「過去と他人は変えられない」というけれど
過去と他人は変えられない
過ぎ去った過去に囚われることなく、他人を自分好みの人に変えようと無駄なエネルギーをつかうこともせず、淡々と飄々と自分の人生を生きていく。
私の、生き方の芯のひとつになっているこの言葉。
特に、「他人は変えられない」、それは、たとえ親子の間柄であってもそうであり、年を重ねるにつけますます頑固になっていく父親を、変えることなどできなのだと思っていました。
人嫌いで社交性ゼロ
父親には、友人というものがいません。
会社勤めしていた頃は、仕事を通じての人間関係はありましたが、定年退職後は、誰ともお付き合いしないまま過ごしてきました。
自宅で、PCの前に陣取り、ひたすら読書。
その頃から認知症を発症していたのだと思いますが、次第に家事ができなくなっていきました。
そして持ちあがったのが、週2回のデイサービス。
週2回、昼食をいただき、オフロにも入れる。
母親には、「誰かと話しをすること」それが必要でした。
デイサービスでの父は、「取り扱い注意人物」
ところが、父親は難色を示しました。
「幼稚園じゃあるまいし、年よりが集まってチーチーパッパチーパッパなんて、歌うたったり踊ったり、そんなバカらしいことやってられるかっ!」
そう怒鳴ること数回。
それでも、美味しい昼食を楽しみに、デイサービスに通うようになりました。
ところが、ホッとひと安心したところで、またちょっとしたトラブルが。
それは、デイサービスのスタッフの方が、その日、お料理に父親を誘ったときのこと。
積極的に参加してもらおう、自主性を促そうという意図で、「〇〇さんもやってみましょうよ」「玉葱の皮をむいてもらってもいいですか?」という何度かの声かけの後、父親の感情が爆発しました。
「ここには金を払って来ているのに、なんで玉葱の皮を剥かなきゃいかんのだ!どだい、あれやれ、これやれって無礼千万だ!」鬼のような形相でそう怒鳴る父。
デイサービスでも、父は「取り扱い注意」を要する利用者でした。
あったかくて、安心するんだよ
何年デイサービスに通っても、誰かと親しくなるわけでもなく、知り合いはたくさんいても、父には、特段友人と呼ぶような人はいませんでした。
ところが、昨日、
「やっぱり仲間っていうのはいいもんだなぁ。あったかくて、安心するんだよ。この年になってつくづく感じたよ。人のありがたさを」
そう、父から電話がありました。
転倒して車イス生活になって約10日、昨日、デイサービスに2週間ぶりに行ってみると、利用者、スタッフの方が、「〇〇さん、お帰りなさい!」と次々に声をかけてくれ、なかには、握手やハグをしてくれた方も。
「待っていてくれた人がいる」「招き入れられる場所がある」ありがたさ。
それが、父の心にすーっと染み渡ったようでした。
思えば、母が入院してから約半年。一人暮らしを余儀なくされたうえに、今度は車いす生活に。
孤独と不自由が隣り合わせの生活が、「偏屈で人嫌いの父親」を変えたのかも知れません。
最後の一息まで
もう、高齢の父は、あの偏屈なまま逝くものと思っていました。あの性格は、娘も誰にも変えられない。
ところが、それはどうやら思いこみだったかも知れません。
デイサービスのお仲間やスタッフの方々によって、父のなかで変化が起きたように思います。
人は、最後の一息まで、変わり続ける可能性がある。そう思った出来事でした。
目を通していただきありがとうございました。
あしあとを残していただけると励みになります。