還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

今ごろ気づいた!大人のアイメイク、拡大鏡は必携だった。

やっと最近になって、「これはまずいでしょ!」と真面目に取り組み始めた大人のメイク。

始めたはいいけれど、そこが何しろマダム世代の辛いところ。

問題は「視力」にもありました。

 

小学生の頃から、視力だけは優秀だった私。

両眼ともに、1.5は下らず、眼鏡をかけた同級生が羨ましく、若いころはずっとメガネに憧れておりました。

 「いいな、眼鏡・・」そんな思いが通じたのか、40代前半から、何と!老眼一直線。

今や、何をするにも眼鏡が外せなくなりました。

眼鏡さえかけていれば、ほとんどのことは何不自由なく暮らしていますが、さてメイクをしましょうという段になって、慌てました。

老眼鏡をかけていたのでは、アイラインが引けない!

 

今の私の視力では、眼鏡なしでは、睫毛の生え際なんて、到底見えない!

ただでさえ、瞼に張りがなく、たるんだ瞼にアイラインを引くのはかなりの難度。

そこへもってきて、見えない・・。

仕方なく、だいたいの辺りをつけて「エイッ!」と引いてはみたものの、

夫曰く、「目の黒い線、何だかヘンだよ~」という残念極まる仕上がりに。

 

「ねぇ、どうやってアイラン引いてるの?やっぱり慣れかな?」

いつも目元がキリリと美しい同世代の友人に尋ねてみると、

「ちょっと、拡大鏡使ってへんのぉ??」

とそれはそれは驚いた顔。

「拡大鏡なしでは無理、ゼッタイ無理!」というのが彼女のお答えでした。

 

ああ、拡大鏡ねぇ・・。

夫が髭剃りの時に使っている拡大鏡

それなら家にもあるけれどと早速試してみると、

全く見えなかった睫毛の1本1本が、ハッキリ、スッキリ、クッキリと見えるではありませんか。

アイラインも、何の問題もなく引けました。

 

ただこの拡大鏡

見えすぎて、びっくり!

皺やシミ、皮膚のたるんだ様子はもちろんのこと、毛穴ひとつひとつが鮮やかにその姿を現し、なかなかにショッキング。

鏡に映るもろもろは、注視には耐えないシロモノではありますが、きっとだんだん慣れてはいくでしょう。

 

それにしても、なぜ今まで気づかなかったのかと、悪戦苦闘していたわが身が情けない。

大鏡を味方につけて、せいぜいあれやこれやと楽しみたいと思います。

 

 

我が家の拡大鏡はこんな感じでございます。

 

 10倍拡大鏡付 両面スタンドミラー ホワイト YL-1500

 

 

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男子フィギュア。選手の活躍を見た夫。20代前半にピークを迎える人生ってどうなんだろうと呟いた。

オリンピックの男子フィギュアスケート、選手の皆様の演技は、本当に圧巻でございました。

普段、フィギュアスケートをほとんどみない夫と私も、今日ばかりは、テレビの前で神妙な面持ち。

羽生、宇野両選手の演技は、息をするのも忘れそうになるほど、手に汗握って拝見しました。

「おめでとう、そしてありがとう」

そう、声をかけておりました。

 

それにしても、このリンクに立つまで、どれほどの困難があったことか。

羽生選手の右足は、未だ悲鳴を上げて続けているようですね。

いったい、選手たちは、何度身体を氷に打ち付け、どれほどの痛みを味わってきたことでしょう。

身体の痛みばかりではなく、不安や苛立ち、焦り、恐怖、逃げだしたいほどの重圧、そして孤独。

心の痛みとも、日々を共にしてきたに違いありません。

 

それなのに、羽生選手が語ることは、ほとんどが周囲への感謝や気遣いの言葉で、謙虚というほかはありません。

筆舌に尽くせないほどの努力、そして内面での闘いがあったはずなのに、

「応援してくださった方のおかげです。応援してくださった方のおかげで良い演技ができました」

「ただただ感謝です」

そう語る23歳の彼。

人間としても、何かすでに成熟しきっているような発言でした。

 

年齢ばかり重ねて、少しも成熟の域に達しない私たち還暦夫婦は、

「すごいねぇ。何だか、すごすぎない?」と顔を見合わせるばかり。

衣装といい、華奢な身体つきといい、お顔立ちといい、アニメの世界から現れたフィギュアのような羽生選手。

「凄すぎて、ひょっとしたら、人間じゃないかもよ~」

冗談半分に、そんな言葉も飛び出しました。

 

さてさて、歓喜に包まれた中継が終わり、安堵とともにコーヒータイム。

「まぁ、でも、20代の前半にピークを迎える人生ってどうなんだろうね」と夫。

あんなに「アドレナリンが出まくり」の強烈な体験をしてしまうと、その後の人生、何をしても物足らなく感じてしまうんじゃないかというのです。

「もちろん、金メダルは素晴らしいけれど、これから彼の人生は長いからなぁ」とまるで、息子をみるように呟いていました。

 

なにをもって人生のピークを測るのか、自分に向けられた世界中の人々からの歓喜と祝福を指標にすれば、ピークは、短い競技者人生に限られるかも。

でも、アスリートとしてのピーク、仕事上のピーク、プライベイトのピークなど、いくつかのピークが山のように連なって、人生は続いていくのでしょう。

人生100年時代とも言われる今、本当にこの先の人生は長くなっています。

オリンピック中継を観ながら、いま、活躍する選手たちがどんな人生を送っていくのか、そんなことにも思いを馳せています。

 

 

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84歳の母。この1年で「老婆」から、お肌はツヤツヤ、ピカピカ!栄養とストレスフリーによるものか?

脳梗塞の後遺症で有料老人ホームのお世話になっている母。

嚥下がうまくいかないため、栄養は胃瘻からの経管栄養。

そんな生活が1年以上続いています。

 

若いころの母親は、お化粧が好きで、マッサージに励んでいた・・そんな記憶もありますが、ただ、晩年は、認知症を患っていたこともあり、ほとんどお肌のお手入れはしないまま。

80歳を超えてからは、さらに顔には深いしわが刻まれ、表情も暗く、顔色も冴えない「老女」の様相でした。

そして、母親が若いころから気にしていたのが、手の甲の皺。

「手は年齢が隠せないからいやなのよ」

よくそんなことを呟いていました。

 

ところが、脳梗塞で倒れ、老人ホームに移ってからというもの、みるみる母親の肌が変化してきました。

ほうれい線などのシワがほとんど目立たなくなり、すっかり色白に。

艶もよく、ピカピカです。

あれほど気にしていたしわくちゃだった手の甲も、シワが目に見えて少なくなり、白くてほっそりとした指になりました。

見舞客の皆さんが驚かれます。

 

「どうしてこんなに肌がキレイになっちゃったんだろうね」

母の姉、そして妹である叔母たちは、来るたびに、少々不思議そう。

スタッフの方が、ケアをしてくださっているのかも知れませんが、それにしてもこの変化!

 

・一番は、栄養がいいからよね。毎日、ビタミンもなにも、必要な栄養素が過不足なく、決まった時間に入ってるから、それでお肌も最高なのよ。

 

・ここにいれば、暑くも寒くもなく、湿度も管理されてるし、紫外線が当たることもないしね。

 

・ほとんどベッドで寝ているから、重力がかかることもないし、顔も垂れさがったせず、ほうれい線も消えたんじゃない。

 

・手は、家事も何もしないから、これだけキレイなんだね。

 

スースーと寝息を立てる母の傍らで、話は盛り上がり・・。

結局、栄養と、紫外線や重力、物理的な刺激を含めたストレスが肌に影響するという結論に至りました。

 

不安も苦悩もなく、日々を過ごしているかに見える母。

父親のDVによるストレスからも卒業。

そんな精神的なストレスから解放されたことで、肌も蘇ってきたのかも知れません。

脳は病気によって大きなダメージを受けましたが、皮膚は日々再生が繰り返され、母にはまだ、いろいろな力が残されているようです。

 

暖かくなったら、色白になった母に薄化粧。

ちょっとオシャレをして、桜並木の下を車椅子で散歩できたらと思います。

 

 

 

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大腸内視鏡検査の結果は、大学病院への紹介。こうして国民総医療費はどんどん増えていくんだな。

本日、かかりつけの消化器内科クリニックで、大腸の内視鏡検査(カメラ)を受けてきました。

実は、2年前に受けた時に、7ミリのポリープがみつかっています。

組織検査を受けたところ、過形成の良性ポリープと判明。

2年後の経過観察となりました。

 

今回医師は、そのポリープの経過を注意深く観察。

大きさは、全く変わっていなかったとのこと。

ただ、医師によれば、最近になって、6ミリ以下のポリープは良性といえども、摘出するよう、学会のガイドラインが変更されたようです。

 

今は悪性のものではないけれど、絶対に将来にわたって悪性化しないとは言い切れないので、今の内に摘出したほうが良いそうです。

今回の検査時に取ることも不可能ではなかったようですが、粘膜に張りついているタイプゆえ、切除面が大きくなり、出血する可能性もあるため、大きな病院で取った方がよいそうです。

「どこか、希望の病院はありますか?」と問われ、思いついたのは、乳癌でお世話になった近くの大学病院。

大学病院では、1泊2日の入院になる可能性が大きいようですが、そこにお願いすることにしました。

 

10年、20年後に悪性化するかも知れないことを考え、大学病院に入院してたったひとつの7ミリのポリープを切除する。

きっと、このような医療が、保険適応で受けられるのは、日本だけかも知れません。

アメリカであれば、数十万円、いやもっと医療費がかかることでしょう。

 

そこまでする必要がある?

そんな気持ちにもなりますが、腫瘤を形成する前の細胞レベルの乳癌を見つけていただいた体験をもつ私。

このような非浸潤性乳管がんの診断後20年以内の乳癌死亡率は、一般集団とほぼ同じであり、積極的な治療は、むしろ過剰医療となりデメリットも大きいとの見方もあるようです。

ただ、がん細胞がそこに確かに存在する以上、私はそのままにしておくことができませんでした。

 

今回のポリープは、ほぼ100%良性。ただ、将来の癌化に備えて、摘出した方がよいというのが、学会のガイドラインであり、主治医の意見です。

乳癌の治療のように、身体の一部を切除したり、術後に放射線をかけるということもないポリープの摘出は、身体に負担のないマイルドな治療。

「リスクは、できるだけ未然に防ぐ」という考え方なのでしょうね。

 

我が国の総医療費は、毎年1兆円以上増えている。

そんなフレーズをよく耳にします。

人口の高齢化や、医療の高度化によるものが大きいとのこと。

今現在、重病に苦しんでいるわけではないけれど、将来の予防の意味合いから、大学病院という高度医療機関のお世話になる私のようなケースも増えていくのでしょうか。

こうして国民の総医療費はどんどん増えていくのだと実感しています。

 

国民の健康保険税で成り立っている健康保険。

国全体を俯瞰してみれば、「そこまでやるの?」と疑問にも思いますが、患者個人となると、見方も変わり、「できるなら早く取ってしまいたい」という気持ちにもなります。

何と勝手なんだろうと思いつつも。

 

それにしても検診を受けるとは、自分には目に見えない胃腸のなかの、わずか数ミリの軽微な変化まで、生涯にわたって逐一マネジメントし続けることなんだと、認識を新たにしています。

やれやれ・・・。

 

 

 

 

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毎日、何分自分の顔を見ていますか?溜息も出るけれど、せめて自分くらいは自分を見つめなくちゃと思った日

「自分を大切にしていないな」そんなことを思うこの頃。

せめて、もう少し自分を大切に扱わなくちゃと、クローゼットの整理をし、スタイリングの本を読んだりする日々。

そんななかで、じっくりと鏡のなかの自分を見つめる時間も増えました。

 

もう、びっくり!

あれ、私、こんなだったの??

 

ほうれい線にブルドックライン、フェースラインが崩れて顎と顔の境目が一体化。

無数のシミ。そしてシワ。

ちょっと目を離したスキに、劣化・崩壊一直線を突っ走る自分がいました。

 

リタイア後は、ほとんどノーメイクに近い状態。

テキトーに化粧水をふりかけ、乳液を乱雑に伸ばし、ちょこちょこっと色づけして終了!

鏡もロクに見ず、もちろん、自撮りなどしたこともなかった数年間。

風景や、お料理の写真には熱中しても、自分の写真など撮って、何が楽しいのかと思っていたクチでした。

とにかく、自分の顔や姿を改めてじっくり、じっくり眺めるということがほとんどない日々を過ごしていました。

 

「ねぇ、自分の顔って、一日に何分くらいじっくり見てる?」

そう夫に問いかけたところ、即座に返ってきた答えは、「2分!」

「髭剃りの時に、ちょこっと見るだけ。自分の顔を見るの、キライなんだよなぁ。だんだんじいさんになる顔見たって楽しくないもん」と。

なるほど。何かに追われて、鏡を見る時間がどうしても取れないわけじゃないのに、私も、だんだんと劣化していく自分を認めるのがイヤで、じっくり見ようとしてこなかったのかも。

「これって、セルフネグレクトに近くない?」

そんな問いかけに、曖昧に笑うしかない私たちでした。

 

「自分を大切にする」。その大切にする仕方は、きっといろいろあると思います。

いろいろあるなかで、今、自分に必要なのは、ありのままの自分を鏡に映してまずはじっくりと見つめることかも。

年齢を重ねるに従って、誰から穴の開くほどじっと見つめられる体験は少なくなっていきますね。

「世界にあなたがただ一人」そんな真摯な眼差しで見つめてくれるのは、わんこだけかも。

およそ見つめられる体験が少なくなっているとしたら、せめて自分で自分くらいは見つめてあげなくちゃ、かわいそう・・。

 

パソコンのすぐ脇に、鏡を置きました。

ふと気持ちがPCの画面から逸れたら、自分の顔を見るようにしました。

メイクも、少し時間をかけ、その時の自分をしっかり見つめるようにしています。

まだ、ほんの数日ですが、「あれっ、こんななの?」と少し驚いた自分の顔にも慣れてきました。

慣れてくると、しっかり見つめることができるようになりました。

すると、シミやシワばかりではなく、「ああ、ここは好きかも」と思えるところに多少は視線が向くようになってきました。

 

高校生の頃だったでしょうか。

とにかく、毎日毎日、鏡ばかりを眺めていた記憶があります。

授業の合間の休み時間には、必ずトイレの鏡を覗きこみ、髪を直していたような・・。

授業の内容なんてそっちのけ。

ひたすら、なりたい自分のイメージを追いかけて、鏡のなかの自分と格闘する日々。

還暦を迎えた今、あの頃の自分を少しは見習いたい、あの情熱が懐かしいです。

 

 

 

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胃カメラ検査。自分の胃の内側に見入ったら、何だか愛しくなってきた。

今月は、身体メンテナンス月間。

歯科検診に続き、今日は胃カメラを受けてきました。

 

3年前にピロリ菌を除菌。

以来、年に一度の胃カメラが必須となりました。

 

私は、胃カメラは「口から派」

そして、検査中は画面を食い入るように見つめます。

少々の苦痛を伴う検査も、何か集中して見つめるものがあるだけで、気分的に楽になれるような気がするからです。

 

目の前のパソコン画面には、のどを通り、食道、胃の入り口、そして十二指腸へと続く少し不思議な世界。

何か、人体の小宇宙をみるようで、興味津々です。

薄いピンク色の粘膜、そして粘膜のヒダ。

ああ、ここに食べたものが通っていき、365日、休むことなく働いてくれているのだと思うと、何だか愛おしくもなりました。

胃にとってみれば、容量オーバーの日もあれば、ペッタンコを余儀なくされる日もあり、熱いもの、冷たいもの、脂っこいものもすべて、一応は受け入れて頑張ってくれるけなげなヤツ。

 

「ここが胃の入り口です。逆流性食道炎が治った痕がありますね」

「もうすぐ十二指腸の入り口に到達しますよ・・」

「これは、小さなポリープ。でも、心配ないですね」

目の前の画面と医師の説明で、解説付きのビデオをみているよう。

 

今回は、2ミリの病変がみられ、組織をつまんで採取するというオマケつき。

何とも器用な手さばき、医師と看護師さんの連携に、これまた驚きでした。

検査後の説明では、「一応検査に出しますが、まず問題ないでしょう」とのこと。

 

何となく気が重い胃カメラも、「普段、自分がお世話になっている胃の内側との再会」、「人体の小宇宙の上映が始まる」と思うと、ちょっと気持ちも変わってきます。

 

明日は、甲状腺から鼠蹊部までのCT撮影。

明後日は大腸カメラと検査が続きます。

乳癌、甲状腺癌という二つのがんの体験者。

早期発見の幸運に恵まれ、今ここにある幸せに感謝しつつ、しっかりメンテナンスに励みたいと思います。

 

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ファッション誌にあった60代からの着こなし。息苦しくて何だか残念。

クローゼットの整理を機会に、何冊かのファッション関係の本を図書館で借りてみました。

ニューヨークやパリ、ミラノのマダムたちのスタイルスナップ集や、「大人の着回し」などをキーワードとするコーディネートの本。

そんななかに、60歳からの着こなしを扱った本も1冊。

60代に焦点を当てたタイトルに惹かれて、手に取ってみました。

 

結果は、正直なところザンネンな内容。

60代のオシャレは、清潔感と品格が大切というのが著者のコンセプト。

「うわっ!ステキ!試してみたい」というワクワク感を全く感じることができませんでした。

 

写真のコーディネートを見ると、どれも無難。

どなたさまからも批判されることはなく、まずまず「良家の奥様」として合格点をもらえるそんなスタイル。

 

そして、著者によれば、

・ジーンズのロールアップ、派手な色は、大人の品格を落とす

・スカート丈は、膝こぞうを見せるとどんどん品格が落ちていく

・柄のパンツは、60代アップがはくには厳しい

・スキニータイプのパンツは若作り

などなど、なかなか手厳しい。

 

なるほど、なるほど。

著者の60代のファッションイメージは、

①パンツは、10分か9分丈のストレート。

②スカートは、ひざ下丈。

➂ジャケットは、上質素材できちんと感のでるもの。

④コートはウールのベーシックな上質のもの。

⑤60代におすすめなのはベージュ。

などといったポイントに集約されるようです。

 

ああ、何だかちょっと息苦しい。

「60代は、こうすべき」というという枠をはめられたようで、どことなく違和感を感じます。

「高校生はこう」

「若者はこう」

「おかあさんはこう」

「60代はこう」と、グルーピングされ、一方的な「らしさ」を求められ、「こうであるべき」と決めつけられているようなちょっとした不快感とでもいうのでしょうか。

もちろん、こうした本を求めておられ、役立てている方もたくさんいらっしゃるとは思うのですが。

 

そして、次に手に取ったニューヨークやパリ、ミラノのマダムたちのスタイリン集。

皆さん、「こうあるべき」という外側から与えられた枠組みではなく、「こうしたい」「これが好き」「これが自分流」という内側の枠組みに従って自由にオシャレを楽しんでいるように見えました。

ワクワク感、生きるパワー満載!

これも、根底にある多様性を許容する文化の違いですね。

 

さてさて、60代になった自分がこれからどう装うか。

「これぞシニアのファッションのお手本」と看板を掲げるようなスタイルはどうも気が進まない。

あれこれ試行錯誤を楽しみつつ、自分のスタイルをつくっていくしかないのだろうな・・・。

今は、そんなところに落ち着いています。

 

 

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