胃瘻をめぐり揺らぐ家族、胃瘻を決断する
胃瘻をつくって、ほぼ寝たきりのまま長期間、命を長らえさせることが果たして母親の幸せにつながるのか、
かといって、胃瘻をつくらず在宅ケアに切り替えることは困難。
そんな状況のなかで、気持ちが二転三転する私たち家族。
結局は、「胃瘻をお願いしよう」という決断に至りました。
消極的な姿勢で、このまま前に進んでもよいものか
胃瘻をつくらず在宅ケアに切り替えることは困難だとわかった時点で、私たち家族は、「胃瘻をするしかないね」と、消極的に胃瘻を是認する方向に意見が傾いていきました。
ただ、「やるしかない」という消極的な姿勢で、このまま前に進んでもよいものなのか、気持ちのなかにスッキリしないものが残っていました。
私たちは、もう一度、母親にとって胃瘻がどのような意味をもつものなのかを考えてみることにしました。
できなくなったことではなく、今、残されている力、将来ではなく、今現在をみる
「在宅ケアは難しい」、「病院の事情もある」といった他要因ではなく、母親にとって、胃瘻がプラスに働くと判断できるのか、もう一度考えてみました。
母親は、一人では寝返りもできず、長時間車イスに座っていることもできません。
排泄はオムツ。便意、尿意もはっきりしません。
高次脳機能障害のため、簡単な意思疎通はできますが、会話の8割は意味不明。発語も不明瞭です。
このまま、胃瘻をつけて命を長らえさせることには正直、疑問もありました。
ただ、母親は、家族の顔は認識でき、挨拶も手を握ることもできます。
少量でも、食べ物を味わうこともできます。
外の風を感じることもできれば、好きなCDを聞くこともできます。
「あのままの状態で長くなるっていうのはかわいそうな気がするけど、でも、今、お母さんができることはたくさんあるわけだし、その可能性を閉じていくっていうのは、やっぱりできないよね」
「そうね、そうだね・・・」
私たちは、「病気によってできなくなった部分ではなく、今、残されている力」、「状況が長引いた先の将来ではなく、今現在の母親」に視点を移すことによって、「胃瘻は母親にとって必要な治療」だと心の底から思えるようになりました。
この先、母親の病状がどのように変化するのかは、誰にもわかりません。
胃瘻をつけて回復していくことを願ってはいますが、83歳、しかも広範囲な脳梗塞だといういうことを考えると、回復は難しいかも知れません。
ただ、たとえ将来回復しなかったとしても、あの時、胃瘻選択をめぐって自分たち家族が何を考え判断したのか、それを振り返ることができれば、納得して現実を受け止められるような気がしています。
「あの時はあの時で、最善の選択だった」と。
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