還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

オーバー60は全身土砂崩れ?平凡な毎日を面白がって過ごす知恵

昨日は、ダンスのレッスン。

メンバーは、オーバー60の円熟したマダムたち。

ステップを踏みつつ、振り付けの練習に取り組みました。

 

ところが、何といっても難しいお年頃。

「あかん!足が上手にいったとおもったら、今度は手がお留守になる」

「ほんまよ~。曲がかかったら、もうパニックよぉ」

時々ボヤキも入りつつ、練習中は笑いが絶えない教室。

 

休憩中には、

「やっぱ年やな。覚えたと思った先から忘れていくわ」

「そうそう、ひとつ覚えたと思ったら、2つ忘れんねん」

「一緒や、一緒。私も一緒。あはは・・・」

そんな会話が交わされます。

 

昨日は、Aさんが、

「年とってくると、覚えも悪なるけど、顔もすごいよな。昨日、鏡で久しぶりに自分の顔みて、ビックリしたわ。すべてが下にたるんでんねん。」としみじみと言い始めました。

「そやろ。そうそう。私も、鏡見るのイヤんなるわ。もう、最近は、顔と首の境目がわからんようになってきてん。ちょっと前までは、もうちょっとマシやったと思うねんけどな」とBさん。

そこへCさんが、

「いやいや、顔だけと思ったら甘いで。胸もお腹も、お尻も、みんな下に下がってくんねんで。」と辛口コメント。

Aさんは、

「いや~、ホンマに、私、顔面雪なだれやわぁ」と思わずボヤくと、

Cさんが、ニヤニヤしながらいたずらっぽく、

「ほやから、顔面じゃのうて、全身。全身やで。雪なだれというより、私の場合は、土砂崩れやな。頭の先から全部、ドーッって落ちてきてるねん」と。

「いや~、土砂崩れやって!どうしよ!そりゃ、サイアクやなぁ」とAさん。

それを聞いていた一同、もう、笑いが止まりませんでした。

 

それぞれに、山あり谷ありで迎えたオーバー60。

今現在も、自分自身の病気や年老いた親、サポートの必要な子供や孫のお世話など、それぞれに心配事を抱えて今を生きている仲間です。

「くよくよしたって始まらん!」

「こころの貯金通帳を、黒字にせなあかん」

そんなことをよく言い合います。

 

特別なハッピーなことはなくても、平凡な毎日のほんのヒトコマを、せいぜい面白がって過ごしたい。

それが、オーバー60を生き生きと過ごす知恵なのかも知れません。

 

「やるときはやる!」

冗談を言い合いつつ、レッスンに集中するマダムたち。

私も、彼女たちからたくさんの元気をいただいています。

 

 

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アルマーニ制服問題と田舎のマダムたち

昨日は、近くの温泉へ。

温泉もさることながら、併設されたサウナで汗をかくのがお気に入りです。

昨日は、先客の顔見知りのおばちゃんたちとたわいもないおしゃべり。

サウナで過ごす静かな時間はなかなかオツなものですが、先客さまがいらっしゃるとそうもいかず。

裸の付き合いの気軽さからか、常連のおばちゃんたちの爆弾トークはかなりのもの。

話題は政局から各種時事問題に至るまで。

鋭いつっこみが冴えわたり、密かにそんなおばちゃんたちのトークを楽しみにしています。

 

さてさて、昨日は、ちょうどTVのワイドショーでは、かのアルマーニ制服問題でわいた件の小学校の話題が流れていました。

 

その時、一人のおばちゃんが、

「なんで1年生に、アルマーニの制服が必要なんよ。子どもは泥んこになって遊ぶのが仕事やのに、そんな高級な服なんか着て、遊ばれへんやん!」と。

「ほんまそうやわ!そんなん着てたら、金持ちの家の子やって思われて、誘拐されるでー。危ないやんか。なぁ」

「だって、制服代に55万円払えるってことは、金持ちってことやろ。55万いうたら、うちのおばあさんの国民年金と同じやで。年金だけで頑張ってる人もいてるのに、もう考えられへんわ」と、ここで年金に話題は大飛躍。

さらに、

「そうよ、55万円出したら、中古の軽トラ買えるやん。〇〇自動車屋さんにいうたら、すぐに探して持ってきてくれるで」と、なぜか、中古の軽トラへと発展。

「それに、子どもはすぐに大きくなるやん。次から次へと買い替えなならんのに、何考えてるんやろ」

「世の中には、ご飯が腹いっぱい食べられん子供もぎょうさんいてるのに、それ思ったら、ほんま腹立ってくるわ!」と狭いサウナ室は中高年女性の非難ごうごう。

 

その時、TV画面に校長先生が。

「この校長先生が一人で決めはったんやってなぁ。たとえ保護者から、アルマーニの制服を作りたいって要望があったとしても、いやいやそれはできん。子どもの家庭の事情はそれぞれだから、買えない子どもがかわいそうやって阻止するのが教育者というもんちゃうん?きょうび、教育もホンマ、地に落ちたもんやわ」と滴る汗を拭いもせずに、おばちゃん怒り心頭。

「いや・・。それは思うで。アルマーニの制服着せるやなんて、自己満足やんか。見栄やな」

「そんなん、保護者の人も困ってはると思うで。うちは、そうなん、買うてやれんもん」

おばちゃんたちは、一同、力強く、同意の頷きのサイン。

 

その時です。

「えっ!ちょっと待って。入学予定者の全員が制服買うたって言ってるでぇ」と一人のおばちゃんが。

「ええっ!みんな買うたん??」とTV画面に釘づけ。

よくよくTVを見ると、入学予定の1年生。数名の入学辞退者以外は全員が標準服をすでに購入したと報じていたのです。

「ほぉ・・・。入学予定の子の全員が・・。」

しばし絶句するおばちゃんたち。

 

しばらくして、ふと我に返ったおばちゃんたちは、

「東京の銀座の子は、泥んこになって遊んだりせえへんのやな」

「そうやな。みんな外車で送り迎えやから、誘拐の心配もないのかも知れへんなぁ」

「中古の軽トラもいらんし、国民年金なんて知らんしな、あはは・・」

「そりゃそうや、ウチらの基準で物事考えたらアカンちゅうこっちゃなぁ」

あれだけ盛り上がっていたのに、こころなしか声のトーンもしめりがち。

「何やアホらしなってきたわ。さっ!そろそろ汗流して来るわな」

そう言って、一人、また一人で去っていきました。

 

私も含め、どうも、アルマーニの制服問題。

田舎のマダムには到底理解不能な難問のようです。

 

 

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プチプラファッションのセール品。身に着けるのに抵抗はありますか?

 

 昨日、久しぶりにばったり会った同世代の友人と、少しの間お茶をすることになりました。

昨日は寒かったせいか、友人は少し厚めの白いニットに大き目のペンダント。

白がお顔によく映え、いつもより顔色も良く、元気そうでした。

 

「その白いニット、いいね。とってもよく似合ってる。顔色が良く見えるね」

そう言うと、友人は「そう?」と嬉しそう。

そして、「意識高い系のメンドクサイ娘に怒られるんだけど、これ、なんぼしたと思う?」と。

「これねぇ、ビックリするでぇ~。390円!3900円とちゃうよ~、390円。ネットで買うたんよ。セール品」

聞けば、プチプラファッションのサイトで偶然見つけ、思わず「これ、買い!」と叫んでしまったとのこと。

「このニット、縫製もしっかりしてるし、あったかいんよ。シンプルなデザインやから、年齢に関係なくイケるし、こんな春先の寒い日にはぴったり。もう、毎日のように着てんねん。汚れたら、何の未練もなく、処分できるし。なんたって、390円やもん」

そう、嬉しそうに話していました。

 

ところが、娘さんは眉をひそめているのだとか。

「娘は、『お母さん、そのニット、開発国の人たちからの労働搾取によってできてんねんで』ってこうよ。『知らない誰かの犠牲によってこの一枚のニットができているっていう想像力、お母さんにはないの?』って。」

「そんなん知らんわなぁ」と友人。

友人の言い分はこうです。

「もう、私らの年齢になってくると、好きなものを好きなように着たい。開発国がどうとか、そんなややこしいこと言われても困るわ。だって、私らが買うことによって、その国の人も生活も成り立ってるんと違うの?ほな、不買運動したら、結局困るのは、その国の人やんか。なぁ。」

そう言って友人は同意を求めました。

「う・・ん。難しいね・・」と曖昧に頷く私。

 

「もう、本当に頭に来るねん。うちの娘。どうしてあんなに頭が固いんやろ。」溜息をつきながら、さらに友人は続けました。

「娘は、『まだ若い人なら許される。でも、分別のついた60過ぎのおばさんが、390円のプチプラに飛びついて、嬉しそうに着るのはやめてくれる?品格を疑うわ』ってこうよ。」

「そこまで言われると、カチンとくるでぇ」と友人。

「品格の問題にまで発展しちゃったんだ」と私。

 

「まっ、しゃくにさわるから、最近、意地になってこればっかり着てるんよ。もちろん、気に入ってはいるんやけどね。『買ったのに、結局は着なかった』なんて言われたないし、着倒せば、開発国の人も喜んでくれはるやろと思ってね」

「なるほどね・・」

そんな会話がしばらく続きました。

 

私も、プチプラファッションをよく利用します。

デパートはなく、商店街もシャッター通りと化している当地には、実質的にユ〇ク〇かイ〇ンしか選択肢がない状況。

ワゴンセールでお気に入りの品を手に入れたこともあり、友人の話しはごく身近か。

正直、開発国の方のご事情にまで思いを馳せることはありませんでした。

「買わなければ済むこと」そんな単純な問題でもなさそうですね。

せめて、自分にとって本当に必要なものだけを購入し、買った以上は大切に扱い、タンスの肥やしにするようなことはせず、とことん着る。

ただ、それだけは心がけようと思います。

 

 

 

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自分の考え方のクセに気づかされ、ブログの価値を考える

昨日のエントリーに、皆さんからコメントをいただき、ありがとうございました。

ある、高齢者施設で働くスタッフの悪意のない小さなウソ。

少しづつ、ウソがウソを呼びこんでいく様子に、ハラハラ。

これから、そのスタッフにとって職場が、居心地の悪い場所にならなければと先読みをして心配する気持ちを記事にしました。

 

この拙い記事に、いただいた皆さんからのコメント。

その悲しさや切なさに共感して下さった方、ご自分の経験と重ねてくださった方、そして、その体験を成長の機会にというご意見もいただきました。

 

ブログの記事によって、ひとつのエピソードを共有しても、感じ方は人それぞれ。

皆さんからのコメントを読んで、自分には、勝手に先読みをしてネガティブに考える思考のクセがあることに気づきました。

いずれ、小さな見栄から出た彼女のウソが職場の皆さんの知るところとなり、彼女は居心地が悪くなって職場を去るのではないだろうか。

彼女と職場のスタッフの方との関係がどことなくギクシャクするのではないだろうか。

彼女も、自分がウソをついたことを恥じて、ひどく落ち込む時が来るのではないだろうか。

そんなことを真剣に思っていました。

今後どう推移するか、全く何もわかっていないというのに。

 

私にはそのように、勝手に「ネガティブな妄想状態」に陥り、いつしかそれが、「そうなるに違いない」という確信めいたものに変わっていく、そんな考え方のクセがあるようです。

 

よくよく考えてみれば、この体験を糧に、彼女も周りのスタッフも成長していくチャンスはいくらでもありますね。

若さは、未熟を意味するばかりではなく、柔軟性や逞しさの象徴でもあるはずです。

小さな見栄は、認められたいという気持ちの表れ。

そんな気持ちさえ持てないスタッフもきっと働いておられるでしょう。

そう考えれば、今回は、少々背のびをしてしまったけれど、「もっと成長したい」「より有能な自分でありたい」という気持ちを表す出来事だととらえることもできるでしょう。

 

ある出来事をどう意味づけするかはその人次第。

そしてその意味づけによって、その出来事がストレスになったりならなかったり。

置かれている環境や出来事は変えることができないけれど、受け止め方は変えられる。

何度か聞いてきたこの考え方に、これまでその都度納得してきたつもりです。

でも、本質的な考え方のクセは、気づくチャンスをいただかないとなかなか変えられないものですね。

 

ブログの記事を書くことによって、自分が感じたこと考えたことを整理して表現する機会が与えられています。

ブログを書いているその時間は、今日というこの日、今というこの時の自分の表現でもあります。

漠然としている感情や考えを整理して表現し、それに対してコメントをいただき、今の自分に気づく。

ブログを通じて、常に自分を修正し続けていくことができたなら、それは私にとって、ブログを継続していくことの最高の価値のような気がしています。

 

 

 

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スタッフの切ない小さな嘘と甘酸っぱい思い出

スタッフといっても、友人の部下のお話しです。

高齢者施設で管理者を務める友人は、お茶をしながら、あるスタッフのことを話し始めました。

 

そのスタッフは、昨年高校卒業し、福祉の世界に飛び込んできました。

若さゆえに、今はまだ気が効かない。

だけど、黙々と仕事に取り組み、利用者さんには優しく接する期待のホープです。

 

その彼女、施設のクリスマス会の時に、アイシングクッキーを持参したそうです。

色とりどりのクッキー、あしらわれた文字もまるで売りもののように美しく、「これ、すごい!」と歓声が上がったようです。

「これ、〇〇さんの手作り?」そんな問いかけに、はにかむようにこっくり頷いた彼女。

「ええっ!こんな特技があったんやね~。若い人はやっぱり凄いね・・」

年配のスタッフは、娘をみるように目を細めていたそうです。

 

「〇〇さん、あんなクッキー、焼けるんやったら、今度は、利用者さんと一緒に作ってみたらどうかな。クッキーの型抜きなら、一緒にできると思うよ。そうや!バレンタインデーの日にやってみたらいいんじゃない?」

そんな友人の問いかけに、これまた頷いた彼女。

その彼女、バレンタインデー当日は、通常の業務から外れ、黙々とキッチンにこもり、何やら作業を続けていたものの、いつまでたっても利用者さんと一緒に作業するそぶりはなく、タイムアウト

結局、「今日、家に帰って焼いてきます」とその日は帰っていったそうです。

そして翌日、まるで売りもののような見事なクッキーを抱えて彼女は出勤してきました。

 

「自分で焼いたんじゃないんだ・・・ウソなんだ・・」その時友人はそう確信したそうです。

その若いスタッフ、兄も姉も、いわゆる「優秀」。

自分は、出来の悪い末っ子で、小さいころから劣等感の固まりだったと友人に打ち明けたことがあったそう。

「ついつい、背のびしちゃったんやろなぁ・・」そう呟いていました。

ところが、そんな友人の思いをよそに、他のスタッフは、

「あれから家に帰って焼いてきたん?やっぱり、慣れてる道具があると違うんだね」と気づかない様子。

職場では、すっかり「お菓子づくりはプロ級の〇〇さん」というイメージが定着したようです。

本人も、「自分で作った」といい切る手前、「買ってきたんと違う?無理せんでもいいんよ」と言葉もかけられず・・。

 

そんな時に、またまたやってきたホワイトデー。

今度は、「チーズケーキを焼いてきました」とニコニコ顔で彼女は出勤。

見れば、もう、これは買ってきたとしか言いようのない完成度。

わずかな給料から無理をして皆の分を調達したのかと思うと、かわいそうでたまらなくなるとか。

 

「皆に褒められたい、認められたい」

「喜んでもらいたい、喜ばせたい」

そんな気持ちからついた小さな嘘が、次第に積み重なりつつあるのだとか。

 

何だか本当に切ないお話し。

友人とおしゃべりしながら、遠い昔がフトよみがえってきました。

「これ、編んでくれたの?」

差し出したマフラーを前に、満面の笑みで尋ねる彼。

「えっ?まぁね・・。上手じゃないけど」

咄嗟についた嘘でした。

少しでもよくみられたい。手作りだと期待しているその気持ちを裏切りたくない。

そんな気持ちから咄嗟についてしまった嘘。

結局、お付き合いは長続きしませんでした。

 

さてさて、今後どう友人は彼女に接していくのでしょう。

福祉の道を志した彼女が、こんなつまらないことで躓かないように、こんな切ないことで職場を去ることがないようにと、心から願うばかりです。

 

 

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人は最後まで「生きたい」と本能的に願い続ける存在だと教えられています

各地で桜の開花が伝えられています。

毎年のことながら、何だかワクワクしますね。

我が母親も、有料老人ホームの居室の窓から、桜が咲くのを楽しみにしています。

「桜が咲いたら、外に出てお花見をしたい」というのが、目下の母親の願い。

ほとんど口からは食べられない母親ゆえ、楽しめることがめっきり少なくなってしまいました。

その、せめてもの母親の願いを叶えたいとソワソワしているのが、父親。

「もう、私も生きて10年だ。あと何回花見できるかわからん。花見がすんだら、どっかで1杯やろう」

それが、ここ数日の決まり文句になっています。

 

「もう、私も生きて10年・・」

このフレーズ。もう、何年も前からの決まり文句。そう言い続けて、かれこれ10年は経つように思います。

老い先短いのだから、あれも食べたい、これもしたい」そんな父親に、少々げんなりしている娘たち。

父が70代のころには、

「もう歩けなくなって、車椅子で生活するようになったんじゃぁ人生も終わり。トイレに行けなくなってオムツなんかするんだったら、生きていたってしょうがないよ」

そんなことをよく話していました。

ところが、車椅子生活になり、リハビリパンツを愛用するようになった父は、むしろますます生きる意欲がほとばしり、最高潮に達してきているようです。

人は、「ああなったら生きていたくない」と観念的なレベルではあれこれ感じるものの、本能的なレベルでは、生きることを最後まで貪欲に求める存在なのですね。

 

そんなことを思いつつ、ふと浮かんだのは、もう30年も前のこと。祖父が入院している病室での出来事でした。

ナースステーションにほど近い4人部屋。そのなかに、50代くらいの男性患者さんがいらっしゃいました。

祖父のお見舞いに行った午後、その男性患者さんはひどく落ち込んでおられました。

どうやら、手術が決まったもよう。

看護師さんとのやりとりから漏れてきたのは、

「もう、手術をしたら今の仕事はできなくなるし、職人として生きて行けないならもう死にたい」というような会話でした。

「人生のどん詰まり」「生きていたってしょうがない」「死んだほうがまし」

そんな涙声で語られる言葉の数々。

私はその男性が気になって気もそぞろ。

祖父との会話も、途切れがちになっていました。

 

そして、あれは私がトイレから戻ろうと廊下を歩いていた時のこと。

あの男性患者さんの、怒鳴り声が聞こえてきました。

「何でオレのところだけ献立表が来ないんだよっ!」

男性は、そう怒りをぶちまけていました。

 

さっきまで、死んでしまいたい。死んだほうがマシと涙して落ち込んでいた人が、今日の夕食のメニューがわからないからといって、あれほどエネルギーを爆発させるとは。

「はっ?なんだ、生きる気まんまんじゃないの」そう思った私は、何だか笑いが込み上げてしまいました。

 

あれから30年。

「ああなったら生きていたくない」

「死んだほうがマシかも」

ふとそんなふうに思う時もあるけれど、人間は、本能的に、原始的なレベルで、何があっても生きることを志向する存在なんだと、今度は両親から教えられています。

 

 

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還暦女子。唐突にパンプスを履くことを決意する

突然ですが、先日、7センチヒールのパンプスを2足買いました。

最近、めっきりと物欲が後退し、欲しいものなどないと思っていたハズなのに、突然、明るい色のパンプスが欲しくなりました。

本当に唐突に。

 

パンプスと言えば、リタイア後は、せいぜい履いても年に3~4回。それも、冠婚葬祭用の黒ばかり。

50代の半ばまでは、毎日朝から晩まで履いていたパンプスも、だんだんしんどくなり、最も近いコンビニまでの距離は何と10キロという堂々たる田舎に移住した後は、すっかりご無沙汰でした。

農業と漁業を主産業とする当地のご婦人の靴事情は、何といってもスニーカーが全盛。その他、若い女性は、ぺったんこのバレーシューズ、年配の方は、皆さんコンフォートシューズ。パンプスを履いた方は、セレモニーホール付近のみでおみかけするという感じ。

「誰も履いていない」ことで、何となく自分だけが履いていては、田舎では妙に目だって場にそぐわない・・そんなふうにも思っていました。

 

ところが、本当に唐突にパンプスをごく日常的に履くことを決意した私。

なぜ今、パンプスなのか。(大袈裟

それは、介護に直面するようになっことが影響していると思います。

表情はどこかうつろ。すぐに、コックリ、コックリと眠りの世界に吸い込まれてしまう我が母。

母をみていると、母が自分の年齢だったころは、どう過ごしていたのだろうと思うことがよくあります。

24年前、母親が還暦を迎えていた頃は、テニスに夢中。連日テニスコート通いをしていました。ウエアのコーディネートも楽しんでいたような。

オシャレが好きだった母は、その頃はまだ背筋を伸ばしてパンプスを履き、出かけていた記憶があります。

ところが、70歳でテニスをやめた後に、老いが急速にやってきました。

今思えば、ゆっくりと認知症の段階を進んでいたように思います。

今となっては、パンプスどころか、リハビリ用のシューズを履くのも大騒動。

母をみていると、自分の足で歩ける時間は限られているし、ましてパンプスを履ける期間はそう長くはないことをしみじみと思い知らされます。

 

そして、両親に限らず、高齢者住宅や有料老人ホームに入所しておられる先輩諸氏と接していると、正直なところ、気分が下向きになってしまう自分を感じています。

高齢者の方々の生きる姿に、励まされたり優しい気持ちになったりすることはもちろんありますが、一方で、やっぱりどこか切なく悲しい。

この気分を何とか払拭したい!

で、その手段として、少しオシャレをしてパンプスを履くことになったわけです。

春色の7センチのヒールでしっかり背筋を伸ばし、颯爽と歩きたい。

春の風を身体に感じて、還暦の春を満喫したい。

そんな止むに止まれぬ事情が、私を突き動かしたのでした(ここ大袈裟)。

 

それにしても、私は母から何を与えられ、今、何を与えてもらっているのだろうと考えることがあります。

過去に与えられたものは数々あれど、今の母から与えられているのは、何といっても、「今、この一瞬を楽しむ」ことの大切さ。

自分には、後ろを振り返ったりよそ見をしたり、下を向いていられるほどの時間は、もう残されてはいないことを実感しています。

 

人が何を履いていようとお構いなく、近所のスーパーにもジムにも、習い事にもパンプスで出かけています。

でも、心配は全く的中せず!

自分が思うほど、誰も人の靴など見ていない!

このまま、80歳になっても90歳になっても、気分を上げてくれるパンプスで背筋を伸ばして颯爽と歩きたい。

今、そんなことを思っています。

 

 

 

 

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