男子フィギュア。選手の活躍を見た夫。20代前半にピークを迎える人生ってどうなんだろうと呟いた。
オリンピックの男子フィギュアスケート、選手の皆様の演技は、本当に圧巻でございました。
普段、フィギュアスケートをほとんどみない夫と私も、今日ばかりは、テレビの前で神妙な面持ち。
羽生、宇野両選手の演技は、息をするのも忘れそうになるほど、手に汗握って拝見しました。
「おめでとう、そしてありがとう」
そう、声をかけておりました。
それにしても、このリンクに立つまで、どれほどの困難があったことか。
羽生選手の右足は、未だ悲鳴を上げて続けているようですね。
いったい、選手たちは、何度身体を氷に打ち付け、どれほどの痛みを味わってきたことでしょう。
身体の痛みばかりではなく、不安や苛立ち、焦り、恐怖、逃げだしたいほどの重圧、そして孤独。
心の痛みとも、日々を共にしてきたに違いありません。
それなのに、羽生選手が語ることは、ほとんどが周囲への感謝や気遣いの言葉で、謙虚というほかはありません。
筆舌に尽くせないほどの努力、そして内面での闘いがあったはずなのに、
「応援してくださった方のおかげです。応援してくださった方のおかげで良い演技ができました」
「ただただ感謝です」
そう語る23歳の彼。
人間としても、何かすでに成熟しきっているような発言でした。
年齢ばかり重ねて、少しも成熟の域に達しない私たち還暦夫婦は、
「すごいねぇ。何だか、すごすぎない?」と顔を見合わせるばかり。
衣装といい、華奢な身体つきといい、お顔立ちといい、アニメの世界から現れたフィギュアのような羽生選手。
「凄すぎて、ひょっとしたら、人間じゃないかもよ~」
冗談半分に、そんな言葉も飛び出しました。
さてさて、歓喜に包まれた中継が終わり、安堵とともにコーヒータイム。
「まぁ、でも、20代の前半にピークを迎える人生ってどうなんだろうね」と夫。
あんなに「アドレナリンが出まくり」の強烈な体験をしてしまうと、その後の人生、何をしても物足らなく感じてしまうんじゃないかというのです。
「もちろん、金メダルは素晴らしいけれど、これから彼の人生は長いからなぁ」とまるで、息子をみるように呟いていました。
なにをもって人生のピークを測るのか、自分に向けられた世界中の人々からの歓喜と祝福を指標にすれば、ピークは、短い競技者人生に限られるかも。
でも、アスリートとしてのピーク、仕事上のピーク、プライベイトのピークなど、いくつかのピークが山のように連なって、人生は続いていくのでしょう。
人生100年時代とも言われる今、本当にこの先の人生は長くなっています。
オリンピック中継を観ながら、いま、活躍する選手たちがどんな人生を送っていくのか、そんなことにも思いを馳せています。
目を通していただきありがとうございました。
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