人生の最晩年に与えられた「忘れる」ことの幸せ
先日、叔父を見舞い、その足で母の入院先に向かい、帰りに姉と父で夕食を共にしたときのことです。
母は、あまり運動機能の回復は見られないものの、意識はかなりハッキリしてきました。
帰り際には、父の手を握り、
「お父さん、来てくれてありがとうね。身体に気を付けてね」
「また来てね、寂しいから」と父に甘えます。
そんな母を前に顔を見合わせる私たち姉妹。
姉が、「お母さん、昔はずいぶんお父さんに苦労させられたのに、忘れちゃったの?」と問いかけると、
「そんなことは忘れちゃった。みんな忘れちゃった」と母。
「へぇ~」と再び顔を見合わせる姉と私。
反面教師だった両親
思えば母は、何度、「もう限界、お父さんと離婚する!」と叫んだことでしょう。
いつも父親の顔色を窺って生きて来た母。
少なくとも若いころの私には、母親に経済力がないがゆえに、暴君に一生支配されていきなければならないように映っていました。
両親は反面教師。
何が何でも自立して生きられる自分でありたい。
男性に依存しなければ、生きられないような自分にだけはなりたくない。
そんな強いメッセージを受け取りつつ育ってきた私たち姉妹にとって、ここに来て母親の、「みんな忘れちゃった」という言葉は、やはり複雑でした。
つまらんことなんて、みんな忘れちゃう
そして、夕食。
父親は、黒毛和牛のカツ定食と生ビールでご機嫌。
途中で、冷酒1本を追加し、ますます上機嫌。
姉と私で、昔のあれこれを話しても、聞いているのやら聞いていないのやら。
「お父さん、若いころのこと、覚えてる?」
「いろいろ苦労もしたし、お母さんともいろいろあったけど、覚えてる?」と問いかけてみました。
父親は、「若いころのことなんて、覚えてないなぁ~」と。
「でも、忘れるって幸せなことだよね」と姉。
「そう、つまらんことなんて、みんな忘れちゃうんだよ、この年になると」と父。
そして、最後の冷酒をグイッと飲み干しました。
「忘れた者勝ちだよね・・・」姉が呟きました。
肩透かしをくらったような・・・
私たち姉妹の心の中には、まだまだはっきりと刻みつけられている両親の過去。
DV夫と知りつつも、離れられない妻。
でも、その記憶は、当の二人にはもう残っていないようです。
あれほど数々のエピソードを残してきたというのに。
何だか肩透かしをくらったような複雑な気持ちになりました。
でも、考えて見れば、「つまらんことなんか、みんな忘れちゃう」って何って幸せなことなんでしょう。
かくいう私も、リタイア後に、現役時代のアレコレを思いだしてフト気持ちが沈むことがありました。
若かった頃の未熟な自分に、溜息がもれることも。
もう、過去のことは変えられないとわかってはいてもです。
でも、年重ねて行けば、「つまらないことは忘れる」力を手に入れることができるかも。
黒毛和牛のカツに舌鼓を打つ父親が、何とも幸せそうに見えました。
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