西城秀樹さんの訃報の余波と美容院での過ごし方
昨日のテレビ、ラジオは、亡くなられた西城秀樹さんのことを多く取り上げていましたね。
90歳になる父親も、早朝から電話をかけてきて、「西城秀樹ってのが、脳梗塞で亡くなったんだって」と。
父親は淡谷のり子、藤山一郎、あたりのことは覚えていても、西城秀樹は??。
ところが、この「脳梗塞」っていうワードに大反応。
というのも、母親が脳梗塞で倒れ、現在ほぼ寝たきりで施設入所中。
「西城秀樹は脳梗塞で亡くなったっていうんだけど、母さんは大丈夫だろうか?」
というのが電話の内容。
「脳梗塞」「亡くなる」という単語が頭のなかで結びつき、襲ってくる不安になんともしがたく電話を握りしめる父親。
西城秀樹さんがお亡くなりなったニュースは、日本列島隅々までかけめぐり、我が父親のところまでしっかり届いておりました。
さて、そんな昨日は、5週間に1度の美容院の日。
目立ち始めた白髪を染めていただきました。
今回の骨折トラブルで、移動手段はギプスと松葉杖。そんな姿で伺えば、お店にもご迷惑になるかと迷いましたが、こんな時だからこそ身ぎれいにしたいと思い、行ってきました。
店主お一人で営むその美容院に通い出して、もう6年余りになります。
さてさてこの美容院というところ、私の場合、1度にかかる時間は、約2時間半。
朝、9時からお願いして、終わるのはお昼少し前。
半日仕事です。
どうせ半日かかるのなら、少しでも有意義に使えたら嬉しいですね。
ただ、この時間の使い方が難しい。
美容師さんとおしゃべりを楽しむ方もいらっしゃると思いますが、もう6年のお付き合いで、お互いに「ツーカー」の関係。
本当は彼があまりおしゃべり好きじゃないこともわかっています。
かといって、長時間のテレビは苦手だし、雑誌は老眼で読みにくい。
あるとき、所在なくボーッとしていたら、「映画はお好きですか?」と尋ねられました。
映画は好きです。
ただ、リタイアするまではじっくり座って鑑賞する気持ちの余裕がなく、人に尋ねられたら驚かれるほど、名だたる作品のほとんどを観てはいないのです。
そんなことを話したら、それじゃ、「ビデオをみましょうか」ということになり、2時間半の美容室タイムは、毎回、映画鑑賞の時間になりました。
今回は、「君の膵臓が食べたい」
前回は、「君の名は」
その前は、「マジックアワー」
邦画ばかりではなく、洋画もたくさんみせていただきました。
三谷幸喜さんの監督作品はどれもお腹を抱えて笑うほど可笑しくて、ビデオ屋さんで借りて、自宅でまた観直したほどです。
ビデオにただただ集中していると、時間がたつのが本当に早く感じて得した気分。
私の場合は、とても良い気分転換にもなります。
ただこれができるのも、美容師さんお一人で経営しておられる小さなお店だからできることかも。
皆さんは、美容院での時間、どう過ごしていらっしゃるのでしょうか。
だんだん自分が美しく変身していくのが楽しくて、鏡に釘づけになっておられるかも知れませんが・・。
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長いお付き合いの末に訪れる曖昧な別れの辛さ:理髪店の店主の場合
昨日、1か月半ぶりに夫が床屋さんで散髪をしてきました。
そう、「床屋さん」という言い方がぴったり似合うようなちょいとレトロな店構え。
移住してからここ5年ほど、ずっとお世話になっています。
その夫が、「いや~、Aさん、突然のことで驚きましたねぇ」と店主に告げると、とても驚いた様子で、「えっ!」と。
そして、「今年になって一度も来られていないので、気になっていたんですが、亡くなられたんですか?」と。
どうやらAさんの訃報をご存知ないようでした。
Aさんは、70代半ばの男性。
わたしたちより5年ほど前に、ご夫婦でこの地に移住して来られた先輩です。
あまりご近所付き合いを好まれず、寡黙なAさんですが、夫は偶然にも理髪店でご一緒したことが2~3度あったそうです。
そこで何気なく、亡くなられたAさんのことを話題にしたところ、店主はそのことをご存知ありませんでした。
店主のご主人も、70代半ば。Aさんとは同世代。
少し気落ちされたようで、「同世代の人を見送るのは切ないですね・・」と話されたとのこと。
そして、昨年暮れに、最後にAさんがお店に来た時のことを、奥様も交えてあれこれ話し、「医者から余命わずかだと言われたなんて言ってたけど、その時はとっても元気だったから、まさかそんなことになるとは・・」と小さく溜息をつかれたそうです。
この理髪業というお仕事。
2代目の店主によれば、もう40年、50年と欠かさず通って来てくれるお客様がいらっしゃるのだそうです。
「一緒に歳をとっていってるっていう感じ」だそうで、頭を触れば、その形だけで目をつぶっていても、誰かわかるそうです。
体調の良し悪しやストレスのかかり具合なども全部わかっちゃう。
お客様さまのなかには、それほど近い関係の方もいらっしゃる。
そして、床屋さんの鏡の前では、いつになく饒舌になられる方も。
家のなかの出来事や仕事上のストレスなどの愚痴も、きっと随分聞いてこられたに違いありません。
40年、50年のお付き合いのなかで、「誰よりのあの人のことを知ってる」というお客様もたくさん。
けれど、お互いに歳を重ね、ここ数年で、パタッと突然顔を見せなくなるお客様がいらっしゃるそうです。
そして、しばらく経ってから、「あの方、亡くなられたよ」と他のお客様から伝え聞く。
「いや~、最近、そういうことが重なってねぇ。辛いですねぇ。だって、長い付き合いだもの。まぁ、床屋の宿命だからしょうがないですけどね」
店主はそう寂しそうに話したそうです。
年に6回としても10年で60回、20年で120回。「もうそろそろと思うころに、ふらりと現れる」そんな関係でつながっていた糸が、ある時、何の前触れもなく切れ、それを後から人伝てに聞く。
度重なる曖昧な別れ。
出会いがあれば別れがあるのは仕方のないことですね。
ただ、夫の話から、地域に密着した理髪店、その店主の悲しみ、やるせなさが伝わってきました。
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エレガントなシニアに出会う。
昨日、無事にギプス生活2週目に突入というわけで、整形外科に受診してきました。
私の通う整形外科クリニックは、地元のお年寄り御用達。
リハビリに励む高齢者で常に大賑わいです。
首、肩、腰、膝、足首に不調を抱えるお年寄りが、牽引やホットパック、マッサージなどの施術を受けにやってきます。
足を引きずっている方、腰が曲がった方、明らかな0脚の方、身体の痛みに耐えながら、治療に向き合っておられます。
それぞれに具合の悪いところを抱えてはおられますが、皆さんおおむねとても元気。
待合室はまさに社交場。
その声の大きいことといったら!
「あれまっ!どないしたん!また、どっか痛くしたん?」
「ありゃりゃ、〇〇さん。今日は早いなぁ」
そんな会話が、待合室のどこにいても聞こえます。
ひとたび会話が始まれば、だいたいにおいてその話しは長くなり、診察室への通路をふさいでいても気づかないもよう。
そして、どういうわけだか皆さんセカセカ。
順番を気にされ、「私の順番、まだかいなぁ」と問い合わせをされる方も。
待合室は、妙な活気にあふれ、全体に雑然とした感じでした。
それは私が診察を終えて待合室に出てきたときのこと。
あいにく椅子に空きがなく、どこに立てば邪魔にならないかとキョロキョロ見回していたら、ギブスで松葉杖をつく私に、アイコンタクトと手招きで「あら、こちらへどうぞ」と合図をくださった方がいらっしゃいました。
お歳の頃、70代後半の女性。
グレーヘアーでショートカット。小柄な女性でした。
きっと、どこか身体の痛みを抱えておられるのでしょうけれど、背筋をピンと伸ばして椅子にかけておられました。
ブラウスにカーディガン、パンツというこざっぱりとした服装ながら、胸元のスカーフが引き立って華やかな印象。
ファンデーションにチーク、そして薄い口紅がグレーヘアとマッチしてとてもお似合いでした。
身のこなしもゆったり。
決して大きい声は出さず、「ありがとうございます。助かりました」というお礼の言葉に、「いえいえ、どういたしまして」とゆったりと微笑み返すのみ。
雑然とした待合室で、彼女の周りだけ、少し違う空気が流れているようでした。
「エレガントな方だな」
それが彼女に抱いた印象です。
いわゆる女優さんのような華やかさや美しさはないものの、身のこなしや佇まいに、何とも言えない上品さを感じました。
「あんなふうに歳を重ねていきたいな」
そうも思いました。
あのエレガントさはどこから来るんだろう?
まずは、他者への心遣い。
そして姿勢。
ゆったりとした身のこなし。
さりげないおしゃれ。
丁寧な言葉遣い。
そして何より、ご自分自身の生き方、人生に自信をお持ちのように感じました。
男性、女性を問わず、品良く年を重ねていきたいものですね。
外見の容姿は衰えても、内面のエレガンスは育てていきたい・・。そんなことを改めて考えたひとときでした。
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盛らないで生きる。
昨日のエントリー.。
いだいたコメントのなかに、人生のある時期を過ぎたら、「手に入れることより手放すことが重要」という主旨のコメントをいただきました。
そうだそうだと深く納得。
しかし、人間だれしも、そしていくつになっても、人よりも大きく見せたいという気持ちが働き、「これもあります」「あれもあります」「それもできます」「これもやれます」と見栄を張りたい、とかく自分を盛り過ぎる。
これが、手放すことを難しくさせているのではないでしょうか・・。
この、「盛る」ということ。
「ちょっと話し、盛ってない?」「話し、盛ってるでしょ」
そんな使われ方をしていますね。
相手の関心を惹こうとして、出来事を事実以上に大げさに表現したり、ある部分だけをことさら強調してデフォルメする。
そんな意味合いであると理解しています。
話しを面白くする範囲ならばまだいいのですが、これがエスカレートして、自分の生活、能力、人生までも、常に「盛る」習慣ができると、それは苦しいことになりますね。
自分をことさら大きく見せたい、他者の印象を良くしたい。
そんな気持ちから、背伸びをしてついつい自分を盛ってしまう。
背伸びをしている自分と、本当の自分とのギャップに、いつか自分で自分の首を絞めることになる。
若いころの自分を思い出すと、まさに「盛り過ぎ」。冷や汗ものです。
ただ、この「盛りたい」気持ちが、向上心を生み出していたのも事実です。
そしてこの「盛る」ということ。どこからが「盛り」で、どこまでが「ありのまま」なのかも難しい。
例えば、女性のお化粧ひとつとってみても、どこまでが「身だしなみ」で、どこからが「盛り」なのか。
そして、このSNS。
インスタグラムが大流行り。インスタ映えする写真をアップして、皆さん「盛る」ことに余念がないとか。
かくいう私も、こうしてブログをアップすることで、「盛りたい」気持ちを満たしているのかもしれません。
そう考えてみると、自分を飾らず、盛らずに「あるがままを生きる」ということは、それほど単純なことではないかもしれません。
これからは、「物」にも「人」にも執着せず、自分軸で淡々と生きたいと願っている私。
さてさて、本当にあるがままを生きられるのか、自分のなかの「盛りたい」気持ちとの付き合い方を、考え続けていかなければと思っています。
目を通していただきありがとうございました。
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失うことにタフであれ。
昨日、ネットで、83歳の男性が、自宅兼工場を放火し、全焼させたというニュースが報じられていました。
放火する直前、「運転免許証の返納を巡り、家族と口論になった」と話していたということで、警察は動機などを詳しく調べているとのこと。
奥様が軽いやけどを負った程度で、他に被害者がいなかったのがせめてもの幸いです。
この事件について、これ以上のことは何もわかりません。
ただ、運転免許証の返納をめぐる家族との口論が放火の要因になったことが確かだとしたら、この男性にとって運転免許証は、自宅・工場よりも存在の重いものだったということ。
どうしても失いたくない、誰に何を言われても、手元に置いておきたいもの、それが「運転免許証」。
家族の返納への説得は、この男性にとって自分の存在意義を脅かすものであり、パニックに陥れるほどの脅威になったとも考えられますね。
実は我が父親。
運転免許証は元々持っていませんが、長らくインターネットで買い物や簡単なゲームなどを楽しんでいました。
ところが、認知機能が徐々に低下。オークションで手当たり次第に骨董品を買い漁り、貯金残高はほぼゼロに。
本人も懲りたのか、ここ1年以上、PCにはさわらなくなっていました。
ところが、インターネットの使用料は引き落しされ続けています。
そこで姉が、「お父さん、パソコン、もう使わないなら、利用停止の手続きしようか?」ともちかけました。
すると、父親は、「いいんだよっ。このままにしといてくれ!!」と大声で怒鳴ったそうです。
姉はそれ以来、そのことはまだ話題に出せずにいます。
「運転免許証」にしても、「インターネット」にしても、年齢を重ねて使いこなせなれば、手放していく。それが抗いようのない自然の流れ。
ただ、それは単に、「車に乗れない」「インターネットが使えない」という手段的なことだけではなく、それによって自己イメージがひどく傷つけられ、自尊心が低下するというやっかいな一面もありますね。
そもそも、年を重ねるということは、体力や気力、知的な能力、容姿、さらには、親やきょうだい、友人、配偶者など、親しい人間関係の多くを失い、仕事や役割なども失っていくというまさに喪失の過程。
次々にやってくる「何かを失う」という体験の連続こそが、「老いる」ことの本質なのかもしれません。
だとすると、「失う」ことに気持ちが揺らいでいたら、人生の後半生は、本当につらい日々になってしまいそうです。
失うことにタフであれ!
失うことにタフでありたい!
こうしたニュースや周囲のエピソードを聞くたびに、自分に言い聞かせている言葉です。
「失う」というよりも、「自ら手放す」という感覚を常に持ち続けることが必要ですね。
自ら手放せば、きっと手に入れるものもあるはずです。
ただ、自ら手放すつもりなど毛頭なかったものも、ある日突然、もぎ取られるのが老年。
自由に動けた手足などのさまざまな身体の機能を奪われることだってあるでしょう。
その時には、「人生、生きてるだけで丸もうけ」
そう自分で自分を励ますしかないのかもしれませんね。
「こんなことになるとは思わなかった」という嘆きや怒りで、自分自身と周囲の生きるエネルギーを奪うことがないように。
大切なものを失った自分を何とか受け止め、それでも生きていく自分でありたいと思っています。
目を通していただきありがとうございました。
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足の指、1本1本と向き合う生き方
ギプス生活6日目を迎えております。
むくみ予防のために、「なるべく足を上げて」の生活が続くなか、ふと見ると、視線の先には、ギプスから出た5本の足の指が鎮座することの多い今日この頃。
顔のシミやシワ、タルミは気になって、毎日何回かは鏡を見るのに、これほど長時間、しかも連日、足の指の1本1本をくまなく見つめたことはかつてなく、「初体験」の日々でございます。
考えてみれば、この足の指。
若かりし頃は、ぎゅうぎゅうと靴のなかに詰め込んで、朝から晩まで長時間放置していたことも数知れず。
ブーツが流行った頃には、高温多湿の環境下、カビの餌食にしてしまったこともありました。
足の健康が言われて久しく、うすうす気になりながらも後回しにしていました。
そもそも、親指以下、小指までの5本の指。
1本1本を独立して扱ったことがあったでしょうか。
さすがに親指は別格としても、
「右足の中指の動きを良くしたい」とか、「左足の薬指の筋力をつけたい」とか。
私に限って言えば、いつも足の指は「ひとまとまりの足の指」。
目をつぶって触ってみると、足の人差し指、中指、薬指は、どの指を触っているのか、感覚がいまひとつ怪しい。
ことほど左様に、足の指は、身体のなかでも「日陰者」「みそっかす」でありました。
で、そのことに気づいた私。
ここ数日、ギプスから出た5本の指との「出会い直し」の日々でございます。
60年間、粗末に扱っていたことへの懺悔の気持ちをこめて、まずは触る、さするのマーッサージ。
次に、親指から順に動かす練習。
「ぐー・ちょき・ぱー」の親指じゃんけんなども少々。
優しく扱い、少しづつ少しづつ、5本の指を別々に扱う練習などしているうちに、紫色だった内出血の痕も薄くなりました。
そして、気のせいか血色も良くなり、しなびてくたびれていた足の指に生気が戻ってきたような・・。
たかが「足の指」問題ではありますが、考えてみればこれは私の今までの生き方を反映しているようでもあります。
「自分のことは二の次」
「見えないところは、後回し」
「うすうす気づいても、先送り」
そんな持ち主の犠牲になり粗末な扱いを受けつつも、長年にわたり耐えてきた足の指。
もう、ここいらで、そんな生き方からは脱却です。
外から見えようが見えなかろうが、「自分の足で歩く」という大切なことを支えてくれる足の指。
今回の骨折を機に、もうそろそろ、自分の身体のパーツをくまなく愛し大切にする、そんな生き方へのチェンジをはかりたいと思います。
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私は「母の日」が好きじゃない。
もうすぐ今年も「母の日」がやってきますね。
少し早めのプレゼントを渡して、お母様に感謝のお気持ちを伝えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
実は、先日、母の日をめぐって友人たちとこんな会話になりました。
「母の日って、ほんま憂鬱やわぁ、好きやないねん」と口火を切ったのは、お子さんのいらっしゃらないA子さん。
「ふむふむ・・」と頷く一同。
「そやなぁ、子どもがおらへんかったら、母の日は寂しいやろうなぁ」とB子さん。
そこへC子さんが、
「いやいや、子どもがおっても母の日、寂しい人もいてるで。ここに。うちんとこの息子たち、もう何年も、母の日やからって特別な連絡は一切なし。でもこっちは、母の日やから、今日はメールのひとつ、電話の1本ぐらいはかけてよこすかなって期待するやん。これでも朝から待ってんねんで。でも、ここ何年も何の連絡もなしや。寂しいというか、情けないというか。ほんで、フェイスブックやLINEで友達が、「こんなんプレゼントでもらいました」ってまわってくるやん。余計なんだか嫌な気持ちになんねん。母の日なんかなかったら、何の期待もせんさかいに、心も穏やかでおれんのに」と。
それを聞いたAさん。
「感謝される子どもは元々おらんから、それはしゃーないねんけど、感謝せんならん母親がまだ元気やから、話しがややこしいねん」と話し始めました。
Aさんによれば、Aさんとお母様は、「不仲な親子」。しかし、お母様にはその自覚がないらしい。A子さんはできるだけ離れていたいと思いながらも、母の日が近づくと「今年はこれがいい」とプレゼントのリクエストがあるそうな。お母様は80代半ば。
「あの年になって、よくもまあ、そんなに欲しいものが浮かぶもんやわ。物欲が凄いねん。そんな母親をみてるだけで、いやんなってくる」とAさん。
母親に対する複雑な思いを抱えつつ、気持ちとは裏はらに「感謝」を強いられることが苦痛だと言います。
「やって当たり前。そんなんほんまの感謝とちゃうやん。もう、いいかげん「母の日」卒業させてもらいたいわぁ」と嘆いていました。
そこへとりなすようにBさん。
「まぁ、欲しいものをハッキリ言ってくれるのは、逆に楽でいいやん。主人のお母さんへのプレゼントには、ほんと困ってんねん。あとから、長男の嫁はこんなんやったけど、次男の嫁はこれやとか、いろいろ未だに・・・。ほな、お金にしたらこっちも楽なんやけど、お金では心がこもってないって、ダメだししはんねん。誕生日に敬老の日、母の日と3回あんで。もう母の日はええわぁ」と。
そしてBさんは、
それより、「母の日」って、自分の母親のこと思い出さへん?それがいややねんと続けました。
「うちの母親は、高校生の時に癌で亡くなってんけどなぁ、今みたいにいい痛み止めもなくて、かわいそやったわぁ。なんにもしてやれんまま、亡くなってしもて・・。もう40年以上も前のことやのに、母の日が来ると思い出してほんま、切ないわぁ。あんなに早く死んでしまうんやったら、もっと優しゅうしてやればよかったとか、何であの時、あんなこと言うたんやろとか、そんなどうしようもないことばっかり思い出すねん。普段はころっと忘れてるのに、この時期になるとふっと過って、辛くなんねん。母の日、私も好きじゃないわぁ」と。
AさんもBさんも、そしてCさんも、それぞれのご事情から、「母の日」には複雑な思いを抱えておられるようでした。
「あれ、デパートの陰謀やないの?チョコレートと同じ。プレゼント買うてくださいっていうのに、うまく乗せられとるんと違う?」
考えてみれば、世の中の変化は著しく、お母さん不在の父子家庭や、事情があって母親と離れて暮らすお子さんもいらっしゃる。
お母さんになりたかったけれどなれなかった女性や、お母さんにはなったけれどお子さんとの縁の薄い母親、母親に感謝をと言われても、感謝できない子どもなど事情はさまざま。
母の日と言えば、カーネーションの花束とプレゼントを前に微笑む母親と子供たち。
そんな画一的なイメージが浮かびます。
「母の日って、なんや、幸せの押し売りみたいでかなわんなぁ」
そんな言葉に、深く頷く、「いろいろ訳アリ」な私たちでした。
目を通していただきありがとうございました。
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