還暦からの再起動

リタイア後に田舎暮らしを始めた還暦女子。それなりの「人生の旬」を綴ります。

1枚の写真の価値ー失った時に、涙にくれるほど大切な写真がありますか?

昨日、姉からメールが届きました。

「あの写真、諦めきれずに施設の人に探してもらったけど、やっぱりなかった。涙が止まりません」と。

いつも冷静に判断を下す姉。

その姉が、1枚の写真のことで涙が止まらないとは、何事が起こったのか。

驚いて電話。そこには、「あの写真が一番気に入っていたのに、あれがなくなっちゃったのかと思うと、情けなくて・・」と泣いている姉がいました。

 

その写真は、私が里帰りした時の写真。

両親と私が写っており、「こっちを向いて」と声をかけられて振り向いた時の一瞬が切り取られていました。

母親は写真が苦手。どれを見ても、こわばっていたり、不自然なすまし顔が多いなかで、あの一枚だけは、ごく自然で母親らしい表情に写っていました。

夫婦関係も、親子関係も、いろいろなことがあったなか、あの1枚だけには、何のわだかまりもない素の3人が。

今年の母の日には、姉から送ってもらったその写真をもとに母を描き、写真とともに父に送りました。

「母の日には行けないから、お父さんからお母さんに見せてね」と。

大切な写真ゆえ、封筒に入れてその写真も同封。

ところが、絵に気を取られた父親は、空き箱の中に写真を押しこみ、それを施設の方が捨ててしまったようです。

 

写真というものに、関心が向かない私

姉が涙する気配を電話から感じとりながら、どう声をかけて良いのか戸惑っていました。

もちろん、貴重な一枚だったことは確か。

ただ、私にはそれほどの喪失感はなく、「へぇ~、なくなっちゃったんだ・・、いい写真だったのに残念だね」という程度。

そもそも私は、自分や家族の写真というものに、あまり関心がありません。

失った時に、涙するであろう写真も、今のところ見当たりません。

夫もそれは同じようで、よく過去の思い出話はしますが、かといって幼いころの写真も亡くなった両親の写真も見たがりません。

「イヤというほど焼きついているから、見なくてもいいんだ・・」と夫は言います。

写真は、過去の1ページ。懐かしさや思い出に浸る瞬間は、ほのぼのと暖かくていいものですが、「ああ、あの時は良かったな」「ああ、あの時は辛かったな」と回想しても、今を生きる力はそこからは得られないような気がするからです。

リタイアして、過去のささいな業績や仕事にまつわる人間関係、職業人生で身に染みついた考え方や価値観を、できるだけ断捨離したいと思っている私。

最近、むしろ大量の写真を捨てました。

 

きっと姉には、あの写真に込めた特別な思いがあったのだと思います。

あの写真は、「仲の良い家族」、「幸せそうな母親」を象徴するものだったのかも。

こんなふうに言葉にする自体、不遜なことなのかも知れません。

「失くなったものは、ご縁がなかった」

ついついそんなふうに考えてしまう私とウエットな姉。

姉にかける言葉を探しています。

 

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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