尻ごみしないで仕事を引き受ける。今の自分のベストを尽くせばそれでよしとしよう。
本日、実家への通い介護から自宅へと戻りました。
1週間あまり不在にしていた郵便受けをのぞくと、そこに、仕事の依頼状が。
リタイアしてから、何度かお仕事の依頼をいただいていましたが、毎回、「もうリタイアした身なので」とお断り。
いつもなら、早速、断りのお返事を差し上げていたところでしたが、今回は、「やってみようかな」と気持ちが動きました。
「もっとアクティブに、攻めの姿勢で過ごしたい」
そんなエントリーを上げたのが昨日。
私のなかでは、本当にグッドタイミング。
こんなことってあるんですねぇ。
自分でも、あまりのタイミングの良さに驚くとともに、運命と言えば大袈裟に過ぎますが、何か、背後に不思議な力が働いているようにも思えてきます。
これまで、何度かお誘いをいただいていたのに、お断りしてきたのは、自分がもはや旬を過ぎた人間であることを自覚していたから。
「老害」
その「老害」に自分がなることに、嫌悪感さえ感じていました。
「人間、去り際が大切」そう思っていました。
「華のあるうちに、スパッと辞める」。そんな生き方に憧れていたのです。
というのも、これまで、いろいろな分野の「引退記念講演」の類に多く出てきましたが、そこで感じたのは、「老練の域に達したいぶし銀のような魅力」というよりも、「旬をはるかに過ぎた衰え」。
若いころに一世を風靡したアイデアからほとんど発展もなく、未だに当時の業績を唱える諸先輩に、内心がっかりしたこともありました。
衰えの目立つ上司のサポートに、疲れ果てている友人も数多く、「あのようにはなりたくない」と、若輩者の私は、生意気にもそんな印象をもったものです。
その気持ちは、今も変わってはいません。
ただ、60歳の今、もう一度、かつての仕事に向き合ってみようという気持ちが起こっています。
以前のように、がむしゃらに仕事に邁進するのではなく、ひとつひとつの仕事を丁寧に。
きっと、力の衰えを痛感することになると思いますが、それでも、今の自分のベストを尽くせばそれでいい。そう思っています。
そして、もう一度、駆け出しのあの頃のように、謙虚に他者から自分の仕事の評価を受け、「もはや通用しない」、その時には、きっぱり辞めるつもりでいます。
どの組織にも属さず、ポストにも就かず、フリーで仕事をしている限り、「老害」になるなんていう心配もありませんね。
仕事から遠ざかっていた6年間は、きっと異なった視点、視野を自分に与えてくれたと信じて、ボチボチと取り組みたいと思います。
目を通していただきありがとうございました。
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