子世代に介護の負担を背負わせないで逝きたい
朝丘雪路さんがお亡くなりになりましたね。
何とも言えない華やかで、お育ちの良さがしのばれるような立ち振る舞い。
好きな女優さんの一人でした。
最後の日々をご自宅で過ごされたとのこと。
奥様を看取った津川雅彦さんの憔悴ぶりに、胸が痛くなりました。
そんな津川さん。
「すべてに感謝。・・・先に死んでくれたことにも感謝」と述べられたようです。
「なぜ先に逝ってしまったの?」
「自分を残して先に逝ってしまうなんて」というご遺族の声はよく耳にするような気がしますが、「先に逝ってくれてありがとう」というのは、はじめて聞いたフレーズのような気がします。
そこにはきっと、
「娘に介護の負担をかけないでよかった」
「夫として妻を看取るという役割をやり遂げられてほっとした」
というお気持ちがあるような気がしました。
介護は、子どもに担わせたくない
夫婦のことは夫婦で。下の世代に問題は送らない。
そんな生き方、価値観を感じました。
さてさて、私自身も両親は、要介護5と要介護2。
月1度の実家通いを続けています。
周囲にも高齢者を介護中の方がたくさんいらっしゃいます。
叔母は、義理の両親、そして自分の両親、4人の高齢者を介護して20年。
「私の人生は、介護人生」だというのが口癖です。
今や一人の高齢者の平均介護期間は、10年にも及ぶとか。
介護は、「体力、気力、お金」を奪い、親が死ぬか、自分が死ぬかのギリギリまで追いつめられるというお話も。
そしてこの介護。
どうやら、親世代を介護するという営みは、他の動物にはない、人間固有の行為であり、「種の保存」という生物体としての本能にはプログラミングされていない行為であるようです。
ある意味、人間だけが行う介護という営み。
育ててくれた親を世話をするということは、もちろん意味や価値のあることですが、自分自身の生きる力を使い果たしてまでやるべきものではないと思います。
私たち夫婦も、お互いのことは私たち世代でできるだけ完結したいと願っています。
最後は、夫がひとりになるか、私がひとりになるか。
どちらがひとりになっても、機嫌良くひとりで暮らせるように。
そして、独り暮らしが限界を迎える少し前に、施設に入り新しい生活をスタートさせたいと思っています。
子ども世代に負担はかけたくないと思うからです。
ただ、そういえば、我が両親も、
「子供に迷惑をかけたくない」
「おまえたちになるべく迷惑をかけないように頑張る」といつも口にしていました。
父親は、母親が娘に電話をかけることも、「忙しい時に、電話するな!」と咎めていたほどです。
ところが自分が車椅子生活になり、母親が脳梗塞で倒れて以来、些細なことでも「娘、娘、娘」の日々になりました。
あれほど宣言していたというのに!
それほど、老いの孤独や衰えは、自分を律することを難しくさせるのでしょうね。
さてさて、私たちは誰にどのように世話され、看取られて旅立つのか。
できうる限り、子世代、孫世代の手と心を煩わせることなく逝きたいものだと、つくづく話しています。
目を通していただきありがとうございました。
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