盛らないで生きる。
昨日のエントリー.。
いだいたコメントのなかに、人生のある時期を過ぎたら、「手に入れることより手放すことが重要」という主旨のコメントをいただきました。
そうだそうだと深く納得。
しかし、人間だれしも、そしていくつになっても、人よりも大きく見せたいという気持ちが働き、「これもあります」「あれもあります」「それもできます」「これもやれます」と見栄を張りたい、とかく自分を盛り過ぎる。
これが、手放すことを難しくさせているのではないでしょうか・・。
この、「盛る」ということ。
「ちょっと話し、盛ってない?」「話し、盛ってるでしょ」
そんな使われ方をしていますね。
相手の関心を惹こうとして、出来事を事実以上に大げさに表現したり、ある部分だけをことさら強調してデフォルメする。
そんな意味合いであると理解しています。
話しを面白くする範囲ならばまだいいのですが、これがエスカレートして、自分の生活、能力、人生までも、常に「盛る」習慣ができると、それは苦しいことになりますね。
自分をことさら大きく見せたい、他者の印象を良くしたい。
そんな気持ちから、背伸びをしてついつい自分を盛ってしまう。
背伸びをしている自分と、本当の自分とのギャップに、いつか自分で自分の首を絞めることになる。
若いころの自分を思い出すと、まさに「盛り過ぎ」。冷や汗ものです。
ただ、この「盛りたい」気持ちが、向上心を生み出していたのも事実です。
そしてこの「盛る」ということ。どこからが「盛り」で、どこまでが「ありのまま」なのかも難しい。
例えば、女性のお化粧ひとつとってみても、どこまでが「身だしなみ」で、どこからが「盛り」なのか。
そして、このSNS。
インスタグラムが大流行り。インスタ映えする写真をアップして、皆さん「盛る」ことに余念がないとか。
かくいう私も、こうしてブログをアップすることで、「盛りたい」気持ちを満たしているのかもしれません。
そう考えてみると、自分を飾らず、盛らずに「あるがままを生きる」ということは、それほど単純なことではないかもしれません。
これからは、「物」にも「人」にも執着せず、自分軸で淡々と生きたいと願っている私。
さてさて、本当にあるがままを生きられるのか、自分のなかの「盛りたい」気持ちとの付き合い方を、考え続けていかなければと思っています。
目を通していただきありがとうございました。
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