還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

何を言われようと生きていく父。自分の30年後を考える。

先日から始まった父の元への通い介護。

「社友会はどうだった?」

そんな挨拶から始まりました。

 

やはり今年の社友会も、父が最高齢だったとのこと。

「もう、来年は、引退だな」

そんな予期せぬ一言を呟いた父。

「そう?元気でいたら、行ってきたらいいのに・・」

そう言うと、「いやいや・・」と父は言葉を濁し、少し間を置いて、久しぶりに顔をあわせた人のことなどを、ポツリポツリと話し始めました。

 

そのなかの一人。父と同じ部署で働いていた、今は70代の女性。

「いや~、お久しぶりですね。〇〇さん、おいくつになられるの?」と。

「あと4か月で、90だよ。90歳」と応じた父。するとその女性は、

「90歳!そりゃあ、周囲の人は迷惑だわねぇ~」と言い放ったそうです。

それを、笑いながら私に話す父。

 

「そう言われちゃってさぁ。いや、本音が出たんだろうなぁ。きっと、年寄りの世話で苦労したんだろう・・」と父。

両親との心理的な距離が近い娘なら、

「ちょっと、その言い方、なんぼなんでも失礼よね!」と怒りが込み上げたり、そう言われた親が不憫で、

「お父さん、迷惑だなんて、そんなことないからね」ととりなしたりもするのでしょうが、そのどちらの反応でもなく、私と言えば、

「そう、そりゃ、ずいぶんストレートな方なのねえ」と曖昧な反応。

父親は私に向かって、「まぁ、年とっちゃって、オマエにも迷惑かけるけど、しばらくは頼むぞ」と。

「イヤです」とも言えず、これまた曖昧に頷く私。

 

そして、ほんの5分後。

近くのお城で開催されている「桜まつり」を伝えるテレビをみて、

「これから行くか!桜まつり」と。

「お父さん、来場者1万人だって。人、人、人で、車椅子ではとても辿りつけないような気がするけど・・」と話して、ようやく、「そうか、ちょっと無理だな」と納得した父。

迷惑をかけると言いながら、「あそこへ行きたい」「あれが食べたい」「一杯やりたい」と次々希望を口にする父。

 

それにしても、長生するのは、ある意味肩身が狭い時代になりました。

90歳まで生きたのでは、周囲が迷惑だと、はっきり言われるそんな世の中になりつつあるのですね。

もう、世の中の何かの役に立つ存在ではなく、経済的な何ものも生みださず、生活の糧は、年金のみ。そして、介護保険サービスと娘たちのサポートを頼りに、日々を生きる父。

とはいえ、たとえ歩けなくなるとも、今日を生きて、美味しいものを食べたい、母に会いたいと願う父。

「周囲は迷惑だ」と言われても、命がある以上、望むことを成し遂げずにいられないのでしょう。

 

いつか、自分にも、「生きていることが、周囲にとっては迷惑だ」と言われても可笑しくないような日が訪れるかも知れません。

そんな、「生きていても仕方がない・・」と悲嘆に暮れる日々のなかで、ひょっとしたら父親のことを思い出すことがあるかも知れません。

そのとき、自分は何を思うのか。

「お父さん、あのときのお父さんの気持ちはよくわからなかったけれど、生き続けることを周囲から望まれていないと思わざるを得ない状況のなかで、それでもお父さんは、自分の気持ちに正直に生きようとしましたね。周囲に何と言われようとも、生きることにあくまで貪欲で、諦めようとしなかったお父さんは、立派でした」

そう思うときが来るのでしょうか。

それとも、「ああはなりたくない。ああいう生き方、死に方はしたくない」と思うのか。

父の元に通いながら、あと30年後の、存在さえも不確かな自分の在り方を考えています。

 

 

 

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年寄りはメンドクサイ。そう思われない人とのつながり方

そろそろ桜も散り始めました。

昨日は、友人たちとお花見をかねて桜のスケッチ。

その後、ランチをご一緒しました。

 

ほぼ同年配の友人は、やはりお母様が有料老人ホームに入居されています。

「どう?お母さん・・」そんな問いかけに、

「母親は落ち着いてるんだけど、いろいろメンドクサイんよ。周りが」と。

そして、そのメンドクサイことのひとつとして、「おばさんがね・・」と話し始めました。

 

友人のお父様の弟はすでに亡くなられ、その配偶者である叔母さんは、86歳。

いろいろと病気をもちながらも、もともと子どものいない叔母さんは、一人暮らしを続けておられるそうです。

その叔母さんから、久しぶりに電話があり、「老人ホームにお見舞いに行きたい」とのこと。

「まぁ!それは母も父も喜ぶと思います」と伝え、そこまでは良かったものの、「でも、私は足がない」と始まったそうです。

 

「足がないって言われてもねぇ・・」困惑気味の友人は、事情を話し始めました。

その叔母さんが住むのは、隣県。車で2時間はたっぷりかかるそうです。

公共交通機関では乗り換えが多く、杖歩行で体力も物覚えも悪くなった叔母さんでは、所詮無理な話し。

誰かが車で新幹線の最寄りの駅まで送り迎えをすれば、何とか大丈夫。

そんな状況のようです。

 

「ぜひぜひお見舞いに行きたいけど、何しろ足がないもんで・・」と言われたら、「そうですよねぇ、ちょっとこちらで考えてみますね」って言わざるを得んでしょう。「足がなきゃ、無理ですよ。お気持ちだけでけっこうですから」とは言えないよねぇ。何しろ、これで会えるのは最後かもっていう年なんだから。

そう友人は続けて、溜息をつきました。

友人が送り迎えをするといっても、高速を使っても2時間はかかる距離。

いつも、スーパーに買い物に行くときしか車の運転をしない友人には、ハードル高し。

ご主人には、事情があって頼めず。

結局、娘さんに打診してみると・・。

 

「えっ!年寄りって、ホント、メンドクサイ!」とつれない返事。

そもそも、車で2時間もの距離を送り迎えをしてくれることを前提に、「見舞いに行きたい」と言っているとしたら、それはかなり図々しい。

「もうこの年ですから」「会えるうちに会っておきたい」というのは気持ちはわかるけれど、そう言われれば断りにくい。

高齢であることを盾にして、人を動かそうとする意図がみえて、素直に応じられない。

そう娘さんは、そう言うのだそうです。

 

友人は、「冷たい娘で、びっくりする」と嘆きながらも、「お見舞いは、母が喜ぶから嬉しいんだけど、気が重い」と呟いていました。

娘さんは、「私ももう、長距離の運転はできないので叔母さんの送り迎えはできない」とハッキリ断るべきだと話しているとのこと。

友人は、「でも、あの時会わせてやればよかったと後悔するのも嫌で」とまだ思案している様子でした。

 

それにしても、「年寄りはメンドサイ」というのは、言い得て妙かも知れません。

もう、長くは生きられないと思うと、視野が狭くなり、思いついたら周囲のことなどおかまいなしに、何かに駆られるように、思い通りに実行したくなるものなのかも。

 

「どこかに行く」、「誰かに会いに行く」そんな元気な頃はなんでもないことが、自分でできなくなった時、さて、自分はどうするか。

「メンドクサイ」と思われずに、「喜んで」と応じてくれる人間関係の貯金を、できるなら増やしておきたいものです。

それには、「喜んでいただけたらそれでいい」という精神で、まずは自分からですね。

 

 

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退職して30年。気持ちを会社に置いたまま老いた父。娘は「今」を生きたいと思います。

「社友会」、ご存知でしょうか?

一言で言うと、会社のOB、OG会です。

父は、とある会社に40年弱勤務し、定年を迎えて30年が経とうとしています。

その父の年に一度の楽しみは、社友会の集まり。

社屋で、会社の卒業生たちが集い、懇親パーティーが開かれます。

 

その社友会に、今年も行きたいという父。

喜ばしいことではあるけれど、車椅子の父を連れていくのは大変。

数日前からの床屋さんに始まって、昔の古いスーツを引っ張り出し、ネクタイもお好みのものにコーディネート。

「茶色いネクタイがあっただろう。これじゃなくて・・・」と始まったら、もう大変!

徹底的に探さないことには納得しない父。

替えのリハビリパンツをもって出かけるまでに、付き添いはクタクタです。

 

その社友会。付き添った姉によれば、

昨年は、当時88歳の父が、最高齢だったとのこと。

「まぁ、〇〇さん、今年もお元気で来てくださったんですね」

「〇〇さんにお会いできて、今日、来た甲斐がありました」などと面映い言葉の数々をいただき、すっかり上機嫌の父。

サンドイッチやオードブル程度の軽食とビールなどアルコールもいただき、満面笑み。

昨年は、かつて定年間際だった父が所属していた部署に、新人で配属になった方とばったり再会。「いや~、せっちゃんもばあさんになったなあ・・。驚いたよ」などと、帰りに呟く父に、「いやいや、あなたの方こそ、正真正銘のじいさんですよ」と内心、姉はしみじみと思ったと話していました。

 

それにしても、退職して30年も経つというのに、未だ会社への「永遠の片思い」を貫く父。

現役のころは、我儘な父ゆえ、上司や部下との衝突は数知れず。

キリキリ、カリカリと神経を尖らせ、家で母親に辛く当たっていたものです。

現役時代の思い出は、それほどバラ色ではなく、思いだしても心痛む辛いエピソードもたくさんあっただろうに。

90歳となっては、すべてを忘れてしまい、「栄光の過去」だけが残っているようです。

 

忘れると言えば、話しかけてくれた方のほとんどの方のお名前も、すでに記憶のかなた。「誰だったかわすれちゃったよ」と呟く父ですが、それでも社友会には行きたがる。

自分を歓迎して、声をかけてくださる方。

世代交代をして、お顔も知らない「社長さん」が、「今、わが社があるのも、皆さまの現役世代の偉大なる貢献があればこそ。引き続き、どうぞご指導を」といった賛辞のスピーチ。

それらに包まれて、テンションアップの父親です。

 

そんな父親をみていると、何だか滑稽でもあり、少し切なくもあり。

父親の気持ちがわからないわけではないけれど、その場所に帰属していたのはもう30年も昔のこと。

退職してからの30年間、豊かな人間関係を築くチャンスはいくらでもあったでしょうに、父は、気持ちを会社に置いたまま。

積極的に人と関わるでもなく、今を生きることがないまま年を重ねてきたようで、本人のはしゃぎようとは裏腹に、周囲は気持ちが少し複雑です。

「会社人間」を地でいくような父。

そんな父をみながら、「私は過去に区切りをつけて、今を精一杯生きたい」と切に思います。

 

 

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入院生活。方言の優しさに癒されました。

たった1つのポリープを切除するだけなのに、恐縮するほどの手厚いケアを受け、昨日、無事に退院しました。

運よく、4人部屋の山側。窓側のベッドとなり、居ながらにして、お花見ができるというまたとない幸運に恵まれ、もったいないような入院生活でした。

 

満開の桜に癒され、そして、医師や看護師さんたちスタッフの方々の対応にも、心和むひとときでした。

何といっても、とにかく、言葉が柔らかくて優しい!

 

車で1時間ほど離れた病院ですが、当地とは、かなり言葉のニュアンスが違っているのに驚きました。

当地は、漁師さんの多い海沿いの街。

波音に消されないよう、皆さん声が大きく、何事もストレート。いっさいの装飾なしです。

例えば、「雨、雨が来んぞ!」といった具合。

丁寧に言えば、

「雲行きがおかしくなってきましたね。これからきっと雨になると思います」というフレーズですが、いっさいの余計な装飾はなし。

フレンドリーと言えばフレンドリーですが、

「これ、どないしたん?」といきなり聞かれて戸惑うことも。

「これ、ご自分でお作りになったんですか?それとも、どこかでお買い求めになられたのですか?」という問いかけが、「これ、どないしたん?」の一言に集約されるというわけです。

東京から移住して6年。そんな当地のストレートな表現にも、ずいぶん慣れてきました。

 

ところが、それほど距離的には離れてはいないというのに、今回入院した大学病院のスタッフや入院患者さんが話す言葉は、大きく異なっていました。

まずは最初に対応してくださったスタッフの方。

「今日からご入院ですねぇ。少しお話し聞かせてもろてもよろしいかぁ?」といった具合。せかせかとした感じがなく、万事ゆったり。

 

トラブル発生の時にも、誰も慌てずゆったり。

「なんや、点滴のところが、ちょっと腫れてきたんやけど、これでいけますか?」と患者さん。

「ちょっと見せてもらいますねぇ。ああ、点滴が漏れてもうたんやね。これは痛いでしょう。ほんなら、ちょっとお休みしてから、後で刺し直しましょうかぁ。」

「やっぱり漏れてたんやね。いやぁ、私もおかしいとは思いよったんよ。なかなか点滴も減らんけんねぇ。ほんなら、もう一回やね。よろしくお願いします」

「今度は、違う手にしよったらいけると思うんやけど。ほなまた、10分ぐらいしたら来ますね。」

「おねがいしますぅ」

 

これが当地ならば、多分、こんな展開になると思われ・・。

「なんや、点滴刺したところが、腫れとんで。これでいける?」

「ちょっと見せて。ああ、漏れたなぁ。これは痛いなぁ。ちょっと休んどこか。後で刺し直すわ」

「なんや、やっぱ、漏れとったんかいな。いやぁ、おかしいと思っててん。なかなか点滴も減らんしな。もう一回かいな。ほな頼むわ。」

「今度は、違う手にしよか。ほしたらいけると思うで。10分したら、また来るわな。」

「よろしく頼むわな」

 

文字にすると、細かいニュアンスが伝わりにくいかも知れませんが、当地は、基本あまり敬語というものを使わない土地柄でもあり、きっとこんなやりとりになると思われます。

方言には、それぞれの良さがありますが、時に違う土地の方言に触れると、その良さを身に沁みて感じるものですね。

優しい言葉のシャワーをいっぱい浴びて、気持ちも満たされた入院生活でした。

 

 

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何だか気持ちが落ち着かない。そんな時にはお絵描きがいい。

今年も、もう4分の1が過ぎようとしていますね。

毎年この時期は、桜の開花で、うきうきする反面、冬の間に、少し時間を無駄使いしてしまったような焦りも感じます。

「あれもしたい、これもしなくちゃ」と思うものの、いまひとつエンジンがかからない。

 

さぁ!と掛け声をかけてみたものの、なかなか集中できずに、気持ちは過去に未来へと、さながら迷子。

そんな時は、瞑想が良いのかも知れませんね。

ただ、瞑想の方法が自分に合っていないのか、どうもいまひとつ効果が感じられません。

「呼吸に集中」と自分に命じるものの、フト気づくと、雑念ばかりが浮かんできて、「あらら・・」ということの繰り返し。

「呼吸に集中しなければ」と頑張ってしまい、逆に疲れてしまいます。

 

何か、「心の迷子」を「今、この時」に連れ戻せる方法があれば良いのだけれどと思いつつ、お絵かきに励んでいたら、あらあら不思議。自然に「今、この時」に集中できて、エネルギーが満ちてくるのを感じました。

私が取り組んだのは、模写。

草木や花、風景など、現実に自分の目で見て描いた方が、画力は確実につくのでしょう。

ただ、画力をつけることより、今、とにかく描くことに没頭してみたい気持ちが強く、手元にあった素材を模写してみました。

 

完成にはほど遠いのですが、今日、描いたのはこちら。

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どなたの何という作品なのかもわからぬまま、若い女性の瑞々しさに惹かれて鉛筆で描いてみました。

こうやって並べてみると、頭に巻いたスカーフの厚さ、顔や目の角度、鼻の下の長さ、フリルの襟の開き具合、左右の髪のバランスなどなど、修正箇所がいっぱい。

見ているようで見ていない。

もっと集中力、観察力を養わなければと教えられます。

 

とにかく、一生懸命見ること、観察すること、そして手を動かすこと。

100枚描けば、必ず何かが変わる。

「筋トレのように、とにかく描き続ける。話しはそれから」

そんなことをよく耳にしてきました。

 

迷子になりがちな心を落ち着かせるためにも、今年残された4分の3の時間を、もっともっと描いてみたいと思っています。

 

 

さてさて、本日から2泊3日の入院。

与えられた時間を有効に過ごすために、スケッチブックと鉛筆を持って、行ってきます!

 

 

 

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今や、大学病院「4月問題」は存在しない。昨日の記事の訂正とお詫び

昨日の記事、大学病院「4月問題」をご存知かに、通りすがりのナースさんからコメントをいただきました。

 

ここ数年は、4月から臨床にでる新人ナースはまれですよ。研修だらけで、病棟にはあまり来ません。
5月は先輩看護師の後ろひたすらついて回り、6月過ぎから先輩フォローの元、数人の担当が開始になります。
ミスが増え始めるのは9月~1月頃。ある程度業務に慣れてきてからです。逆に言うと8月頃までは、手際は悪いですが、フォローも手厚いので、ミスを起こすことは少ないです。

わからないことには不用意に答えるなと口酸っぱく指導することがほとんどですので、わからないことに”わからない”と答えるのはマニュアル通りに動けている証拠でもあります。

つまり、大学病院は教育機関という性質上、いつ入院しても危ないですよ。

 

どうやら、新人ナースの教育体制が手厚く整備され、4月は「現場」に出ることもなく、研修の日々を送っておられるようです。

5月に入って、先輩ナースと行動を共にし、先輩の指導のもとに数人の患者さんを担当するのは6月に入ってから。

医療が高度化し、医療事故も相次ぐなか、大学病院の新人看護師の教育体制は、ここ数年で大きく様変わりしているようです。

特に「4月」が特別というわけではなく、教育機関である限り、大学病院に入院することのリスクはマイナスではないと教えてくださいました。

 

昨日の記事は、こと看護師さんに関しては、現在の大学病院の実情とかけ離れているものであり、「大学病院の4月は危ない」というマイナスのイメージを煽るような記事を書いてしまったことに、お詫びと訂正をさせていただきたいと思います。申し訳けありませんでした。

 

思えば、夫が4月初旬に入院したのは、7年前のこと。

友人から、「4月はバタバタしていて大変!」と聞いたのも、その頃のこと。

そんな昔のイメージを引きずって、疑いもせず、記事にしてしまったことを反省するとともに、コメントをいただいたことに感謝しています。

 

もしかしたら、4月の大学病院への入院を予定されている方の目に触れて、不安な気持ちを抱かせてしまったかも。

現在、大学病院で働いておられる方を、不快な気持ちにさせてしまったかも。

不確かな自分の記事が、見知らぬ誰かを不安にさせてしまうかも知れないという想像力に欠け、軽率だったと振り返っています。

 

これからブログを書き続けるとしたら、情報を扱うことにもっと慎重でなければいけませんね。

ネットの情報はあてにならないと耳にし、それなりに受け止めてはいましたが、そのあてにならない情報を自分が発信しているとは。

これを機会に、十分に自重しなければと思っています。

 

さてさて、当地では今朝、やっといっせいに桜が開花。

この季節を、せいぜい満喫したいと思っています。

 

 

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大学病院、「4月問題」をご存知か?

2年前に、8ミリの大腸ポリープが発見されました。

組織検査では良性。

1センチに満たないポリープゆえ、切除の必要はないものの、経過観察を申し渡されておりました。

 

そして、今年、内視鏡検査を受けたところ、当たり前ですが、やはり変わらず鎮座しておりました。

で、この2年間に、学会のガイドラインが変わり、現在では、8ミリであっても、「切除」が推奨されているとのこと。

 

この程度のポリープなら、外来での処置がむしろ一般的なようですが、乳癌でお世話になった大学病院に紹介していただいたところ、なんと、「2泊3日」の入院決定!

安全の上にも安全を期して切除するとのことです。

ここまできて、心変わりするのもかえって面倒。

素直にお世話になることにしました。

 

「3月の下旬か、4月の上旬、どちらにしますか?」

外来の医師の言葉にしばし考え込み、「3月でお願いします」と答えた私。

「4月の初めに大学病院に入院するのはできれば避けた方がいいよ」という友人の言葉が浮かんだからです。

 

その友人は、長らく大学病院に勤めていた医療者。

友人曰く、「4月初旬の大学病院は最悪。スタッフの移動と新人の受け入れで現場はシッチャカメッチャカ。ミスも起きやすいし、みんな疲れてカリカリしている」というのです。

そう言えば、数年前に4月初旬に大学病院に入院した夫。

新しい研修医は、実に頼りなさそう。

新人ナースは、先輩ナースについてゾロゾロ。

何を尋ねても、「すみません。ちょっと確認してきますんで、お待ちください」と要領を得ず、時に厳しい先輩の指導を受け、オロオロ。

「ああ、こりゃ、マズい時に入院しちゃったなぁ」と呟いていました。

同じ部屋だった入院患者さんは、後日外来でお会いしたときに、

「傷が何たってガタガタ。もうこの年だからいいんだけど、縫合したのは新人の先生。まっ、今更しょうがないんだけどね」と話していました。

 

どんなエキスパートも最初は初心者。

失敗を繰り返し、成長していくものですね。

ただ、やはり、こと、病気の治療に関しては、習熟したスタッフにお世話になりたいと思うのが正直なところ。

多くの場合病気は待ったなしですが、もし選択できるのなら、大学病院の4月はそれなりの事情を抱えていることを頭に置いておいても良いような気がします。

こんなハズじゃなかったと思わないためにも。

 

 

 

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