってきました。
「〇〇ちゃん、家のなかに校長先生がもう一人いるみたいよ~」と私。
私と自分の夫にそれぞれ視線を移し、「やだ~、そんなこと話してたの」と従姉妹。
ただ、思うところもあるようで、「長年のクセがなかなか抜けないのよね・・、悪いとは思ってるんだけど」と。
退職後も、なぜか「先生」、「先生」と呼ばれ続ける教員の世界。
「指導」でもなく、もちろん「管理」でもなく、普通に振る舞う、この簡単なことがどうも難しいと嘆いていました。
これからもしばらくバトルが
かくいう私も、時々夫から、「いつまでも、前の仕事を引きずらないで!」と叱られることがあります。
人生の3分の2を過ごしてきた職業人生で培ったアイデンティティー。
長年の職業生活のなかで身に着けてきた立ち振る舞いや考え方のクセを手放すのは、やはり時間も必要です。
それを終生手放さずに「元校長先生」として生きる道もあるとは思いますが、どうやら従姉妹のご主人は、それを望んではいないようです。
「校長先生」はもう返上して、対等な夫と妻としての関係を築きたい。そんな気持ちが伝わってきました。
従姉妹夫婦には、これからもしばらくバトルが続きそうです。
リタイア後の再出発をはかるには、男性、女性を問わず、肩書きや役職、職業生活のなかで獲得してきた価値観から一度自由になって、素の自分に戻ること。
素の自分になって、新たな人間関係を気づいていくことが大切だと、私たちも多くの先輩からアドバイスをいただきました。
まだまだ道半ばではありますが、従姉妹夫婦をみていて、ほんの少し自分たちも進歩したかも知れないと感じた一瞬でした。
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別荘地の憂鬱:変えられないものを受け入れる
先日、私たち夫婦は、しばらくぶりに友人ご夫婦の別荘におじゃましてきました。
そのご夫婦は、ご主人の定年退職を機に別荘を建て、週末田舎暮らしをエンジョイされていました。
別荘は、山と海の両方を見渡せる丘の中腹にあり、夕日が対岸に沈むときの美しさといったら!
ご夫婦の別荘が憧れでもありました。
周囲の変化にびっくり!
私たちを出迎えてくれたご夫婦。開口一番、奥様が「びっくりしたでしょ」と。
曖昧に頷く夫と私。
実は、ご夫婦の別荘の前の土地に、立派な二階立ての家が建っており、ご自慢の眺望が大きく遮られていました。
パノラマビューだった眺望の半分は前の家の外壁で見えなくなっており、庭の日当たりも、その半分は陰に。
奥様が丹精して育てたバラも、半分ほどに減って、お庭が淋しくなったように感じました。
まさか家の前に
何と声をかけていいのか戸惑っていると、奥様が、「まさか家の前に、こんな立派な二階立てが建つとは思ってもみなかったのよ、馬鹿でしょ」と自嘲気味に話し始めました。
そもそもご夫婦がこの土地を購入したのは6年前。お二人は、土地を手に入れ、すぐに別荘を建てました。そして前の土地は、ご夫婦がこの土地を購入してから半年後に売却済みとなったとのこと。
「前の土地が売れてるんだから、家が建つことだって当然あるわけなんだけど、売れてからずっとそのままだったから、こりゃ、家は建たないんじゃないかって、勝手に思いこんでたのよ」と奥様。
「前の家の工事が始まっても、しばらくは、平屋かもしれないなんて思ってて、笑っちゃうよなぁ」とご主人。
それからお二人は、今回の「事件」について、あれこれと話してくださいました。
ショックと恨みと夫婦喧嘩
最初はね、そりゃもうショックで、見るのもイヤになって、半年もほったらかし。
前のお家の施主さんも、もう少しこちらのことを考えて建ててくれてもいいんじゃないかって、恨みがましく思ったり。
この土地を買ったときに、前の土地は空いてたわけだから、眺望を確保するために、借金してでも買っておけば良かったのに。
だいたい貴方は、そういうところの判断が甘いって夫婦喧嘩になったり。
そういう気持ちになって当然だと、ただ頷く私たち。
都合良く考えることにしたのよ
しばらくそんな話が続いた後で、夫が問いかけました。
「それで、どうやって気持ちを立て直したんですか?そりゃ、大変なことだと思うけど」
「まぁ、時間かな。もう、前の家は建っちゃったんだから、今さらどうしようもないし」とご主人。
「最初は、正直、腹が立って仕方なかったんだけど、外に散歩に出れば、家からは見えなくなった海も夕日も見られるし」と奥様。
そして、夏の厳しい西日と冬の冷たい海風が、前の家によって遮られ、過ごしやすくなったこともあり、
庭の日当たりも悪くはなったけれど、広げすぎていたガーデニングを整理するきっかけにもなったと話しておられました。
そして、「前の家が衝立のようにこの家を守ってくれていると、都合良く考えることにしたのよ」と笑いながらお二人。
「まぁ、この家が建ったときも、後ろの家の人は面白くなかっただろうし、自分たちも誰かのちょっとした不幸を土台にしていたわけで。6年も楽しませてもらったと考えれば、逆にありがたいですよ」というご主人の言葉が、深く心に沁みわたりました。
穏やかで優しい気持に
それにしても、今のような心境に到達するまでに、どれほどの胸のザワつきを体験されたことでしょう。
時間を味方につけ、変えられない現実を受け入れ、見方を変えることで、体勢を立て直していく。
言葉ではわかっていても、現実に直面するとなると、なかなかできないことのように思います。
「他人のちょっとした不幸を土台に自分たちの幸せがある」
ついつい、自分の利益ばかりに目が行きがちですが、自分たちの立ち位置を、大きな枠組みで考えてみると気持ちにゆとりがもて、自分自身も楽になる。
それもこのご夫婦から教えていただきました。
「立派なご夫婦だね」
以前のような眺望は望めなかったけれど、夫も私も、なぜか穏やかで優しい気持ちになった別荘滞在でした。
目を通していただきありがとうございました。
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スーパーマーケットのレジで学んだ老いの心得
夫には、スーパーでの買物の際の小さなこだわりがあります。
それは、他の人に迷惑をかけないように、スーパーのレジを最短の時間で通過すること。
小銭を出すのに時間を要しないよう、レジ打ちの途中で、まずお財布の中に小銭がいくらあるのか確認します。
1円玉が3枚しかないとわかっていると、合計の端数が4円ならば、ゴゾゴゾ1円玉を探さず、5円玉を出せばいい・・・。それが夫のやり方です。
まごつく年配の女性
ある日のこと。
週末のスーパーマーケットは、かなりの買い物客で混み合っていました。
お客さんの多くは、年配の方々。
その日も、私たちの前には、年配の女性が並んでいました。
お年の頃、70歳代後半といったところでしょうか。
黒いゆったりとしたパンツにグレーのカットソー、少々小太りで丸顔の、ごく普通の年配のご婦人といった印象の方でした。
レジの若い女性が次々に商品を機械に通し、年配の女性に合計金額を告げました。
女性は、お財布をバックから出して、表示された金額を見ながらお札を出し、そして端数の小銭を取りだそうとしますが、どういうわけだか、50円玉が出てこない。
1円玉を出しては、「あっ、50円じゃないわね」としまい、もう一度50円玉を出そうとすると、今度は100円玉。そんなやりとりが数回。
「あらら、ごめんなさい」と言ってるそばから、今度は掌から小銭がこぼれ、レジのカウンター内に散らばってしまいました。
あわてて拾うスタッフ。恐縮する年配の女性。
私たち夫婦は、少しハラハラしながら、事の成り行きを見守っていました。
お待たせしましましたね。ごめんなさい。
それは、やっと会計を済ませ、カゴを持って立ち去る間際のことでした。
その年配の女性は、私たち夫婦の方に顔を向け、少しの笑みを含んだ柔らかな表情で、「お待たせしましたね。ごめんなさい」と声をかけてくださいました。
夫は、「いえいえ」と軽く応え、「運びましょう」とカゴを前方の台まで移動させ、その後、一言、二言、言葉を交わしたようでした。
「何て話したの?」
私の問いかけに、「いや、別に。でも、何となく、品格みたいなものを感じさせる人だったなぁ」と応えました。
周囲への気遣いを忘れぬ一言
年を重ねれば、指先の感覚も鈍くなり、1円玉と50円玉を間違えたり、50円玉のつもりが100円玉だったり。
スーパーのレジが、まるで関所にように感じて緊張してしまう、きっとそんな日が、今は「こだわり」をもつ夫にも、そして私にもいつか訪れるような気がします。
お金を払う、これだけのことがうまくいかなくて、恥かしかったり落胆したり、焦ったり。
そんな時、一刻も早くこの場をやり過ごすことを考え、後ろに並んでいる人には全く気が回らない。
私ならば、気恥ずかしさもあって、アタフタとその場を去ってしまうような気がしています。
ところが、この年配の女性は、周囲への気遣いを忘れず、一言声をかけてくださった。
その心の余裕に、夫と同様、私も「人としての品格」のようなものを感じました。
これから私たち夫婦は、共に「老人」と呼ばれる年代に差し掛かっていきます。
お腹は出て背は丸くなり、顔の筋肉は垂れ、髪も薄くなり、時間はなくなる。
ただ、そうであっても人としての品格は磨き続けることはできるのではないか。
この日のスーパーマーケットでの出来事は、私たちの大切な思い出になっています。
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