人と自分の境界をはっきりさせて「心配」するよりまず行動。
昨年の今日、私は、甲状腺乳頭がんで甲状腺全摘手術を受けました。
あの手術からちょうど1年が経ち、昨日は、術後1年の定期健診。
結果はおかげさまで「異常なし」。
甲状腺ホルモン剤を毎日服用する以外は、術前と何ら変わらない生活を送っています。
これで、乳癌とともに、無事に甲状腺癌2年生に進級することができました。
ただ、悪性度の低いものとはいえ、癌は癌。
少ないながらも、再発や転移の可能性はあり、免疫力を落とさないよう、心がけなければと気を引き締めています。
免疫力を落とさないようにするためには、メンタルを良好に保つことが大切ですが、それを考えるとき、いつも亡き義母のことを思い出します。
義母の口癖は、「人生、いつも前のめり」、「心配なんかせん!」のふたつでした。
ふと会話のなかで、「それは心配だねぇ」などと言おうものなら、
「心配?心配なんてしやぁせん!心配して事がええ方に転ぶなら、2日でも3日でも、寝ずに心配するけんど、心配してもどうもならんことは、心配しても無駄じゃし、心配は敵。心配なんてしとらんで、庭に出て草の1本でも抜いた方が、なんぼかマシじゃ」
と、力強く否定したものでした。
きっと、義母なりの不安や心配はあったことでしょう。
ただ、それに負けないように、常に跳ね返して88年の生涯を生き抜いたのだと思います。
それにしても、「ただただ心配したって、状況は変わらない」というのはその通り。
対策が打てることならば、やみくも心配にするのではなく、まず行動ですね。
対策のしようがないことは、運を天に任せる。
そして、人の問題まで我が事のようにあれこれ思い煩うのも、私の悪いクセ。
もう、30歳を過ぎた子どものことが気になりだして、時々、眠れなくなったりもします。
考えてみれば、それは「私が解決すべき問題」ではなく、「子どもが解決すべき問題」。
人の問題や悩みまで横取りして、あれこれ思い悩んだところで、状況はなにも変わらないばかりか、かえって余計な口出しによって混乱させてしまいかねません。
そして、ふたつの癌を体験したのですから、人の心配をしている余裕など本当はないはずです。
常に体力、気力を充実させて免疫力をキープし、チェックを怠らず、自分自身のケアに専念するのが私の仕事。
ふと、何か不安がよぎったら、「できること、打つべき対策は?」と考えて、行動に移すこと。
そして、「それは誰の問題なのか?誰が解決すべき問題なのか?」を考えて、しっかりと境界を引くこと。
その二つを心に留めて、「心配なんてしやぁせん!」という義母の精神を受け継ぎたいと思います。
目を通していただきありがとうございました。
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