このタイミングで胃瘻の話し?早すぎやしませんか?
脳梗塞で倒れた母親は、約40日間の急性期病院での治療を終え、回復期リハビリ病院に転院しました。
急性期病院で40日間、点滴につながれ、ほぼ寝たきりの生活を余儀なくされた母親は、寝返りもできず、排泄はオムツ。
ただ、食事は基本、鼻から入れたチューブで摂りながらも、離乳食のようなペースト状のものを少しづつ飲みこむことができるようになっていました。
しかし、転院後、まさかのインフルエンザ院内感染。発熱などのトラブルも続き、なかなかリハビリも進みませんでした。
そんななか、転院後1か月が経過した時点で、医師を交えたカンファレンスが開かれました。
「胃瘻という方法もありますよ」
リハビリの専門病院に転院したのだから、これからどんどんと食べられるようになる。そうすれば、今の高齢者マンションに戻って来られるようになる。父親はそう期待していました。
ところがさにあらず。転院後の母親の嚥下機能は、以前よりもむしろ後退。
ゼリーをわずかに飲みこむことができるといった状態が続いていました。
「食べられるようになりますか?」
カンファレンスで父親が開口一番、医師に尋ねたところ、医師はまだはっきりしたことは言えないと前置きしながら、
「胃瘻という方法もありますよ」と応えました。
「いや・・それはちょっと」とためらう父に、さらに医師は、
「マスコミでは胃瘻のことを悪く言いますけど、食べられるようになれば胃瘻を抜くこともできるし、あくまでも選択肢のひとつですが。」と話したようです。
「母さんは、食べられんかも知れん。医者も匙を投げとった」
このやりとりに、父は、ひどくがっかりし、悲観的になってしまいました。
以前から父は、「絶対に胃瘻はしない派」。
「平穏死」がマスコミで取りあげられた頃、父は本を何冊か購入。「平穏死」という考え方に傾倒していました。
日に何度も電話をかけてよこし、「母さん、かわいそうだな・・、もう、ものが食えんそうだ」「ものが食えんということは、ここにはもう帰ってこれんということか」と。
電話での父親の声は、消え入りそうなくらいか細いものでした。
「まだ決まったわけでもなし、リハビリはこれからなんだから」と励ましても、一度思いこんだ父親の認識は、容易には変えることができませんでした。
胃瘻の話し。早すぎやしませんか?
結局、母親は嚥下機能が回復し、その後少しづつ、食事がとれるようになっていきました。
ただ、この時の父の落胆ぶり、そしてその後抱いた病院への微かな不信感を思うと、どうも胃瘻の話しを持ち出すタイミングが早すぎたように思えてなりません。
入院予定期間は、3か月。最長で5か月。本格的なリハビリが始まってもいなかったこの時期に、いきなりの胃瘻の話し。
入院期間が後半を迎え、何度かカアンファレンスを重ねたその時に、「これまでリハビリを頑張ってくれていたけれど、脳梗塞のダメージが大きくてやはり十分な食事がとれないし、ずっと鼻に管を入れておくのも煩わしいので、胃瘻ということも考える必要がある」と話してくれたとしたら、父親の受け止めもまた違ったものになったかも知れません。
私自身も、このタイミングで胃瘻の話しが出たことで、母親の病状は自分が思っているよりもずっと厳しいものかも知れないと感じました。
それにしても、ほんの小さな出来事で気持ちが揺れに揺れる父親。何か起こるたびに、「まさにあの二人は、一心同体、エンジンはひとつ」だと感じずにはいられませんでした。
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