還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

クローゼットの断捨離。流行おくれのセンタープレスのパンツ、さてどうする?

昨日、クローゼットの整理が半分終わりました。

スーツとワンピースを全部引っ張りだして、もう着ないものは、潔く処分。

夫と一緒に選んだものは、一度着てみて、判定会議。

判定は、「残す」、「さよならする」の二択。

 

太れない体質の私。

そのどれもが、サイズアウトということはないのですが、7~8年前に着ていたスーツやワンピースを着てみると、

「あらあら・・、娘さんのお洋服を借りてきた??」といいたくなってしまうようないでたちに。

年齢を重ねたことを、いろいろな意味で再認識しました。

特に、手頃な値段で買い求めたファストファッションは、残念な結果に。

15着ほどがごみ袋に収まりました。

 

そして、迷ったのが、ハイブランドのスーツ。

大切に着ていた2着は、素材、縫製、全体のバランスといい、本当に申し分なし。

女性の身体が美しく見えるように計算し尽くされ、ひとつのパワーを感じます。

くたびれた感じも全くないのですが、そのなかの1着のパンツスーツ。

パンツがセンタープレスで太目のシルエット。

7センチヒールを履いてジャストの丈です。

 

いまどき「センタープレスの太目のパンツ?」と驚かれる方もいらっしゃると思います。

ファッション記事を読むと、センタープレスのパンツは、絶滅危惧種だとか。

どのブランドも、もう作っていないそうです。

完全に、流行おくれのイタいファッションなのでしょうね。

 

さてさて、どうするか・・。

自分が気に入っているもの、パワーを感じる洋服を、流行おくれだからといって、丸めてゴミ袋に入れて処分するのは、夫も私もどうもひっかかる。

それで、結局、元の場所に収めることにしました。

 

流行を追うばかりではなく、本当に自分の好きなもの、自分が似合うと感じるものを颯爽と着て歩く。

これも、年齢を重ねたからこそできることなのかも知れません。

いつか、パリの街角のマダムのように、流行に左右されず、自分のファッションを楽しむ自分でありたい。

今は、そんなことを思っています。

 

 

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くたびれた自分を前に、もっと自分を大切にしなくてはと思う60歳の冬

両親の老いが目立ってきた今日この頃。

日々の関心事が、介護や看取り、そして私たち夫婦の終活などに傾いていることを痛感しています。

そんななか、自分のなかで、「少々訳アリ」の親子関係もクロースアップされ、ふと過去を振り返ることも。

そして、子どもとしての自分は、そのまま親としての自分を映し、「自分の子育てはメチャクチャだった・・」といたく反省したり。

子供のことが急に心配になったり。

気が付けば、何やら独り言をつぶやく怪しい自分になっていました。

 

最近の調べものは、もっぱら介護や看取り関連。

介護の手記や闘病記に目を通し、何があっても慌てないように両親の最期についてのイメージトレーニングも。

介護保険関連のことも、少々詳しくなってきました。

 

そんななか、あらら・・。

どうも元気が・・。

 

そこで、少し目先を変えてみようと開いたファッション関連の小さな本。

そのなかに、「あなたはどんな自分になりたいですか?」というページがありました。

・好きなブランドは?

・自分を表現する色やテンションがアガる色は?

・着てみたいテイストのファッションは?

・1年後の自分がどうなっていたい?

・着たいコーディネートの特徴は?

・なりたい自分のイメージに必要なキーワードは?

(クール・エレガント・洗練・強さ・キュート・スポーティー・アクティブ・エスニック・個性的・ワイルド・セクシー・モード・トラッド・コンサバ などなど)

 

仕事に奔走して頃は、ブランドスーツに身を包み、パンプスで臨戦体制。

ただ、リタイア後は、クローゼットのなかでひたすら冬眠状態。

冬はもっぱら防寒対策優先で、動きやすいもの、汚れても気にならず、お手入れが簡単なものという機能第一主義。しかも、ほとんどノーメイク。

装いで自分を表現するという世界から遠ざかっていたことに気づかされました。

 

考えてみれば、日々の関心は

夫とわんこ、両親、友人など、他の存在が多くを占め、肝心な自分にあまり向けられていないことを、今さらながら実感しました。

私の個性、イメージって何?私らしい装いは何?

私はどんな色が一番好きで、似合うの?

そんなことに口ごもってしまう自分を発見。

もっと言えば、ことファッションに関しては、自分は何が好きで何が嫌いなのか、自分の軸というものがこの年になっても「ない」ことに気づきました。

 

ずいぶんとくたびれてきた自分の姿を見ながら、

「ああ、もっと、自分に関心を向けてあげないとこれでは自分がかわいそう」実は、そんな気もしてきたのです。

子育て中も、頭は子どもや他の家族、仕事のことでいっぱいで、自分をずいぶんとないがしろにしてきました。

ただ、その頃は、長い人生のなかの「そういう時期」だったとも思えるのですが、還暦を迎えた今となっては、自分に残された時間はそう長くはない。

「自分にもっと関心を向け、自分を大切にすることに力を傾ける」それを自分に許してもいい時期ですね。

 

というわけで、まずはクローゼットの整理。

1年後には、

「これが私らしい、私の生き方にしっくりくる装い」だと言える自分を目指して、今日からスタートです。

 

 

 

 

 

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「穏やかな最期、尊厳にあふれた理想の死なんてないのかも知れない」そう感じたあるドキュメンタリー

身体も心も弱っていった父親の元に通っていた時に、ふと目に止まったこちらのドキュメンタリー。

ここ数年間で、最もインパクトのある番組でした。

 

www.nhk-ondemand.jp

 

日本にまだホスピスという制度がなかった頃から先駆的に死にゆく患者さんのケアに当たり、数えきれないほどの方を見送ってきた「看取りのスペシャリスト」である医師。

その医師が余命わずかと宣告され、同じく僧侶でもあり医師でもある奥様のサポートを受けて旅立たれるまでの日々を密着取材したドキュメンタリーです。

取材陣は、経験豊かな看取りのスペシャリストが死にゆく過程には、「理想の死」があるだろうと見込んでの取材でしたが、現実はさにあらず。

 

 

襲ってくるさまざまな症状に狼狽し、混乱するご本人。

「痛い、痛い」と涙を流し、「眠らせて欲しい」と懇願。

奥様の名を呼び続け、身の置き所のない苦痛に悶え、苦しむ姿。

生気が失われ、魂ここにあらず。別人のようになっていく表情。

ご本人、奥様はもちろんのこと、カメラを回し続けた取材陣も、どれほど胸が締め付けられる思いであったことか。

これほど弱っていく姿をテレビ画面越しにながめることがご本人の尊厳を傷つけているようで、「これは、本当に、観ても良いものなのか・・」と思うほどでした。

 

たくさんのことを感じ、考えたこの番組。

 

一番の、最も率直な感想は・・。

 

これほど苦しまなければ死ねないのか・・。

終末期の症状コントロールって、実はこの程度のものなの?

 

幾千人の看取りに携わったスペシャリスト。

奥様も、また同様に、経験豊かな看取りのプロ。

そんなお二人であってもなお、あれほどの苦痛にのたうち回るとは・・。

驚き、そして怖くもなりました。

 

モルヒネなど、さまざまな薬が開発され、在宅でも穏やかに旅立てる。

がん患者の場合、ベッドで過ごすのは死の2週間ほど前。

それまでは、症状をコントロールしながら日常生活が送れる。

だから、がんで死ぬのは悪くない。

本やネット、講演会などで、そんな情報を得ていたものですから、本当に驚きました。

 

患者の個別性があることは承知のうえですが、

終末期には、どんな医療者としての経験や知識も役に立たないほどの、病状の圧倒的なパワーがあり、どうしても取り切れない痛みや苦痛が存在するのだということを見せつけられたような気がしました。

死ぬという大仕事、見送るという大仕事は、自分が思っているよりも、ずっと辛く厳しいことなのかも知れない。

「人はそんなに簡単に死なせてはもらえない」

「穏やかな最期、尊厳にあふれた理想の死なんて、ないのかも知れない」

なんといってもそんなことが、漠然とではありますが、強くきざまれたドキュメンタリーでした。

 

ご本人が亡くなってから来月で1年。

奥様のお気持ちを思うと、とても胸が痛みます。

死にゆく患者さんやそのご家族の治療やケアに全力を傾けてきたご夫婦。

人生とは、本当に皮肉で複雑なものです。

 

 

 

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父の生きることへの貪欲さにあっぱれ!

ご無沙汰しています。

父親の足腰の痛みがなかなか改善せず、食欲も減少。

体力も衰えて、ベッドに臥せりがちになり、寝たきりになってしまうのではないと急遽、近くにアパートを借り、通い介護を始めたのがお正月。

それから約40日が過ぎました。

通い介護を始めるという記事にいただいたみなさんからのメッセージ。

とても励まされておりました。

 

さて、その父親の今の状況はというと・・。

おかげさまで、すっかり元気になりました。

元凶だった足腰の痛みも、リリカというお薬の増量によって劇的に改善。

痛みがほぼなくなるにつれて食欲も回復。

生きる意欲がみるみる戻り、車椅子生活ながら、ほぼ以前のような生活が送れるようになりました。

私もこれまでは月の半分をアパートで過ごし、両親の元に通っておりましたが、これからは、少々ペースダウンのつもりです。

 

一時は、このまま寝たきりとなり、老衰で旅立つのではないか、そんなことも頭を過りましたが、なんのなんの。

今は、うな丼の大盛りを平らげ、有料老人ホームにお世話になっている母親の元を訪れるのを楽しみに待つ毎日。

今年、90歳を迎える父親は、90歳の平均余命が4~5年と聞いて、「なんだ、あとそれだけぽっちしか生きられんのか」と不満そう。

「いや、あくまでも平均だからねぇ。100歳以上の高齢者は、全国で7万人近くいるみたいよ」と声をかけると、「そうか、そうか、7万人かぁ」と相好を崩す父。

戦前、戦中、戦後を生きて来た父親の「生きたい」という意欲・生き続けることを心の底から渇望して止まない貪欲さは、あっぱれという以外にはありません。

 

弱れば弱っただけ、気の毒で心配になるけれど、元気になればなったで正直なところ、少々うんざり。

そんな父のサポートは、どうやら年単位の長期戦になりそうです。

 

というわけで、私も以前の生活ペースに戻り、このブログも続けていきたいと思っています。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

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目指すは「なんとめでたい大往生」。近くにアパートを借りて通い介護の始まりです。

本当にご無沙汰してしまいました。

先月末、「お姉さんを助けてあげて」というメッセージをいただいたのが、昨日のことのようでもあり、ずいぶん昔のようでもあり・・。

あれから、父親の体調は、下り坂。

 

先月29日に、腰を捻ったのが最初のサイン。

有料老人ホームに入所中の母親との面会中に、少々無理な体勢で母親に手を差し出した父。

その日から腰痛が始まりました。

「軽いぎっくり腰かな?」そんな程度で、受診もせず、手持ちのロキソニンとシップで様子を見ていました。

朝の起床時が一番つらいようで、高齢者サービス付き住宅で独り暮す父は、ヘルパーさんに手伝ってもらいながら、何とか生活していました。

 

「日にち薬だな」そう呟いていた父でしたが、腰痛が楽になった後、太ももからふくらはぎにかけての痛みが出るようになりました。

もともと、30年も前から、変形性関節症で脚の痛みと付き合ってきた父は、「腰を痛めた後遺症だな」と。

周囲も、1週間もすればよくなるだろうと思っていましたが、さにあらず。

痛みは日に日に増すばかりで、だんだんと食欲もなくなってきました。

 

ベッドの上で横になり、電気敷毛布で温めていると全く痛みを感じないとのこと。

昼間は痛みに悩まされながらも、夜はよく眠れるのが救いでした。

そして、かかりつけ医から紹介状をもらい、予約を入れて待つこと1週間。

先日、やっと総合病院の整形外科を受診。

結局、今年の4月末、タクシーから降りた時に尻もちをついて腰椎にひびが入り、その周囲の組織が傷ついて、それが今回炎症を起こして神経を圧迫しているのだという診断。

腎機能がやや低下している父に、これ以上ロキソニンの投与はリスクが高いということで、カロナールとリリカが処方されました。

 

このリリカというお薬、即効性は期待できないとのこと。

そして、「めまい、ふらつき、意識消失」などの副作用が高齢者の場合は強く出ることがあるそうで、成人の通常の投与量の1/3からのスタート。

1週間後に、投与量調整のため、再受診となりました。

 

今の父の状況はというと・・。

起きて車椅子に乗っているだけでじんじんと痛むようで、食欲は低下。

食事量は、毎食1/2から1/3程度。ここ1~2週間で痩せが目だってきました。

すぐに横になりたがり、起きていることができません。

トイレの移乗も辛く、終日リハビリパンツ使用。

おかげさまで、意識の低下はなく、普段の会話には支障はありませんが、あれほど行きたがっていた「母親との面会」も、口にしなくなりました。

少し、物が飲みこみにくいようにも感じます。

体力、意欲ともに、低下しています。

 

さてさて、姉は、「困った、このままじゃ、寝たきり一直線だよ」と。

ただ、起きれば痛くなることがわかっているのに、それでも「車いすに乗っていて」とは言えない気持ちになります。

あと数か月で90歳。

筋力も腎機能も、背骨も、嚥下機能もすべてにわたって耐用年数ギリギリの身体。

広い意味で、緩和ケアが必要な時期に入っているようにも思えます。

これからは、なるべく痛いこと、苦しいことは避け、気持ちの良いことをたくさん・・。

リリカが効果を発するまでまだ時間がかかりそう。

でも、父の老化は待ったなし。

そんなせめぎ合いの日々を送っています。

 

「老衰がいいなぁ・・」

一昨年の誕生日、父がそう言ったのをはっきり覚えています。

もしもこのまま、食事が摂れなくなって、寝たきりになっても、入院はせず、大往生を見守りたいと思います。

「なんとめでたい御臨終」という本があったような記憶があります。

父も、「なんとめでたい大往生」で逝かせてやりたい。

だんだんと枯れ木のようになっていきつつある父をみて、そう思っています。

 

どうやら、父の介護は、新しい局面を迎えたようです。

400キロも離れた場所では、何ともし難く、父の暮らす場所の近くにアパートを借りて、しばらくは通いで介護することにしました。

夫と2人、わんこも連れての移動です。

すでに両親を亡くしている夫も、介護に参戦。

ペットOKの手頃な物件が見つかったのも、本当にラッキーでした。

 

アパートの引き渡しは年明け。

明日からしばらく、私だけひとりで父の元とホテルの往復の日々です。

またしばらく更新が滞ると思いますが、ボチボチブログは続けていけたらと思っています。

 

寒さが一段と厳しくなってきました。

どうぞ、皆さま、お風邪など召されませんように。

まずは、近況のご報告まで。

 

 

 

 

 

 

 

「介護のご褒美は見送った後に残る姉妹の絆」でありたい。

昨日のエントリーに、皆さまからお心のこもったコメントをいただき、本当にありがとうございました。

yuuhinooka.hatenadiary.com

 

ごくごく個人的な事柄に、お気持ちをお寄せくださったことに感謝でいっぱいです。

いただいたコメントは、それぞれにありがたいもの。

そのなかでも特に、「お姉さんを大切に」「お姉さんを支えて」という言葉が胸に迫りました。

 

「いつまでこの割に合わない役目を続けられるか、自信がない」という姉の言葉。

めったに弱音を吐かない姉からのSOSだと、改めて感じました。

 

振り返ってみれば、幼い頃から姉にいつも助けてもらってきた私です。

優等生で、いつも学級委員の腕章をつけ、スポーツもピアノも得意だった姉。

一方、何をやらせても不器用で勉強は大嫌い。

感情の起伏が激しく、集団にもなかなか馴染めず、「問題行動」を繰り返していた私。

何か私がトラブルを起こすと、いつも姉が一緒に謝りに行ってくれました。

中学校までは、そんな姉が羨ましくもあり、少々鬱陶しくもあり・・。

幼い頃は、「優等生の姉と不出来な妹」「問題を起こす妹と、それをかばう姉」という関係性でした。

 

そして、高校、大学と、それぞれが別々の道を進みました。

私は苦手な父親から逃れるように家を離れ、年に1度帰省するかしないか。両親とも姉とも疎遠のまま数十年。

この間、自分が生きるのに精一杯で、実家のこと、姉のこともほとんど頭にはありませんでした。

もしも介護の問題が持ちあがっても、「まぁ、しっかり者の姉がいるから」と、そんな気持ちでいたのです。

 

母が倒れ、そして徐々に病状が落ち着くに従って、姉は、

「これでやっていけると思うわ。そんなに来なくていいよ。」

「両親のことは、長女だから、長女としてやるしかないと思ってるの。」

「とにかく、後から後悔したくない。もっとやってあげればよかったと思いたくない。それだけ。」

そんなふうに話していました。

「姉には姉のこだわりがあり、自分でやり遂げたい」そんな気持ちも強いのではないか、私は、姉の邪魔をしないよう、姉の指示を受けて陰で支えるのが自分の役目だと思っていました。

 

ただここに来て、頑張り屋でしっかり者の姉にも疲れがみえてきました。

そして、わき上がった「お祝い100万円」問題。

尽くしても、頑張っても、自分ではなく、父の気持ちは妹に。

姉からのメールに、

「困ってる」「ややこしい」「馬鹿らしい」

そんな言葉がチラホラ並ぶようになりました。

 

皆さんからいただいた「お姉さんを大切に」のコメントを読み、

「もしも姉が倒れたらどうなるだろう・・」との思いが頭を過りました。

もちろん、両親は、今のような手厚い介護を受けられれなくなるでしょう。

90歳を目前にして、介護していた娘が病に伏し、事によっては先に娘が旅立つような事態は、大きな大きなダメージになるに違いありません。

 

私にとっても、姉に何かがあれば、それは一生自分を責め続けることになるでしょう。

「なぜあの時のSOSに気づかなかったのか」

「なぜあの時に、もっと動かなかったのか」と。

 

もう、55年も前のこと。

幼稚園の登園をいやがる私の手を引っ張って、姉が一緒に歩いてくれました。

ひとつしかなかった赤いチューリップの柄のついたアルマイトのお弁当箱。

遠足のお弁当にそれをどうしても持っていきたいと泣いて駄々をこねた時、姉は黙って譲ってくれました。

近所の友達との鬼ごっこ。足も遅く鬼にすぐにつかまってしまう私を、いつも姉はかばってくれました。

そんなことが走馬灯のように思い出されます。

 

きっと、今度は私が姉を助ける番。

かばってもらうばかりだった妹も、少しは力をつけました。

あと何年続くか先の見えない介護ですが、まさにその時、

「おねえちゃん、私たち、頑張ったね」とお互いを称賛し合い、笑顔で両親を見送れるよう今を生きねばなりません。

 

明日、実家に帰ることにしました。

姉の話しをたくさん聴いてこようと思います。

 

 

 

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父が、私に100万円くれると言いだした。報われない介護の出口はあるか

母親が脳梗塞で倒れてかれこれ1年。

高齢者サービス付き住宅で独り暮す89歳の父は、足腰も心も頭も、老化がさらに進んでいるようです。

車で30分のところに住む姉と叔母が、週に2~3度、父親を母親の暮らす有料老人ホームに連れていっています。

姉は、フルタイムの仕事をもち、自分の休日をほとんど両親のために使ってきました。

今、かなり疲れが出てきています。

 

そんな時、父親が私に、還暦祝いとして100万円出すと言いだしました。

自宅を売却したお金が入り、気持ちも大きくなっているのだと思います。

ただ、昨年の母親の入院費は、姉が立替えたまま。

そして、私へのお祝いのお金を引きだしたい父は、叔母に、銀行に連れて行って欲しいと依頼しました。

その時、父は叔母に、

「〇子(姉)には内緒で。きっと文句を言うから」と言ったそうです。

 

姉の気持ちを思うと、本当にいたたまれない。

どれだけの時間と体力、気力を費やして両親の世話をしてきたことか。

遠方に暮らす私は、1月に1度程度顔を出すだけ。

後は、電話で「死にたくなるほど寂しい」という父の話し相手になるだけ。

姉に負担が集中しています。

父は、その姉への配慮が足らなすぎるうえに、私に高額のお祝い金ですと!

姉が還暦を迎えた時には、そのようなお祝いはもちろんありませんでした。

 

このお祝い、私にとっては少しも嬉しくないものです。

私に差し出すなら、早く入院費を払い、もっと姉に感謝をして欲しい。

なぜ、遠方でたまに優しい言葉をかける娘に心を傾けるのか。

姉は、いつも忙しく、父親にかける言葉も時にザラついて、とげのある日もあるのでしょう。それにしてもです。

姉は、

「この割の合わない役割をいつまで続けることができるのか自信がない」

と言います。

本当にその通り!

 

それでも姉は、

「いろいろ言っても逆効果だから、気持ちよく受け取ってあげて」と言います。

私が辞退すれば、姉が横やりを入れたと言いかねないというのです。

結局、あり難く受け取って、姉の管理下においてもらおうと思っています。

 

それにしても、一番尽くして一番頑張って、一番我慢している人が報われない介護。

こんなことが、それも自分の親との間で起こるのですね。

「もう、ずいぶん耄碌してるからね・・」と姉は言います。

「親の耄碌を楽しむ」くらい考え方を変えないと、とてもこの先やってはいけない。

そんなことを考えさせられました。

 

 

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