還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

「介護のご褒美は見送った後に残る姉妹の絆」でありたい。

昨日のエントリーに、皆さまからお心のこもったコメントをいただき、本当にありがとうございました。

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ごくごく個人的な事柄に、お気持ちをお寄せくださったことに感謝でいっぱいです。

いただいたコメントは、それぞれにありがたいもの。

そのなかでも特に、「お姉さんを大切に」「お姉さんを支えて」という言葉が胸に迫りました。

 

「いつまでこの割に合わない役目を続けられるか、自信がない」という姉の言葉。

めったに弱音を吐かない姉からのSOSだと、改めて感じました。

 

振り返ってみれば、幼い頃から姉にいつも助けてもらってきた私です。

優等生で、いつも学級委員の腕章をつけ、スポーツもピアノも得意だった姉。

一方、何をやらせても不器用で勉強は大嫌い。

感情の起伏が激しく、集団にもなかなか馴染めず、「問題行動」を繰り返していた私。

何か私がトラブルを起こすと、いつも姉が一緒に謝りに行ってくれました。

中学校までは、そんな姉が羨ましくもあり、少々鬱陶しくもあり・・。

幼い頃は、「優等生の姉と不出来な妹」「問題を起こす妹と、それをかばう姉」という関係性でした。

 

そして、高校、大学と、それぞれが別々の道を進みました。

私は苦手な父親から逃れるように家を離れ、年に1度帰省するかしないか。両親とも姉とも疎遠のまま数十年。

この間、自分が生きるのに精一杯で、実家のこと、姉のこともほとんど頭にはありませんでした。

もしも介護の問題が持ちあがっても、「まぁ、しっかり者の姉がいるから」と、そんな気持ちでいたのです。

 

母が倒れ、そして徐々に病状が落ち着くに従って、姉は、

「これでやっていけると思うわ。そんなに来なくていいよ。」

「両親のことは、長女だから、長女としてやるしかないと思ってるの。」

「とにかく、後から後悔したくない。もっとやってあげればよかったと思いたくない。それだけ。」

そんなふうに話していました。

「姉には姉のこだわりがあり、自分でやり遂げたい」そんな気持ちも強いのではないか、私は、姉の邪魔をしないよう、姉の指示を受けて陰で支えるのが自分の役目だと思っていました。

 

ただここに来て、頑張り屋でしっかり者の姉にも疲れがみえてきました。

そして、わき上がった「お祝い100万円」問題。

尽くしても、頑張っても、自分ではなく、父の気持ちは妹に。

姉からのメールに、

「困ってる」「ややこしい」「馬鹿らしい」

そんな言葉がチラホラ並ぶようになりました。

 

皆さんからいただいた「お姉さんを大切に」のコメントを読み、

「もしも姉が倒れたらどうなるだろう・・」との思いが頭を過りました。

もちろん、両親は、今のような手厚い介護を受けられれなくなるでしょう。

90歳を目前にして、介護していた娘が病に伏し、事によっては先に娘が旅立つような事態は、大きな大きなダメージになるに違いありません。

 

私にとっても、姉に何かがあれば、それは一生自分を責め続けることになるでしょう。

「なぜあの時のSOSに気づかなかったのか」

「なぜあの時に、もっと動かなかったのか」と。

 

もう、55年も前のこと。

幼稚園の登園をいやがる私の手を引っ張って、姉が一緒に歩いてくれました。

ひとつしかなかった赤いチューリップの柄のついたアルマイトのお弁当箱。

遠足のお弁当にそれをどうしても持っていきたいと泣いて駄々をこねた時、姉は黙って譲ってくれました。

近所の友達との鬼ごっこ。足も遅く鬼にすぐにつかまってしまう私を、いつも姉はかばってくれました。

そんなことが走馬灯のように思い出されます。

 

きっと、今度は私が姉を助ける番。

かばってもらうばかりだった妹も、少しは力をつけました。

あと何年続くか先の見えない介護ですが、まさにその時、

「おねえちゃん、私たち、頑張ったね」とお互いを称賛し合い、笑顔で両親を見送れるよう今を生きねばなりません。

 

明日、実家に帰ることにしました。

姉の話しをたくさん聴いてこようと思います。

 

 

 

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父が、私に100万円くれると言いだした。報われない介護の出口はあるか

母親が脳梗塞で倒れてかれこれ1年。

高齢者サービス付き住宅で独り暮す89歳の父は、足腰も心も頭も、老化がさらに進んでいるようです。

車で30分のところに住む姉と叔母が、週に2~3度、父親を母親の暮らす有料老人ホームに連れていっています。

姉は、フルタイムの仕事をもち、自分の休日をほとんど両親のために使ってきました。

今、かなり疲れが出てきています。

 

そんな時、父親が私に、還暦祝いとして100万円出すと言いだしました。

自宅を売却したお金が入り、気持ちも大きくなっているのだと思います。

ただ、昨年の母親の入院費は、姉が立替えたまま。

そして、私へのお祝いのお金を引きだしたい父は、叔母に、銀行に連れて行って欲しいと依頼しました。

その時、父は叔母に、

「〇子(姉)には内緒で。きっと文句を言うから」と言ったそうです。

 

姉の気持ちを思うと、本当にいたたまれない。

どれだけの時間と体力、気力を費やして両親の世話をしてきたことか。

遠方に暮らす私は、1月に1度程度顔を出すだけ。

後は、電話で「死にたくなるほど寂しい」という父の話し相手になるだけ。

姉に負担が集中しています。

父は、その姉への配慮が足らなすぎるうえに、私に高額のお祝い金ですと!

姉が還暦を迎えた時には、そのようなお祝いはもちろんありませんでした。

 

このお祝い、私にとっては少しも嬉しくないものです。

私に差し出すなら、早く入院費を払い、もっと姉に感謝をして欲しい。

なぜ、遠方でたまに優しい言葉をかける娘に心を傾けるのか。

姉は、いつも忙しく、父親にかける言葉も時にザラついて、とげのある日もあるのでしょう。それにしてもです。

姉は、

「この割の合わない役割をいつまで続けることができるのか自信がない」

と言います。

本当にその通り!

 

それでも姉は、

「いろいろ言っても逆効果だから、気持ちよく受け取ってあげて」と言います。

私が辞退すれば、姉が横やりを入れたと言いかねないというのです。

結局、あり難く受け取って、姉の管理下においてもらおうと思っています。

 

それにしても、一番尽くして一番頑張って、一番我慢している人が報われない介護。

こんなことが、それも自分の親との間で起こるのですね。

「もう、ずいぶん耄碌してるからね・・」と姉は言います。

「親の耄碌を楽しむ」くらい考え方を変えないと、とてもこの先やってはいけない。

そんなことを考えさせられました。

 

 

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インスパイアされました!「いい歳して・・」は封印ね(^^♪

こちら昨日の、ココッチィさんの記事。

www.cheer-up.info

 

ミニスカートでチアリーダーを務める滝野文子さんを紹介してくださっていました。

滝野文子さんは、85歳。

1996年、63歳でジャパンポンポンを結成し、以来、21年間チアリーダーとしてご活躍です。

その姿勢の良さ、身体のキレとハリ、そして豊かな表情。

とても80代半ばとは思えない・・。

80代半ばといえば、母親と同年代。

誰もに「介護」が降りかかる、最晩年といってもいい時期です。

 

誰もが滝野さんのように歳を重ねられるわけではないけれど、

そういう生き方もあることを知ったことで、明日、60歳、還暦を迎える私はとてもインスパイアされました。

 

仕事に、育児に、とにかく、がむしゃらだった若い頃。

職業人としても、母親としても、ある程度の役割を果たしてきました。

そして、還暦を迎えた今、これから迎える「60代」は、自分へのご褒美。

ゆったりまったり穏やかに過ごすことを考えていました。

それは、何となく「リタイア後は、そうするのが当たり前」だと思っていたからです。

 

でも、きっと、それ以外の、こころを惹きつけられる強烈なモデルを見つけられなかったんですね。

生きていくなかで、「あの人のようになりたい」「あんなビジネスがしたい」という、ひとつのモデルが存在することは、道案内の役目を果たしてくれるように思います。

私も、これまで、「上手な年の重ね方」といった意味でのモデルにはお目にかかってきました。

キーワーズは、「自然体」「無理をしない」「加齢を受け入れる」。

そうそう、そのすべてが大切。

でも、何かが少し足りない。

その足らないと感じていたものが、少し見えてきました。

「周囲の目を気にせず、『楽しい』をとことん追及する」

とことん追求しているその姿こそが、周囲に大きなパワーを与えるのだと知りました。

 

ご紹介くださった動画を観て驚いたのは、チアダンスのレベルが高いこと。

平均年齢70歳以上。さすがに、鼻の位置まで脚を高く上げるような振り付けはありませんが、ここまで揃えてくるには、相当量の練習があってこそ。

ただ、「楽しければいい」というのではなく、「楽しいをとことん追求」したその結果は、思わず唸りたくなるような見事なものでした。

「いい歳をして・・」という周囲の目を恐れず、「楽しいをとことん追求」すれば、70歳代、80歳代になっても人の心を動かすダンスパフフォーマンスが可能だと知りました。

 

実は私も、ベリーダンスが大好き。

ベリーダンスは、お腹を見せて踊る露出の多いダンスです。

さすがに、「還暦を迎えたらもう無理かな」そんな気持ちもあって、「健康維持のため程度でいいか」と、かなり消極的になっていました。

でもね、もう少し、「楽しい」を追及したい。

「いい歳をして・・・」と自分で自分にブレーキをかけるのは、私らしくない。

今、そんな気持ちになっています。

 

 

 

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大切な人を亡くした人にかける言葉の難しさ:乗り越えるものではなく乗り切るもの?

昨日、こんな記事が目に留まりました。

headlines.yahoo.co.jp

 

18トリソミーという先天性染色体異常のお子さんを出産されたお母さまとそのご主人のお話しです。

娘さんは、残念ながら68日間の命を閉じられたとのこと。

悲しみにともに生きる、その渦中にかけられた言葉の数々。

「早く悲しみを乗り越えて元気になって」

「仕方がない。運命だった」

こんな言葉に、とても傷ついたとありました。

 

そして、

「悲しみを乗り越える」

この言葉は、とてもリスキーだとの指摘。

後から振り返って、

「あの時はつらかったけれど、なんとか悲しみを乗り越えた気がする」と当事者が表現することであって、

周囲がそう伝えることは、

「もう、早くなかったことにして前を向きましょう」と無理なことを強いることにもつながりかねないというお話しでした。

 

大切な人を亡くし、悲しみのなかにある人に、

「頑張って」という言葉も禁句であると聞いたことがあります。

「頑張れない」状態なのに、それでも頑張ることを強いられるのかと辛さが募る。

「あなたはあなたで頑張って」と突き放されたような気がする。

そんな理由であったと記憶しています。

 

そういえば、もうずいぶん前に、お子さんを亡くされたとお母さんとお話ししたことがありました。

「息子が亡くなって10年になります。やっとつらい日々を何とか乗り切ることができたかなぁ。そんな気持ち。」

そうおっしゃっていました。

「乗り越えることはできないけれど、それでも何とか乗り切ってはきたのよ」と。

悲しみの上に乗って、それを越えることはできないけれど、悲しみつつも、乗り切ることはできる。

そんなお話しをしたことがあります。

 

大切な人を亡くした瞬間から、止まる時間。

周囲はどんどん自分を追い越していき、動けない自分も情けない。

そんなときに、「グズグズしていないで早くこっちへ来なさいよ」と言われても、気持ちは沈む一方なのでしょう。

「そこにいていいのよ。少しづつ動き出せるようになるから。」そんなメッセージが、気持ちを溶かしていくのかもしれません。

 

それにしても、言葉は難しいものですね。

夫は、「乗り越えると乗り切るの違い、わかるようでわあからんなぁ」と。

「頑張ってください」っていっちゃいかんのかぁ・・。

それじゃぁ、どうしたらいいんだ??

と困惑気味。

「よう、声をかけんわぁ。何も言わんほうがいいってなっちゃう」と率直なご発言。

 

よかれと思ってかける言葉が相手を深く傷つけ、

無言でいれば、それもまたいたたまれず。

いくつになっても、言葉は難しい。

そんなことを改めて感じたひとときでした。

 

 

 

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夫に介護されたい?それともされたくない?:妻に介護してもらいたい夫、夫にされたくない妻

昨日の朝刊を読んでいたら、全国で有料老人ホームや高齢者住宅を運営する、「オリックス・リビング」が、全国の40歳以上の中高年を対象とした意識調査をしたという調査結果が目に止まりました。

1200人余りが回答したその結果は、

女性の6割は「夫に介護されたくない」と回答し、

男性の7割が、「妻がいい」と答えたそうです。

 

ちょうど、昨日は数人の友人とのランチの日。

あれこれおしゃべりに花が咲いたなかで、

「ねぇ、もし介護が必要になった時、旦那さんに介護してもらいたいと思う?」と問いかけてみました。

そして、4人が4人ともNO!

激しくNO!

 

「そんなん、いややわぁ~。何されるやわからへん。」

「ダンナに下の世話してもらうやなんて、ゼッタイイヤ!」

という過激発言から、

「いや~、無理やと思うわ。腰が悪いねん。うちの人。とてもとても・・。」という現実発言までさまざま。

ただ、皆さん、「できればプロの上手な人にやってもらいたい」というのが共通意見。

「でも、お金かかるよな・・」というところで全員溜息。

意気消沈したのでありました。

 

そこで話題を変えて、「じゃ、旦那さんが介護が必要になったら、どうする?」と尋ねてみたところ、

夫から介護されるなんてゼッタイイヤ!と叫んだ友人も、

「そりゃ、ある程度は看たらなしゃーないやん」と。

「まぁ、放っておくわけにもいかんしなぁ。できるうちは介護すると思うわ」

と、皆さん穏健派に早変わり。

自分は夫の世話にはなりたくない、なれないけれど、夫の世話はせざるを得ないというのが共通意見でした。

 

以前は、母親の役割とされていた子育ても、両親で取り組む時代となりました。

男性介護士さんもますます増え、活躍されています。

「世話をすること」は、女性の仕事ではなくなっているのに、いざ自分のこととなると、やはり夫には介護されたくないという女性。

男性だからというだけではなく、それまでの夫婦関係の影響も大きいのでしょうね。

 

そして我が家の場合。

夫に、「ねぇ、もし介護が必要になったら、私に介護してもらいたい?」と尋ねてみました。

そしたらなんと!

「いや、プロの人がいい」と。それも即座に。

「えっ?何で?」と問い返す私に、

夫は、「だって、プロが上手だもん。上手に介護してもらいたい」と。

「はぁ・・なるほどね・・」

世の男性の7割が「妻がいい」というのに、何となくちょっと寂しい気持ちも・・。

まっ、この際、お金のことは置いておいて、

夫の希望は希望として、しかと承っておきたいと思います。

 

 

 

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最善の「人生の締めくくり」を送るためのアドバンス・ケア・プランニング

昨日のエントリーに、皆さんからのブクマ、コメント、ありがとうございました。

 

yuuhinooka.hatenadiary.com

 

誰もが望む幸せな最期。

それを実現させるためには、

どこまで治療を受けるのか、

最期の時をどこでどのように過ごすのか、

自分の意思をはっきりさせて、家族や医療者と合意を得ておかなければならないことを痛感しました。

 

友人と会い、少し重苦しい気分で帰りの飛行機を待つ間、偶然目にした新聞記事。

見出しに、「迫る多死社会、最善の最期を目指す 国自治体 事前意思表示を啓発」

とありました。(毎日新聞 朝刊、2017年11月15日 11面)

 

思わず視線が吸いつけられ、目を追ってみると、

①国や自治体は、人生の最終段階(終末期)に、本人の希望に応じた治療や療養ができるよう、環境整備のための啓発活動に着手していること

②医療現場では、患者本人と家族やかかりつけ医ら医療・介護の関係者が、何度も話し合いを重ねて患者の思いを共有する「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」の取り組みが広がりつつあること。

厚労省では、ACPの体制を構築すべく、医師や看護師、多職種の育成研修を全国で展開していること。

が報道されていました。

 

本人の意思が明確ならばそれで良いようにも思えますが、その意思について家族が納得していないと、結局は、本人の意思が覆されてしまったり、たとえ本人の意思通りに事が進んでも、家族に「本当にあれでよかったのだろうか」という不全感が残ってしまうことがよくあるようです。

また、本人と家族の意思が合致していても、それが医学的にみて、社会通念上医療者も納得できるものでなければ、実際には実行されないことになります。

本人、家族、医療者の三者が、話し合いを重ね、「それじゃあこれでいきましょう!」と合意のうえで、終末期の治療やケアについてのプランを立てる。

それがACPのようです。

 

ここ数年のうちに、

「ACPの話し合いをお願いします」

「そろそろACPを考えましょうか」

という会話が医療機関で交わされる日が来るようです。

 

このACP、高齢者や余命に限りのある方が対象ではありますが、いつ何があるのかわからないのが人の命。

事故に遭い、救急車で運びこまれ目が覚めないままに、人工呼吸器につながれ、何年もそのまま生き続けることがあるかも知れません。

若年性認知症という病いを背負うかも知れません。

そう考えると、思いついた「今」、終末期の医療やケアについて勉強しておかなければと思うのです。

 

60歳を迎えた節目の年。

どう人生の幕を閉じることが自分らしい生涯を貫くことになるのか、じっくり考え、夫との話し合いを続けていきたいと思います。

最期の日々の過ごし方を考えることは、残された今を生きることにもつながる。

そんな気もしています。

 

 

 

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あれだけ嫌がっていた人工呼吸器がついてしまった:終末期医療の意思決定

先日の上京では、何人かの友人と久しぶりの再会を果たしました。

親も見送った人、介護の真っ最中の人。

そんな友人のひとりが、

「えぇって感じ!、翌日病院に行ったら、ICUで人工呼吸器がついちゃってたのよ!」と。

 

その友人のお父様は、87歳。

かれこれ7~8年前から、呼吸器の病気で治療を続けており、今年に入ってこれが2度目の入院。

自宅で在宅酸素療法を続けながら、デイサービスにも行き、好きな将棋を楽しみ、穏やかな時間を過ごしていたとのこと。

ところが、今月に入って体調を崩し、熱と息苦しさが強くなり、その日の午後に病院を受診したところ、今回も肺炎を起こしていることがわかり、その場で入院となったそうです。

 

脱水もみられたため、点滴が開始されました。そして、抗生物質の投与も。

夕方の5時頃主治医から病状説明がありました。

「肺炎を起こしているので、炎症を抑える治療をして、早くお家に帰れるようにしましょう」

という内容だったそうです。

この時には、翌日、人工呼吸器が装着されるほどの重症になるとは、全く予想もしていなかったとのこと。

 

友人は、こう話しました。

「もう、高齢だから、いつ何があっても驚かないんだけど、人工呼吸器だけは勘弁して欲しかったのに・・」と。

お父様ご自身も、何度か入院を繰り返しており、人工呼吸器をつけて治療を続けておられる患者さんを見てきたとのこと。

そして、「アレだけは勘弁して欲しい。もう、ずいぶんと長いこと生きてきたから、もう十分。息苦しいのは辛いから、苦しくないように楽に逝かせて欲しい」と話しておられたとのこと。

 

にもかかわらず、お父様は、人工呼吸器が装着され、管が何本も入り、機械に囲まれて意識を落とす薬で眠ったままだとのこと。

「こんなハズじゃなかったのにね・・」と涙ぐむ友人。

「入院した時に、もしもの時は、機械をつけないでと話しておけば良かった」と後悔しているようでした。

 

その時、ひとりの友人が、

「うちは、入院するときに聞かれたのよ。延命治療はどうしますかって」

 

どうやら、その場で尋ねられるかどうかは、病院やその場でたまたま当たった医師によって違うようです。

入院治療が決まり、「さあ!頑張って治しますよ!」っていう時に、「それで、呼吸や心臓が止まったときにはどうしますか?」とは医師も尋ねにくいのかも知れません。

当事者の友人も、今回も10日程度の入院で、また元気に自宅に戻ってくるものとばかり思っており、「もしもの時」のことまで頭が回らなかったといいます。

 

お父様についている人工呼吸器。

「これは、もう、抜けないのでしょうか?」と恐る恐る尋ねたところ、自力で十分な呼吸が回復すれば抜ける可能性はあるものの、実際のところ、それはかなり難しい現状にあるという答え。

「もう、覚悟はできているのよ。80を越えてから病気ばかり。母親も先に逝ったことだし、むしろ、もう楽にさせてあげたい。十分、頑張ってきたからね。楽にさせてあげたいのに、こんなことになっちゃって・・」と涙ぐむ友人。

かける言葉も失ってしまいました。

 

つける前なら、選択が可能。

でも、いったんついてしまったら、中止することができない人工呼吸器。

たとえ、本人が日ごろから家族にそのことを伝えていたとしても、中止はそのまま息の根を止めてしまうことにつながるからでしょう。

 

散々、自分を責める友人を

「誰もそこまで気が回らないよ。家族は、もしもの時のことなんて、その場では思いもしないもの」

と慰めつつ、

「どうすれば良かったんだろうねぇ・・」という疑問が。

 

自分が望まない苦痛を伴う治療が長期間施され、機械に囲まれて迎える最期。

それを回避したいなら、させたいのなら、自分や家族の意思を文章にして、医療者に提示する準備をしておかなければならないのかも知れません。

臓器提供の意思を免許証の裏に書き込むように、

・もしもの時には、人工呼吸器をつけるのかつけないのか

・胃瘻を望むのか望まないのか。

 

もちろん、その時の病状、回復可能性によっても気持ちは変わるでしょう。

ただ、こうしたことを常に話し合い、その時が来たら「本人の気持ちはこうなんです」と示すことのできる用意はしておきたい。

 

その後、夫とこのことについて話しました。

夫は、延命のための人工呼吸器は断固拒否。

ただ、胃瘻については、「その時が近づいて来ないと決められない」そうです。

これから何度も何度も折りあるごとに話し合い、文章など、かたちにしておきたいと思っています。

 

思いがけないお父様の展開に戸惑う友人。どうかもう、自分を責めないでと願うばかりです。

 

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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