捻挫のその後。捻挫を甘く見てはいけないと思い直す。
一昨日のまさかの捻挫。
2日目の昨日も、一日氷で冷やしていましたが、見事に腫れあがってしまいました。
足を高く保っていれば防げたのかもしれませんが、一日中そうしているわけにもいかず。
夜、ふと見ると、ふくらはぎから足の指先まで、まさにパンパン状態でした。
ただ、ありがたいことに体重をかけなければ痛みはなく、慎重に歩を進めれば何とか歩けています。
今日は、受診して骨折などないか、レントゲンを撮る予定。
靭帯の一部損傷程度なら良いのですが、骨折や靭帯断裂だとしばらく松葉づえの生活になりそうです。
「しばらくシップをしておけば、2週間もすればよくなるだろう」と思っていましたが、この腫れ方をみると、そう簡単でもなさそう。
捻挫は、よくありがちな怪我ですが、甘くみると、治った後も足首が不安定になって捻挫を繰り返したり、片方の足首をかばうことで膝や腰に負担がかかったりもするそうです。
ここでしっかり治しておかなければ、後々、「足腰問題」で苦労することにも。
心して治療に取り組みたいと思います。
ところで今日から5月ですね。
今年も4か月がすぎ、あと残すは3分の2。
本当に、まるでジェットコースターに乗っているような感覚で時間が過ぎていきます。
捻挫とともに始まった5月は、家のなかで過ごさざるを得ない日々が続きそう。
この機会に、そろそろ締め切りが気になっている仕事や、日ごろなかなか腰を落ち着けて取り組めていないお絵かきなどに取り組みたいと思っています。
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「注意散漫」もほどがある。階段から滑落して足首を捻挫。もし一人暮らしだったら?
「ああ、やっちまったなぁ~」という感じ。
昨日、自宅の階段の3段上から滑り落ち、右足首が不自然に曲がった状態で身体の下敷きになり、捻挫するというアクシデントに見舞われました。
二階にある荷物を片付けていた私。
両手に下げた左右の籠に本を10冊ほど入れて、階下に下ろすつもりで階段を降り始めました。
本を籠に入れるとき、「ああ、これは〇〇さんからのいただきものだったな」と過去のエピソードが蘇った私。
階段を下りるときも、その時のことが頭にあり、すっかり上の空でした。
そして、履いていたのは、底がビニールの滑りやすいスリッパ。
「今、〇〇さんはどうしているんだろう・・」
そんなことを思いながら、階段を降り、あと3段というところで気が緩んだのか、見事に脚をすべらせ、廊下に上向けで倒れ込んでしまいました。
右の足首に、「ぐにゃ~」とした異様な感覚が走り、倒れ込んでからは、痛みのために咄嗟に立ち上がることができませんでした。
しばらくたって、何とか痛みが遠のき、恐る恐る右足首を動かしてみると、何とか動くもよう。
「折れてはいないかな」
そんなことを思いつつ、立ち上がろうとしたとき、夫が「どうしたん?」と。
右足に体重をかけることができず、夫の助けを借りて椅子に腰かけてみると、右の足首はみるみる腫れあがり、「魔法使いサリーのサリーちゃんの足首」のようになってしまいました。
すぐにシップを貼り、そのうえから氷で冷やし、ロキソニンを飲んで安静にすることにしました。
もしも腫れが増して耐えがたい痛みがあるようなら、救急外来を受診するつもりでいます。
それにしても、これはきっと神様の思し召し。
以前から空想癖があり、何かをしつつも、他のことを考えていることがよくあります。
まさに「心ここにあらず」
もっと、意識を「今」に向けなくては取り返しのつかないことになると神様が警告してくださったような気がします。
高齢者の転倒の怖さを日ごろからよく耳にし、父親の転倒でもその恐ろしさをわかっているはず。
にもかかわらず、自分のことになると、注意が不十分でした。
今回は、せいぜい捻挫程度で、大腿骨骨折や圧迫骨折には至りませんでしたが、もっと高いところから滑落していたら、どうなっていたかわかりません。
シニアの入り口に立とうとする今、きっと天からの警告をいただいたのだと受け止めています。
それにしても、夫がすぐに気づいたから良かったものの、お一人暮らしの方は、どうやって人を呼ぶのだろうかと考えてしまいました。
さまざまな見守りのシステムがうまく機能すればよいのですが、厳冬時に廊下に身動きできず倒れ込んでいたら、命にかかわる事態に発展することも。
いろいろなことを肝に銘じ、考えさせられた今回の「滑落事件」でした。
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田舎暮らしで外せない雑草問題。そしてご近所問題。
新緑が美しい季節を迎えています。
むせかえるような若葉に、陽の光が当たって息をのむような美しさです。
高層ビルの谷間から移住してきた私たち夫婦は、毎年この季節には何度も歓声をあげています。
ただ、この草木の生命力の勢いと逞しさは、雑草との闘いを暗示するもの。
そんなことは、移住前には全く考えてもいませんでした。
地元の人が「あんなぁ、草がなぁ、木になんねん」
そう教えてくれたのは、移住1年目の頃。
草取りを怠っていると、やがて草だったものが、人の背を追い越す高さに成長し、幹も太くなって、草刈り機でも難渋する「やっかい」ものになるとのこと。
その時はピンときませんでしたが、翌年、まさに、「草が木になる」を実感。
それから、夫の主要業務に草取りが加わりました。
この草取り。
自分の庭だけの問題ならばよいのですが、雑草の種が飛び、ご近所にご迷惑をかけてしまうというやっかいな問題が。
自宅周辺は、家の敷地を高い塀で囲むことが禁止されています。
塀があれば、雑草の種が飛ぶこともないのでしょうが、自分の敷地に草を生やしていると、種が風に乗って、ご近所の庭で繁茂する可能性が。
しかも、ペットを保護するために、除草剤の使用も認められていないので、除草の手段は手作業しかないのです。
ご近所のAさんは、庭づくりが生きがいです。
洋館風のご自宅のお庭は、ゴルフ場と見まがうほどの青々とした芝生が敷き詰められ、花壇には色とりどりの季節のお花が。
早朝からお庭に出て、作業に余念がありません。
そんなAさんが、「お隣から雑草の種が飛んでくるので、とってもとっても生えてくるのよ」
そんなことをフト漏らされたことがありました。
別荘に半年ぶりに行ってみたら、庭の草はぼうぼう。
そして玄関に、「草を抜きなさい。種が飛んで、皆、迷惑しています」という張り紙があったというある方のお話しを聞いたのもこの頃でした。
「えらいこっちゃ!こりゃ大変!ご近所に迷惑をかけてるかも!」
それから夫は、雑草に敏感になりました。
雑草は、大きくなってしまうと根が張って、とても抜きにくく重労働。
でも、ほんの3~4センチの生まれたてをみつけて、慎重に根ごと取ってしまえば、種をつけることもなく、翌年の草取りがぐっと楽になります。
夫は、庭を這うようにして、雑草退治を続けています。
そうやって続けているうちに、雑草に詳しくなった夫。
一口に雑草と言っても、もともと「雑草」という名の草はないと昭和天皇がおっしゃったそうですが、それぞれに固有の名前をもった植物です。
葉の形も根のかたちも、生え方もそれぞれに個性があるとか。
今では、ご近所の方に、雑草の見分け方や抜き方をレクチャーするようになり、雑草との格闘も、これはこれでひとつの楽しみになったようです。
それにしても、田舎に暮らすうえで、「雑草問題」がバカにならないウエイトを占めることは、移住前には予想もしなかったことでした。
家主には、自宅と庭、植栽した木々や花の類ばかりではなく、雑草の種の管理までが必要とされるとは。
まぁ、雑草の管理ができる体力と気力のあるうちは、せいぜい緑豊かなここでの暮らしを楽しもうと思います。
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受け身では何も学べない。自分の人生にOKを出すのは「前のめりの姿勢」。
皆さんは、何か「お稽古事」をしておられますか?
最近ハマッている趣味をお持ちでしょうか?
写真、お料理、お茶、お花、絵画、編み物、手芸、ダンス、囲碁、将棋、英会話、筋トレ、ズンバなどなど、この場を通して楽しんでいらっしゃる様子を拝見するのもブログの楽しみのひとつです。
この趣味というもの、やはり、始めたからには、少しでも上達したいと思い、「前に進んでいる」という実感がモチベーションになって、また頑張れますね。
いくつになってもそれは変わらない学びの基本のように思います。
かくいう私。ここのところ、少々停滞気味。
このことを、昨日のダンスのレッスンで実感しました。。
「熱しやすく冷めやすい」
そんな私も、ダンスを学び始めて4年が経ちました。
1年目、2年目は、パーソナルレッンを受け、本当に小さな催しですが、ソロで踊る機会にも恵まれました。
運動オンチ。ダンスの経験全くなしの私。
それでも、「一歩でも前に進みたい」という気持ちが抑えがたく、自宅でも毎日のように練習していたものです。
ところが、ここ2年間に、2度の手術を受けたり、両親介護問題に直面したり。
細々と仲間とレッスンは受けていましたが、どうも身が入らず。
今日も、「お休みするのはいけないな」そんな消極的な気持ちでレッスンを受けてきました。
で、結果は・・。
2年前に身に着けたことの多くはどこへ?
何とも達成感のない、ただ「行ってきました」というだけの1時間半。
「これではいけないな」とつくづく感じた時間となりました。
原因は、受け身になっていたこと。
自分で望んで受けているレッスンなのに、いつしか「身体を動かすだけでもいいか」となんだか消極的に。
もっともっと貪欲に学び取る姿勢がないと、ほとんど何も学べず、何より自分が納得できない結果になることを実感しました。
考えてみれば、職場のスタッフの育成でも同じことですね。
新卒で始めは未熟でも、貪欲に学ぼうとする姿勢があれば、驚くほど成長が早いのに、中途採用で経験があるスタッフの場合には、「そんなことはわかっている」という気持ちが邪魔をして、なかなか変化が起こらないことも。
目の前の宝物に手を出すかどうかはまさにその人次第。
前のめりになって、すべてを吸収しようとする姿勢こそが人生を豊かにするのではないでしょうか。
昨日の自分より今日の自分が、1センチでも前に進めるように!
そんな気持ちを、生涯持ち続けていけたら、きっと自分の人生にOKを出せるような気がします。
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アルコール依存症は、「否認の病」だと実感。アルコール問題と向き合い、いつか笑顔を。
昨日の、強制わいせつ罪で話題になっている芸能人の謝罪会見。
グループの他のメンバーはもちろんのこと、ご両親やごきょうだいのお気持ちを思うと、ライブをみる気になれず、あとでネットで一部始終を知りました。
当日の詳細について、公開できる範囲の情報が公表されていましたが、そのなかで、一番驚いたのは、
・アルコールの関係で身体をこわし、1か月弱入院していたこと
・退院の当日のお昼から飲酒が始まり、焼酎を一升ほど飲んで酩酊していたこと
・にもかかわらず、ご本人は、「依存的なものはないと思う」とおしゃっていたこと
です。
医師ではない素人の推測ですから、的外れかも知れません。
ただ、アルコール関連で入院していたにもかかわらず、退院当日に飲酒するということ、そして、一度飲み始めたらブレーキがかからず、酩酊するまで飲み、このような事件を起こしてしまったこと
この事実だけでも、彼は、立派な「アルコール依存症患者」と言えるのではないでしょうか。
かくいう私の周囲にも、「アルコール依存症」で苦しんだ人、苦しんでいる人がいます。
今は亡き叔父は、若いころから酒好きで、お店で酔いつぶれては叔母が迎えに行くの繰り返し。
あちこちで転んでは、本人の記憶にない傷を負っていました。
向いに住んでいたおじさんは、家人に酒を止められたもののどうしても飲みたくて、近くの酒屋が開くのがまちきれずにワンカップの自動販売機でお酒を買う日々。
最後は、手が震えてコインも入れられなくなり、結局、肝硬変で亡くなりました。
大学時代の恩師も無類の酒好き。研究室にはブランディーが隠してあり、人の目を盗むように飲んでいたのを覚えています。
あの人も、この人も・・。
そして、ほとんどの人は、「酒なんか、やめようと思えばいつでもやめられる」、「やめられるけどやめないだけ」「酒なくして何の人生ぞ!」と話し、アルコール依存症という病にとりつかれているという認識はほとんどないようでした。
酔いつぶれて身体中傷だらけになっても、二日酔いで死ぬほど苦しい思いをしても、「自分は大丈夫」そう思っていました。
まさに、「否認の病」。
詳しいことはわかりませんが、アルコール依存症と呼ばれるレベルまで進むと、自分ではコントロールが効かなくなるような脳内の回路が出来上がってしまうのだとか。
個人の力では如何ともし難い、これぞ病気と呼ばれる所以です。
一度このレベルに達してしまうと、長らく禁酒をしていても、一口でもお酒を体内に入れると、元に戻ってしまうそうです。
会見をしたかの人も、ご自分ではもはやコントロール不能なのでしょう。
謝罪の言葉を何度も口にされたようですが、本当の謝罪は、アルコール問題と向き合い、受け入れ、治療に専念し、お酒のない人生への一歩を進めることにあるような気がします。
もうずいぶん前のことですが、24時間テレビで100キロマラソンに挑戦した彼を覚えています。
ファンではないけれど、鉄腕ダッシュ村で彼が画面に映ると雰囲気が明るくなって、彼の出る場面が好きでした。
まだ46歳。人生半ば。入院先から仕事場に出向くなどという中途半端なことはせず、もちろん変装して通院するなどいうこともなく、正々堂々、アルコール問題と向き合って克服して欲しいと思っています。
アルコールに悩む人は本当にたくさん。きっと、仲間とのつながりを得て、逞しくカムバックしてくれるでしょう。
それが、被害に会われた方に報いる一番の方法ではないでしょうか。
いつか、彼の心からの笑顔が見たい・・そう思っています。
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またまた、スーパーで事件は起こっていた。結局、ナイスなおっちゃんになれなかった。
先日、セルフのうどん屋さんで、3歳の女の子が、うどんのつゆを自分でつけるつけないをめぐって、大号泣。
その顛末を、記事にしました。
そして、本日、スーパーマーケットで、入店からレジを終えるまで、お子さんの店内に響き渡る悲鳴に近い泣き声を聞き続けるという出来事に遭遇しました。
それは、11時を少し過ぎたころ。
あるスーパーに買い物に立ち寄ったところ、入店直後からお子さんの泣き声が聞こえていました。
「子供が泣いてるけど、そのうち泣き止むだろう」と買物を続けていましたが、泣き声は小さくなるどころか、時折悲鳴に近いものが。
どうやらお肉売り場から聞こえてきます。
ちょうど、豚肉が欲しかったこともあり、肉売り場に近づいてみると、いました!泣き声の主。
アンパンマンのカートに身をよじるように座っていた彼女は、1歳半から2歳ぐらいの小さな女の子。
カートを押しているのは、たぶんお母さん。
さほど生活に疲れた雰囲気はなく、20代後半から30代と思しき、地味な印象の女性でした。
「あらあら・・。お母さんも大変だな」と、そんな気持ちでいたのですが、どうも様子がおかしい!
このお母さん、子どもがぐずって泣いているというのに、全く意に介さぬ様子で、両手にお肉のパックを持ち、左右の商品を見比べてじっくりと品定めしているのです。
「どうしたの?」と声をかけるでもなく、子どもに目をやるでもなく、子どもが泣いているのが聞こえていないのではないかと思うほど、表情ひとつ動きません。
そして、泣く我が子と周囲への気兼ねから、買物を手早く済ませようという気配もなく、お肉の次は、ソーセージの品定め。
お子さんは、身をくねらせ、店内に響き渡るような声で泣くばかり。
どんなに泣いても、お母さんは全くお子さんに関わる様子はありませんでした。
お客さんやスーパーのスタッフは、みな、時折、チラッと視線を送りながらも、何でもない素振りをして買物や作業を進めていましたが、きっとお客さんは、泣き叫ぶお子さんがかわいそうで、「一刻も早くこの場を立ち去りたい」そんな気持ちになっていたと思います。
レジを終えたお客さんの誰もが、帰り際に泣き声の方向を振り返っていました。
育児に疲れているのかな?
もう、お母さんもいっぱいいっぱいなのかな?
いろいろ思うことはありましたが、育児疲れならば、お母さんの表情がもっと険しくてもいいはず。
イライラするのならば、子どもを叱ってもいいはず。
でも、そのどちらもなく、まるで子供の存在を完全に切り離しているよう。
これは、ひとつのネグレクト?
そんなことも思いましたが、ネグレクトならば、自宅に置いて買物に来るはず。
連れてきているということは、そうでもないのかな?
こんなに身体中で、今あるすべてを出し切り、涙と鼻水で訴えているのに、助けを求めているのに、お母さんからも、誰からも何の反応も得られないお子さんの気持ちを思うと、お子さんが不憫でなりません。
こんな辛いことが、あっていいものか・・。
あれこれ思いつつ、さて、どうするか。
先日のうどん屋のおっちゃんのように機転を利かせられたら良かったのですが、結局、その場を離れることしかできませんでした。
それは、
声をかけて、ますますお子さんに泣かれるのではないかと不安に思ったこと。
ヘタに声をかけて、「どうしてこんなに泣かせるの?」とお母さんを非難しているように受け取られてはいけないと思ったこと。
周囲のお客さんやスタッフの視線が集まることにプレッシャーを感じたこと。
そんな、つまらない、いくつかの気がかりがあったからです。
ひょっとして、大阪のおばちゃんなら、
「どないしたん?アメちゃんやろか?」と何気なく声をかけたかもしれません。
あれからお母さんと女の子はどうなったんだろう?
昨日は、そんなことがずっと頭から離れませんでした。
それにしても不思議なお母さん・・でした。
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還暦夫婦、ペット亡き後、次なる愛し子を迎えてもいいんでしょうか?
我が家の4歳と5歳になるわんこたち。
今はまだ老化の影はなく、元気でエネルギッシュです。
トイレにも、お風呂にも、もれなくついてくるストーカーぶりに、朝から晩まで目を細め続ける私たち夫婦。
どこに行くにも、基本、わんこ連れ。
夜は同じお布団にくるまって寝ています。
ご近所にも、愛犬家がいっぱい。
大型犬あり、小型犬あり。
いつも朝の散歩でご一緒していたラブラドールのももちゃん。
我が家のわんこたちが吠えても声ひとつあげず、一緒に遊んでくれたももちゃん。
実は、そのももちゃんと、ここしばらく会えなくなっていました。
聞けば、10歳を迎えるももちゃんは、最近心臓の具合が悪化しているのだとか。
少し歩くと、ハーハーと息切れがして動きたがらず、外に出るのはトイレの時のみ。
「暖かくなったら、また遊べるといいね」
そんなことを夫とも話していました。
そして、そのももちゃんと、先日、久しぶり会えました。
会えたのですが、ももちゃんは以前のももちゃんではなく、数歩歩くのが精いっぱい。
ヨロヨロと数歩前に進むと、その場に倒れ込んでしまいます。
痩せたからだが何とも痛々しい・・。
「あら、ももちゃん!」と駈け寄って飼い主さんの顔を見上げると、すでにうるうると涙ぐんでおられました。
「外に出たがって・・。もう、ほとんど歩けないのにね」と。
私も思わずもらい泣きです。
本当に、動物は、「痛い、辛い」と訴えることもせず、「どうしてこんな病気になったのか」と嘆くことも八つ当たりすることもせず、ただひたすらうずくまって苦しみに耐え、その時が来たら虹の橋を渡っていきます。
その健気さを思うと、胸が潰れそうになる私。
先代のわんこを亡くしたことが蘇ってもきました。
「もう、この子で終わりにしよう、そう決めてるの」
以前、同年配の飼い主さんがそうおしゃっていました。
朝、晩のそれぞれ1時間のお散歩を欠かさず、旅行にもよくももちゃんを連れて行っていた飼い主さん。
「ももちゃんがいなくなったら寂しいだろうね」
そんなことをつぶやく私に、
「わんこのいない生活は考えられないなぁ」と夫はしみじみ話していました。
そこで、「我が家はどうするご予定?あと10年もたって、見送ったら、私たちは70と72歳。わたしたちも、最後かなぁ」
そう問いかけてみると、
「もうあと1クールくらいはいけるだろう」と夫。
大型犬は体力的に無理。迎えるならば小型犬。
でも、小型犬の寿命は、15年程度と大型犬に較べれば長寿。
二人元気でいても、見送る頃には、85歳は超えています。
それはかなり難しそう・・。
保護犬や老犬を迎えるという選択肢もありますね。
これからは、犬と飼い主の関係においても、老老介護が増える時代。
我が家でも、責任をもって命を預かることのできる期限を真剣に考えなければならないときが早晩、やって来るようです。
目を通していただきありがとうございました。
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