まだまだ物語は終わらない。「人生の複雑さ」を教えてくれた両親
その後の母、そして父
このブログでもお伝えしてきたように、昨年末に脳梗塞で倒れた84歳の母。
その後、急性期病院、回復期リハビリ病院と療養の場を変え、現在、有料老人ホームに移って3週間が経ちました。
要介護度は5。ほぼ寝たきりの状態です。
食事がなかなか進まず、一日2回は胃瘻からの栄養補給ながら、全身状態は良好。
ホームの方々の手厚いケアを受け、「よくしてもらってありがたい」と感謝の日々を送っています。
今月末には89歳になる父親。
母親が倒れた直後はその動揺からか、話のつじつまも合わず、物忘れが激しくなって心配もしましたが、何とか持ち直し、母親と二人で暮らしていたサービス付き高齢者住宅で独りで暮らしています。
2か月前ほど、一人で母親の面会に出かけ、その途中で転倒。
車いす生活を送っていましたが、最近は部屋のなかならば、何とか歩けるまでに回復しました。
夫婦の物語
我が両親は、典型的なDV夫とそれを支える妻。
父親は、私が物ごころついた時から感情のコントロールが困難で、何かがきっかけとなり怒りのスイッチが入ると、時と場所の見境なく大声で怒鳴る人でした。
人前で母親が罵倒され、ののしられるのを何度となく目撃してきました。
その一方で、機嫌の良い時には、「母さん、母さん、母さんは最高だ」など褒め称え、蜜月の体勢に。
堪忍袋の緒が切れそうになった母親に連れられ、母親の実家に避難したこと数回。
私が大人になり、家を離れてからも、母親の父親に対する愚痴やぼやき、助けを求める電話が数限りなくかかってきました。
「そんなに辛いなら、別れれば。一緒に暮らそうよ」そう伝えたこともありましたが、結局母親は踏み切れず、「お父さんを一人にはしておけない。かわいそうな人なんだから」と、半ば意味不明なことを言っては、姉と私を呆れさせてきました。
父に対する母親の愚痴は、母親が80歳を超えてもなお、続いていたように記憶しています。
両親は反面教師
両親から何を学んできたのだろう?
最近になって、ふと考えることがあります。
思い浮かぶあれこれを並べてみて、再認識するのは、「反面教師」としての両親です。
父からは、「怒りの感情」のもつ破壊力を学びました。
怒りを向けられて傷ついた心は時に修復不可能であることを知り、私の人生に、「怒り」に対する嫌悪感が常に付きまといました。
今でも、怒りをぶつけられると過剰に反応してしまい、そして私自身は、「怒る」ということができなくなりました。
母からは、経済的に自立できない女性の無力さを学びました。
何だかんだ言っても、結局父親から離れらないのは、母親に経済力がないから。
もし母親に経済力があれば、父親の召使いには甘んじてはいないはず。
そう考えた私は、最低限自立できる程度の経済力を身に着けたい。
そしてそれが叶う道筋が整った時、家を出ました。
両親から何を学んだか。
優しさや愛情、生き方や考え方。もっともっとあるはずなのに、なぜかそれらは遠くに霞んでいて、前面にあるのは、申し訳ないけれど「あのようにはなりたくない」というメッセージ。
それが偽らざる気持ちです。
先日の面会で母が発した一言
先日、有料老人ホームに移った母に、父と姉、そして私とで会いに行きました。
父の姿をみつけた母は、「お父さん、来てくれたの!」と両手を出し、車いすに乗った父は、満面の笑みで母のベッドサイドへ。
母の手を握り、
「母さんや、母さん。ありがとう。頑張ってくれて、ホントありがとう!」優しい声。
「こんな身体になっちゃって、ごめんね」と涙ぐむ母。
「何を言ってるんだよ。生きていてくれるだけでいいんだよ。ほんと、母さん、ありがとうな」と父。
そして、手を握り続ける父。
ホームのスタッフの間では、両親のことが話題になっているそうです。
「あんな仲の良いご夫婦はいない」「理想のカップル」だと。
しばらく母の手を握っていた父でしたが、途中でトイレに。
そこで姉が
「お母さん、でもねぇ、お母さんはずいぶんお父さんに怒鳴られて、嫌な思いも悲しい思いもいっぱいしてきたよね」と母の耳元で囁きました。
すると母は、
「そんな昔のこと、もう忘れたよ。昔のことは、どうでもいいの」
そうハッキリと言ったのです。
肩透かしをくらったような複雑な気持ち
私もそして姉も、思わず顔を見合わせました。
両親の仲が良いのですから、娘としては喜ぶべきこと。
ただ、喜ぶより前に、肩透かしをくらったような、何とも複雑な気持ちになりました。
「ちょっと待って!あんなに愚痴をこぼし、助けを求めてきたのにあれは何だったの?」
そんな感情が込み上げてきました。
我が両親の、その独特の関係性によって良くも悪くも大きく影響を受けてきた私たち姉妹。
両親の関係性が、私たち姉妹の人格形成に与えた影響はとても大きなものがあると思っています。
それなのにここへ来て、「そんなこと忘れちゃった」と言われても・・・。
「お母さんは忘れても、私たちは忘れるなんてあり得ない!」そんな心の声が聞こえてきました。
夫婦の物語は終わらない
私たち姉妹は、両親が晩年になり、介護が見え隠れする年齢になるにつれ、「あの夫婦はどうやって夫婦としての幕を閉じるのだろう」と話すことがよくありました。
わたしたちが描いたシナリオはこうです。
年齢的にいっても、男女の平均寿命の違いから考えても、母が父を見送ることになるだろう。母は、その時やっとヤレヤレ父親から解放されて自由になれるに違いない。
「その時がきたら、お母さんにいっぱい幸せを味わってもらいたいね」
そう話し合ってきました。
しかし、現実は、母が先に倒れるという事態に。
私たちのシナリオは外れ、母親はあの父親から解放されたいという気持ちがあるという読みもどうやら的外れだったようです。
「散々、苦労もし、涙と愚痴もこぼしたけれど、最後は愛し愛され、幸せな夫婦だった」
今やハッピーエンドの物語が綴られようとしています。
両親から学んだもの
反面教師としての両親の存在が大きい私。
「あのようになってはいけない」というメッセージを受け取ってきた私ですが、ここに来て、ひとつ大切なことを学ぼうとしているのだと思います。
それは、夫婦の関係性、そして人生の複雑さ。
簡単には割り切れないのが夫婦、家族であり、人生なのだと。
この先、また両親の関係性が変わることがないとも限りません。
オセロのように、黒と白が入れ替わったり、波のように寄せては引いたり・・。
それも含めて人生とは、なんと複雑さに満ちているものなのか!
まだまだ続く両親の物語。
そして、二人から、まだまだ学ぶことがたくさんありそうな予感がしています。
目を通していただきありがとうございました。
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