還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

介護にまつわる感情。「愛情と義務感」、「負担感と罪悪感」の絶妙なバランス

今日は、どんよりとした曇り空の下、歩いて父の元に行ってきました。

父の暮らす高齢者住宅まで、運動不足の解消もかねて、できるだけ歩いて行くようにしています。

時間にして片道約30分。3500歩。

スニーカーを履いてガンガン歩きます。

道すがら、行き交う人に、いろいろと思いを馳せてみたり、自分のことを思ったり。

「私はなぜこうして父の元に行くのだろう」

今日は、そんなことを思いながら歩きました。

 

なぜ親の介護をするのか。

「そんなの当たり前」「人として当たり前のこと」

そうおっしゃる方も多いと思いますが、その当たり前のことを改めて考えてみました。

介護のモチベーションは、きっと人さまざま。

「大事な親だから」、「理屈ぬきに放ってはおけないから」という愛情に裏打ちされた介護。

きっと、これがあるべき姿なのかも知れません。

ただ、私の場合は、愛情よりも「義務感」が多分に勝っています。

「自分の親だから子として看ざるを得ない」という親に対する子としての義務感。

そして、「姉に押し付けてはおけない」、「姉に申し訳が立たない」という姉に対する妹としての義務感。

愛情がないとは言えないけれど、その数倍、義務感が勝っています。

 

そして、義務感に裏打ちされた介護には、負担感が伴い、父の元に行く道すがら、気の重さを感じる自分がいます。

そして帰りに「じゃあね」と部屋のドアを閉めた直後の、あの何とも言えない解放感。

愛情が介護のモチベーションであったなら、「少しでも長く一緒にいたい」「もっといろいろしてあげたい」と、気の重さなど感じることはないのかも知れません。

 

ただ、負担感が負担感だけで済まないのが親の介護のやっかいなところ。

負担に思う自分に、「親なのになぜにもっと優しくしてあげられないのか・・」という罪悪感が追い打ちをかけます。

そして、負担感が強くならないように親と距離をとれば、「親に寂しい思いをさせて良いのか」という罪悪感が込み上げ、罪悪感が軽減するように親に尽くせば負担感が増強するという具合。

両親のことを思うとき、負担感と罪悪感の二つの感情の狭間で揺れ動いている自分がいます。

 

還暦を迎えた友人たちも、次々介護に直面しています。

心から尊敬し、気持ちの大きな支えだった大好きなお母さんが認知症を患い、同居して介護をしている友人は、毎日、「えっ?ちょっと待って。ホントにこれがお母さん?」ということの連続だとのこと。

「あのお母さんはどこに行っちゃったの?」という大事なものをもぎ取られるような喪失感と悲しみに苛まれる日々。

悲しみはやがて「しっかりして!」という怒りに変わり、語気を強めて叱ってしまったことへの罪悪感に変わるのだとか。

 

とにもかくにも、気持ちが揺さぶられることの多い親の介護。

あくまでも私の場合、

できる範囲のことを淡々と続けていくためには、「愛情と義務感」、「負担感と罪悪感」の絶妙なバランスをとることが課題のようです。

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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