「病院も収益が確保できないことはやれない」この当たり前のことを忘れていた
2月1日から回復期リハビリ病院へ入院している母親の施設入所が決まりました。
行き先は、介護付き有料老人ホーム。
父親は、自分の元へ帰って来ることを願っていましたが、1日2回の胃瘻による経管栄養が必要な母親は、父の暮らすサービス付き高齢者住宅では受け入れ困難とのこと。
経管栄養が1日1回であれば、外部からの訪問看護サービスを活用して父とともに暮らせる可能性もありました。
しかし、母親の口からの食事は、昼食の1回のみ。それは、この入院期間中、ずっと変わりませんでした。
胃瘻をつけるに当たっての説明
脳梗塞で脳の広範囲にわたるダメージを負った母親ですが、造影剤を用いた嚥下の検査では、誤嚥もなく、摂食機能は保たれているとのことでした。
しかし、集中力が乏しく、座位をとり続ける体力も不十分だったため、飲みこむ力はあっても、実際の食事介助は昼の1回が限度。
ただ、胃瘻をつけて栄養状態が改善され、体力がついたら、食事介助の回数も増やせる可能性がある。そのためにも、胃瘻をつけるよう、勧められました。
胃瘻をつけた後も、食事介助はなかなか増えず
胃瘻をつけた後、母親は、お昼の1回ではありますが、7割~8割食べられるようになりました。
ただ、一口入れてはモグモグし、ゴックンというように、食べるのにとても時間がかかり、急ぐとムセるため、言語療法士の方がベッドサイドで40~45分ほどつきっきり。
それでも家族としては、時間をかければ7割以上食べられているのだから、朝食も夕食も、口から食べられるようになるはず。
今週はダメでも来週あたりには、食事介助の回数が増えているのではないかという期待を常にもっていました。
しかし、先日、姉が夕食時間に母親のベッドサイドを訪れてみると、大部屋の他の患者さんは、食堂で食事をしているのに、母親はベッドにひとり取り残され、スヤスヤ眠っていたとのこと。
胃瘻をつけてすでに1か月。食事介助は、昼の1回に固定されたままでした。
こちらのスタッフの体制もあって
「母は、いつ頃から朝と夕方の食事が摂れるようになるでしょうか?」
「朝か夕方か、1回でも口から食べられれば、父の待つ家に連れて帰れろうと思うんですけど」思い切って母の食事介助を担当するスタッフの方に尋ねてみました。
「朝は、意識がまだボッーとしてらっしゃることが多くて、夕方は、疲れて眠りがちだし、なかなか難しいんです」
正直、少し言い訳がましくも感じてしまいました。
「刺激が足らないから眠っちゃうんじゃないの?」そんな言葉を呑みこみ、「そうですか・・・」としばし沈黙。
すると、「こちらのスタッフの体制もあって、なかなか・・・」申し訳なさそうに、そうおっしゃいました。
考えてみれば当たり前のこと
そこは、60床ほどの民間のリハビリ病院。
摂食訓練を担当する言語療法士さんは、何人雇用されているのか定かではありませんが、数人であることは確か。
母親のような長時間、つきっきりでの食事介助が必要な患者さんが10名入院していたとしたら、とても手が回らない。
看護師さんは夜勤がありますが、言語療法士さんは夜勤はなし。
朝食、夕食は、ともにスタッフの少ない準夜勤、夜勤帯であり、母親のベッドサイドにべったり誰かがつきっきりで介助することは不可能です。
考えてみれば当たり前のことですね。
ただ、病院全体のスタッフの体制まで頭が回らず、母親のことしか考えられない患者家族としては、「できる能力が残されていて、目標も明確なのだから、きっとそれに向かってやってくれる」と思いこんでしまいました。
民間病院の経営では、限られた予算とスタッフで収益性を確保しなければ、病院の存続さえも危うくなってしまうのかも知れません。
医療の公平性を考えれば、母だけにスタッフを投入することなどできるわけもなく、もしも今以上のことを望むのなら、考え方としては、家族が自費でスタッフを雇うか、家族がつきっきりで介助するしかないのでしょう。
自分のなかに、「病院というところ、そして医療者は、いつも最善を尽くしてくれるに違いない」という過剰な期待を抱きがちになる傾向があることに気づかされました。
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関西人の実力に圧倒される!-このフレンドリーさは何?
昨日も好天に恵まれた当地。
関西へ移住してお知り合いになれた友人2人と知り合いの個展に出かけました。
会場は、住宅街を抜けたカフェの一角。
開場は10時でしたが、せっかちな私たちは、30分も前に到着。
近くを散策して時間を潰すことにしました。
事の始まり
新緑のなかに鮮やかな色を見せるつつじ。
新鮮な空気を胸いっぱいに吸いこみながら歩いていると、前方に素敵な洋館が。
どうやら個人のお宅のようです。
ご主人らしき60代と思しき男性が、広い芝生に水遣りをしていました。
友人は、2人とも、大阪生まれの生粋の関西人。
このフレンドリーさは何?
洋館の前にさしかかり、ひとりの友人が、ご主人に急に話しかけました。
「大きな家やなぁ~!どないしてもうけたん?」急な展開にドギマギする私。
「そりゃもう、朝から晩まで働いてやな、儲けたんですわ」とご主人。
「いや~、ウチのお父さんも、朝から晩まで働きはったけど、こんなごっつい家、よう建てなんだわ・・」
そして、すぐさま、
「大将、ちょっと手見せてや~」と水遣りをしているご主人の片手をとって、
「ホレ、やっぱりや。なっ!金運線がクッキリ出とんねん」
「もう、儲ける運命やってんなぁ」と友人。
そこへ、もう一人の友人も加わり、
「ちょっとご主人、あの扉は何?玄関とはちゃうよなぁ。」と。
「ああ、あれはねぇ、物置ですわ」と応えるご主人。
「ええっ!ちょっと待ってよぉ~、物置にあんな立派な扉を付けてんのぉ?」と友人のテンションはまたまた上がり・・。
何だかんだの会話が続き、結局、ご主人は、
「家の中、見ます?かみさんいてますから、お茶でもどうですか。」というところまで。
えっ!!!
最初はハラハラしながら、そして笑いをこらえ、さらに、「何、この展開!」とあっけにとられた私。
これが関東(東京)だったら
この会話を、東京の標準語になおしてみると
「大きなお宅ですね。どのようにして儲けられたのですか?」
「それはもう、朝から晩まで働いて儲けたんです」
「そうですか、うちの主人も、朝から晩まで働きましたが、こんな大きな家は建てることができませんでした」
「ご主人、ちょっと手を見せていただけますか?」
「ああ、やっぱり、金運線がハッキリ出てますね」
「もう、儲ける運命だったのですね」
ここまで書いて、何だか英会話の教材のような?フレーズ(;´・ω・)
暗くて重く、ちっとも楽しくない!
でも、考えて見れば、東京の人は、そもそもこういう会話自体を交わさないように思います。
東京から関西のこの地に移住して5年あまり。
最初は、戸惑うこともありましたが、最近では、この関西の方のフレンドリーさ、ノリの良さ、陽気な気質に馴染んできたように思います。
東京での人付き合いは、相手に不快な思いをさせないよう、表現もオブラートに包み、嫌われないような気遣いが必要とされていたように思います。
もちろん、ひと口に関西と言っても、地域性もあり、また個人のキャラクターによっても違いますが、少なくとも私がここで接する関西の方は、良くも悪くもストレート。
笑わせ好きで、少々騒がしいけど憎めない。
私とこの文化との相性、決して悪くはなく、むしろ楽しんでいる自分を発見!です。
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電話による遠距離介護-離れていてもできること
昨年末から始まった遠距離介護。
当初は、脳梗塞で倒れた母の病院での付き添いを中心に、月3回ほど3~4泊で出動。
2月、3月は月2回。
母親の状態が落ち着き、4月、5月は、月1回と、帰省する頻度は減っています。
ただ、帰省は減ったとはいえ、安心して目を離せる状態ではなく、電話による遠距離介護が続いています。
決まった時間の電話
現在、朝の8時と夕方6時半の2回、父と電話で話すようにしています。
朝食は7時半、夕食は6時から食べ始めるので、丁度食べ終わった頃、食後の薬を飲んだか飲まないかという頃に電話をかけるようにしています。
食後の満たされた時間に電話をかけることで、双方、落ち着いた気分で話すことができます。
電話の内容
①安否確認
まずは安否確認。88歳と高齢ですから、何があってもおかしくはなく、声を聞くと「今日も元気そう」と安心します。
②体調確認
よく眠れたか、食欲はどうか、身体の痛みはどうかなど、毎回同じことを尋ねます。
転倒して以来、ずっと脚の痛みが続いていますが、それでも転倒直後に較べれば少しは楽になっているようです。
「脚はどう?」「いや~、なかなか良くならんなぁ」という会話が毎回繰り返されています。
「ホント嫌になっちゃうよね。でも、時間はかかるけど、少しづつ楽になっていくと思うよ」とこれも毎回伝えるフレーズです。
➂服薬の確認
電話をかける最大の目的は、服薬確認。
父は数年前まで、10種類以上の薬が処方され、飲み切れなかった薬は山のよう。
母が倒れてから、主治医に相談して、5種類までに減らしてもらいました。
厳選された5種類ですから、できるだけ服薬してもらいたい。
「お父さん、朝の3つの薬、今朝も飲めた?」
毎回繰り返しているうちに、「朝は3粒だったな」と覚えてくれるようになりました。
ヘルパーさんが「お薬カレンダー」に入れてはくれますが、それを取りだして飲むのは父自身。
朝と夕。食事直後の服薬確認を続けています。
④その日のスケジュールの確認
日にちや曜日の感覚が怪しくなっている父。
月曜日と木曜日はデイサービスの日なのに、すっかり失念して慌てることもしばしば。
姉と母の面会に行く日を間違えて、「いくら待っても、〇子が来ない!何をしとるんだ!」とカンカンになって電話がかかってきたこともありました。
「明日は、デイサービスの日だね」
「今日は、デイサービスの日だね」
と何回もしつこいほどに確認します。
⑤困っていること、して欲しいことがないかの確認
電話の最後には、必ず、「今困ってること、してほしいことはない?」と尋ねます。
最近は、「脚が痛くて困るけど、まぁ、これは仕方ないな」というのが毎回のリアクション。
「母さんの顔が見に行きたい」「調子が悪いので医者にかかりたい」「うまいものが食べたい」「夏物もシャツが欲しい」などなど、その時々でのリクエストをまずは受け止め、姉に伝えたり相談したり。
ただ、翌日には、「そんなこと言ったかな?」と忘れてしまうこともしばしばなので注意が必要です(笑)。
⑦父親の不安、とりとめもない話しを受け止める
父親との会話は、「〇〇した?」「〇〇はどう?」など、看護師さんの検温のようになってしまいがち。こちらの気持ちに余裕がないと、尋問のようになってしまいます。
そんな時には、電話を切った後の後味が何となく悪く落ち着きません。
そこで、自分が聞きたいこともあるけれど、父親が話したいことをなるべく受け止めるようにしています。
話題は、母親の容体、母親の今後に関する不安、思い出話、デイサービスでの出来事など。
長くなる時には、「あっ、お父さん、ごめんなさい!ちょとお客さん来ちゃった。また夕方かけるからね」と切りあげます。
この術を使うことで、父親への電話の負担感がずいぶん軽減されています。
一日2回の電話による遠距離介護。
最近では、「そんなに電話してこんでもいいから。何とかやってるから」と言われることも。
そろそろ1日1回でもいいかな?
所詮電話は電話。それでも、1本の電話で、危険を回避できたり双方が安心したり元気が出たり。(時にはイライラしたり(;´・ω・))
「側にいなくても、電話でも、できることはけっこうあるなぁ」
そう、思っています。
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よそん家の運動会のお弁当を引き受ける
全国的に、「もう勘弁してよ~」と言いたくなるほどの快晴ですね。
まさに、陽射しが痛い!
そんな今日、市内の小学校では、一斉に運動会が執り行われています。
老いも若きも
何しろ少子化が進むわが街のこと。
子供たちだけでは、演目が埋まらない。一日もたない(;´・ω・)。
というわけで、小学校の運動会は、父兄による各種のレースあり、老人会の玉入れや踊りあり。
地域の方総出での一大お祭りです。
そして、運動会といえばお楽しみはお弁当ですね。
お昼は、おじいちゃん、おばあちゃんはもちろんのこと、親戚の方々も集まっての大宴会となるわけです。
そのなかで注目を浴びるのは、お弁当。
お母さん(お父さん)の腕の見せ所だそうです。
運動会が憂鬱やねん
ご近所の友人。小学生と中学生のお子さんを持つワーキングマザー。
そんな彼女が、「私、運動会がメッチャ憂鬱やねん」と呟きました。
「私、料理が苦手やし、盛り付けも上手にでけへんから、ホンマ、運動会のお弁当がプレッシャーやねん」と。
みんな、青空の下でお弁当を広げて食べているけれど、彼女と子どもたちは、毎年、テントの下でお弁当を隠すようにして食べているんだそう。
楽しいはずの年に一度の運動会が、たかだかお弁当のせいで楽しめないなんて!
はぁ、胸が痛む(;´・ω・)。
お弁当担当
というわけで、昨年からお弁当担当は我が家になりました。
昨年作ったのは、サンドウィッチ。
これが、幸いなことに好評だったもよう。
「いやぁ~、初めてお弁当広げて、みんなとゆっくり食べたわ。子供たちも喜んで、『この次も、こんなんしてな』って言われてん」とニコニコの友人。
そして、今年も、リクエストいただきましたよ~
今年は、マフィンサンド3種。ロールサンド4種。
中の具を作るのは私。マフィンを焼いたりバターを塗るのは夫。
「トマトの赤がきいてるね・・」などと言いながら、結構二人で楽しみました。
かくして7時半にはお弁当が出来上がり、8時には友人が取りに来ました。
「厚かましくてゴメンネ~」と言いつつ、
「これで安心して、今日は綱引きと障害物競走頑張ります!多分、イケると思う」と勝利宣言。
そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、ふと気持ちがあったまる私たちでした。
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老後を田舎で暮らすにはー高齢者の運転事情
都会から田舎に移住して5年あまり。
大きな生活上の変化は、何といっても車が無ければ暮らせないようになったこと。
最も近いスーパーマーケット、コンビニまでは8キロ。
市役所までは12キロ。
かかりつけのクリニックまでは10キロ。
唯一の公共交通機関である高速バスの停留所までは9キロ。
夫も私も、車に乗らない日はないほど、車に依存した生活を送っています。
驚いた高齢者の運転事情
移住して間もないころ。
見通しの良い直線道路を時速30キロ未満で走る軽自動車に驚いたものです。
運転席から前の軽自動車を見ると、運転している方の姿を見えず、まるで無人で動いているよう。
よくよく見ると、背中の丸まった小柄なおばあちゃまが、ハンドルにしがみつくようにして運転しておられ、「あっ、運転手さんいたんだ」と納得すること数回。
こうした車の後についた時には、急な追い越しは厳禁。ひたすら忍耐が求められます。
しばらくすると、ノロノロ運転の軽自動車が先導するようなかたちでちょっとした渋滞に。
田舎の農道でも、渋滞があることを知りました。
警察署でのヒトコマ
もう数年前のこと。ある時友人が、免許の更新のため警察署を訪れた時のこと。
友人の前に高齢の男性が窓口に進み、警察の方とこんなやりとりがあったそうです。
「名前は?」
「えっと、何やったけなぁ?えっと、名前なぁ・・・。スズキやったかなぁ?」
「スズキではないなぁ。名前忘れてしもたぁ?」
「・・・」
「名前が出てこん人に、免許はやれんなぁ。今日は、調子が悪いねんなぁ。また、調子の良い時に、出直してよ。ハイ、次の人!」
当地では、自分の名前を忘れてしまうほど認知症が進んでいる人でも運転している現実に、驚いたものです。
今年、道路交通法が改正され、75歳以上の方に対する認知機能検査が強化されました。
こんな光景は、もちろん今は見られなくなっていると思います。
ただ、「運転できない=暮らせない」ことがわかっているだけに、家族や周囲の人は認知症だとわかっていても免許を取りあげるタイミングにとても悩んでおられます。
歩けないからこそ運転!
高齢になれば、膝や股関節に障害が出て、歩行が困難になることもしばしば。
当地では、杖や歩行器が必要になったからこそ車で移動するという方も少なくありません。
友人のお母様は80歳。最近は、杖が手放せなくなりました。自宅では座りきりでなかなか動こうとしないお母様ですが、「車だったらどこでも行ける」と以前より運転して出かけることが多くなったとのこと。
友人が見るに、とても後ろを振り向けるとは思えないし、バックミラーもほとんど見ないお母様。耳も遠くなっていて、事故を起こすのではないかと毎日ヒヤヒヤの連続だと話しています。
高齢者のご希望は85歳
よくお世話になる地域の温泉。お客さんは、7~8割が地域の高齢者。
脱衣場では、いつもご高齢の方々の大声きな声が鳴り響き、とってもにぎやかです。
そんな皆さんの話題によく上がるのは、「何歳まで運転するか」ということ。
皆さん、温泉までは、ご自分の運転で来られています。
「運転できなきゃ、こうしてお風呂にも来られないし、そうなったら送迎付きのデイサービスだね」
「85歳までは何とか頑張りたいけどねぇ」
「〇〇さんは、90まで運転してたよー」
「事故起こしちゃったら最後だもんね。何かある前に辞めなくちゃとは思ってるけどねぇ」
そんな会話が何度も繰り返されます。
当地では、「運転卒業年齢は85歳」それが皆さんのご希望のようです。
当地のような田舎では、健康寿命は、運転寿命に大きく左右されそうです。
移住前、これほど車に依存する生活になるとは、思ってもみませんでした。
いずれ私も夫も車の運転ができなくなる日がやって来る。
さて、その時、どこでどう生きていくのかを考えておかなければならないようです。
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様変わりする田舎の介護事情
シニア世代が集まれば、話題はだいたい、「介護」、「年金」、「病気」、「お墓」だそう。
少し前の私なら、そう聞いて、「へぇ~」と笑っていたものです。
ところが、昨日の友人たちのと話題は、もっぱら「介護」。
メンバーは、60代2人、40代1人。そして私の4人。
60代の方は二人とも、両親をすでに見送り、現在は民生委員として地域のお年寄りの相談相手をされています。
そして40代の友人は、小規模多機能施設のケアマネージャー。
そんな友人たちから、当地の介護事情をいろいろと教えていただきました。
私の住む街
都会から移住して住み着いたこの町は、人口約5万人、高齢化率33%。
2040年には、高齢化率42%を超えるだろうと予測されている過疎地帯です。
少子化から、この十年で小中学校の合併が進み、いたるところに取り残された廃校が。
漁業と農業、観光を主産業とし、漁業・農業は、やはり後継者不足が深刻です。
次々にできる高齢者施設、待機はほぼゼロ
小・中学校の廃校跡地利用として、次々に特養や有料老人ホームの建設が進んでいます。
特養は、要介護度3以上というしばりがあるため、施設をオープンさせても利用者が集まらず、空きが出ているとのこと。
他の施設も、ほぼ待機なく入所できるようで、「特養待機数十万人」、「特養入所1年、2年待ち」という都会の状況とは大きく異なっているようです。
変わる価値観
60代の友人は、両親、義理の両親ともに施設で看取っています。
2人とも、民生委員を務めていますが、ここ数年、ご自分の担当地区内で自宅で亡くなった高齢者は皆無だそうです。
「『昔は、年よりは嫁が世話するのが当たり前』で、長いこと寝た切りの末に、自宅で亡くなる人も多かったけど、今は、一人暮らしの人も多いし、せいぜい年よりの夫婦二人暮らし。世話する家族がいないし、いても、皆、仕事してるからね」
なるほど・・・。
「それに、本人が、アカンようになる手前で、早めに施設に入りたがるのよ。車の運転ができなくなったらそろそろ皆さん考え始めるみたい。施設には、知り合いもいるし、ご飯は出てくるし。お風呂も入れて、冬は暖かく、夏は涼しい。寂しくないし、不安もない。それに家族も安心する。」
なるほど・・・。
とは言っても、長年住み慣れた我が家。思い出の詰まった空間。自宅への想いを、そんなに簡単に断ちきれるものなのかと少々不思議に。
昼だけ、夜だけ、訪問、そして看取りも
「でも、お年寄りは、家にいたいっていう気持ちが強いんじゃない?」そんな問いかけに、小規模多機能のケアマネをしている友人が、施設の使い方を教えてくれました。
小規模多機能施設なら、できるだけ家にいたい人は、昼間だけ家にいてもらって、夜だけ泊まることもできるし、夜は家族が帰って来るから、昼間だけ見て欲しいっていう人は、それもできるし。
家にいる時に、訪問が必要なら、ヘルパーも訪問するし。
ここで最期を迎えたいっていう人は、看取りもするよ~。
身体機能の衰えに応じて、生活の拠点を少しづつ移す
友人が教えてくれたのは、当地の賢い老いの迎え方。
ギリギリまで自宅で頑張って、どうにもならなくなったら施設入所ではなく、少しづつ生活の拠点を自宅から施設に移して慣らしていく。
最初は、デイサービスの利用、そして、週何回かは泊まってみる。泊まりの回数を増やして日中、自宅に帰ってみる。そして本格的な施設入所というように。
当地では、都会に較べ、高齢者施設に格段の余裕があるようです。
田舎は、「介護は嫁の仕事」「施設入所なんて、みっともない、世間体が悪い」そんな考え方がまだ強いのではないかと思っていましたが、それは、私の思いこみだったようです。
友人の老後の希望は、「自分の身の周りのことができなくなったら、良いケアが受けられる施設に入りたい」でした。
さて、自分はどうするか・・・。
少なくとも、都会に戻る選択肢はなさそうです。
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「お父さんはお母さんを愛しすぎます。それがリスクです」と言われた一件
3月1日に回復期リハビリ病院へ転院した脳梗塞の母。
リハビリ病院に入院できるのは150日が限度。
そろそろ次の療養場所を考えなければならず、先日、病院で主治医、ケースワーカーを交えた面談がありました。
「苺と共に登場」の父
その面談の場で初めて知ったことです。
転倒し、現在、車椅子生活の父ですが、それでも週1度は母の元にタクシーで面会に行っています。
ある時、父がタクシーの運転手さんに車椅子を押してもらい、神妙な顔つきで母の病室へ。
膝には、むき出しの苺のパックがひとつ。
母には、嚥下障害があり、胃瘻がついています。
1日に1度だけ、言語療法士の方が注意深く食事介助をしてくださっていますが、それでもむせやすく、誤嚥のリスクは大。
父が、母親に苺を食べさせるつもりだとふんだ看護師さんが父に厳重注意。
「病院は、食べ物の持ち込み禁止なんです。特にお母さんは、まだ上手に飲みこめないので、苺を食べさせて肺に入ったら命取りになりますよ。苺はすっぱいし、ツブツブもあるし、そんなのが肺に入ったら、ホント、大変!」
というわけで、苺パックは、袋に入れてもらってそのままお持ち帰りになったそうです。
次はバナナ2本
それから1週間後、車いすで登場した父の膝には、これまたむき出しのバナナが2本。
それも、熟れすぎて少々黒くなり、しなびたシロモノ。
「病室で、お母さんと1本づつ食べようと思ったんですかね。『食べ物は禁止なんです』って言ったら、このバナナは酸っぱくないし、ツブツブもないから、いいかと思ったって。」と看護師さん。
苺の件も、バナナの件も、全く知らなかった姉と私。
いじらしいと言えばいじらしいけど、いったい父親は、どこまで母の病状を理解しているのかと謎は深まるばかり。
「すみません。いろいろご迷惑をおかけして」と言いつつ、アタマのなかに?マークが多数点灯する私たちでした。
お父さんはお母さんを愛しすぎます。それが危ない
肝心な母親の今後の療養場所。
選択肢は2つ。
特養は、すぐには空きはないため、胃瘻に対応可能な有料老人ホームに入所するか、父親の待つサービス付き高齢者住宅に戻るか。
その時、ケースワーカーさんが、
「お父さんはお母さんを愛しすぎます。それがお父さんの元に戻る時のリスクになります。少しくらいならとお母さんに何かものを食べさせて、事故が起こるんじゃないかと心配」そう発言しました。
「お父さんがお母さんを愛しすぎる??」
「えっと、今、何っておっしゃいました?」と聞き返したいくらいのちょっとした衝撃。
「いえいえ、つい倒れる前まで、母を怒鳴りつける暴君でしたよ」と言いたいけれど、それを言ったところでどーなるものでもなく・・。
父ばかりではなく、父の面会を待ちわび、来れば手を握って離さない母親。そんな二人を見れば、長年相思相愛、理想のカップルに見えるのでしょう。
本当に、夫婦というものは、奥が深すぎる!
まぁ、それはさておき、摂食機能の回復が思わしくない母親。
誤嚥性肺炎と脱水が、母の2大リスクです。
それを回避できる療養場所は、どうやら父の元ではなく有料老人ホームになりそうな気配。
愛情が深すぎる父は、しばし待ちぼうけ。
ただ父のことですから、這ってでも母親の面会に行くことでしょう。
それにしても、あの二人は、どうなってるの?とアタマをひねる私たちです。
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